『ゴジラ-1.0』戦後の日本が立ち向かったゴジラという戦争


※以下の考察・解説には映画のネタバレが含まれています


「無(ゼロ)が負(マイナス)になる」

『ゴジラ-1.0』の舞台は戦後間もない日本だ。戦争で全てを失った日本に止めを差すかのようにゴジラが襲いかかる。

「ゴジラ映画」という高いハードル

毎年のようにゴジラ映画が公開されていた平成初期とは異なり、今「ゴジラ映画」を撮ることは、とてつもなく高いハードルを背負う。

2014年に公開された、ギャレス・エドワーズの『GODZILLA ゴジラ』、2016年に公開された『シン・ゴジラ』、いずれも非常に高い評価を受けたゴジラ映画だ。
『GODZILLA ゴジラ』は正にハリウッドらしいスケール感で、エンターテインメントとしてのゴジラ映画を追求していた。
同じ事は1998年に公開されたローランド・エメリッヒ版の『GODZILLA』にも言えるのだが、ギャレス・エドワーズにはオリジナルのゴジラに対する強烈なリスペクトがあった。
「あれはでかいイグアナだ!」
『GODZILLA』のゴジラをそう批判したのは映画監督のジョン・カーペンターだが、確かにそのゴジラは『ジュラシック・パーク』のT-レックスに影響を受けたような前傾姿勢のモンスターだった。

一方でギャレス・エドワーズの『GODZILLA ゴジラ』では、従来のどっしりとした体型と、直立型(いわゆる「ゴジラ型」と言われる姿勢)で日本のゴジラへの敬意が感じられるデザインだった。ゴジラの製作こそCGで作られてはいるが、中に人がいるような「着ぐるみ感」まで再現したという。また日本の第一作目の『ゴジラ』の精神である核の問題や、ゴジラを単なるモンスターで終わらせないなど、ギャレス・エドワーズのゴジラ映画への深い理解も伴って、世界中で批評的にも興行的にも大ヒットとなった。

そのヒットを受けて日本でもゴジラ映画を、ということで作られたのが『シン・ゴジラ』だ。『ゴジラ FINAL WARS』以来12年ぶりの日本のゴジラ映画だった。
シン・ゴジラ』の国内興行収入はギャレス・エドワースの『GODZILLA ゴジラ』の32億円を抜く82.5億円だ。これは平成以降に作られたゴジラ映画でトップの数字だ。『シン・ゴジラ』は言わば第一作目の『ゴジラ』を現代版にリメイクしたような内容ではあるものの、その作りは怪獣映画のフォーマットに則ったというよりもむしろ政治映画に近い。大人のためのゴジラ映画でもあった。また、『ゴジラ』が第五福竜丸の被爆事件を作品に反映させたのに対して、『シン・ゴジラ』では3.11の震災を反映させているなど、その時代を刻み込んだ作品になっているのも特徴的だ。

「次にこれ(ゴジラ)やる人のハードルがめちゃめちゃ上がってしまいましたね」

『シン・ゴジラ』の大ヒットのあと、山崎貴はそうコメントしたが、その時点では自身が次のゴジラ映画を監督するなど思ってもいなかっただろう。
今ゴジラ映画を作る、それだけでもとてつもなくハードルが高いのに、さらに舞台に戦後間もない日本を選んだことでよりそのハードルは高くなった。戦後が舞台となるとどうしても第一作目の『ゴジラ』(1954年公開)との比較は避けられない。単純な怪獣映画では『ゴジラ』に並ぶことすらできないだろう。

『ゴジラ』が描いたもの

第一作目の『ゴジラ』は戦争から10年を経たずして公開された。
『ゴジラ』の着想のきっかけこそ、ハリウッドの特撮映画『原子怪獣現る』だったかもしれないが、そこに原爆や水爆の脅威、戦争の恐ろしさ、そのような社会的なメッセージを帯びることで『ゴジラ』は完成した。監督である本多猪四郎は『ゴジラ』に自身の戦争体験を反映させたという。

本多は合わせて8年間を軍隊で過ごした。戦争の中で兄弟は皆いなくなった。日本への引き揚げの際に見た、原爆投下後の広島の風景は忘れられないという。

「この世の終わりがやってきたと思った」
そう本多は述べている。その時の広島に関する本多の思いはその妻、本多キミの著作である『ゴジラのトランク』に詳しい。少し長いが引用しよう。
「広島にはね、草木一本生えてないんだ。街には色がないんだ。墨絵のようだった。一緒に乗っていた人は”あと72年間は何も生えないそうだ”って教えてくれた。
俺は何のために戦っていたのだろう。広島に残って生きている人たちのために俺はこれから何ができるだろうって考えて、考えて。でも何も思い浮かばなくってね。
戦争は終わったけれど、原子爆弾はこれからどうなっていくんだろう。進みすぎた科学は人間をどこに連れていくんだって。それまでは無事に帰ってきた安堵感でいっぱいだったのに。あんな気持ち、初めてだったなぁ」

『ゴジラ』にはその時の衝撃や核兵器のありのままの恐ろしさが込められている。
そして、今回の『ゴジラ-1.0』も本多の『ゴジラ』と同じく、「怖いゴジラ」だった。

ここから『ゴジラ-1.0』の物語も踏まえて、作品を本格的に解説していこう。1954年の『ゴジラ』とは何が同じで何が違うのか、そして、私達にとってゴジラはどういう意味を持つのか。

大戸島の呉爾羅伝説

まず、今回注目したいのは終戦間際に大戸島に現れたゴジラが描かれたことだ。
そもそもゴジラという名前の由来は大戸島に古くから伝わる言い伝えに登場する怪物「呉爾羅(読み:ゴジラ)」から来ている。

特攻隊員の敷島浩一は期待の故障で特攻機の整備基地のある大戸島に緊急着陸する。しかし、整備兵の橘は敷島の機体に故障はなく、敷島が特攻に怯えて逃げてきたことを察する。
海辺でうなだれる敷島の目に写ったのは急な減圧で内蔵が口から飛び出た、多くの深海魚の姿だった。大戸島の言い伝えでは、深海魚が水面に浮かんでくるのは、呉爾羅という怪物の現れる前兆だという。
言い伝えのとおり、その夜、島に恐竜のような巨大な生き物が現れる。呉爾羅だ。唯一の軍人である敷島は、特攻機の機関銃で狙撃するように言われるが、呉爾羅の圧倒的な大きさと凶暴性を前にして、手が震え何も出来ずにいた。

今まで呉爾羅は映画の中にその姿を表したことはなかった。1954年の『ゴジラ』では、生物学者の山根博士が、ゴジラの正体をジュラ紀の恐竜の生き残りが核実験の影響で巨大化した生物だと推測している。であれば呉爾羅を生物的に言えば恐竜の生き残りだ。
この場面で見る呉爾羅はかなり恐竜に近い。人間を捕食するシーンこそ無いものの、人を噛み殺し、15メートルほどの体長にティラノサウルスを思わせる前傾姿勢で、全体としては『ジュラシック・パーク』を思わせる。そう言えば、ティラノサウルスの名前の意味は「暴君オオトカゲ」。

ちなみに呉爾羅の呉は古くから栄える魔物を意味し、爾は汝、羅は連なるものを意味していると言う。
つまり、呉爾羅とは「汝、古の国の力を継承するもの」を表していると言う説もある。
呉爾羅の食性についてはやはり恐竜同様の肉食であることが『ゴジラ』の中で語られており、不漁の際には若い娘を生贄として沖に流していたとされている。

ゴジラの誕生

今作の舞台設定は先も述べたように戦後間もない日本だ。
日本に復員した敷島は実家に戻るが、そこは空襲によって無惨にも一帯が焼け野原となっており、両親は共に亡くなっていた。
敷島は特攻隊として出征したにも関わらず生きて戻ってきたことを近所の太田澄子からなじられる。澄子の子供は戦争によって全員亡くなっていたのだという。

ある日、敷島は市場で何者かに追われている女からとっさに赤ん坊を預けられる。
それをきっかけにその女性、大石典子と赤ん坊のアキコは敷島の家に住み着くようになる。
彼女たちの分も稼がなくてはならなくなった敷島は報酬がいい仕事と言って、機雷除去の仕事を得る。
戦争の終わりとともに海底に放置されたままになっている機雷を探し出し、爆破していく仕事だ。場合よっては死ぬ場合もある危険な仕事だが、機雷除去船の新生丸の乗組員である野田という元海軍の学者をはじめ、船長の秋津や、見習いの水島らとの新しい出会いもあった。
敷島もまた軍での射撃の腕を発揮でき、また報酬も良いため、近所の人達に比べて早くも家を再築することができるまでになる。

『ゴジラ』はそこから少し時間が経った1947年の日本が主な舞台になっている。
この時代をよくも選んだものだと感心する。このとき、日本はまだGHQの占領下にあり、自前の軍隊はもちろんのこと、日本としての軍事力は皆無であり、文字通りアメリカの瑕疵下にあった。監督の山崎貴によると、ゴジラと軍艦を戦わせてみたいという想いがあったといい、まだ日本に軍艦が残っている可能性のある時代ということで1947年を舞台にしたという。

敷島は、典子とアキコと家族同然にに暮らしているが、毎晩戦争と呉爾羅の悪夢が頭から消えずにいる。
敷島があの時呉爾羅を撃っていれば家族の元に帰れたかもしれない亡くなった整備兵達。その負い目もあり、敷島は典子と籍を入れようとしない。

そんな中、アメリカの核実験により深海で眠っていた呉爾羅が覚醒、より巨大化したゴジラとして、日本に向かっていることが判明する。
これに関しては核実験でゴジラも負傷しているものの、再生時に放射能のせいで再生機能がエラーを起こし、無限に増殖を繰り返した結果、ゴジラは巨大化したという設定になっている。

敷島は野田や秋津らとともにゴジラの上陸を足止めするという任務のために東京湾の沖合へ向かう。
大戸島のときとは比べ物にならない深海魚の数に敷島は不安を覚える。と同時にゴジラを殺すことは敷島にとって任務以上に自分の過去の償いそのものだった。
しかし、新生丸にあるのは機雷2つと機関銃のみ。ゴジラにはいずれも効かず、逆にゴジラを刺激し、新生丸が獲物として狙われるだけの結果となってしまう。
だが、ゴジラの口に最後の機雷が入ったところで敷島が機関銃で機雷を爆発させる。ゴジラを倒せたかと思ったのもつかの間、ゴジラはあっという間に傷を自己修復し再生してしまう。
そんな中、本丸の軍艦「高津」が登場し、ゴジラを砲撃する。ゴジラも軍艦へ向かっていくが、両者は相打ちとなり、そのままゴジラは消息不明となる。
病院で目覚めた敷島はゴジラの存在を政府が隠蔽していることを知る。

家に着いた敷島は典子にゴジラの存在と、戦争で自らが背負った罪とトラウマを話す。
機体の故障と偽って特攻から逃げ帰ってきたこと、そして大戸島を襲った呉爾羅に何も出来ずに再び逃げたこと。
そして敷島は典子の胸の中で安らぎを感じ、再び生きる決意をする。
だが、その翌日、典子の職場がある銀座がゴジラの襲来を受けていることが判明する。

敷島と戦争後遺症

『シン・ゴジラ』がゴジラという災害に政治がどう立ち向かうのかを描いた作品に対して、『ゴジラ-1.0』はゴジラに一市民がどう立ち向かっていくのかという作品だ。

「無(ゼロ)が負(マイナス)になる」

この言葉に違わない、正に暴君としかいいようのない凶悪なゴジラが復興し出した銀座を襲う。

この銀座襲来シーンは1954年の『ゴジラ』のオマージュに溢れている。
ゴジラを間近でレポートする人びと、またゴジラが列車を咥えるシーンもそうだ。列車の中には典子も乗っており、映画を観ている側とすれば典子を心配すべきなのだろうが、それよりもこのゴジラの堂々たる迫力に魅了されてしまう。

今作では監督の山崎貴自身がゴジラの造形まで行っているのだが、禍々しい背びれ、太くたくましい下半身と蛇のようにうねる尻尾など、もはや恐竜の生き残りである呉爾羅の面影はほとんどなく、直立二足歩行型の怪獣ゴジラへと完成したことが実感できる。
今作はゴジラはあくまで災害や戦争の象徴として描かれ、核実験が生み出した生物ということに対しては言及されない(核実験でゴジラが生まれたことを示すシーンはあるが、劇中ではだれもそのことに触れる者はいない)。

ただ、ゴジラの肉片から強い放射線が検出される場面はあり、ガイガーカウンターが反応する演出も1954年の『ゴジラ』を思わせる。
そして、ゴジラの吐く熱線だ。
『シン・ゴジラ』では『風の谷のナウシカ』の巨神兵のようなレーザービーム状の熱線だったが、『ゴジラ-1.0』では従来の青い光線となっている。だが、その威力は小型の核爆弾とも言うべき凄まじい破壊力を持ち、一瞬で東京は再び焼け野原と化す。
典子はゴジラの急襲に九死に一生を得るが、茫然自失となり逃げ惑う人々の間をうつろに歩いていた。敷島はそんなの典子を助けようとするが、ゴジラの熱線による爆風で典子は消息不明になってしまう。

わだつみ作戦

敷島の家では典子の葬儀が行われていた。敷島はこの不幸を自身のせいで死んだ整備兵たちがまだ自分を許していないのだと思う。抜け殻のようになった敷島に、野田は民間主導で秘密裏にゴジラを倒す計画が進んでいることを告げる。

その計画とは、ゴジラの体にガスを巻き付け、ガスの泡でゴジラを包み、一気に深海までゴジラを沈め、その急激な圧力によってゴジラを殺そうとする案だった。
その計画の不確実性に一度は作戦への参加をやめようとする敷島だったが、野田は腹案としてそれでもゴジラが死ななかった場合、今度はゴジラを急浮上させ、極端な減圧によってダメージを与えようとしていた。
この作戦はわだつみ作戦と命名された。このあたりの流れは『シン・ゴジラ』のヤシオリ作戦を彷彿とさせる。
わだつみとは、日本の神話に登場する海の神の名前だ。しかし、今の人々にとっては「きけわだつみのこえ」のイメージの方が大きいのではないか。「きけわだつみのこえ」は学徒出陣兵の遺稿集。ゴジラとの戦いは日本を守るための再度の戦争でもあった。
敷島は野田にどこかに爆撃機が残っていないかと訊く。ゴジラを相模湾までおびき寄せるための囮になるというのだ。
ようやく一機廃棄されずに残っていた戦闘機が見つかるが、そのままでは飛べる状態ではなかった。敷島は整備兵の橘を探す。
ようやく見つけた橘に、敷島はこの爆撃機でゴジラの口の中に特攻するという本当の意図を伝える。

ゴジラの出現の前日、野田は作戦に参加する人々の前で「誰も犠牲者が出ないことを誇りとしたい」と宣言する。だが、まだ若い水島は本作戦への参加を拒絶される。秋津も野田も心の中では死ぬ覚悟を固めていた。

そして、再びゴジラが東京湾に姿を表す。予想外の速さで陸地に上陸したゴジラを敷島の戦闘機が爆撃し、ゴジラは戦闘機を追って再び海の中へ誘導されていく。
そしてわだつみ作戦が決行される。深海までゴジラを沈めてもなお生きているゴジラを次は浮上させねばならない。しかしゴジラは浮袋を食いちぎり、中々浮上してこない。
2つの船での曳航も限界かと思われたとき、水島が民間船で曳航を手伝うと登場する。そこには水島を始め、多くの民間船がゴジラ引き上げのために駆けつけていた。
しかし、なおもゴジラは生きていた。傷つき、目は白目を剥きながらもなお熱戦を吐こうとしている。

そこに敷島の戦闘機がゴジラの口の中をめがけて突入する。ゴジラの頭部は破壊され、熱戦はゴジラそのものを貫き、ゴジラは海の中へと崩れ去る。

『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』

山崎貴監督は今回の『ゴジラ-1.0』について、2002年に公開された『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』の影響も受けているという。
『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』はゴジラを純粋な悪役として描いた作品だ。白目だけのゴジラは圧倒的な狂暴性と残虐性を持った「怖いゴジラ」だった。
山崎貴監督は『ALWAYS 続・三丁目の夕日』にも主人公の夢の中にゴジラを登場させているが、そのゴジラも『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』に登場したものと同じゴジラだ。
その影響はゴジラの最期のこのシーンに集約されているように思う。
白目を剥いたゴジラはもちろんのこと、ゴジラ自身の熱戦で自滅していくラストもそうだ。
ゴジラについては後から述べたい。
ゴジラへの特攻で死んだと思われた敷島だが、パラシュートで無事に帰還する。橘が機体の整備とともに新たに座席の緊急脱出機能をつけておいたのだ。
そして、典子も傷を負いながらも生きていたことが判明する。アキコと共に病室を訪ねた敷島に、典子は「浩さんの戦争は終わりしたか?」そう尋ねる。

典子の首のアザ

ここで一瞬典子の首に黒い線のようなアザがあるのに気づいただろうか。
このアザは一体何だろうか。ゴジラの放射火炎による爆風で辺り一帯が吹き飛ばされたにも関わらず、典子の怪我は比較的軽いようにも見える。
もし、ゴジラの放射能で被爆した人たちがゴジラ同様の再生能力を持つようになっていたら?
首のアザはそのことをあらわしているのではないだろうか。
もはや典子は人間ではなくなっている可能性がここでは示唆されている。そして、典子のような人々は数百、数千人といるはずだ。

死ぬ意味

さて「生きて抗え」これもこれも『ゴジラ-1.0』のキャッチコピーだ。
死ぬことそのものは確かに美徳ではない。だが、未曾有の危機に命を捨てても立ち向かっていくのはもはや国を超えた普遍的なヒューマニズムの一つと言っていい。
『インデペンデンス・デイ』でも宇宙人に拉致された過去を持つと言い張る飲んだくれの親父が爆弾とともに敵の宇宙船に特攻を仕掛ける場面がある。
この時に別に親父は死にたがっていたわけではない。自己犠牲の死を描く理由は一つだ。自分の命よりも大切な価値は確かにあることを観客に伝えるためだ。

『ゴジラ-1.0』でも秋津や野田、敷島など死ぬ覚悟でゴジラという戦争に立ち向かう様が描かれるのだが、その誰もが生き延びていくために、ややこの部分が希薄になってしまっている。
特に「敷島にとっての戦争は何だったのか?」この部分が敷島が生き延びたために一つのテーマとしてはボヤけてしまっている。
比較として『ゴジラ』の芹沢博士と比べよう。

芹沢は『ゴジラ-1.0』の野田と敷島を合わせたようなキャラクターだ。
天才的な若き科学者でありつつも、戦争経験を持ち、その顔半分は焼きたまれている。そのことからも婚約者であるとの婚約も破棄し、自室で酸素破壊剤であるオキシジェン・デストロイヤーの研究を秘密裏に行っていた。
東京を襲ったゴジラを倒すための最後の望みがオキシジェン・デストロイヤーだった。
芹沢はオキシジェン・デストロイヤーの使用を断るが、ラジオから流れてくる少女たちの祈りの唄にオキシジェン・デストロイヤーの一度きりの使用を決意する。だが、この新兵器が再び戦争の道具に使用されないように、芹沢はゴジラと運命を共にし、太平洋に散る。
これに関しては、芹沢は本来であれば戦争で死ぬはずの人間であり、生き延びてしまったことに対する負い目がずっとあったのではないかとも言われている。
つまり、芹沢の中での戦争もまた終わってはいなかったということだ。再びの戦争であるゴジラに対して命を捨てた攻撃を仕掛けることで、ようやく芹沢の戦争は終わったのだ。

一方で敷島の行動には「生き延びる」という一貫した意味がある。だが、それは命令への背きであり、仲間への裏切りでもあった。
敷島は戦争後遺症とも言われるPTSDに取り付かれた日々を過ごすが、それは戦争そのもののトラウマというよりも、自分の行動のために他の何人もの人々が犠牲になったのかという罪の意識だ。
本来特攻として死ぬべき自分が生き延び、反対に家族の元へ帰ることのできた人々が死ぬ。しかも他ならぬ自分の選択のせいで。
敷島にとっても、ゴジラという存在は再びの戦争だった。だが、敷島のトラウマはゴジラのせいではなく、むしろ自分自身の行動のせいだ。
だが、『ゴジラ-1.0』ではその全てがゴジラを殺すことに向かっていく。本来であれば敷島が死んだ方がスマートに作品が締まったはずだ。

このあたりは戦後生まれと戦前生まれの違いもあるのだろう。『ゴジラ』のスタッフはほとんどが戦前生まれだった(芹沢と敷島の違いについては「ゴジラという戦争『ゴジラ-1.0』敷島が下した判断の理由」も参照されたい)

『ゴジラ-1.0』という戦争映画

さて、ここからいよいよゴジラを見ていこう。
前にも述べた通り、『ゴジラ-1.0』のゴジラは絶対的な悪として登場する。『シン・ゴジラ』もそうだった。全ては『ゴジラ』のゴジラが戦争や核兵器の代名詞とも呼ぶべき悪の存在だったからだ。
と同時に『ゴジラ』のゴジラは人間の行いによって安住の地を追われ、東京へ向かわざるを得なくなり、かつ人間の身勝手さによって殺された犠牲者でもある。
だが、『ゴジラ-1.0』のゴジラは犠牲者の側面はほぼ描かれず、倒すべき脅威として描かれる。日本にとって倒すしかない分厚い壁がゴジラだ。
その意味で本当の主役は日本国民ではないかとも思う。登場人物のセリフにやや芝居がかったものと、青臭さはあるものの、それでも日本人とゴジラの関係を真正面から細かく取り上げた作品は『ゴジラ-1.0』以上にないと言える。

劇中では銀座を襲ったゴジラによる被害では二万人もの人が犠牲になっている。
その一人ひとりに家族があり、日々の生活があった。
敷島の暮らしが細かく描かれているのは、それを敷島を通じてイメージしてもらうためだ。
シン・ゴジラ』はあくまで政治的なアプローチだった。そのために私欲は最初からほぼ描かれず、みながプロフェッショナルとして日本のためにどう動くかが描かれている。
一方の『ゴジラ-1.0』は一般市民がゴジラと向き合うというアプローチだ。そこには敷島のような弱さを持った人間が、それをどう克服していくかという心の揺れ動きが描かれる。

『ゴジラ-1.0』は戦争映画だ。ゴジラというエンターテインメントを通して、限りない絶望とそこから這い上がる人々の葛藤を『ゴジラ-1.0』は描いている。

そして、映画の最後には海底で再生されゆくゴジラの姿が映し出される。

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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