※以下の考察・解説には映画のネタバレが含まれています
カウンターカルチャーの合言葉
「30歳以上は信じるな」 それはカウンターカルチャーの合言葉でもあった。
60年代、旧来の価値観への反抗から生まれたカウンターカルチャーは若者を中心に父親達の世代を反抗の対象として見ていた。
自由と民主主義を標榜するアメリカだったが、一方ではベトナムでは無辜の市民を殺害していた。そんな様子を見た若者たちはアメリカに失望し、それまでの価値観に逆らうようになる。
カウンターカルチャーは既存の価値観への対抗文化だ。
『猿の惑星』はフランスの作家、ピエール・プーフの同名小説を原作とするSF映画だ。その特殊メイクアップで精巧に作られた猿のクオリティと観るものを驚かせる結末はSF映画を語る上では外せない。
地球へ還る途中でテイラー船長をはじめとする4人の宇宙飛行士を乗せた宇宙船が、地球へ還る途中で不具合を起こし、とある惑星へ不時着する。
墜落から生き残った3人はその惑星が地球と同じように酸素に覆われていることに安心し、食べ物を求めて探索を開始するが、そこは猿が人間を支配する「猿の惑星」だった。
猿の惑星の人間たちは言葉を持たず、原始人のような生活を行い、代わりに猿が文明を築き上げ、人間たちを奴隷として酷使していたのであった。
テイラー達は武装した猿の人間狩りに巻き込まれ、宇宙飛行士の一人であるドッジは猿に銃撃され死亡する。ランドンは猿たちに捕まり、テイラーは首に重傷を負い、人間を診るための「動物病院」に運び込まれる。そこで、テイラーは獣医のジーラとその婚約者で考古学者のコーネリアスと出会う。
彼らは猿は人から進化したという考えを持っており、それを実証するための研究を行っていた。言葉を話せるテイラーはであるザイウスから危険視される。
先に捕まったライドンはロボトミー手術を施され、廃人と化していた。
ゼイウスの本当の目的はジーラとコーネリアスも異端者として裁くことであった。なぜゼイウスは頑ななまでに新しい考えを認めないのか?
そこには知られてはならない秘密があった。
「30歳以上は信じるな」
意外なことに『猿の惑星』にも「30歳以上は信じるな」という言葉が出てくる。それはラストで主演のチャールトン・ヘストンが言ったセリフだ。
コーネリアスとジーラは異端審問で有罪とならないために禁断地帯の洞窟で自らの説を立証するための証拠集めをしようとしていた。それに乗してテイラーもノヴァとともに猿達の支配から抜け出し、新天地で暮らそうとする。
しかし、洞窟にたどり着いた彼らの前にザイウスと猿の兵隊の追手が表れる。
ザイウスを人質に戦闘は防いだテイラー達だったが、彼らは洞窟の中でかつては人間の方が猿より高い文化を持っていたことを突き止める。
しかしザイウスだけは頑なにその考えを認めようとしなかった。ザイウスはかつて人間の方が高い文化を持っていたことを知りながらも、信仰のためにその事実を否定していたのだった。
ザイウスを殺さない代わりに自由を手に入れたテイラーはノヴァとともに新しい土地へ向かう。
そしてコーネリアスやジーラ、ルシアスに別れを告げる。
「僕は危ないと思うけどな」そう言うルシアスにテイラーはこう答える。
「その批判精神を忘れるな。30歳以上は信じるなよ。」
ルシアスは既存の価値観や慣習に囚われずにコーネリアスらに付いてきた。常に本当に正しいのは何なのか、自分自身に問いかけほしいというテイラーの望みでもあるのだろう。
「30歳以上は信じるな」こう発言しているテイラー自身も30歳はとっくに越えているのだから。
チャールトン・ヘストンは今でこそ保守派の俳優のイメージが強いかもしれないが(俳優としてより全米ライフル協会の会長としてのイメージが強い人もいるだろう)、若い頃はリベラルな俳優として知られていた。
ヘストンは 1923年10月4日まれ。出生時の名前はジョン・チャールズ・カーターだが、12歳の時にヘストン姓になっている。ヘストンは人種差別の激しいリノリイ州で育った。
同じく同世代の俳優で人種差別に強い反感を持っていたマーロン・ブランドとともにワシントン大行進に参加したこともある。ちなみにワシントン大行進にはミュージシャンのボブ・ディランも参加している。
ボブ・ディランもまた1964年にリリースした楽曲『時代は変わる』の中で
「この国の母親、父親たち、あなた達の知る道は急速に朽ちている。
息子や娘を理解できないことを批判してはいけない。
彼らでさえあなた達の理解を越えているのだから。
もし、手を貸せないというなら、新しい道から退かねばならない」と歌っている。
60年代初頭、ボブ・ディランは時代の代弁者と呼ばれ、カウンターカルチャーにおけるヒーローでもあった。
そうだ、時代は変わる。そう信じた若者たちはそれまでの有色人種の差別にも反対を唱えるようになる。
カウンターカルチャーと公民権運動は密接に結び付いている。
『猿の惑星』と公民権運動
さて、この『猿の惑星』についてはその公民権運動を描いているとも言われる。60年代は公民権運動がかつてない高まりを見せていた。
だが、白人の間にもそれを支持する層と、差別の継続を望む層に分かれていた。
公民権運動は黒人が白人との法の上での平等を望んだ運動だったが、それは一部の白人にとって自分達の立場が脅かされる事を意味していた。特に南部地方では白人より黒人の奴隷の方が人口が多く、彼らに参政権を与えることは黒人のリーダーを生み出すことにつながりかねなかった。
リンカーンが発布した奴隷解放宣言だが、彼の死後、それが骨抜きになり実質的な差別が残ったのも自分達の社会が黒人に支配されるかもしれないという恐れがあったからだ。
『猿の惑星』は黒人と白人の立場が逆転した世界を描いていると考えることもできる。
では、そのなかで人間(白人)はどう見られているのか。
ザイウスは人間と猿の正しい歴史を知っているが、信仰のためにそれをひた隠しにしている。
それは人間が野蛮で慰みや欲望のために殺し会う危険な生き物であるという「聖典」の記述を信じているからだ。ここで人間に対する痛烈な風刺が出てくる。
ザイウスは言う。「あの洞窟を見ても人間への認識は変わらん。」
歴史を振り返っても確かに十字軍による侵略、スペインに滅ぼされたインカ帝国、黒人をモノとして売買していた奴隷制、先住民族への迫害と虐殺、そして自由と民主主義を守るという独善的な正義で現代でも今なお中東を攻撃している。それは人間のみが持ち得た愚かさの一部かもしれない。
そのような暴力性に加えて、かつての人間のような知性をも持ち合わせたテイラーは恐るべき存在でもあっただろう。
「わたしはお前のような人間が現れるのをずっと恐れていた」ザイウスはテイラーにそう打ち明ける。
核戦争後のディストピア
『猿の惑星』のラストシーンでは、テイラーがノヴァとともに禁断地帯へと辿り着く。
そこで目にしたのは荒廃した自由の女神像だ。
「本当にやりやがった!」「みんな地獄で苦しめ!」そう絶望するテイラーの姿で映画は幕を閉じる。
これは東西冷戦の最悪の結末をイメージしている。『猿の惑星』の惑星の正体は核戦争によって荒廃した未来の地球だったのだ。
実際に1963年にはキューバ危機が起きた。歴史上で最も人類が核戦争に近づいた出来事でもある。
1959年にキューバ革命がおき、それまでの親米的なバティスタ政権に代わってフィデル・カストロが政権を握ることになった。バティスタ政権に批判的なカストロも、当初はアメリカから経済援助してもらう道を模索していたが、アメリカからの冷淡な対応に失望し、ソ連との結び付きを強くしていく。
1962年にはキューバに核ミサイルが建設中であるとケネディ大統領によって発表される。それをきっかけにアメリカはキューバに対して海上封鎖を行い、アメリカとソ連の緊張は一気に高まる。
核戦争が最も現実味を帯びていた時代、同時期に公開されたSF映画にもそれは反映されている。
1964年に公開されたスタンリー・キューブリック監督の『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』はまさにアメリカとソ連の戦争回避が間に合わず、世界が滅亡するブラック・コメディだ。
また1959年に公開された『渚にて』は核戦争によって荒廃した世界が舞台だ。そこでは一縷の希望すら無惨に打ち砕かれる絶望的な未来が示されている。
ちなみに『渚にて』の舞台は1963年。公開年のわずか4年後を設定している。それほどまでに核戦争の恐怖は身近に迫っていたのだ。
それらはジャンルを問うならばSF映画と呼べるだろうが、実際のところは冷戦の不安を映画という形で具現化した社会的な作品とも言える。
そして、『猿の惑星』もまたそんな現実世界の不安を見事に転写して見せたと言えるだろう。
このラストシーンは映画版のオリジナルであり、当初の脚本を担当したロッド・サーリングが考案した。まさに当時の時代を風刺したエンディングだ。
また、その後に脚本を担当したマイケル・ウィルソンは戦後のアメリカに吹き荒れた赤狩りによってハリウッドを追われた経験も『猿の惑星』に反映させている。ジーラとコーネリアスが受けた理不尽な仕打ちはそこから着想されているのだろう。
公民権運動が盛り上がるその少し前までは共産主義者や共産党に関わった人物が追放される時代でもあった。赤狩りは隣人が隣人を密告するという事態を生み、「現在の魔女裁判」とすら呼ばれた。『猿の惑星』は2001年にティム・バートンの手によって『PLANET OF THE APES/猿の惑星』としてリメイクされた(バートンは「リ・イマジネーションだ」と言っている)。また 2011年には『猿の惑星:創世記』が製作された。それらの作品は確かに特殊技術は目を見張るほどの進化を遂げ、オリジナル版の特殊メイクなどは今の時代から見ればチープなのは否定しようがない。だが、映画を貫いているのは1960年代当時の現実社会だ。