『シン・ゴジラ』ゴジラの正体は何だったのか?

※以下の考察・解説には映画のネタバレが含まれています


幼い頃からゴジラが大好きだった。だが、劇場で日本のゴジラ映画を観たのは『ゴジラvsデストロイア』を最後に長らく遠ざかっていた。
理由はいくつかあるが、一つはやはり日本の特撮技術がハリウッドのCGに敵わなくなったことがある。小さい頃、ゴジラ映画で壊される町並みがミニチュアセットだとは思いもしないほど精巧でリアルに見えた。『ゴジラVSキングギドラ』を観たのは幼稚園の頃だったが、幼いながらに「これはドキュメンタリーに違いない!きっとゴジラが襲来した時にたまたまビデオカメラを持っている人がいたんだ!」そう思っていた。それほどリアルに感じたのだ。
映画監督のスティーヴン・スピルバーグもまた幼い頃に『ゴジラ』を観て、どうやってこんなに滑らかにゴジラを動かしているのかわからなかったと語っている。

だが、その後の私は『ジュラシック・パーク』やハリウッド版の『GODZILLA』(悪名高いローランド・エメリッヒ監監版の方だ)で、特撮を越えたVFXに衝撃を受けた。そうなると、日本の『ゴジラ』映画の特撮がどうもチャチく感じてしまう。
また、年を重ねて本来の『ゴジラ』映画がエンターテインメントだけではない、社会的な映画であることを知ると、やはり当時の『ゴジラ』映画には物足りなさを感じていた(安易なエンターテインメントだけの最たるものが『ゴジラFINAL WARS』だと個人的には思っている)。

『シン・ゴジラ』

だが『シン・ゴジラ』は違った。「やっと望んでいたゴジラ映画が作られた!」そう思った。
1954年に公開された『ゴジラ』は原爆をゴジラに重ね合わせている。それは1954年にアメリカの核実験によって再び日本人が被爆するという事件が起きたからだ。ヒロシマとナガサキの惨状とその破壊力を知ってなお、その後の冷戦の中で核兵器は増え続けた。『ゴジラ』は怪獣映画である以上に反核、反原爆の映画なのだ。
一方の『シン・ゴジラ』に重ねられているのは自然災害と原発だ。ゴジラに破壊された町並みは3.11で壊滅的な被害を受けた福島の景色を思い出させる。また『ゴジラ』と共通するのはゴジラが歩いた後には放射能が検出されるという点だ。『ゴジラ』の放射能は原爆からのものだが、『シン・ゴジラ』のものは原子力発電所から漏れ出たものだ。3.11での原子力発電所の事故は世界にヒロシマ、ナガサキそしてフクシマという新たな核による被害として認知された。

『シン・ゴジラ』の意味

『シン・ゴジラ』を皮切りに、庵野秀明は『シン・ウルトラマン』や『シン・仮面ライダー』など、往年の名作特撮映画をリメイクし続けている。
今や「シン」自体が独自のジャンルを形成しつつあるが、そもそもシンとは真、新、神など様々な意味を含んだ語だった。
確かに『シン・ゴジラ』にはそれがある。ゴジラが様々な形態へ進化し、ゴジラへ成長していくという設定は新しい。前述のように、社会的な問題を作品に落とし込んだという意味では原点回帰と言える。その意味では真の部分もある。そして、神という部分だ。

神としてのゴジラ

『シン・ゴジラ』のゴジラは怪獣やモンスターの類いではない。神だ。
今作のゴジラはCGで製作されているが、そのゴジラの動きを演じたのは狂言師の野村萬斎だ。野村萬斎はゴジラについて神が移動するかのような演技を行ったと述べている。
また、ゴジラの手が上向きになっているのは龍が宝珠を持っているさまをイメージしたとも語っている。
古来より日本では自分の手の届かぬ存在や、支配できないものを神として崇めていた歴史がある。ローランド・エメリッヒ版の『GODZILLA』は世界で多くのゴジラ・ファンから批判されたが、その一つにゴジラを単なるモンスターとして描いたことが挙げられる。

『GODZILLA』に登場するゴジラはイグアナが核実験の放射能によって変異した生き物だ。『GODZILLA』のゴジラは怪獣というよりは巨大生物のほうに近い。のちにエメリッヒは「ゴジラには興味がなかった」とインタビューで答えている。エメリッヒ曰く、「いい加減な脚本とゴジラのデザインを提出し、これなら向こう(東宝)から断るだろうと思っていたら、そのままゴーサインが出て、仕方なく撮影に入った」そうだ。

このように『シン・ゴジラ』は完全に日本向けに作られた作品だ。ゴジラを倒すために個人がヒーロー的な活躍をするのではなく、組織でゴジラに立ち向かう。 ただ、最後に現場主義になってしまうのは同時に組織の弱さを感じさるものにもなってしまっている。これもまた日本的なもののひとつだろうか。

『日本の一番長い日』

『シン・ゴジラ』は1968年に公開された岡本喜八監督の『日本のいちばん長い日』に影響を受けていると言われている。確かにカットの細かい割りなどや、登場人物を字幕で紹介するなどの演出に『日本のいちばん長い日』の影響が感じられる。
『シン・ゴジラ』には登場人物の家族がほとんど登場しない。これも『日本のいちばん長い日』の影響があるからだろう。『日本のいちばん長い日』は1945年の8月14日から15日にかけて、昭和天皇をはじめとする日本政府のトップらが降伏を決断し、玉音放送が流されるまでを描いている。
『日本のいちばん長い日』はキャストのほとんどを男性が占める政治ドラマだ。
『シン・ゴジラ』監督の庵野秀明は岡本喜八監督の大ファンであり、『日本のいちばん長い日』と『激動の昭和史 沖縄決戦』は繰り返し何度も観たという。

岡本喜八監督は2005年に亡くなっているが、『シン・ゴジラ』では重要な役どころとして登場する。牧悟郎という学者だ。牧はゴジラの出現を誰よりも早く予想していた。

牧悟郎とは?

牧悟郎は設定上は故人であるものの、『シン・ゴジラ』のキーパーソンでもある。
牧は元城南大学の統合生物学教授であり、生物研究の傍らエネルギー研究も行っていた。理由は不明だが、日本の学会を追われ、その前後で妻を放射能病によって亡くしている。その後アメリカにわたり、米国エネルギー省の属託機関で放射能を食べて活動する海底生物の研究を行う。牧はこの生物に自らの故郷である大戸島の伝説の生物、「呉爾羅」の名をつけている。
牧はゴジラ出現の7日前に日本に帰国し、「私は好きにした、君たちも好きにしろ」というメッセージを残したまま、乗っていた船から忽然と姿を消している。

実は牧は船から飛び降り自殺し、その前にゴジラの元となる生物に遺伝子操作を施したことが裏設定として明かされている。
ゴジラの正体は牧教授ではないかという説もあるが、正しくはゴジラは牧教授の化身と言えるだろう。怒りに荒ぶる神、それが『シン・ゴジラ』のゴジラなのだ。
ちなみに牧悟郎という名前は1984年に公開された『ゴジラ』でも、登場人物のジャーナリストの名前として設定されている(こちらでは牧吾郎)。

『春と修羅』

牧教授が消息を絶った船に残されていたのが宮沢賢治の『春と修羅』だ。
実はこの本のヒントも『日本のいちばん長い日』とつながっている。『日本のいちばん長い日』では横浜警備隊の若い学徒兵が倉田百三の『出家とその弟子』という本をポケットに入れている。『出家とその弟子』は大正時代に出版された本で、当時の若者の間で爆発的な支持を得た。横浜警備隊は戦争終結を阻止すべくクーデターを起こすのだが、『出家とその弟子』からは、彼らもまた世俗的な欲望を超克し、命を懸けて信念を貫こうとする誠実さを感じることができる。
さて、その意味で『シン・ゴジラ』における『春と修羅』は何を言わんとしているのだろうか。

『春と修羅』は宮沢賢治が存命中に出版された唯一の詩集だ。だが今日の人気とは裏腹にほとんど売れなかったと言われる。存命中には誰にも理解されない、そんな宮沢賢治の境遇を牧悟郎は自らに重ね合わせたのだろうか。また『春と修羅』は妹を亡くしたことに関する複数の詩が納められており、タイトルにもなった『春と修羅』では、妹のいなくなった世界でも、変わらずに春が来ること、そしてその中で宮沢賢治は「修羅として生きる」と宣言している。妻を亡くした牧悟郎もまた修羅として生きる覚悟でゴジラを育てていたのだろう。
東京湾に身を投げた牧悟郎の消息はわかっていない。もしかしたら、ゴジラと同化したという説にも一端の可能性はあるのかもしれない。

『ゴジラ』との繋がり

『シン・ゴジラ』は他のゴジラ映画と前後の繋がりを持たない、独立した作品だが、1954年に公開された『ゴジラ』との繋がりやオマージュを随所に感じることができる。
牧博士の出身地が『ゴジラ』でゴジラが最初に登場した大戸島になっているのもその一つであり、また大戸島に伝わる伝説の怪物の名が呉爾羅(ゴジラ)であるのも『ゴジラ』と共通する。また、牧博士の残した謎を解く学者として登場するのが映画監督の塚本晋也演じる間邦夫博士だ。塚本晋也は演じる間博士について、特技監督の樋口真嗣から「志村喬のイメージで」演じるように言われたそうだ。
志村喬は『生きる』や『七人の侍』などの黒澤映画の常連俳優として有名だが、樋口真嗣監督のいう意味合いとしては『ゴジラ』で志村喬が演じた山根博士のイメージで、ということだろう。
『ゴジラ』における山根博士は劇中において唯一ゴジラを脅威ではなく、人類の手によって安住の地を追われ、また人類の手によって滅ぼされた哀れな生物として認識している。

『シン・ゴジラ』はなぜヒットしたのか?

『シン・ゴジラ』の公開時、私は21年ぶりに日本のゴジラ映画を映画館で観た。
私みたいな人も案外多かったに違いない。もちろん初めてゴジラ映画を映画館で観たという人もいただろう。
なぜ『シン・ゴジラ』はこれほどヒットしたのか。単純に12年ぶりのゴジラ映画というだけではない。
「徹底的に大人が満足できる作品」だったからだ。ゴジラ映画はかなり早い段階から子供向け映画に舵を切ってしまった。第一作目の『ゴジラ』こそ、当時の世相や戦争の残り香を感じさせるものであった(それでも当時の映画界からは「ゲテモノ映画」という評価もあったそうだが)。

だが、2作目の『ゴジラの逆襲』を皮切りに敵怪獣と戦うVSモノが定番となると、そこに宇宙人などのSF要素(当時はアポロ計画などもあり、宇宙関連がブームだったという世相もある)も加わるようになり、ゴジラ映画がターゲットとする年齢はどんどん低くなっていった。
極めつけは「東宝チャンピオンまつり」への参加だろう。もともと東宝チャンピオンまつりとは当時の映画界の斜陽化に加え、ゴジラ映画のプロデューサーでもあった田中友幸が「低予算でもいいからゴジラ映画を残したい」という思いから始めた企画で、1971年には坂野義光が原点回帰を意識して、核兵器に代わる当時の恐怖である公害をテーマに『ゴジラ対ヘドラ』が製作されたが、公開当時は酷評され、長らく再評価されることもなかった。

ただ、「大人向けのゴジラ映画」というだけではここまでのヒットは説明しようがない。もう一つの理由は日本人に向けた日本人にしか作れないゴジラ映画だったからだと思う。
『シン・ゴジラ』公開前のゴジラ映画といえば、ハリウッドでヒットした映画の演出をすぐに作品に取り込んでいた。だが、センスや費用の面もあるとは思うが、ただの劣化コピーと言ってもいい出来だったと思う。
一例を挙げると『ゴジラVSキングギドラ』には『ターミネーター2』の影響が、『ゴジラVSデストロイア』には『ジュラシック・パーク』、『ゴジラ FINAL WARS』には『マトリックス』の影響が感じられる。
だが、『シン・ゴジラ』はそうではない。徹底的に日本を描いている。
『シン・ゴジラ』日本で大ヒットした一方でいまいち海外でヒットしなかったのはそこだろう。

一番怖いものは人間

ラストシーンでゴジラの尻尾から人形の生物が誕生しつつあるのがわかる。「第5形態」と呼ばれるもので、よく見るとその背中から羽が生えている。
つまり、飛行能力を得た人間が、次のゴジラの姿ではないだろうか。
こうして見ると、ゴジラよりも最も恐ろしいのは人間なのではないかと感じる。『シン・ゴジラ』のゴジラの目は「最も恐ろしいから」という理由で人間の目が採用されている。

『シン・ゴジラ』のキャッチコピーは現実(ニッポン)対虚構(ゴジラ)だった。しかし、ここで虚構は人間という実在へと姿を変える。ゴジラは地震や原発のメタファーであった。自然災害を操れる存在としては神という虚構を設定する以外にはないが、原発の事故は人災とも言える。
そして、ゴジラそのものも、牧教授もいう人間によって完成させられた生物でもある。
『シン・ゴジラ』のラストシーンで、ゴジラは死なずに凍結したまま東京に鎮座する。
ゴジラはなぜ死なないのか。それはゴジラがもう一つの我々自身だからではないか。再びゴジラが活動を再開した場合、核兵器が一時間以内に東京へ投下される。

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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