『マトリックス リローデッド』運命を支配し動かしているのは誰か?

※以下の考察・解説には映画のネタバレが含まれています


リローデッドは再装填という意味を持つ。確かに映画の公開時は各映画コメンテーターがタイトルの意味をそう解説していた。

『マトリックス』は設定の斬新さや映像の凄さがまず衝撃だった。また様々なメタファーや宗教的な要素を含みながらも、ヒーローの誕生までを描いた物語という観点からみるとスタンダードな映画と言えた。

『マトリックス リローデッド』

『マトリックス』から4年後の2003年に公開されたのが『マトリックス リローデッド』だ。監督はウォシャウスキー兄弟、主演はキアヌ・リーヴスが務めている。
『マトリックス リローデッド』は完全にヒーロー映画の枠を越えた作品になっていた。『マトリックス』はシリーズを通して多くの哲学的要素や引用、メタファーなとを多く含み、そうした部分を一つ一つ明らかにしていくのも解説の楽しみではあるが、今回は「ヒーローからの脱却」という観点から『マトリックス リローデッド』を見ていこう。

『マトリックス』の世界における救世主

『マトリックス』において救世主とはヒーローと同義だった。だが『マトリックス リローデッド』における救世主はそうではない。圧倒的な能力を持ち、敵であるコンピュータープログラム(エージェント)にも互角以上に立ち向かえる唯一の存在の一方で望まない能力の芽生えに戸惑うという描写も見られる。『マトリックス リローデッド』のネオはヒーローの万能感よりも救世主という与えられた役割をどう全うするかに悩む人間的な葛藤や弱さがある。

1980年代や1990年代にはこのようなヒーロー像はあまり見られなかったように思う。例えば『ランボー』シリーズだと、ベトナム帰還兵の悲哀を描いた一作目の『ランボー』は別としても1985年に公開された『ランボー/怒りの脱出』や1988年に公開された『ランボー3/怒りのアフガン』は今の『ランボー』シリーズへのパブリックイメージを確立させた作品といっていい。つまり、無敵の元兵士ジョン・ランボーが戦地で暴れまくって敵を皆殺しにするそんなイメージだ(実際に『ランボー3/怒りのアフガン』は本編で108人の死を描くという内容から、1990年度のギネスブックに「最も暴力的な映画」としてとして記録されている)。
弱さを持ったヒーローの登場としては1988年に公開されたブルース・ウィリス主演の『ダイ・ハード』からではないかと思う。『ダイ・ハード』はニューヨーク市警のジョン・マクレーンが主人公だが、好戦的ではなくただ成り行きで敵と対峙せねばならなくなり、「どうして俺が」とボヤいてみせる。『ダイ・ハード』はヒットし2013年に公開された『ダイ・ハード/ラスト・デイ』まで計5作品のシリーズとなった。4作目『ダイ・ハード4.0』では戦う理由について「他に誰もやる奴がいないからだ」と述べている。
2000年代になると、このマクレーンのような弱さを抱えたヒーローが多く登場するようになる。『マトリックス リローデッド』が公開された2003年だけでも『ターミネーター3』や『ラストサムライ』が思い当たる。『ラストサムライ』の主人公であるネイサンはネイティブアメリカンを虐殺した過去を傷として抱え込んでいる。『ターミネーター3』のジョン・コナーは救世主として課せられる使命や義務と自我の狭間で苦悩する。
この変化はなぜ起きたのだろうか。

ヒーロー像の変化とその背景

1980年代のアメリカ国民が望んだのは「強いアメリカ」だった。1981年に「アメリカを再び偉大に!」のキャッチフレーズで大統領に選ばれたのがロナルド・レーガンだ。
「強いアメリカ」に呼応するように当時のハリウッドにおいてもマッチョなアクション・ヒーローが人気を席巻していく。前述のように『ランボー』が好戦的な暴力を主としたアクション映画に変貌したのもレーガン政権への時代の流れを反映していると言えるだろう。
だが、2001年の同時多発テロによって「強いアメリカ」は大きな衝撃を受ける。テロの直後は『ブラックホーク・ダウン』のように自国を称賛するような作品が多く撮られたが、一方でイラク戦争の開戦にあたってはそれまでで最大規模の反戦運動が起きるなど、当時のブッシュ政権の強気な姿勢とは裏腹にアメリカは大きく揺れていたと言えるだろう。
そんな時代の空気が2000年代のハリウッド映画のヒーロー像には転写されていないだろうか。

選択とは何か

『マトリックス リローデッド』のネオもそうで、救世主でありながら自分が何をすべきかを悩んでいる。そして愛する者の死という運命を知ってしまう。それをなんとか回避するために、ネオは重大な選択を迫られる。
『マトリックス リローデッド』の一つのテーマは「選択とは何か」ということだ。
『マトリックス』でのネオの物語はキリストの死と復活に重ねられていた。エージェント・スミスによって一度は死を迎えるが、トリニティの愛によって救世主として甦る。磔刑に処せられたキリストが、3日後に甦ったように。

『マトリックス リローデッド』はそこから更に突き抜ける。
いきなり話が結末に向かってしまうのだが、クライマックスでメインフレームのドアを開けたネオはそこでマトリックスの設計者(アーキテクト)と出会う。そこで初めて「救世主」の存在も機械によってあらかじめプログラムされているという事実が明かされる。「救世主」はマトリックスのルールを超越したスーパーマンではなく、機械がある程度コントロールし得る、想定内のバグなのだ。
『マトリックス リローデッド』においてネオはただの駒に過ぎない。
では誰がネオを操っているのか。それはグロリア・フォスター演じる預言者(オラクル)だ。『マトリックス』では人類側の抵抗者の一員であるように描かれていたオラクルだが、実際は彼女もコンピューターによるプログラムであり、その上マトリックスの成立に関与した最も古いプログラムの一つだった。

『マトリックス リローデッド』ではマトリックスは過去にも存在し、何回かの再構築を経て今のバージョンにアップグレードされていることが明らかになる。 マトリックスの設計プログラム(アーキテクト)が作り上げた初期のマトリックスは、完璧な人間の幸福を追求したものだったが、マトリックス内部の人間はそれに耐えきれずに全滅してしまう(アーキテクト曰く「完璧を求める度合いの低い知性が必要だった」)。
そこでマトリックスに不確定要素を加えたのが人間の心理を探るための直感プログラムだった。そしてこの直感プログラムこそがオラクルだったのだ。それによってマトリックスは安定するが、しかし不確定要素はマトリックスに必然的にバグを発生させるようになる。それがネオ達のような抵抗者であり、ネオのような救世主だ。そのバグがマトリックスをダウンさせる危険性を帯びるほどに増大した時点で救世主は自身の持つソースコードを次のマトリックスに反映させ、マトリックスを再読み込みするという役割が定められている。
『マトリックス リローデッド』の「リローデッド」とは、再装填ではなく、マトリックス再読み込みを意味していたのだ。
今まで5人の前任者は素直に人類愛からマシンのソースへ向かい、マトリックスのバージョンアップを行ってきた。しかし、ネオは人類愛以上にトリニティへの1対1の愛があった。
ここでネオは初めてアーキテクトの意に反した選択を行う。

オラクルの本当の役割は何か?

『マトリックス リローデッド』はネオがオラクルに導かれ、戦争を止めるため、マシンのメインフレームへ向かうというのがストーリーの中心だ。オラクルにトリニティが死ぬ悪夢を見ると打ち明けるネオだが、オラクルはその光景はネオが未来を見ることができるようになった証だという。トリニティを助けるためにどうすればいいか、オラクルの答えは「選択はもうしている」、そしてマトリックスのメインフレームへ向かえとネオに伝える。
メインフレームへ向かうにはマシンからの削除命令を無視した放浪プログラム(エグザイル)のメロヴィンジアンから、メインフレームへのアクセスキーを持つキーメイカーを奪取せねばならない。
メロヴィンジアンはネオに選択は幻想だと言い、この世界は因果関係が支配していると言う。メロヴィンジアンのこの言葉はアーキテクトとのやりとりを見ていく中で重要な伏線となる。メロヴィンジアンはマトリックスの最古のプログラムであり、今は削除命令を無視してエグザイルとなっている。とは言え、その権力はいまだに強い。
メロヴィンジアンは最古プログラムということもあり、ネオの前任者も全て知っている。つまり、歴代の救世主たちに「選択」の余地はなく、救世主になったということはその帰結としてマトリックスをリロードしなければならないという因果関係が見えているからだ。

この因果関係を作り上げたのはオラクルだ。オラクルによって不確定要素は生まれ、一定数を越えるとマトリックスはバージョンアップを繰り返す。その意味ではオラクルは預言者として未来が見えている訳ではない。ネオやモーフィアスがやろうとしていることは既に過去にもずっと繰り返されたことであり、予言という言葉で彼らを自分の望み通りに操っていたのがオラクルなのだ。
「あの占い師め!」メロヴィンジアンはオラクルをそう言う。恐らくはオラクルが本当は何者なのか知っている。そして、オラクルがマトリックスをバージョンアップさせたことでメロヴィンジアンは削除命令を受けたのだろう(このあたりはOSのバージョンに伴い、新バージョンでは非推奨となったプログラムを想像すると分かりやすいかもしれない)。
このようにオラクルには敵も多い。劇中でも彼女の付き人であるセラフが同様の台詞を口にする。そこでオラクルはこれまでとは違うマトリックスの構築を模索する。バージョンアップではなく、マトリックスそのものの再構築だ。そのための最大の駒がネオだ。

『マトリックス』シリーズにはいくつかの謎がある。なぜマトリックス内のプログラムであるエージェント・スミスが現実世界の住人であるベインの精神を乗っ取れるのか、なぜネオは現実世界でもマトリックス内と同じようなパワーが使えたのか。ご都合主義的かもしれないが、『マトリックス』でも『マトリックス リローデッド』でもオラクルはクッキーやキャンディをネオに手渡している。それらはネオの能力をアップデートさせるプログラムではないのか?
ネオが人類の滅亡よりも一人の女性を選ぶようにしたこと、マトリックスの次なる進化のためにスミスという制御不能の「異常」を作り上げたこと、全てはオラクルの計略だった。

「私は夢を見ていた。 だが、その夢も消えた」

ネオからオラクルの正体を告げられたモーフィアスはネオの言葉を否定しようとするが、戦争は終わらず、逆にセンチネルによって船のネブカドネザル号が破壊される。その様子を眺めながら、モーフィアスは「私は夢を見ていた。 だが、その夢も消えた」と呟く。
この言葉は聖書のダニエル書第2章のバビロニア王国のネブカドネザル王の言葉の引用だ(ちなみにモーフィアスの船のネブカドネザル号という名前もネブカドネザル王に由来する)。ダニエル書でネブカドネザル王はある夢を見る。その夢とは巨大な人形の像が粉々に砕かれるもの。この夢は今の王国が壊れ、次の帝国が現れるという未来を意味している。
モーフィアスは現実世界における人間側の居住地、ザイオンは救われると信じていたが、破壊されるネブカドネザル号(おそらくここにバビロニア王国を重ねたに違いない)に自らの信念も揺らいでいく。

オラクルの賭けはどういう結末を迎えるのか、その答えは『マトリックス レボリューションズ』に続いていく。

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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