人生ほど重いパンチはない『ロッキー・ザ・ファイナル』はなぜ華麗な復活を遂げたのか?

1976年に公開された『ロッキー』はそれまでのアメリカン・ニューシネマの時代に終止符を打った。
60年代に始まったベトナム戦争は報道規制が敷かれなかったために、戦争の残酷さ、戦場の悲惨さを世界に知らしめることになった。アメリカ政府ははを大義に多くの若者をベトナムへ送り込んだが、彼らが戦場で体験したものは想像を絶する悪夢だった。政府に失望した若者たちに寄り添うように支持された映画がアメリカン・ニューシネマと呼ばれるジャンルの作品たちだ。
アメリカン・ニューシネマはそれまでのハッピーエンドを否定し、個人の挫折や無力さを描いた物語となった。 だが、ベトナム戦争の終わりと共にアメリカン・ニューシネマの人気も徐々に下火になっていく。
そして『ロッキー』の登場によってアメリカン・ニューシネマの終わりは決定的になった。

『ロッキー』

『ロッキー』はシルヴェスター・スタローン自身の物語でもあった。主人公である30歳になっても売れないボクサーのロッキー・バルボアの姿は、同様に30歳になっても売れない俳優だったスタローンの姿が重ねられる。
ロッキーがそうであったように、スタローンも用心棒などの仕事をしながらその日を食いつないでいた。若い日のスタローンは生活のためにやむ無くポルノ男優をしていたこともある。ロッキーのあだ名「イタリアの種馬」はスタローンが出演したポルノ映画のタイトルからとられている。
『ロッキー』の始まりはそんな貧しい日々のなかでスタローンがあるボクシングの試合を見たことがきっかけだった
それはモハメド・アリとチャック・ウェプナーの試合だった。世界最強と言われていたアリに対し、ウェプナーもスタローン同様に様々な仕事を転々として食いつないでいる無名のボクサーであった。
誰が見ても無謀な試合だと思われたが、ウェプナーは予想外に善戦し、アリの脇腹を打ってダウンを奪う。その衝撃的な展開にスタローンが着想を得たのが『ロッキー』だ。
アリは試合には勝利したが、同時に「ウェプナーとは二度と対戦したくない」という言葉も残している。
スタローンは3日で脚本を書き上げ、映画会社に売り込んだ。脚本は高く評価されたものの、無名の俳優の主演映画に多額の予算が許されるはずもない。『ロッキー』はエキストラや端役には実際のスタローンの家族や友人が参加し、観客役のエキストラをフライドチキンを報酬に募集するなどの節約を重ねて完成に至った。

だが、『ロッキー』は多くの観客をノックアウトした。遅咲きでも、勝負に負けたとしても、それでも人生はやり直せる。その希望はそのままアメリカの希望となっただろう。ベトナム戦争の敗北というアメリカの悪夢と挫折を『ロッキー』はハッピーエンドに置き換えたのだ。
ままならない人生を送る白人男性のロッキーの姿は当時のアメリカに置き換えることができる。カール・ウェザーズ演じる世界チャンピオンのアポロは黒人であり、ベトナム戦争の結果と同じく、白人優位の世界は『ロッキー』には存在しない。
ロッキーは愛するエイドリアンのために奮起し、アポロをあと一歩のところまで追い詰める善戦を見せる。勝負に勝つことよりも、自分に勝てるかどうかが本当の戦いだ。ロッキーはそれをやり遂げ、エイドリアンからの愛も手に入れる。
『ロッキー』はシルヴェスター・スタローンの代表作になると同時に、一夜にしてスポーツ映画の金字塔になった。

しかし、続編が作られる毎に『ロッキー』シリーズの評価は落ちていった。極めつけは『ロッキー5/最後のドラマ』だろう。『ロッキー5/最後のドラマ』は現役を退いたロッキーがトレーナーとして後進を育てていく物語なのだが、目をかけていた新人ボクサーのトミーはストリート・ファイトで戦うという、『ロッキー』らしからぬクライマックスであることでも有名だ。
そこから17年後の2006年、再びロッキーは帰ってきた。それが『ロッキー・ザ・ファイナル』だ。

『ロッキー・ザ・ファイナル』

『ロッキー・ザ・ファイナル』は2006年に公開されたシルヴェスター・スタローン監督・脚本・主演によるドラマ映画だ。
老齢にしかかったロッキーは妻のエイドリアンを亡くし、小さな店を営み、そこでかつての思い出を人々に聞かせていた。しかし、ロッキーの胸中には虚しさと孤独が渦巻いていた。
そんなときにロッキーはテレビで現役世界王者のディクソンと自分のバーチャル試合を見る。解説者の一人がロッキーを「過去の選手」だという。そのとき、ロッキーは自分の中にまだボクシングへの情熱が残っていることを知るのだった。そして、ロッキーは現役復帰を目指していく。

スタローンによると『ロッキー・ザ・ファイナル』の企画の原点は『ロッキー5/最後のドラマ』の不完全燃焼にあったという。興行的、批評的にも失敗とされ、長い間『ロッキー』シリーズが作られることはなかった。
「怖かったよ。ひどいもんさ、ものすごく恐怖だったね。自分が「またロッキーをやりたい」と言ったら、バカみたいに聞こえるだろうってことも分かっていたし、みんなが笑いものにするだろうってことも分かっていた」
そうスタローンは語る。
ではなぜ今なのか。『ロッキー・ザ・ファイナル』の公開は2006年であり、『 ロッキー5/最後のドラマ』の公開から17年もの時間が流れている。

今世紀最高のサプライズ

先に述べたように第一作目の『ロッキー』はスタローン自身の人生を劇的に変えた作品だった。
今作でロッキーにのし掛かるのは人生の重みだ。撮影時、スタローンは59歳。人生も折り返し地点を超え、未来で得るものよりも過去に無くしたもののほうが多くなる年齢。
ミッドナイト・イン・パリ』でウディ・アレンは「いつだって過去は焦がれるものだ」との台詞を書いているが、今作のロッキーもまた過去に焦がれてこれからの人生とはうまく向き合うことができないでいる。
そんな彼の心に火を付けたのは、他ならぬボクシングだった。

テレビでシミュレーションをたまたま観たロッキーは自分のなかにまだボクシングへの情熱がくすぶっていることに気づく。
『ロッキー・ザ・ファイナル』のキャッチコピーは「NEVER GIVE UP 自分をあきらめない」だ。
『ロッキー』当時の30歳のスタローンと、今作の60歳になろうかというスタローンではその意味がまるで違って聞こえてくる。
「年を取るほど失うものも多い。わずかに残ったものまで奪わないでくれ」
この台詞以上に今作のロッキーを表すセリフもないだろう。『ロッキー・ザ・ファイナル』では主演・監督に加え、脚本までスタローン自身が担当しているが、これは実際に撮影時には還暦を目前にしていたスタローン自身の気持ちでもあったに違いない。

『ロッキー・ザ・ファイナル』は当初はそう期待されていた映画ではなかった。世間的にはもう『ロッキー』シリーズは名作ではあるものの、過去の映画の人気シリーズの最後の悪あがきといった受け止められ方をしていた。
だが、公開されると多くの批評家や観客からの絶賛を浴びた。それは「今世紀最高のサプライズ」との声さえ上がったほどだ。そこには紛れもなく『ロッキー』の持つ熱狂と感動があった。
なぜこれほどまでに『ロッキー・ザ・ファイナル』は支持されたのか。
シンプルに、観た人の世代や年齢に関わらず励ましを与えることのできた作品だからではないかと思う。
序盤の過去にすがり生きる孤独なロッキーに自らを重ね合わせた人も多いだろう。
そこから再び立ち上がろうとするロッキーの挑戦にかつて『ロッキー』をリアルタイムで観たような世代も再び背を押されるような感覚だったのではないか。
そして同時に若い世代へのエールもスタローンは忘れない。

人生ほど重いパンチはない

今作には成長して大人になったロッキーの息子のロバートが登場する。スタローンはロバートを若者の象徴として描いたと述べている。ロバートは常にロッキーの影に隠れていた。父親と職場へ向かうと注目を浴びるのはロッキーの方だ。ロバートは自身の人生のままならなさをロッキーのせいだと考えていた。ここに来てロッキーの現役復帰表明だ。ロバートはロッキーの復帰な猛烈に反対する。
『ロッキー・ザ・ファイナル』には『ロッキー』シリーズを超えて映画史に残るような名台詞も多い。前述の「年を取るほど失うものも多い。わずかに残ったものまで奪わないでくれ」というセリフもそうだが、現役復帰に反対する息子のロバートへロッキーがかける言葉が実にいい。

ロッキーの現役復帰に対してこれ以上自分の前で目立たないでほしい、そう望むロバートだが、そんな息子の姿勢をロッキーは一喝する。

「世の中はバラ色じゃない。厳しくつらいところだ。
油断したらどん底まで落ちて、二度と這い上がれなくなる。それが人生だ。
人生ほど重いパンチはない」

思春期の頃に真剣に思いつめたような悩みでも、大人になればなぜあんなにくだらないことで悩んでいたのだろうと思うこともある。多くの経験を重ねてきた年長者からすれば、若者が感じる悩みなど「下らない」の事で切り捨てることもできるはずだ。
だがロッキーはそうではない。下らない悩みならば、乗り越えられないはずはない。父として、人生の先輩として、ロッキーはロバートを激励する。

「だがどんなにきついパンチだろうと、どれだけこっ酷くぶちのめされようと、休まず前に進み続けろ。そうすれば勝てる。
自分の価値を信じるならパンチを恐れるな。
他人を指差して、自分の弱さをそいつのせいにするな。
それは卑怯者のすることだ!お前は違う!」

この言葉に胸を打たれない若者がいるだろうか?かくいう私も昔から自分を発奮させたい時には『ロッキーザファイナル』のこの場面を何度何度も観るようにしている。
現役のヘビー級王者と対戦することになったロッキーだが、ロッキーにはボクシングの勝敗以上に大事なことがある。
燃え尽きることができたかどうかだ。
『ロッキー・ザ・ファイナル』の試合のシーンは実際のボクシングの試合の前に撮影された。メインイベントであるはずのバーナード・ホプキンスとジャーメイン・テイラーの試合より、ロッキーが登場した時の方が何倍も歓声が大きかったという。

NEVER GIVE UP 自分をあきらめない

スタローンは『ロッキー・ザ・ファイナル』についてこう言う。
「最も印象に残っている映画と訊かれたら、間違いなく『ロッキー・ザ・ファイナル』というだろう。あれは究極の挑戦だった。『ロッキー』1作目はもちろん素晴らしかった。ただ、この映画はもはや夢のような企画だった」
『ロッキー・ザ・ファイナル』は『ロッキー』シリーズを見事に甦らせ、そのDNAは『クリード』シリーズへと受け継がれていった。
『ロッキー・ザ・ファイナル』のキャッコピーは『NEVER GIVE UP 自分をあきらめない』だったが、絵空事ではなく、シルヴェスター・スタローンは『ロッキー・ザ・ファイナル』でそれを証明したと言えるだろう。

最新情報をチェックしよう!
NO IMAGE

BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

CTR IMG