『オッペンハイマー』被爆者なき原爆映画に真実はあるのか?

ハリウッドのエンターテインメント映画を観る度に、原爆を始めとする核兵器の本当の恐怖はまだアメリカ国民には広く知られていないのではないかと思う。
1994年の映画『トゥルーライズ』では核爆発で舞い上がるキノコ雲を背景にアーノルド・シュワルツェネッガー演じるハリー・タスカーとジェイミー・リー・カーティス演じるヘレン・タスカーの夫婦が抱擁を交わす。
また2008年の映画『インディ・ジョーンズ クリスタルスカルの王国』ではハリソン・フォード演じるインディ・ジョーンズが冷蔵庫に入って核爆発から身を守り、何事もなく生還する。
本当ならばシュワルツェネッガーとはジェイミー・リー・カーティスは爆風に吹き飛ばされて原爆の後遺症で癌になってもおかしくない。ハリソン・フォードはその場で放射能によって遺伝子が破壊され、数日以内に死んでしまうだろう。
世界ではじめて核兵器を開発し、今なお最大の核保有国であるアメリカは、原爆の恐ろしさをどう認識してきたのだろうか?

第二次世界大戦、日本への原爆投下を承認したのはアメリカ合衆国第33代大統領大統領のハリー・S・トルーマン。
トルーマン自身は公的には「原爆を投下したのは日本人のためでもあった」という姿勢を崩さなかった(「まったく心が痛まなかった」とも述べている)が、実際は原爆が投下された直後から、密かにその使用を悔やんでいたと言われている。広島への原爆投下は8月6日だが、8日に広島の被害を捉えた写真を見せられたトルーマンは「こんな破壊行為をしてしまった責任は大統領の私にある」と述べた。しかし計画は止まらない。その翌日には当初の予定通りに長崎に原爆が落とされた。
「個人的には一国の指導者の強情のために集団を全滅させる必要性があるのか、明らかに後悔している」トルーマンはそう友人の国会に漏らしたという。

2016年にはアメリカ大統領としてバラク・オバマが広島を訪れ、被爆者との面会を果たした。オバマの広島来訪は画期的な出来事であったのは間違いない。
しかし、オバマが平和記念公園で行った演説からは演説からは巧妙に原爆を投下した国としての謝罪の言葉が避けられている。一部を抜粋しよう。
「世界はこの広島によって一変しました。しかし今日、広島の子供達は平和な日々を生きています。なんと貴重なことでしょうか。この生活は守る価値があります。それを全ての子供達に広げていく必要があります。この未来こそ、私たちが選択する未来です。未来において広島と長崎は、核戦争の夜明けではなく、私たちの道義的な目覚めの地として知られることでしょう」
「トルーマンが原爆投下によって戦争を早く終わらせ、100万人のアメリカ兵の生命が救われた」という原爆神話はいまだに56%のアメリカ人が信じているという(2005年の調査による)。
現在のアメリカは原爆についてどう考えているのか。

『オッペンハイマー』

今回紹介するのは2024年に公開された『オッペンハイマー』だ。「原爆の父」と呼ばれたロバート・オッペンハイマーをテーマにした伝記映画で、監督はクリストファー・ノーラン、主演はキリアン・マーフィーが務めている。
今回は映画ファンというよりも、日本人の一人として、この作品と向き合いたいと思う。

『オッペンハイマー』ではロバート・オッペンハイマーの成功と没落を描いている。原子爆弾を研究し、世界初の原爆実験(トリニティ実験)を成功させ、一躍名声と名誉を得たのとは一転して、戦後はソ連のスパイを疑われ、赤狩りによってその全てを奪われるさまを描いている。

「我は死神なり、世界の破壊者なり」

『オッペンハイマー』の冒頭ではプロメテウスについて言及される。
プロメテウスはギリシャ神話に登場する神で天の火を盗み、人間に与えた神だ。しかし、火を与えられた人間はそれで文明を発展させるのではなく、戦争を始めてしまった。
そしてプロメテウスは火を盗んだ罪により、3万年もの間、拷問に苦しむことになる。
オッペンハイマーが作り上げた原爆は人類史上初めて人類自身を絶滅させうる兵器だ。それは神の業に等しい。

「我は死神なり、世界の破壊者なり」

世界初の原爆実験となったトリニティ実験。初めて実際に目にする原爆の威力を見て、オッペンハイマーはこのよつに呟いたという。
かの有名なホラー小説である『フランケンシュタイン』の正式なタイトルは『フランケンシュタイン あるいは現代のプロメテウス』という名前だが、1940年代における現代のプロメテウスはオッペンハイマー自身と言える。

ではオッペンハイマーという神が受けた罰とは果たして赤狩りだったのか。
個人的にはオッペンハイマーの罰とは赤狩りではなく、生涯拭い去ることのできなかった原爆を作ってしまったという罪の意識ではないかと思う。
戦後、トルーマンと面会したオッペンハイマーはそこでこう心情を吐露する。
「大統領、私の手はすっかり血に染まってしまったように思います」
しかし、トルーマンはそんなオッペンハイマーを「泣き虫の科学者」と非難し、二度と会うことはなかったという。またトルーマンは「あいつには私の手についている血の半分もついていない」
とも述べている。

オッペンハイマーは確かに原爆を発明したのだが、その使途に関しては何の権限も持ってはいない。オッペンハイマーは原爆ほどの威力を持った兵器が存在するなら、人々は戦争を起こす気すらなくすだろうと考えていた。
だが、アメリカは世界はオッペンハイマーの希望を裏切るかのように原爆よりもより強力な水爆の開発へと舵を進めていく。
世界の覇権を握ろうとする世界では、いかなる技術でも手札の一つに過ぎない。
オッペンハイマーは戦後、核軍縮を目指す活動を行うが、ソ連のスパイではないかとの嫌疑をかけられ、そのキャリアの全てを失う。
オッペンハイマーの抱いた核拡散の懸念やその被害を軽視することは今のアメリカにも共通することだと思う。

バーベンハイマー

『オッペンハイマー』は日本での公開に先駆けてアメリカで『バービー』と同じ日に公開されたが、その時に海外のネット上で「バーベンハイマー」と呼ばれるミームが流行った。
原爆のキノコ雲とバービーを組み合わせたものだ。そこでは『バービー』の世界観に合わせたピンク色のキノコ雲となっている。
もちろんバーベンハイマーは映画会社が公的に生み出したものではなく、二次創作としてネットユーザーが生み出したものだ。
そこには原爆に対する海外の人々のイメージが透けて見える。少なくとも原爆の恐ろしさは日本ほど共有されてはいない。

だが、『オッペンハイマー』を観ればわかるはずだ。原子爆弾がただの大量破壊兵器ではないことが。少なくとも、今までのハリウッド映画のように「安易な解決策」として原爆を見ることはできないはずだ。
『オッペンハイマー』はあくまでもロバート・オッペンハイマーの伝記映画であり、物語はそのほとんどが彼の視点で進んでいく。
だからヒロシマやナガサキの惨状は出てこない。被爆者も登場しない。ただ、被爆者の惨状を写真で見せられ、思わず顔を背けるオッペンハイマーの姿はある。

日本にとって原爆というのは非常に敏感にならざるをえないものだ。以前、フジテレビのドラマ『花ざかりの君たちへ』の中で主人公が来ていたTシャツに「LITTLE BOY」とのプリントがあった。
リトルボーイとは広島に落とされた原爆の名前ではあるのだが、あくまでTシャツのプリントはビートルズの楽曲にインスパイアされたもので、原爆とは無関係という。しかしそれでもフジテレビには多数の抗議が寄せられたという。
当然、『オッペンハイマー』で日本の原爆の被害が描かれないことにも激しい賛否が巻き起こった。

先にも述べたように、この映画はオッペンハイマーの伝記映画であり、オッペンハイマー自身は広島と長崎への原爆投下をラジオで知ったという。
だが、それでも『オッペンハイマー』は原爆の恐ろしさをしっかり描いている。
トリニティ実験までは、原爆はあくまで理論上、想像上のものだった。だが、トリニティ実験はいよいよ原爆が現実のものとなった。映画ではまるでパンドラの箱を開けるカウントダウンのように、金切り声のような音楽がトリニティ実験のその瞬間まで鳴り続ける。観ているこちらの不快さと緊張感は否が応でも高まっていく。そこにあるのは、同じ爆発でもハリウッドのアクション映画のそれではない。そのようなカタルシスは存在しない。安堵の表情とあまりの威力に戦慄するオッペンハイマーの表情が印象的だ。

オッペンハイマーは戦争を終わらせた男としてアメリカで熱烈な歓待を受ける。しかし、その胸中は大義と罪の間で揺れ続けていた。
ある大学でのスピーチ、「ナチス・ドイツへも原爆を落としたかった」と述べる一方ではオッペンハイマーの目には聴衆が被爆者に見えてしまう。原爆の犠牲者が幽霊のようにオッペンハイマーにまとわりつく。

クリストファー・ノーランは『オッペンハイマー』を撮った動機として、自身の子供の頃を挙げている。ノーランは「私が育った1980年代のイギリスは核兵器や核の拡散に対する恐怖感に包まれていた」と語っている。
1986年に公開された『風が吹くとき』は核兵器の被害をテーマにしたアニメ映画だ。初老の夫婦、ジムとヒルダは政府からの情報だけを頼りに核爆弾が投下された後も生活を続けている。しかし、彼らには放射能の知識がなく、体は徐々に放射能に蝕まれ、死を待つしかなくなるといつ内容だ。
クリストファー・ノーランも子供の頃本作を観たという。
当時はイギリスとアルゼンチンの間でフォークランド紛争が勃発していた。ノーランの述べたように、核兵器の恐怖は身近にあったのだ。

日本という生贄

『オッペンハイマー』では日本がすでに敗北はほぼ確定のことであったにも関わらず、戦後の国際社会の中でアメリカが優位に立つために原爆実験の生贄にされたということが描かれる。アメリカの考えでは広島は軍需工場であり、民間人はほとんどいないと考えられていた。そのために原爆の投下前に市民に何の警告も与えられなかったという。被爆国の一員として、やはりそのことには憤りを感じる。
だが、「原爆被害も映画に取り入れなければならない」という主張には賛同できない。それはあくまで制作者が決めることだ。ただ、取り入れるからには真実を描いてほしい。

オッペンハイマーが幻視した被爆者達の顔は皮膚がめくれてはいるがきれいなものだ。実際の被爆者たちのような凄惨さはない。中途半端に表現するくらいなら、いっそのこと表現しない方が正しいのではないか。
ちなみに日本は唯一の被爆国ではあるが、戦後の歩みを通して原爆を非難し続けてきたのかというと、どうも怪しい部分がある。
意外に思うかもしれないが、戦後間もない時代においては原爆の惨状やリスクに言及する声はほとんど見られない。

山本 昭宏著『核と日本人 – ヒロシマ・ゴジラ・フクシマ』にはその事例としていくつかの漫画が紹介されている。例えば1952年から連載された福井英一の柔道マンガ『イガグリくん』には主人公のライバルの熊皮の必殺技として原爆投げが登場する。このネーミングは原爆の破壊力にあやかったもので、放射能や被曝などのマイナスイメージは感じられない。1951年の漫画 謝花凡太郎の『ピカドン兄さん』もそうだ。この作品では主人公は慌てると家のものをひっくり返すという理由で、「ピカドン」と呼ばれている。言うまでもなくピカドンとは原子爆弾の俗語だが、そこには原爆の悲惨さは同様に感じられない。もちろんそれは占領下の時代に情報統制が行われていたこともあるのだが、原爆を、原爆のイメージは今とは大きく変わっていたことは確かだ。

それが大きく変わるのは1954年に起きた第五福竜丸被爆事件からだ。1954年にビキニ環礁でキャッスル作戦と呼ばれる水爆実験が行われた。キャッスル作戦 で使用された水爆は当初の三倍もの破壊力を示し、避難区域外にいた第五福竜丸の乗組員は全員被爆してしまう。中でも久保山愛吉無線長は被爆から半年後に死亡。「原水爆の被害者はわたしを最後にしてほしい」が彼の最期の言葉であったという。その延長線上に作られた映画が『ゴジラ』だ。

現代社会と核兵器

日本も核武装すべきではないかという意見がある。「作らない・持たない・持ち込ませない」の非核三原則を日本は堅持しているが、「持ち込ませない」は事実上形骸化していると言ってもいいだろう。また戦後の長きにわたって日本が戦争をせずにこれたのも平和憲法ではなく日米安保条約の存在が大きいだろう。言い換えれば日本の平和は憲法ではなく、アメリカの核兵器に守られていたとも言える(個人的には平和憲法にも現実の平和状態への僅かな貢献はあるかもしれないと思う。相手国にしてみれば危機に対する武力的な先制攻撃の脅威が少ないからだ)。

核兵器は今でも抑止力としては保有することで大きな力を持つ。北朝鮮が最貧国でありながらもあれほど強硬な姿勢を貫けるのは核兵器というカードを持っているからだ。
ただ、日本では核武装はおろか、非核三原則についての議論すらタブー扱いになっている。一方で日米安保で日本の戦後はアメリカの核兵器の傘の下に守られてきたというのはなんという皮肉だろうか。

第二次世界大戦が終わって70年以上が経つ。第三次世界大戦はまだ起きてはいないが、それも核兵器の存在が互いの先制攻撃を牽制し、絶妙なバランスの上で世界が成り立ってきたからだろう。もちろん、今後もし一度でも核兵器が使われたとしたら、それは第三次世界大戦のきっかけどころか、人類の滅亡のきっかけにすらなり得ると思う。
現在だとロシアがウクライナに対して核攻撃をするのではないかという噂が度々ニュースになっている。もし、本当に核兵器を投下したなら、プーチンは世界一の愚かな指導者になってしまうだろう。

世界が緊迫する中、広島の原爆資料館には海外からの訪問者が急増したという。
そこにあるのはエンターテインメントとは程遠い、非人道的な大量破壊兵器の真実だ。

ギャラップの世論調査によると終戦直後にはアメリカ人の85%が原爆投下を「正当だった」と答えたが、2015年のピュー・リサーチセンターの世論調査では、65歳以上の70%が「正当だった」と答えた一方で18歳から29歳の間では「正当だった」との答えは47%にとどまるという結果が出た。時代もまた変わってきている。
どうしても被曝国である日本と、核兵器を世界で唯一実戦使用した国の埋まらない溝はあるのかもしれない。だがこうしてみるといつかその溝も限りなく無くなっていくのではないか。

『オッペンハイマー』はその溝を埋めるための一つの作品になり得ると思う。

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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