『肉弾』岡本喜八と戦争

※以下の考察・解説には映画のネタバレが含まれています


毎年、夏になると戦争を特集した番組が放送される。あと10年もすると、戦争で戦ったことのある人々もほぼいなくなってしまうのだろう。

戦争を知らない私たちに戦争を語ることはできるのか?

テレビでは高校生が「戦争を語り継いでいかねばならないと思った」とコメントしていた。その思いは素晴らしい。だが、こうも思う。「戦争を知らない私たちに戦争を語ることはできるのか?」
戦争を知らない人々が戦争を語り継いだところで、締めの言葉は「二度と繰り返してはならない」だとか、「平和が何より大切」になるのだろう。もちろん、平和を否定はしないが、あの戦争を否定してもいけないと思う。
数年前、あるジャニーズのキャスターが元日本兵に「人を殺したという感覚は無かったのか」とインタビューして炎上した。元日本兵の方は「……私は『航空母艦と戦艦を沈めてこい』という命令を受けているんですね。……『人を殺してこい』ってことは聞いてないです。従って、命令どおりの仕事をしたんだ。もちろん人が乗っかっていることはよくわかっていますけど、しかし、その環境というのは私も同じ条件です」そう答えた。「あまりにも無神経すぎる」「あまりにも無神経すぎる」
戦争を知らない私たちに出来ることは、戦争を経験した人々が残したものに降れることだけではないか。
中でも映画は今も多くの作品が残っている。

例えば、本多猪四郎は8年間を軍隊に費やした。本多は『太平洋の鷲』『さらばラバウル』で戦争をテーマとしている。また本多猪四郎と言えば『ゴジラ』の監督として世界的に知られているが、『ゴジラ』にも戦争の悲惨さや戦後の空気がそのまま閉じ込められている。だが、今回紹介したいのは本多猪四郎ではなく、その弟子だった岡本喜八だ。
ある意味で本多以上に強烈な戦争体験をしたのが岡本喜八だろう。
岡本喜八は明治大学を卒業後、1943年に東宝へ入社する。しかし徴用によって東宝での仕事はわずか三ヶ月で中断し、中島飛行機武蔵野製作所で働くことになる。翌1944年には徴兵検査に合格し、幹部候補生として1945年に松戸工兵学校へ入学する。そしてその年の4月に豊橋予備士官学校で岡本喜八は敵の攻撃に遭う。まさに九死に一生を得たとも言えるが、喜八の戦友たちは片手片足を失い腹からはみ出た内臓を押し込もうとしている者、頸動脈から雨のように血を流しながら「止めてくれ!」と叫ぶ者など、まさに「泥絵の具の地獄図絵」だったという。戦争が終わった後、町内の幼友達は誰もいなくなっていた。

岡本喜八の監督作には戦争をテーマにしたものがいくつもある。最も有名なものは終戦の日の一日の攻防を描いた『日本のいちばん長い日』だろうが、もともとは小林正樹が監督を務める予定だった作品ということもあり、岡本喜八の思いが十分に詰め込まれているとは言えないだろう(それでも喜八は本作の最後に「この戦争で300万人が死んだ」という文言を加えることに固執したという)。その意味で岡本喜八の戦争に対する思いを本当に表しているのは今回紹介する『肉弾』ではないかと思う。

『肉弾』

『肉弾』は1967年に公開された戦争映画だ。主演は寺田農が務めている。
1967年に公開された『日本のいちばん長い日』は、その年の映画では『黒部の太陽』に次ぐ第二位のヒットになった。  このヒットにより『肉弾』の企画にゴーサインが出るが、それでも資金が集まらず、喜八の妻の岡本みね子がプロデューサーとなり、また喜八自身も自宅を抵当に入れて資金を捻出したという。今作に賭ける岡本喜八の気迫が伝わってくるエピソードだ。喜八自身も『肉弾』はお気に入りの一本だという。

21.6歳

『肉弾』の主人公には名前がない。ナレーターを務めている仲代達矢は主人公を「あいつ」と呼んでいる。「あいつ」は21.6歳。劇中では、戦時中と戦後で男性の平均寿命が21.6歳違うと説明があるが、「あいつ」の年齢にはもう一つの意味がある。
終戦時の岡本喜八の年齢も21.6歳であった。『肉弾』の「あいつ」には岡本喜八自身が重ねられているとも言われている。「あいつ」は大学生のインテリだが、岡本喜八自身も明治大学を卒業している。あの時代に大学卒はかなり珍しかったのではないか。一説によると戦時中の大学進学率は5%だという。
「あいつ」は特攻隊員として敵の戦車の下に潜り込んで爆弾を爆発させるという任務を負っている。

牛から豚へ

「あいつ」は空腹に耐えかねて、食料庫から食料を盗む。それを上官に咎められる。その食料は本土決戦に備えて常備しいるものだったからだ。「あいつ」は訓練生はみな牛になっているという。胃袋から食べたものを口に戻して反芻して再び飲み込むのだ。上官は反芻の様を想像して吐き気を覚える。

「あいつ」は言う。本土決戦の前に倒れては戦はできないと。インテリらしい合理性のある言葉だ。しかし、上官は空腹は気合いで乗り切れという。
「あいつ」は罰として全裸で過ごすことになった。牛から豚へ成り下がったと「あいつ」は自嘲する。

死という終着点

「あいつ」は全裸での訓練も次第に慣れてくる。「大したことはない」その言葉を「あいつ」は何度も繰り返す。
今、どんな目に遭おうが、すぐ目の前まで「死」という終着点は迫ってきている。死後、天国に行くか、地獄に行くかは生きている者の観念であり、本当の死の向こうには何もないのかもしれない。
そう思うと今起きている一切はすぐにゼロになる。苦しい思いも辛い記憶も消え去ってしまう。今何が起きていようと「大したことはない」のだ。
また、ここにも岡本喜八自身が重ねられている。喜八は戦時中、自分の寿命を「うまくいって23、下手すれば21」と見積もっていた。その中で刻々と迫る死の恐怖に対し、喜八は恐怖で発狂しないために、全てを喜劇的に見るようにしたという。それは全てを「大したことはない」で済ませてしまう「あいつ」にも通じる。『肉弾』は決して明るい映画ではないが、音楽はやけに喜劇調のものが多い。
「戦争は悲劇だった。しかも喜劇でもあった。 」
岡本喜八はこのような言葉を残している。この言葉を解釈してみよう。人が老若男女問わず無慈悲に死んでいくという意味で戦争は悲劇だが、一方で戦争そのものに対するバカバカしさも喜八は持ち合わせていたのだろう。

聖なるもの

「あいつ」もそうだ。「あいつ」は多くの国民とは違い、日本が神の国とも強い国とも思っていない。
特攻前に24時間の外出が許される。他の兵士が女を買いに行く一方で、「あいつ」は活字を求めて本屋へ行く。古本屋の亭主は戦争で両腕を失った老人だった。彼と気さくな会話を交わし、彼の妻とも会う。「あいつ」は聖書を購入し、女を買いに行く。
「あいつ」は童貞で女を抱くのは初めてだった。
しかし、遊郭へ足を踏み入れた「あいつ」は醜い女が大勢いることに失望し、「お化けがいる」と漏らす。実際、そこまで不器量な女性はほぼ映らないのだが、彼女達の俗世間への汚れを感じたのだろう。
だが、そんな中でセーラー服の少女と出会う。「あいつ」は彼女に聖なるものを見出だす。「あいつ」は彼女を買おうとするが、症は店の主人であり、「あいつ」の相手として出てきたのは「お化け」だった。
「お化け」は少女の家族全員が戦争で亡くなり、一人で店を切り盛りしているのだという。
店を後にした「あいつ」は雨の中で少女と再会する。少女はうさぎ年二人は防空壕の中で濡れた体を拭き、そのまま結ばれる。「あいつ」は「君のためなら死ねる、君のために死ぬんだ」と繰り返す。

翌日「あいつ」は特攻の訓練を行っている。そこで少年とその兄に出会う。兄は勤労奉仕に出ていたが、弟が心配で仕事を抜け出したことで教師から非国民と罵られ殴られていた。「あいつ」は教師から兄を救った。ここにも「あいつ」がイデオロギーに染まらず、現実的に物事を見ていることがわかる。
『肉弾』にどれだけキリスト教の影響があるのかはわからないが、「あいつ」が軍人や遊郭の女たちではなく、非国民と罵られても弟を心配する兄とその弟、古本屋の主人とその妻、そしてセーラー服のうさぎなど、市井の人々に無垢を見出だし、聖なる者として見ていた事実は興味深い。
インテリで「神風」など信じていない「あいつ」にとって、ただ戦う理由、そして死ぬ理由は「聖なる者」を守る、それだけだった。

だが、その日の夜の空襲で弟から兄やうさぎ、主人とその妻全員が死んだ報告を受ける。「バカヤロー!」「あいつ」は叫ぶ。そして復習のために連合軍と戦うことを決める。
しかし作戦は戦車への突撃でなく、ドラム缶に魚雷をくくりつけて、敵の空母を見つけるまで海を漂うというものに変更される。
「あいつ」は敵空母を見つけるまで何日も海を漂う。そしてついに空母を見つけた。魚雷を発射させるが、魚雷は故障し海底に沈む。更に「あいつ」が見つけた空母の正体は日本のし尿処理船であり、その船長から日本が降伏し、戦争が終わったことを告げられる。
「あいつ」はロープで船に繋がれ、陸へ帰ることになった。「バカヤロー!」「あいつ」はドラム缶の中で叫び続けた。ロープが切れ、海に取り残されたこともきづかずに「あいつ」は叫び続ける。
そして時代は変わり、1968年の東京湾でマリンスポーツを楽しむ大勢の若者達が映し出される。その海の中でポツリと漂うドラム缶。その中では骸骨になった「あいつ」が未だに叫び続けているのであった。

『肉弾』は反戦映画か?

以上が『肉弾』の大まかな内容だ。
果たして『肉弾』は反戦映画なのだろうか。『肉弾』を観て、一つの詩を思い出した。

「戦死やあわれ
兵隊の死ぬるやあわれ
とおい他国で ひょんと死ぬるや
だまって だれもいないところで
ひょんと死ぬるや
ふるさとの風や
こいびとの眼や
ひょんと消ゆるや
国のため
大君のため
死んでしまうや
その心や

苔いじらしや あわれや兵隊の死ぬるや
こらえきれないさびしさや
なかず 咆えず ひたすら 銃を持つ
白い箱にて 故国をながめる
音もなく なにもない 骨
帰っては きましたけれど
故国の人のよそよそしさや
自分の事務や 女のみだしなみが大切で
骨を愛する人もなし
骨は骨として 勲章をもらい
高く崇められ ほまれは高し
なれど 骨は骨 骨は聞きたかった
絶大な愛情のひびきを 聞きたかった
それはなかった
がらがらどんどん事務と常識が流れていた
骨は骨として崇められた
骨は チンチン音を立てて粉になった

ああ 戦場やあわれ
故国の風は 骨を吹きとばした
故国は発展にいそがしかった
女は 化粧にいそがしかった
なんにもないところで
骨は なんにもなしになった」

フィリピンで戦死した日本兵、竹内浩三の『骨のうたう』という作品だ。『骨のうたう』は反戦詩として有名なのだが、単に反戦というには留まらないメッセージを持っている。

屍の上の平和

「人を殺したという感覚は無かったのか」冒頭のインタビューの問いだが、人を殺すという行為があってこそ、今の日本があるのではないだろうか。いくら軍人といえど、人を殺すには躊躇することもあるだろう。実際多くの日本兵が戦後、戦争後遺症(PTSD)になったという事実もある。その苦しみを今の平和しか知らない私たちはどうしても理解することはできない。
負けることが決まっていた戦争を戦うことに何の意味があるのかと戦争を知らない人は思うかもしれない。
しかし、そうならばなぜ「あいつ」は軍務を放棄して逃げなかったのか。

負けるということは全てを奪われることと同義だった。浜辺で出会ったもんぺのおばさんは「敵が上陸したら女は妾にされちまう」と信じて、その前に自決しようとしていた。
敵の手に日本が落ちれば女は犯され、男は殺され、生命や財産の保証もない。かつての植民地支配がそうだったように、言葉をはじめとした文化も根こそぎ奪われる可能性もある。当時の人々にとって負けるとはそういうことだったのだろう。だからこそ、一矢でも報わねばならない。

1945年の5月21日に特攻隊として戦死した西田高光中尉は、特攻の直前に作家の山岡荘八からこのような問いを受けた。
「この戦いに日本は果たして勝ち抜けると本心から思っているのか」
なかなか答えにくい質問だと言いながらも西田中尉はこう答えている。
「学鷲(予備学生出身の搭乗員)は一応インテリです。この戦争について疑問を持っている者もいるし、私もそうですが、そう単純に日本が連合軍という大敵に勝てるなどとは思っていません。でも、無条件降伏は、ありえないと思っている。ですから、少なくとも今の戦局を小康状態にまで盛り返して、有利な講和に持ち込む、それしかないんじゃないかなあ。われわれはそのために突っ込むんですよ」

今の日本の平和はそんな無数の屍の上にある。今もなお、サイパンや沖縄には回収されないままの日本兵の遺骨が残っているという。
『肉弾』で描かれた、名もなき「あいつ」のような犠牲の上に今がある。

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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