原爆か?戦没者の亡霊か?ゴジラの正体と戦争

ゴジラは1954年の『ゴジラ』公開以来、怪獣の代名詞として世界中で愛される存在になった。
なぜこれほどまでにゴジラは人気が出たのか。いくつかの理由が考えられる。

なぜゴジラは人気が出たのか

一つは視覚的な斬新さ。「特撮の神様」とも呼ばれた円谷英二は巨大生物を表現するにあたって、当時主流だったコマ撮りでの撮影ではなく、着ぐるみ方式での撮影を決定した。それは着ぐるみの方が撮影期間が短く済むという理由だったが、コマ撮りに比べてその動きの滑らかさは圧倒的だった。スティーブン・スピルバーグも子供の頃に『ゴジラ』を鑑賞したが、「どうやってあんなに滑らかに動かせるのかわからなかった」と述べている。
もちろん、ゴジラの動きやリアルなミニチュアセットも外せない。ゴジラのスーツアクターを務めたのは後にミスター・ゴジラと呼ばれた中島春雄。中島は動物園に行き、象やサイなどの動きを参考にゴジラの動きを突き詰めていったという。ミニチュアの精度については、映画のなかでゴジラが時計塔を破壊するシーンがあるが、後日観客が街に出向き時計塔が壊されていないか確認するほどであったという。

二つめはゴジラが社会的なメッセージを帯びた存在だったからだ。今回はこちらの話がメインになる(特撮の方も機会があれば解説していきたい)。
ゴジラが単なる怪獣ではなく、核兵器、原爆の象徴たる存在てあることは有名だ。
そもそもゴジラの発想の元が1953年に起きた第五福竜丸の被爆事故であった。戦後10年を待たずに日本に再び核の恐怖が降り掛かってきたわけである。

ゴジラと核については「『ゴジラ』シリーズに見る核・原子力のイメージの変遷」のコラムで詳しく説明しているのだが、それまで日本人にとって原爆とはネガティブな意味だけではなく、とてつもないパワーやエネルギーを言い表す言葉でもあった。だが、第五福竜丸の事故によって、核兵器の恐ろしさが再びクローズアップされた。

ゴジラ』のプロデューサーである田中友幸は企画していたインドネシアとの合作映画が製作直前で頓挫し、代わりの企画を作らねばならなかった。かねてより円谷英二の特撮技術の高さを目の当たりにしていた田中は、次の企画は特撮ものでいこうと決めていた。そこに起きたのが第五福竜丸の事故だったというわけだ。田中は「古代からの生物が水爆実験の影響で目を覚まし、日本を襲う」というプロットを考案する。
そして、田中は監督を本多猪四郎に依頼することにした。本多は黒澤明や谷口千吉と同期ではあったものの、戦争によって8年もの間、軍隊に徴兵されていた。そのため、同期である黒澤や谷口より映画監督デビューは遅かった。

原爆の再来

『ゴジラ』を監督するにあたって、本多には忘れられない風景があった。中国から日本へ復員する際に通った広島の風景だ。原子爆弾が投下されたばかりの広島には何もなかった。その光景が『ゴジラ』には反映されている。口から白熱光を吐き、放射能を撒き散らしながら東京を歩き回るゴジラは、原爆の再来であり、東京大空襲の再現でもあった。

だが、同時にゴジラこそが核兵器の犠牲者でもあった。人間の核実験によって安住の地を追われ、また人間の手によって理不尽に殺されていく。
『ゴジラ』のストーリーは香山滋が作り上げたものだが、試写の際、あまりの出来栄えの良さに拍手喝采の関係者の中で香山だけはゴジラが不憫で泣いていたという。その後香山は続編である『ゴジラの逆襲』のストーリー作りにも参加しているが、これ以上ゴジラを死なせたくないということで以降のゴジラシリーズへの参加は辞退している。
以上が確実なゴジラの正体だ。

太平洋戦争で犠牲になった人々の集合体

一方でゴジラの正体は戦争で亡くなった日本兵ではないのかという声もある。
この説の根拠として、ゴジラの襲来ルート上にあるはずの皇居と靖国神社が破壊されていないと言われている。
確かに日本人であれば英霊が祀られている靖国神社と皇居は間違えても破壊できないだろう。だがそもそも日本のために亡くなった兵士が日本を襲うだろうかという疑問は残る。
ゴジラの正体が戦争で亡くなった日本兵だというのは1980年代からファンの間で囁かれていた噂であったが、2001年に公開された『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』では正式にこの説が採用されている。とはいえ、やはり日本を襲う部分の整合性をとるためだろう、日本人はもとよりアジアの人々を含む太平洋戦争で犠牲になった人々の日本への恨みの集合体が具現化したものがゴジラではないか、という仮説に修正されてはいたのだが。
『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』のゴジラは歴代のゴジラ映画の中でも屈指の凶悪さと残虐さで有名だが、私は太平洋戦争で犠牲になった日本兵が日本を恨んでゴジラになるという仮説が「日本は悪だった」という歴史観が透けて見えるようで、イマイチ納得できなかった。
ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』の中でも考察しているが、ゴジラが本当に憎んでいたのは日本という国ではなく、戦争と戦争で亡くなった犠牲者を忘れかけていた当時の日本ではないか。さらに言うならば、日本のために命を懸けて戦った者が遺した平和を享受しておきながら、その者たちを「アジアへの侵略者」「悪人」と断じる現代人の卑怯さにあったのではないだろうか。
もちろんこれは個人的な推測に過ぎない。だが、こうにでも考えなければ、戦争で亡くなった人々が日本を襲う納得できる理由が見つからない。

ゴジラが皇居も靖国神社も襲わない理由

では、そもそもの説に戻ろう。皇居も靖国神社も襲わなかったゴジラの正体だ。
個人的な考察だが、皇居も靖国神社も襲わなかったのは、ゴジラの正体は犠牲になった兵士ではないからだと考えている。どう考えても日本を襲い、子供達まで犠牲にしたゴジラは日本兵の化身というにはあまりにかけ離れ過ぎている。

なぜゴジラが皇居も靖国神社も襲わなかったのか。それは、当時の観客の中には親や兄弟、友人が靖国神社に祀られている人も大勢いたからだと思う。皇居もそうで、『ゴジラ』が公開された当時はまだ戦争が終わって10年も経っていない時代だ。今でも人々の皇室へ寄せる想いには特別なものがある。まして1953年当時は人々のその気持ちは今とは比べ物にならないくらい強かっただろう。
天皇は神の化身と教えられ、かつ玉音放送が流されるまで人々は天皇の肉声すら知らなかったのだ。今のような開かれた皇室とは全く違う。天皇の神格化はいかほどだっただろう。
先にも述べたように、ゴジラは生き物としては人間の犠牲者だ。観客にもそう同情させる余地を残しておかねばならない。でなければ、戦争を行い、核兵器を開発し、多くの人々を死に至らしめた人間の身勝手さ、愚かさを作品のメッセージとして観客に伝えることができない。

反戦・反核映画

『ゴジラ』は怪獣映画、特撮映画である以上に反戦・反核映画だ。冒頭に立ち戻るが、それでなければ今日までのこの人気は獲得できない。『ゴジラ』の影響下に数多の怪獣映画が作られたが、そのどれもゴジラに匹敵するほどのキャラクターは生み出せていない。
また、ゴジラ映画自体も人気が下火になるのはゴジラが単なる怪獣としてエンターテインメントのみに振り切ってしまった時だ。そして復活する時にはほとんどの場合、一作目の『ゴジラ』のような恐怖の存在として復活している。1983年の『ゴジラ』もそうであるし、1991年の『ゴジラvsキングギドラ』でもゴジラは日本を破壊し貧困国家へ陥れる元凶だ。また、2016年に公開された『シン・ゴジラ』は東日本大震災と原発のメタファーではあるものの、やはり恐怖の存在には変わりなかった。2023年の『ゴジラ-1.0』もそうだ。加えて前述の『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』は2000年代のゴジラ映画の中では最も高い興行収入を記録した。
皮肉な話だが、この世界から戦争が無くならない限り、ゴジラは古びることなく存在し続けるに違いない。

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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