ゴジラ映画と日本の戦後史

『ゴジラ -1.0』のキャッチコピーは「戦後、日本。無(ゼロ)から負(マイナス)へ」だ。
山崎貴監督によると、自衛隊もない戦後間もない、丸腰の日本が.襲いかかるゴジラにどう立ち向かうかの話だという。
ゼロからマイナス。その閉塞感は今の時代とリンクするように感じる。幼い頃の日本と今の日本を比べてみれば、悪くなったと感じる人も多いだろう。
ゴジラ -1.0』はゴジラ映画の70周年記念作品と銘打たれているが、この70年間のゴジラ映画を振り返ってみると、日本の戦後史がおぼろげにも浮かび上がってくるように思う。
そこで今回はゴジラ映画から日本の戦後史を辿ってみたい。

ゴジラ映画と日本の戦後史

戦後を映した『ゴジラ

まずは正真正銘戦後に製作された『ゴジラ』から。特撮技術は円谷英二のアイデアと努力の賜物だが、映画全体を覆うのは本多猪四郎の反戦・反核への意志だ。
本多猪四郎は合わせて8年間を軍隊で過ごした。戦争の中で兄弟は皆いなくなった。日本への引き揚げの際に見た、原爆投下後の広島の風景は忘れられないという。
「この世の終わりがやってきたと思った」
そう本多は述べている。その時の広島に関する本多の思いはその妻、本多キミの著作である『ゴジラのトランク』に詳しい。少し長いが引用しよう。
「広島にはね、草木一本生えてないんだ。街には色がないんだ。墨絵のようだった。一緒に乗っていた人は”あと72年間は何も生えないそうだ”って教えてくれた。俺は何のために戦っていたのだろう。広島に残って生きている人たちのために俺はこれから何ができるだろうって考えて、考えて。でも何も思い浮かばなくってね。戦争は終わったけれど、原子爆弾はこれからどうなっていくんだろう。進みすぎた科学は人間をどこに連れていくんだって。それまでは無事に帰ってきた安堵感でいっぱいだったのに。あんな気持ち、初めてだったなぁ」
このようにゴジラは戦争や核の象徴には違いないが、一方で一方でゴジラの正体は戦争で亡くなった日本兵ではないのかという声もある。この説の根拠として、ゴジラの襲来ルート上にあるはずの皇居と靖国神社が破壊されていないと言われている。
確かに日本人であれば英霊が祀られている靖国神社と皇居は間違えても破壊できないだろう。だがそもそも日本のために亡くなった兵士が日本を襲うだろうかという疑問は残る。
ゴジラの正体が戦争で亡くなった日本兵だというのは1980年代からファンの間で囁かれていた噂であったが、2001年に公開された『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』では正式にこの説が採用されている。とはいえ、やはり日本を襲う部分の整合性をとるためだろう、日本人はもとよりアジアの人々を含む太平洋戦争で犠牲になった人々の日本への恨みの集合体が具現化したものがゴジラではないか、という仮説に修正されてはいたのだが。

この説に関連する形で、次作『ゴジラの逆襲』に登場するアンギラスはシベリア抑留で犠牲になった人々を象徴しているのではないかという説もある。劇中にアンギラスが、シベリア出身という説明はなく、おそらくは後付の設定ではあろうが、改めてゴジラ映画と戦争との距離の近さを『ゴジラ』、『ゴジラの逆襲』からは感じることができる。

高度経済成長期とゴジラ映画

次に紹介したいのは1963年に公開された『キングコング対ゴジラ』。
ここでは自社提供のテレビ番組の低視聴率に苦しむ多湖という男が登場する。多湖の人物設定はこの時代に家庭にテレビが普及し、庶民の娯楽の中心は映画からテレビへとシフトしたことを現している。
テレビ、冷蔵庫、洗濯機は「三種の神器」と呼ばれ、庶民の憧れの家電でもあったが、『キングコング対ゴジラ』が公開された1963年にはテレビの普及率はを超えている。また、多湖は低視聴率脱却のためにキングコングをゴジラと戦わせようと眠らせて日本に運び込んでしまう。視聴率さえ取れれば何でもいいという行動は昨今のPV数稼ぎのためのユーチューバーたちを思わせる(とはいえ、ゴジラとキングコングを視聴率のために戦わせようとするのはあまりに荒唐無稽だが)。

次は『モスラ対ゴジラ』を紹介しよう。1964年に公開された本作では、高度経済成長期だった当時の日本が描かれる。ここに来て日本はすでに戦争を過去の過ぎ去った記憶として忘れようとしているようにも思う。余談だが、1968年に岡本喜八監督が制作した『肉弾』という作品がある。太平洋戦争の終戦の直前に魚雷での敵艦破壊を命じられた若い兵隊の物語なのだが、ラストシーンでは1968年の楽しそうにレジャーに興じる人々で賑わう海の中で白骨となった主人公が戦争の不条理を叫び続ける強烈なものだ。「もはや戦後ではない」という有名な言葉は1956年の経済白書に書かれたもので、当時の日本のGDPが戦前の水準を上回ったことを指しているが、人々の意識の上でも、もう戦後という感覚は希薄となっていたのだろう。
『モスラ対ゴジラ』では海岸に漂着したモスラの卵で一儲けしようと企む興行師な男が登場する。彼はモスラの卵を目玉にした観光施設を作ろうと目論むのだが、この設定には当時の観光開発ブームが反映されている。1964年のこの時期、観光旅行の需要が大きく伸びていた。その背景は高度成長期による国民所得の向上がある。

翌1965年には『怪獣大戦争』が公開される。今作ではじめてキングギドラが登場する。このときからX星人やキラアク星人など、宇宙人が敵キャラクターとして登場する作品も多くなる。ベースにあるのはアメリカとソ連の宇宙開発競争による、宇宙ブームの影響もあるだろう。
また宇宙人という、現実社会とは何のしがらみもない存在が悪役に設定するのに都合が良かったということもあったに違いない。

公害問題とゴジラ映画

また、女性の社会進出や核家族の増加に伴う鍵っ子の存在が1969年に公開された『ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃』では描かれ、また1971年に公開された『ゴジラ対ヘドラ』では当時社会問題化していた公害問題がテーマとしては取り上げられている。高度経済成長の裏で、工場からの排水や煙によって多くの公害問題が引き起こされた。
1954年に公開された『ゴジラ』は当時の第五福竜丸被爆事件の影響を受け、ゴジラ核の象徴として描いたが、『ゴジラ対ヘドラ』ではヘドラを公害問題の象徴として描いている。ちなみにこの頃、特撮映画の制作費は信じられないほど少なくなっていた。それはカラーテレビの普及もあった。

平成とゴジラ映画

昭和から平成へ移り変わる頃も、ゴジラ映画はその時の世相を反映してきた。1983年には『メカゴジラの逆襲』以来8年ぶりにゴジラが復活、第一作目の『ゴジラ』を意識した、原点回帰ともいえる作品だった。
その翌年の『ゴジラvsビオランテ』では、早くもを遺伝子操作を用いたクローン技術などの生物科学と倫理までそのテーマは広がっている。『ジュラシック・パーク』が公開される4年前のことだ。
1991年に公開された『ゴジラvsキングギドラ』ではバブル期の日本が反映されている。『ゴジラvsキングギドラ』の未来では日本が世界を支配しているのだ。バブル期の日本にはそれほど勢いがあった。平成の『ゴジラ』シリーズはエンターテインメント重視の作品ではあったものの、特撮の名を借りた各都市のランドマーク紹介という面もありつつ、人気を博していく。個人的には福岡が舞台になった『ゴジラvsスペースゴジラ』は印象深い。とは言っても公開当時は7歳だったので、親の方が福岡が舞台ということで話題にして盛り上がっていたのを覚えている。

3.11とゴジラ映画

そして時代は飛ぶが2016年に公開された『シン・ゴジラ』だ。ゴジラ映画として史上最高の興行成績を記録した本作だが、それははっきりと大人向けのゴジラ映画であった。ゴジラは災害のメタファーであり、放射能を撒き散らすという意味では、原発事故のメタファーでもあった。言うまでもなくそこには東日本大震災が重ねられている。
ゴジラが70年を超えて愛されるのは怪獣映画の枠に収まらない意味を持った作品だからだ。

ゴジラ映画の歩みは日本の戦後を生きた人々の歩みでもあるのだ。

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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