※以下の考察・解説には映画のネタバレが含まれています
ルワンダで起きたツチ族とフツ族の対立は1994年に100万人もの犠牲者を出したルワンダ虐殺という悲劇を呼んだ。
ここまで被害が拡大したひとつの原因はアメリカをはじめとする国際社会がルワンダへの介入に消極的だったからだ。
2004年に公開された『ホテル・ルワンダ』はそのルワンダ虐殺をテーマにした映画だが、劇中では、アメリカ人のジャーナリストがルワンダに対する国際社会の反応を「(西欧諸国の人間は)皆『怖いね』と言ってそのままディナーを続けるだろう」と冷たく予想する。
まさにその通りの動きとなってしまったわけだが、なぜアメリカをはじめとする国際社会はルワンダへの介入にはこれほど消極的だったのか。
その原因は1993年のソマリア紛争への介入の失敗があった。特に「モガデシュの戦闘」と呼ばれる戦いは当初30分で終わるはずだった軍事作戦は壮絶な市外戦へと発展し、15時間という時間と多大な犠牲者を出す結果となった。「モガディシュの戦闘」はベトナム戦争以来の敗北とさえ言われる。
『ブラックホーク・ダウン』
この「モガディシュの戦闘」をテーマにした映画が『ブラックホーク・ダウン』だ。
『ブラックホーク・ダウン』は2002年に公開された戦争映画。監督はリドリー・スコット、主演はジョシュ・ハートネットが務めている。
タイトルの『ブラックホーク・ダウン』はブラックホークと呼ばれる汎用ヘリコプターUH-60が撃墜されたときの交信「We got a Blackhawk down, We got a Blackhawk down(ブラックホークの墜落を確認、ブラックホークの墜落を確認)」にちなむ。
『ブラックホーク・ダウン』は『プライベート・ライアン』以降の流れを汲む、臨場感ある戦闘描写が秀逸な作品だ。ソマリアの砂煙の舞う市街地で数千の民兵との戦闘を余儀なくされたのアメリカ軍(主にレンジャー部隊とデルタフォース)の過酷さと緊張感は観ているこちらが呼吸を忘れるほどだ。
しかし、なぜソマリアへの介入が必要だったのか。その背景からまずは見ていこう。
ソマリア独立後の歴史
1960年にイギリスとイタリアの植民地から独立を果たしたソマリアは1969年にモハメド・シアド・バーレがクーデターにより実権を握り、独裁体制の社会主義国家へと変わる。
1988年に反バーレ組織である統一ソマリ会議(USC)との内戦状態になる。1991年にはUSCが首都を制圧し、アリ・マフディ・ムハンマドを大統領とする暫定政権が発足するが、USC内部でも大統領派とモハメッド・ファッラ・アイティード将軍派で対立し、ムハンマド大統領はソマリアから亡命した。
国際社会もソマリアの動向を放置していたわけではない。内戦によって1991年には30万人の死者と150万人が危機的な状況に置かれていた。
ソマリア内戦は世界最大規模とも言われる難民キャンプを生み出した。『ブラックホーク・ダウン』のプロデューサーであるジェリー・ブラッカイマーは「アメリカのソラリア内戦介入の発端はソマリアの飢餓を特集した雑誌だった。栄養失調で死にかけた子供たち。世論の盛り上がりに応え、アメリカは国連の食糧配給を武力で支援した。だが当時は内戦の最中で、食料は民衆ではなく軍閥に渡ってしまった。」と述べている。
国際社会がソマリア内戦で互いに対立しているリーダー達に調停を呼び掛けた時にはアイティード将軍以外からは停戦の合意を取り付けたという。その後1993年にはアイティード将軍含む各リーダーたちが停戦へ合意するアディス・アババ合意も締結されたが、合意へ向けた武装解除の中で、パキスタン兵24人が殺害される事件が起きる。国連は容疑者としてアイディード将軍の逮捕に踏み切る。
そのためにアメリカ軍がアイディード将軍の側近二人を拉致する作戦を行ったのが『ブラックホーク・ダウン』で描かれる「モガディシュの戦い」だ。
9.11直後のアメリカが求めた「自国への賛美」
本作の製作そのものは9.11以前から進められていたが、その内容がアメリカ国民の愛国心を高めることを期待されて、当初よりも公開を前倒しして封切られたという経緯がある。
リドリー・スコットはアメリカ軍のソマリア紛争介入について、「アメリカだけがソマリアに対して行動を起こした正義の行為だ」と肯定的な評価をしている。事実、モガディシュの戦いにおいては作戦はアメリカの単独で実行された。だからだろうか、敵であるソマリアの民兵達は内面描写に乏しく、感情移入できるような描かれ方はしていない。その代わりに描かれるのはアメリカ軍の絆や勇敢さ、使命感である。「愛国心の高まりが期待できる」というのも頷ける。
『ブラックホーク・ダウン』が公開当時のアメリカの状況とリンクしている部分は他にもある。
9.11以降、アメリカの敵はソ連やロシア、共産主義ではなく、中東のイスラム過激派組織が主流になった。ソマリアは国民の95%がイスラム教徒だ。その意味では『ブラックホーク・ダウン』は9.11以降、イスラム教徒を悪として描いた初めての映画でもある。
また2002年のジョージ・W・ブッシュ元大統領による「悪の枢軸国」演説により、アメリカの敵としてイラク、イラン、北朝鮮が名指しされ、実際にイラクとは戦争に突入したが、それまではソマリアへの再びの軍事介入も検討されていたという。クリントン政権下でソマリア内戦を鎮圧できていなかったために、ソマリアでアルカイダの影響力が強まっているのではないかという懸念があったからだ。
その意味ではこの『ブラックホーク・ダウン』は絶妙なバランス感覚を保っている。反戦派にはあっけなく殺されていくアメリカ軍兵士の姿に戦争の残酷さや虚しさを伝えることになるだろうし、また報復派には積極的な軍事展開によって海外からの自国への脅威を減らし、平和に貢献するという意義も感じられるだろう。
どちらにも共通するのはアメリカへの賛美だ。
過酷で絶望的な状態であっても、アメリカ兵の絆と使命感を描いた今作は9.11後のアメリカで本作は大きな成功を収めた。
ただ、個人的にはアメリカが積極的に他国に軍事介入する度に、なぜ自らと直接関わりのない戦闘に命を懸けられるのか、疑問でもあった。自国へ敵が攻撃を仕掛け、撃退しなければ家族や大切な人に危害が及ぶというなら理解はできる。アフガニスタン戦争のような復讐戦も支持はできないが道理はわかる。
アメリカは第二次世界大戦以降、世界の覇者となり、世界に民主主義を拡大させてきた。「アメリカが世界のリーダーとして、世界に平和をもたらす」世界の警察とも呼ばれるアメリカの自惚れとも言えるかもしれないが、アメリカ人だけか持ちうる強烈な自負でもあるだろう。
『ブラックホーク・ダウン』ではジョシュ・ハートネット演じるエヴァーズマン二等軍曹が「ソマリアの人々は 仕事がなく、食料も教育も、未来さえないんだ。俺たちにできることは2つ。彼らを助けるか、国が崩壊していくのをCNNニュースで傍観するかだ」と言うセリフがある。
誰一人置き去りにしない
もうひとつは仲間との信頼や絆だ。今作のキャッチコピーはそれを端的に表している。
残念ながら日本での公開時のキャッチコピーは「あなたはこの戦争に言葉を失う。しかし、知るべき時が来た」というもので、今作における本当のメッセージは含まれていない。
アメリカでのキャッチコピーは「誰一人に置き去りにしない(Leave No Man Behind)」。これこそが本作のメッセージであり、アメリカ軍の美学だ。
『ブラックホーク・ダウン』でも墜落したブラックホークの操縦手を救うためにソマリア民兵が包囲するなかにデルタ・フォースの隊員2名(ランディ・シュガート一等軍曹とゲーリー・ゴードン曹長)が降下する。自殺行為ともいえる行動だ。だが、彼らは仲間を見捨てることができなかった。だからこそ、司令部も彼らの決断を尊重した。
彼らはソマリア民兵に殺されるが、その勇気ある行為により、ベトナム戦争以来の名誉勲章を授与されている。
操縦手であったマイク・デュラントは人質としてソマリア民兵の手に渡るが、ヘリから「マイク・デュラント、君を決して見捨てはしない」と呼び掛けるアメリカ軍の姿も印象的だ。のちにデュラントは11日間釈放され、2022年に上院議員選挙に立候補している。
アメリカ軍はソマリア民兵の攻撃から逃れ、なんとか親米地域のパキスタン・スタジアムへたどり着く。疲れ果てたエヴァーズマンに一等軍曹であるデルタフォースの古参兵のノーマン”フート”ギブソンはこう言う。
「故郷に帰るとみんなが俺に聞く『フート、なぜ戦う?戦争中毒なのか?』と。俺は何も答えない。やつらにはわからないからさ。 なぜ俺たちが戦うか。俺たちは仲間のために戦うんだ。そうとも、それだけさ」