『ゴジラ』シリーズに見る核・原子力のイメージの変遷

ゴジラを語るときに核原子力の問題は外せない。ゴジラの誕生は現実の被爆事件が大きく関わっているからだ。
今回はゴジラシリーズの変遷の中でゴジラがどう核の問題や放射能から向き合ってきたのかを考察してみたい。
まず、このような文脈で核と言えば核爆弾をイメージする人も少なくないだろう。言うまでもなく日本人にとってそれは長崎や広島に投下された原子爆弾を思い出させる。

『ゴジラ』シリーズに見る核・原子力のイメージの変遷

『ゴジラ(1954)』

1954年に公開された『ゴジラ』は水爆怪獣と呼ばれていた。それは度重なる水爆実験によって住処を追われたジュラ期の恐竜が日本を襲う物語だったからだ。
だが、それは日本に投下された原爆のメタファーでもあっただろう。今作で最初にゴジラの造形を手掛けた阿部和助はその第一案としてキノコ雲をイメージした頭部を提案した。また独特の肌はケロイドの痕をイメージしたとも言われる。

意外に思うかもしれないが、戦後間もない時代、日本にとって原爆や原子力は圧倒的なパワーの象徴であり、その惨状やリスクに言及する声はほとんど見られない。
当時の少年マンガにもそれは顕著に表れている。
山本 昭宏著『核と日本人 – ヒロシマ・ゴジラ・フクシマ』からいくつか紹介しよう。
例えば1952年から連載された福井英一の柔道マンガ『イガグリくん』には主人公のライバルの熊皮の必殺技として原爆投げが登場する。このネーミングは原爆の破壊力にあやかったもので、放射能や被曝などのマイナスイメージは感じられない。
1951年の漫画 謝花凡太郎の『ピカドン兄さん』もそうだ。この作品では主人公は慌てると家のものをひっくり返すという理由で、「ピカドン」と呼ばれている。言うまでもなくピカドンとは原子爆弾の俗語だが、そこには原爆の悲惨さは同様に感じられない。

核エネルギーの平和的な利用こそが未来の姿であり、豊かな生活を実現する大きな可能性でもあった。GHQによる検閲によって、原爆の被害や恐怖は削除されていたという事情もあるであろうし、情報伝播の遅さもあっただろう。少なくとも今のように原爆がある種のタブーを帯びることもなく、原爆や原子力に対するイメージも今と当時のイメージは今とは大きく変わっていた。

それが大きく変わるのは1954年に第五福竜丸が被爆した事件があったからだ。1954年にビキニ環礁でキャッスル作戦と呼ばれる水爆実験が行われた。キャッスル作戦 で使用された水爆は当初の三倍もの破壊力を示し、避難区域外にいた第五福竜丸の乗組員は全員被爆してしまう。中でも久保山愛吉無線長は被爆から半年後に死亡。「原水爆の被害者はわたしを最後にしてほしい」が彼の最期の言葉であったという。

また『ゴジラ』の監督の本多豬四郎は原爆が投下されてまだ間もない広島の被爆地の惨状を目の当たりにしている。戦地で終戦を迎えた本多は中国の天津から復員し東京へ帰る途中、汽車から原爆によって廃墟と化した広島の街を見ていた。「この世の終わりがやってきたと思った」そう本多は述べている。その時の広島に関する本多の思いはその妻、本多キミの著作である『ゴジラのトランク』に詳しい。少し長いが引用しよう。
「広島にはね、草木一本生えてないんだ。街には色がないんだ。墨絵のようだった。一緒に乗っていた人は”あと72年間は何も生えないそうだ”って教えてくれた。俺は何のために戦っていたのだろう。広島に残って生きている人たちのために俺はこれから何ができるだろうって考えて、考えて。でも何も思い浮かばなくってね。
戦争は終わったけれど、原子爆弾はこれからどうなっていくんだろう。進みすぎた科学は人間をどこに連れていくんだって。それまでは無事に帰ってきた安堵感でいっぱいだったのに。あんな気持ち、初めてだったなぁ。」

『ゴジラ』にはその時の衝撃や核兵器のありのままの恐ろしさが込められている。
本作のゴジラは口から白熱光を吐く。その非生物的な演出には批判もあったが、監督の本多猪四郎は「放射能が炎でないことはわかっている。しかし、目に見えない放射能を目に見える形で描かないと核の恐ろしさは伝わらない。」と述べている。その白熱光には放射能が含まれている。またゴジラによって被災した子供にガイガーカウンターが向けられている。
第五福竜丸の被爆事故は広島・長崎に続いて日本に訪れた3度目の核の恐怖であった。そして『ゴジラ』こそがいつ来るか知れない4度目の核の恐怖だったのだ。
ラストシーン、ゴジラを葬り去った後に山根博士はこう言う。「あのゴジラが最後の一匹とは思えない。もし水爆実験が続けて行われるとしたら、あのゴジラの同類がまた世界のどこかへ現れてくるかもしれない」この台詞に表されているように、『ゴジラ』では現実の水爆実験、核開発に強く警鐘を鳴らす作品となった。

60年代になると放射能は「巨大化の原因」として描かれるようになる。
『ゴジラ』シリーズに登場した怪獣で言えば、1966年に公開された『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』に登場したエビラ、カマキラスも放射能により巨大化し、怪獣になったものとされている。
他にも、1965に公開された『フランケンシュタイン対地底怪獣』も設定はドイツから持ち込まれた不死身の心臓が被ばくして巨大な人間に成長していくというものだ。

『ゴジラ(1984)』

1984年に公開された『ゴジラ』はゴジラの原点に立ち返った作品だ。だが、ここから『ゴジラvsデストロイア』までのゴジラは放射能を吸収し、エネルギーに変換していく設定になっている。84年の『ゴジラ』ではゴジラは原子力発電所を襲う。しかし、放射能の被害は出ない。ゴジラがすべて吸収してしまったからだ。

今作の公開から2年後の1986年、ソ連(当時)のチェルノブイリで原発事故が起きる。1986年4月26日、ソ連ウクライナのチェルノブイリ村に建てられた原子力発電所がメルトダウンし、大量の放射能が飛散する事故がおきた。その規模はソ連に留まらず、東欧や北欧にも達するほどだった。国際原子力事象評価尺度(INES)ではこの事故はレベル7とされ、原発事故としては今までにないレベルの事故となった。
チェルノブイリの事故を機に日本国内でも今一度原子力発電に対して大きな疑問が投げ掛けられることになるが、それでも世論は原発の撤廃へ大きく動くことはなかった。
チェルノブイリ原発事故の発覚から三ヵ月後の1986年8月に朝日新聞が実施した調査では原発推進に賛成と答えたのは全体の34%、反対が41%という結果になった。核エネルギーに関する世論調査が始まって以来、反対が賛成を初めて逆転のだが、「日本の原子力発電は、今後、どうしたらよいと思いますか」という質問には過半数を超える60%もの人びとが「現状程度にとどめる」と回答した。
多くの日本人の間では原発の事故といっても所詮は外国の事例であって、国内の原発の安全とは切り離されて捉えられていたのではないかと思う。
実際に事故を起こしたチェルノブイリの原発と日本の原発はシステム面での安全性に大きな違いがあったのも事実だ。加えてチェルノブイリでは人為的なミスの側面も大きかった。
しかし日本でも1999年に東海村JCO臨界事故が起きる。この事故はJCOのずさんな作業工程管理がその原因であり、人災とも言えるものだった。
この時期は日本ではゴジラ映画は制作されていない空白期間でもあったが、もしゴジラ映画が作られていたら、この事故も何らかの形で影響を与えていたかもしれない。

『シン・ゴジラ』

2016年に公開された『シン・ゴジラ』におけるゴジラは3.11のメタファーでもあった。ゴジラが通りすぎた後の破壊された町並みは震災の津波で流された町に積もった瓦礫を彷彿とさせる。
ゴジラは東京を火の海にし、暴虐の限りを尽くす。これは1954年の『ゴジラ』の再来と言ってもいいだろう。
ゴジラは血液凝固剤で凍結され活動を止める。
もし、次に動き出せばアメリカ軍の手によって核ミサイルの発射のカウントダウンが再開される。

東日本大震災では改めて私たちの生活が原子力というリスクの上に成り立っていることが認識された。『シン・ゴジラ』では原子力発電所の危険性がゴジラに重ねられている。
東日本大震災で日本はこれまでにない原発事故を経験する。
福島第一原子力発電所の1・2・3号機がメルトダウンした。この事故によって起きた放射能汚染で、名古屋市とほぼ同じ面積の337 k㎡が帰還困難地域となっている。この事故はチェルノブイリの原発事故と並んで国際原子力事象評価尺度(INES)において最上位のレベル7に分類されている。現在レベル7に分類されているのはチェルノブイリと福島の原発事故だけだ。

広島・長崎がヒロシマ・ナガサキとなったように、福島もこの事故をきっかけにフクシマと呼ばれるようになる。チェルノブイリの時は動かなかった世論もこれを機に大きく転換することになる。朝日新聞社が東日本大震災から半年後の2011年9月に実施した世論調査はでは脱原発に賛成する人の割合が、77%に達した。また、同月の読売新聞社の調査でも「原発を減らすべき」と「全廃」と答えた人の割合は合わせて70%になり、毎日新聞社の調査でも、脱原発を求める声が全体の70%を超える割合に達した。

だが、それでも原子力をゼロにすることは難しいということも『シン・ゴジラ』は暗示している。ゴジラがまき散らした放射性物質に関しては半減期が20日と非常に短く、約2~3年で人体への影響はなくなるという説明がある。

シン・ゴジラ』はゴジラ以外は徹底的なリアリズムに則って制作されていると言われるが、個人的にはその部分だけやけに都合がいいなと初めて本作を観たときに感じた。しかし、考えてみれば健康な私たちの傍らにいつ活動を再開するとも知れないゴジラが常にいるということだ。それは原発も同じことだろう。普段は意識することはないが、私たちの生活はある程度のリスクを受け入れた上で成り立っている。東日本大震災を経た今、原子力は未来のエネルギーでも、永遠に続く単なる日常の一つでもない。常に見直され、刷新されるべき日々の重要な選択の一つだ。日本の『ゴジラ』シリーズからは核や原子力に対するその時代時代の付き合い方や問題提起が常に含まれている。

海外と核

最後にゴジラを通して、海外の核に対する認識も見ておこう。

海外版『ゴジラ』

まず、1954年の『ゴジラ』だ。こちらは1956年にポパティー・ロー社の監督テリー・モースによって海外版が制作・公開されている。おそらくスピルバーグなど海外のゴジラファンの監督が観たのはこちらのバージョンではなかったか。
確かに怪獣映画としての娯楽性はあるものの、この海外版からは核兵器の問題がごっそり削除されている。
放射能ガイガーカウンターで病院に主要されている人々の放射能を計測する場面は、「放射能」というセリフが「火傷である」というセリフに差し替えられている。
また、ゴジラの追跡において日本の調査団はガイガーカウンターを使っているのだが、海外公開版ではソナーを使っているかのような描写に編集されている。
「あたし、長崎の原爆でも生き延びたのに、今度はこれだわ! 」という市井の人々のセリフもカット、前述の「あのゴジラが最後の一匹とは思えない。もし水爆実験が続けて行われるとしたら、あのゴジラの同類がまた世界のどこかへ現れてくるかもしれない」というラストシーンのセリフはレイン忍土パーの「脅威は去った。全世界は目覚め、また生気を取り戻すだろう」という

50年代のアメリカでは放射能は恐ろしいものであるという考えは周知の事実ではなかった。
アメリカはマーシャル諸島での核実験の危険性を全く知らされていなかった。

ただ、60年代に入ると東西冷戦が激化、1963年に起きたキューバ危機では核戦争勃発の可能性がそれまでにないほど高まった。
この時期のハリウッド映画も核兵器の脅威が終末的な未来と関連して描かれる。
スタンリー・キューブリックは1964年に公開された『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』によって核戦争によって世界が破滅する様をブラックコメディとして描いた。
また1959年の映画『渚にて』は核戦争後の世界を舞台に、放射能による被爆で人類が滅亡していく様子が描かれる。『渚にて』は日本映画にも大きな影響を与え、『ゴジラ』を監督した本多猪四郎も、「決して派手ではない演出でこれほどのインパクトを与えられるのかと驚いた」旨を述べている。『渚にて』の影響によって日本でも週刊誌などで第三次世界大戦の特集が組まれりようになり、映画においても『第三次世界大戦 四十一時間の恐怖』や『世界大戦争』など、第三次世界大戦をテーマにした作品が制作・公開された。

だが、冷戦の終わりとともに核兵器も問題解決の手段としてのみ扱われ、そのリスクも限りなく小さく描かれている。
この時期で最後に核兵器の恐ろしさを描いたハリウッド大作は1991年に公開されたジェームズ・キャメロン監督の『ターミネーター2』だろう。この作品では核兵器の惨状がサラ・コナーの見た悪夢の光景として描かれる。
1997年8月29日に「審判の日」が訪れ、ロサンゼルスに核爆弾が投下される。空が光った次の瞬間、街全体が閃光に包まれ、人々は炎に包まれる。そして爆風によって一瞬にして骨だけになる。
ちなみに『ターミネーター』で設定されている「審判の日」の日付はソ連が初めて核爆弾の実験に成功した日だ。
だが、冷戦後の94年に公開された同じくジェームズ・キャメロン監督の『トゥルーライズ』ではエンディングで敵の核兵器が海上で爆発、主人公の二人はキノコ雲をバックに抱き合って終わる。
原爆の熱戦や放射能などのリスクは決して描写されず、「圧倒的な破壊力を持った兵器」という面のみがクローズアップされるのだ(ちなみに『ターミネーター』シリーズも核戦争後の世界が未来世界として描かれるが、どこにも放射能への言及はない)。

『GODZILLA』

この4年後に公開されたのがローランド・エメリッヒ監督の『GODZILLA』だ。
こちらはゴジラの設定や荒唐無稽な演出もあって興行収入の割には内容に対する評価は低かった。また同時期の日本のゴジラ同様に核の恐ろしさを描けているとは言いづらい。今作でゴジラはイグアナが放射能によって巨大化した存在となっている。原因となったのはフランスの核実験で、フランス人のフランス対外治安総局の諜報員が表向きは保険調査員としてゴジラを始末しようとする。
『GODZILLA』が批判された大きな点として、怪獣であるはずのゴジラが通常兵器で倒されるという脆弱さがあった。恐怖と同時に畏れを抱かせる存在、それが日本人がゴジラに求めるイメージではないか。
だが、この時ハリウッドが描いたゴジラはただ「人類が乗り越えるべき障害」でしかなかった。当然、核実験もストーリーに都合のいい存在でしかなく、その是非や恐ろしさを伝えようとはしていない。

『GODZILLA ゴジラ』

2014年にハリウッドは再度ゴジラを映画化する。それが『GODZILLA ゴジラ』だ。監督のギャレス・エドワーズは幼い頃よりのゴジラ・ファンだという。彼が最も大事にしているのが1954年の『ゴジラ』だ。『GODZILLA ゴジラ』主演のアーロン・テイラー・ジョンソンは本作に出演するまでゴジラ映画を観たことがなかったというが、そんな彼にギャレス・エドワーズは「1954年の『ゴジラ』だけ観ておけばいい」と言ったという。
『GODZILLA ゴジラ』には渡辺謙演じる芹沢猪四郎博士が登場する。ゴジラを調査する国際組織の研究者という役どころであり、名前は『ゴジラ』でオキシジェンデストロイヤーを開発し、ゴジラとともに海に消えた芹沢大介と、『ゴジラ』の監督である本多猪四郎からとられている。
『GODZILLA ゴジラ』で、芹沢は原爆でゴジラを始末しようとする軍に異議を唱え、父の遺品を取り出す。それは広島に原爆が投下された8月6日8時15分で止まった懐中時計だった。
『GODZILLA ゴジラ』は『ゴジラ』以来最も核の問題に迫った作品だ。ギャレス・エドワーズのゴジラに対する深い理解が見てとれる。
今作の冒頭は日本の原子力発電所の事故から始まる。1954年の『ゴジラ』では第五福竜丸の事故が身近な放射能の恐怖であった。2014年において身近な放射能の恐怖は世界的に見ても福島原発事故だったのだろう。
ちなみに前述の芹沢博士が取り出した広島の原爆で止まったままの時計のシーンは本来はもっと長い尺のバージョンも撮影していたそうだ。長ければいいというわけではないが、最終的にカットされたことを鑑みると、やはり『GODZILLA ゴジラ』もハリウッド、アメリカの作ったゴジラ映画ではあるのだと思う。芹沢博士の反対にも関わらず結局は核が使用されるのも皮肉の意味もあるだろうが、実にアメリカらしい。
だが、1954年の『ゴジラ』のメッセージを今の現実と照らし合わせて今に通じる想いを乗せているという点では確かに紛れもない正統なゴジラ映画だと言える。

しかし1956年に海外で公開された『ゴジラ』と比較すれば原子力や核兵器に対する目線の違いは明白だろう。実際にアメリカが日本に投下した原爆について、ギャラップの世論調査によると終戦直後にはアメリカ人の85%が原爆投下を「正当だった」と答えたが、2015年のピュー・リサーチセンターの世論調査では、65歳以上の70%が「正当だった」と答えた一方で18歳から29歳の間では「正当だった」との答えは47%にとどまるという結果が出た。時代もまた変わってきている。
どうしても被曝国である日本と、核兵器を世界で唯一実戦使用した国の埋まらない溝はあるのかもしれない。だがこうしてみるといつかその溝も限りなく無くなっていくのではないか。

核と原子力の時代ごとの捉え方

日米のゴジラ映画を通して核と原子力の時代ごとの捉え方を観てきたが、こうしてみると1950年代に核のメタファーとして制作された日本版『ゴジラ』と対照的に核の要素を無くしてモンスター・エンターテイメントとして編集された海外版『ゴジラ』もそれから60年を超えた2010年代になるとそれぞれの視点から原子力や核への警鐘を鳴らしている点は実に興味深い。

 

最新情報をチェックしよう!
NO IMAGE

BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

CTR IMG