『ウォール街』オリバー・ストーンの描く強欲の果て

※以下の考察・解説には映画のネタバレが含まれています


いつからだろうか、「芸能人の月収公開」みたいなコンテンツをよく目にするようになった。
確かに華やかな世界で活躍する人の収入が気になる人も多いのだろう。
だが、こういう「金の話」が下品であるとは誰も思わなくなったのだろうか?いわゆるITバブルの頃からだろうか、金の話から恥という概念が消えた。
「愛は金で買える」その言葉を堂々と公に発言したときから品性は無くなったように思う。
そしていつしか収入自慢、金持ち自慢が当たり前になり、品がないと感じることもなくなるのだろう。これからはそんな世代が増えてくるのではないかと思うとやりきれない気持ちもある。

『ウォール街』

さて、今回はそんな金持ちを描いた映画を考察したい。オリバー・ストーン監督が1987年に製作した『ウォール街』だ。主演はチャーリー・シーンとマイケル・ダグラスが務めている。
強欲で金に取りつかれた男がどうなるかを描いた寓話的な作品でもある。

『ウォール街』はフランク・シナトラの歌うジャズのスタンダード・ナンバー『フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン』から始まる。「私を月へ連れていって」という歌詞で様々なミュージシャンがカバーした楽曲だが、中でもこの1964年に発売されたフランク・シナトラのカバーは爆発的なヒットとなった。
当時はアポロ計画など宇宙開発競争の真っ只中。人類を「月へ連れていく」ことがもうすぐ現実になる、そんな時代だった。

チャーリー・シーン演じる本作の主人公、バド・フォックスも高揚感と野心に胸を踊らせて金融業界に就職する。
『ウォール街』の舞台は1985年のアメリカだが、当時のアメリカは不況の最中にあった。
「ひどい景気だ、ルーズベルトの時代より悪い」
バドがオフィスに到着すると、上司であるルー・マンハイムはそうボヤく。

アメリカを襲った「双子の赤字」

1980年「アメリカを再び偉大に!」のスローガンでロナルド・レーガンは第40代アメリカ合衆国大統領に選出された。レーガンがカーター政権から続く不況を脱するために行った経済政策がレーガノミクスだ。
当時のアメリカは貿易赤字と財政赤字、いわゆる「双子の赤字」に苦しんでいた。

レーガンは「小さな政府」を志向し、規制緩和によって市場競争を活性化させようとした。
その一つが企業や個人に対する大幅減税だった。特に最大税率を払っている富裕層に対しては、税率を70%から50%に引き下げた。しかし、その一方で政府の歳出は削減した。歳出の30%をカットし、貧困層への福祉を縮小させたために、貧富の差が拡大した。
また貿易赤字でドル高の状態が続いていたために多くの工場が海外へ移転し、経済の中心は金融や投資へと変化した。その影響でレーガン政権の一期目にはアメリカはカーター政権を上回るほどの貧富の拡大と不況を生み出した。『ウォール街』の舞台は1985年のアメリカで、まさにこの時期にあたる。

1985年はアメリカの没落と対称的に日本はバブル期で勢いがあった頃だ。
同じ年に公開された『バック・トゥ・ザ・フューチャー』でも主人公であるマーティの憧れの車がトヨタのハイラックスであったり、また彼の家族は全員落ちぶれているなど、当時のアメリカの状態が映し出されている。

証券バブルの高まり

大学を卒業し、証券会社へ入社したバドは成功を強く望んでいるが、実際の業務は電話営業で人々に投資を勧めることだ。電話口でバドは「今、アメリカは近年にない好景気で~」と言うが、それは嘘だ。いや、バドの勤める金融業界だけは証券バブルで好景気だった。
製造業がドル高のために軒並み国外にその工場を移す一方、レーガン政権下で財務長官のドナルド・リーガンは証券取引を大幅に自由化し、株式ブームを起こした。その結果、アメリカの主要産業は製造業から金融へとシフトした。
金融自由化のおかけで金融業界は活気づき、主要産業は製造業から金融へとシフトした。一夜にして大金を手に出来る投資銀行家の人気が高まり、ウォール街を目指す若者が増えていた。

オリバー・ストーンとロナルド・レーガン

監督のオリバー・ストーンは自らの著書『オリバー・ストーンが語るもう一つのアメリカ史』の中で一貫してレーガンを批判している。
その中でレーガンは「大統領史上最も知的好奇心に乏しく、無知な大統領」であると評され、レーガノミクスによる貧困層の切り捨て、また荒唐無稽な外交政策と国際法違反ともいえる他国への武力援助をことごとく愚かな行動として非難している。

父に捧げた映画

オリバー・ストーンが『ウォール街』を製作したのは父親を描きたかったからだ。
ストーンが『ウォール街』のアイデアを思い付いたのは『スカーフェイス』の脚本を書いている時だった。当時マイアミにはドラッグが溢れていたが、一方でニューヨークから来た成金が馬鹿騒ぎをしていた。証券バブルでホワイトカラーの犯罪も横行していた。
父のルイ・ストーンもウォール街で働き、株の仲買人をしていたが、その頃の人々は誇り高く、品格もあったとストーンは回顧する。
ストーンは父について「ウォール街で仕事をし、経済が大好きだった父なのに実際に金は儲けていない。客の資産は増やしたが、自分は何も得ていない」と言う(オリバー・ストーンの評伝にはルイは成功したディーラーだと書かれているのでいささかの疑問は残るが)。
それは1980年代のウォール街の狂乱とは真逆だった。

オリバー・ストーンとストーンとともに脚本を担当したスタンリー・ワイザーは『ウォール街』を製作するに当たってニューヨークへ向かい、実際の証券取引をリサーチした。
目を痙攣させながら必死に取引するブローカーがいる一方で、毎日パーティー、ドラッグ、セックスばかりという成功者もいた。
『ウォール街』の一番最初のタイトルは『貪欲』であった。まさにストーンとワイザーが実際のウォール街で見たものは果てなき欲望への狂乱とも言えるだろう。

金は眠らない

優良なクライアントを獲得できずにいるバドはある投資家に必死のアプローチをかける。ゴードン・ゲッコー。投資によって巨万の富を持ち、強欲は善と信じて疑わない男だ。
バドは父親と食事した際に父の勤めるブルータス航空の内部情報を知る。それをゲッコーに打ち明けたことがきっかけで、バドはゲッコーに一目置かれるようになる。そしてゲッコーはバドの野心を上手く利用し、あらゆる情報を収集させる。

「金は眠らない」そう言ってゲッコーはバドを起こす。
ゲッコーに心酔するバドは企業スパイとも呼べる過激な方法も厭わず情報を集め、ゲッコーのパートナーとしてのし上がっていく。

強欲は善だ

この映画におけるゲッコーはレーガノミクスの代弁者でもある。
ゲッコーはテルダー製紙を買収を目論み、株主達の前で大演説をぶつ。『ウォール街』の中でも見所のひとつだ。
かなり長いが、解説しながら紹介しよう。

「テルダー製紙の最大株主として発言の機会を与えられたことに感謝します。
我々はファンタジーではなく、政治と経済の現実を見るべきです。
アメリカは今や世界の二流勢力に落ちました。その貿易赤字と財政赤字はすでに悪夢です。」

そう、この2つの赤字が当時のアメリカの不景気の原因だった。経済的な勢いは当時バブルを謳歌していた日本に完全に負けていた。このゲッコーの言葉は多くのアメリカ国民の想いそのものだっただろう。

「我が国が隆盛を誇った自由市場全盛の時、社は株主に責任を負いました。
カーネギーもメロンなどの財閥も金を投資してくれた株主に責任を負いました。
最近の経営者は社に利害を持っていません。ここに座っている連中の持ち株は三%以下です。社長の持ち株は1%以下。100万ドルの年俸は別の会社に投資しています。
会社を持っているのはあなた方株主です。なのに官僚主義者たちにだまされてる。彼らは昼からステーキ、会社のジェット機でバカンス旅行。
テルダー製紙は現在年俸20万を超す副社長が何と33名います。私は2ヶ月かけて彼らが何をしたのか調べました。答えは不明です。わかったことは昨年だけで社が失った金は1億1,100万ドル。その半分は副社長同士の連絡書類の経費でしょう。
最近のアメリカ企業の法則は適者生存ではなく、不適格者生存です。私が思うに不適格者は排除すべきです。
私は最近7つの企業の経営に関わりました。250万人の株主に計120億ドルを還元しました。
私は企業の破壊者ではない、解放者です!」

少し長いが、ここでゲッコーが規制緩和された社会こそ自由で望ましいと考えていることがわかる。レーガンもまた規制緩和によって市場の競争を促し、経済を発展させようとした。その激しい競争の中で勝ち上がってきたのがゲッコーだ。
そのエネルギーの源はなにか。『ウォール街』の中でも最も有名な台詞へと続いていく。

「忘れないでください。言葉は悪いかもしれませんが強欲は善です。強欲は正しい。 強欲は導く。 強欲は物事を明確にし、道を開き、発展の精神を磨き上げます。欲にはいろいろあります。
生命欲、金銭欲、愛欲、知識欲・・・人類進歩の推進力です。
強欲こそ、見ていて下さい。テルダー製紙だけでなく、株式会社U.S.A.を立て直す力です。
以上です。」

ゲッコーには実在のモデルがいる。それが、投資家のアイヴァン・ボウスキーだ。
上記のゲッコーのスピーチもボウスキーが1986年にカリフォルニア大学バークレー校で講演したスピーチが基になっている。
「強欲は健全だと思っている。皆も強欲になるべきだし、快く感じられるはず」

ちなみにこの演説は、マイケル・ダグラスが練習に練習を重ね、本番のわずか1テイクでOKになったものだ。にも関わらずオリバー・ストーンの反応はそっけないものだったためにマイケル・ダグラスは怒り心頭だったという(結果的にダグラスのストーンに対する怒りはゲットーの役に反映され、大きなパワーを生む原動力になった)。
「俳優の退路を塞いだ上で挑発してくる」とはダグラスがストーンを評した言葉だ。

日本での新自由主義経済

さて、レーガノミクスが先鞭をつけた新自由主義経済は基本的にはアダム・スミスの「見えざる手」の考え方が根底にあるだろう。極端にいってしまえば、「市場の自由な競争に任せておけばすべて上手くいく」という考え方だ。
日本でも新自由主義の経済政策は小泉政権の時に加速した。竹中平蔵をブレーンとして進められた政策はまさに日本版のレーガノミクスとも言えるだろう。
その結果、株価は回復するも、日本でも貧富の差が拡大し、『ウォール街』同様のマネーゲームが過熱した。富める者はますます裕福になる一方で労働者の3人に1人は非正規労働者となった。数字の上では景気回復だったが、それを庶民が感じられることは少なく「実感なき景気回復」とも呼ばれた。

小泉政権が退陣した後に発足したのが安倍政権だ。安倍元総理は2006年と2012年の2度に渡って総理に選出されたが、特に2012年からの安倍政権の経済政策は「アベノミクス」と呼ばれた。このネーミングはレーガノミクスを由来としている。
また、2013年9月に安倍元総理はニューヨーク証券取引所で投資家達を前にこうスピーチした。
「バイ・マイ・アベノミクス(アベノミクスは買いだ)」
これは「バイ・マイ・ブック(ウチは買いだ)」というゲッコーの台詞へのオマージュだろう(ゲッコーがこのセリフを口にしたのは次作の『ウォール・ストリート』だ)。

ブルースター航空の買収

ゲッコーのもとで成功を収めたバドは次の買収先として父のカールが勤めるブルースター航空を強く推す。
バドは自分の力でブルースターを再建させ、父親にも自分と同じ成功を味わってほしいと願っていた。
だが、父はゲッコーとバドの提案を一蹴する。

「僕に恥をかかすのか?」そう詰めるバドに父はこう言う。
「奴はお前を利用しているんだ」
「お前は財布の大きさで人間をはかるのか」
バドを演じたチャーリー・シーンとその父親であるカール・フォックスを演じたマーティン・シーンは実の親子でもある。チャーリーは父マーティンを「最高の役者の一人」と讃えている。

チャーリーは『プラトーン』に引き続きオリバー・ストーンとタッグを組んだが、撮影中はストーンへの怒りを抑えきれない場面もあった(これはゲッコーを演じたマイケル・ダグラスやダリアン・テイラーを演じたダリル・ハンナも同様だが)。
撮影も後半に入り、撮影ペースが落ちてきていたが、マーティンが現場に参加するとペースも回復してきたという。
マーティン・シーン演じるカール・フォックスもまたオリバー・ストーンの父、ロイ・ストーンを投影した人物だ。ストーンによると、カール・フォックスには家での父を反映させたという。

二人の父親

ストーンはモラルで葛藤するを描きたかったという。『プラトーン』でも新兵のクリスが目的のためには手段を問わない鬼軍曹のバーンズと人間らしさを残したエリアスという二人の上官の間で揺れる様が描かれる。いわば悪の父親がバーンズ、善の父親がエリアスと言えるが、『ウォール街』では悪の父親がゲッコー、善の父親がカールだ。

『ウォール街』にはストーンが父親を投影させた人物がもう一人いる。それがハル・ホルブルック演じるバドの上司のルー・マンハイムだ。
マンハイムは「結局は地道にやったものが勝つ」「株が作る金は研究を進め雇用を高めるためのものだ」とバドに忠告するが、野心に逸るバドは耳を傾けようとしない。

オリバー・ストーン自身も現実のウォール街の在り方について以下のように語っている。
「ウォール街は巨大化し、中にはとてつもない金額を稼ぎ出す人間が出現した。しかしそこで生み出された金が社会に還元されることはない。その大きな利益が社会に貢献することはなく、自分たちの中だけで投資され、その中であらゆる活動が完結してしまってる。
銀行は、新しい企業に融資し、経済を活発化させるのが本来の仕事のはずだが、言ってみればそうした機能をすでに失ってしまっている。
ウォール街はアメリカの経済の中で意味のない存在となってしまった」

深淵の中で見えたもの

買収が成功し、バドはブルースター航空の社長となった。だが、弁護士達を交えた会議に出席した際にバドはゲッコーの真意を知る。ゲッコーはブルースターを再建させるつもりなどなく、ブルースターを解体し、会社が積み上げていた年金の多くを懐に入れる算段だったのだ。
バドはゲッコーを裏切り、父を救うためにゲッコーのライバルであるラリー・ワイルドマンに協力を仰ぐ。
果たしてゲッコーは大損し、バドはブルースターをゲッコーから守ることに成功する。

翌朝出社したバドにルー・マンハイムはこう声をかける。
「君が好きだ。一つ言っておく。底なしの淵を覗き込んで何も見えない時、人間は本当の自分の姿を見る」

この言葉はドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェの『善悪の彼岸』の第146節を元にしている。
「怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない。
深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いているのだ」
怪物とはゲッコーのことだ。バドはゲッコーに憧れ、深淵へ足を踏み入れた。

勝負には勝ったが、バドはインサイダー取引の疑いで逮捕される。

後日、バドはゴードンと会う。ゴードンはバドの裏切りに激昂し、彼を殴り付ける。
「俺が目をかけ、育ててやったのになぜ裏切った?」
「ゴードン・ゲッコーを夢見ていたが、俺はバド・フォックスだと気がついた」
そう、ゲッコーを追いかけ、深淵を覗いた時、バドは自分自身の姿に気づいたのだ。

バドはゲッコーと別れ、その足で証券取引委員会の人間たちと会う。ゲッコーとの会話をバドは密かに録音していたのだ。
『プラトーン』でも主人公のクリスは悪の父親であるバーンズを殺すが、『ウォール街』でも悪の父親であるゲッコーを社会的に殺す。オリバー・ストーンは「今回はテープレコーダーでゴードンを殺すんだと述べている。
ゲッコーのモデルとなったアイヴァン・ボウスキーも同様にインサイダー取引で逮捕された過去を持っている。

強欲は合法になった?

「強欲は身を滅ぼす」
それがオリバー・ストーンが本作に込めたメッセージでもあるだろう。実際に『ウォール街』公開直前の1987年には大暴落している。
『ウォール街』冒頭の1985年という字幕は作品の舞台を今(1987年)と思われるとリアリティが無くなるために急遽追加されたものだ。

だが、ストーンが作品に込めたメッセージも霞むほど、ゲッコーは魅力的に過ぎる悪役でもあった。
私自身、作品を観る前からゲッコーは悪役だとわかって観ているのだが、それでもゲッコーの魅力に何度もハマりそうになった。自分の信念を曲げずに、厳しさと自由を同時に持ち、部下にもまた岸壁と寛容さをあわせ持つ。
ゲッコーは強欲かつ冷酷だが、金儲けだけに邁進する男ではない。金儲けと同時に自分の人生も充分に楽しんでいる男だ。
ゲッコーを演じたマイケル・ダグラスの芝居は称賛され、ダグラスはその年のアカデミー賞主演男優賞を受賞している。
オリバー・ストーンは『ウォール街』を通して、行き過ぎた資本主義に警告を鳴らそうとした。だが、その想いとは裏腹に、映画の公開後、ゲットーに憧れて金融業界を目指す若者が増えたという。

オリバー・ストーンは2010年に本作の続編である『ウォール・ストリート』を発表する。
『ウォール・ストリート』では2008年のリーマン・ショック直前の金融業界が舞台になっている。刑務所から出所し、再び金融業界の大物に返り咲いたゲッコーはこう言う。
「かつて私は『強欲は美徳だ』と言って顰蹙を買った」「だが、今のウォール街を見ると、強欲は合法になったらしい」

かつてのゲッコーを凌ぐほどの強欲にまみれたウォール街はリーマン・ショックを引き起こし、世界を金融危機に陥れることになる。
だが、これからも強欲が決して無くなることはないだろう。金は眠らないのだから。

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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