※以下の考察・解説には映画のネタバレが含まれています
『X-MEN』が描いてきたもの
『X-MEN』は1963年に連載が始まった。作者であるスタン・リーは『X-MEN』に当時盛り上がりを見せていた公民権運動を作品に反映させている。
X-MENと呼ばれる超能力を備えたミュータントたちは、人間から迫害されている。人間たちにはその能力ゆえにミュータントか自分達に代わって世界を支配するのではないかとの恐れがあったからだ。
2012年の映画『リンカーン』ではリンカーンが人種差別をなくすために、合衆国憲法の改正を達成するまでが描かれる。裏工作や賄賂を用いてまでリンカーンは人種の平等を目指した。しかし、「分離すれども差別せず」の声ともにリンカーンの死後も人種差別はアメリカに色濃く残った。特に南部での黒人達の投票権はさまざまな理由をつけた上で著しく制限された。南部は白人より黒人の人口の方が多く、黒人へ参政権を与えることは黒人に政治的に支配されることを意味していた。
『X-MEN』のミュータント達には当時の黒人達の姿が重ねられている。
ヒーローの否定
ミュータントの一人であるウルヴァリンの最期を描いた作品が2016年に公開された『LOGAN/ローガン』だ。監督はジェームズ・マンゴールド、主演はヒュー・ジャックマンが努めている。今作もまた現実社会を巧みに取り込み、単なるアメコミ映画以上の深みを描くことに成功している。今作のウルヴァリンはいわゆるヒーローらしさを極限まで取り除かれている。
かつて幾度も世界を救った男はメキシコ国境近くの隠れ家でプロフェッサーXの介護をしながらリムジンの運転手として生計を立てている。冒頭でヒュー・ジャックマン演じるウルヴァリン(ローガン)は車のタイヤを盗もうとしているギャングに襲われる。社内で寝ていたウルヴァリンは彼らの気配に気付き車を降りるのだが、その足元はふらつき、とても最強のミュータントとは思えない。
そういう意味で今作のタイトル『LOGAN/ローガン』は象徴的だ。ローガンはウルヴァリンのもうひとつの名であり、ミュータントとして目覚める前に名乗っていた名前だ。
『LOGAN/ローガン』のウルヴァリンはもはや不老不死の存在ではない。彼の体内に仕込まれた鋼鉄の爪の成分、アダマンチウムがウルヴァリン自身をも蝕んでいるからだ。ボロボロになりながら辛うじてギャングたちを倒したウルヴァリンにミュータントとしてのかつての強さは感じられない。
ウルヴァリンが運転手として乗せた若者たちはサンルーフから身を乗り出し、「U.S.A.!U.S.A.!」と叫んでいる。その姿はドナルド・トランプの支持者を思わせる。
排除を選んだアメリカ
2016年にアメリカ合衆国大統領に選出されたドナルド・トランプは「アメリカをもう一度偉大に!」のキャッチフレーズで選挙を勝ち抜いた。
当初は民主党代表のヒラリー・クリントンが勝つという見方が圧倒的だっただけに、トランプの勝利は驚きをもって迎えられた。トランプは選挙中はおろか、大統領選就任後もツイッターや演説で人種差別発言を繰り返した。
トランプの支持者は主に南部の保守的な白人層だ。彼らは押し寄せる移民や情報化の波のせいで仕事や賃金が減っており、ゆえにメキシコとの間に壁を作り、イスラム教徒の入国を禁止したトランプを支持した。
当時のアメリカは協調よりも自分達のために排除を選んだ。アメリカ・ファーストだ。
『LOGAN/ローガン』の世界もそうだ。そこではX-MENは過去のものとなり、ミュータントは滅びつつある。ミュータントは25年ものあいだ誕生していない。それは遺伝子操作によって人為的になされたことだった。ミュータントは人間によって排除されたのだ。それはナチスの優生学を彷彿とさせる。
しかし、メキシコのトランシジェン研究所では極秘裏に生物兵器としてミュータントである子供たちが生まれ、生物兵器として殺しの訓練を受けていた。
だが、彼らは人殺しに抵抗を覚え、中には自ら命を断つ者もいた。彼らに凶暴性を生まれながらにして獲得させることはできなかったのだ。その上、ウルヴァリンのクローンで、凶暴な殺人マシーンであるX-24が誕生したことでそれまでのミュータントは不要になり、子供たちは安楽死させられる。研究所で働く看護師のガブリエラは数人の子供たちを施設から脱出させ、ミュータントとの聖地「エデン」に向かわせていたのだった。
ガブリエラはウルヴァリンに一人残ったミュータントの少女、ローラをエデンに送り届けてほしいと依頼する。一度は断ったウルヴァリンだが、しかガブリエラはトランシジェン研究所からの刺客であるピアーズに殺害されていた。ウルヴァリンらの隠れ家もピアーズ一味の急襲を受け、ウルヴァリンは、プロフェッサーX、ローラとともに逃避行の旅に出る。
『リトル・ミス・サンシャイン』
映画評論家の町山智浩氏によると、この逃避行の場面ではジェームズ・マンゴールド監督は『リトル・ミス・サンシャイン』を意識したという。
『リトル・ミス・サンシャイン』は2007年に公開されたコメディ映画だ。
負け犬ばかりのフーヴァー家が、末娘のオリーブが出場するミスコン、「リトル・ミス・サンシャイン」の開催場所であるカリフォルニアを目指して1台の車で旅をする物語だ。道中、さまざまなトラブルに直面しながらも、フーヴァー家は再び家族としての結束を取り戻していく。
『LOGAN/ローガン』もそうだ。アルツハイマーの影響で能力に歯止めがかからず暴走してしまうプロフェッサーXは『リトル・ミス・サンシャイン』のフーヴァー家の祖父であるエドウインが重ねられている。エドウインは孫のオリーブには優しいおじいちゃんなのだが、ヘロイン中毒で回りを気にしない。プロフェッサーも認知症でその能力をコントロールできずに周囲を混乱に陥れる。だが、旅を通してローラとウルヴァリンの距離も縮まっていく。
『リトル・ミス・サンシャイン』には西部劇のエッセンスもある。
『LOGAN/ローガン』もまた強く西部劇に影響を受けている。
『シェーン』
その作品は『シェーン』だ。
『シェーン』は1954年に公開された作品で南北戦争後のジョンソン郡を舞台に牧場主と開拓者の対立を描いている。流れ者でこの土地にたどり着いたシェーンは開拓主のジョーの家族と親しくなり、牧場主のライカーと対立していく。ライカーは殺し屋のウィルスングを雇い、シェーンを殺そうとする。
シェーンはライカーとウィルスンを早打ちで殺し、町には平穏が訪れる。ジョーの息子のジョーイはシェーンを引き留めようとするが、シェーンはそれを固辞し、町を去っていく。
ウルヴァリンたちが逃走の途中で宿泊したホテルでローラとプロフェッサーXが観ている映画として『シェーン』は登場する。
ヒュー・ジャックマンは 劇中に『シェーン』を登場させたことについて、 『シェーン』 を通してローラに道徳を教える役割も負っていると言う。またマンゴールド監督は『シェーン』についてこう述べている。「ローガンも若い頃は人殺しであり、多くの人を殺めてきた闇の部分がある。しかしローガンには何とか自分を変えたいという思いがある。『シェーン』の中のセリフ ”一度でも人を殺したものはもう今までの生活に戻ることはできない”を劇中でも引用しているが、シェーン同様、ローガンも今までの暴力に満ちた過去のせいで普通の父親になることはできないという点で同じだと考えている。」
『LOGAN/ローガン』は贖罪の物語でもある。ウルヴァリンはアダマンチウムでできた銃弾をひとつ持ち歩いている。他でもない自分自身の人生を終わらせるために。
「あれってこういう感じなのか」
監督のマンゴールドは「家族」が『LOGAN/ローガン』のテーマだという。ウルヴァリンは「親密な関係を恐れている」とマンゴールドは言う。劇中でローガンは「俺は一人がいい」という。「俺が愛したものはすべてひどいことになる」。だからこそマンゴールドはローガンに家族を与えようとした。それがローガンに生きる価値を与えるからだ。
ウルヴァリンはローラとの旅の果てにミュータントの子供たちと出会う。「エデン」は存在したのだ。
しかしそこでもピアーズらとX24に襲われる。ウルヴァリンは子供たちを守るためにX24と戦う。絶体絶命のウルヴァリンだったが、ローラがアダマンチウムの銃弾でX24を倒す。だが致命傷を負ったウルヴァリンはついに倒れる。
ウルヴァリンを殺したX24は若い頃のウルヴァリンの完璧なクローンだ。
マンゴールドは彼を「ウルヴァリンのドッペルゲンガー」という。X24はもう一人のウルヴァリンであり、彼が背負い続けてきた過去の罪の象徴だ。
X24が倒れても自分の罪が消えるわけではない。だが、X24を倒すために命を捧げることはウルヴァリンのある意味での贖罪ではないだろうか。
「ウエポンXとしての自分の自分の過去が目の前で殺されたことでウルヴァリンはやっと解放された」とマンゴールドは言う。
『LOGAN/ローガン』でローラは死にゆくウルヴァリンに初めて「パパ」と声をかける。
「あれってこういう感じなのか」ローガンは死を目前にして初めて家族の喜びを知る。
また映画の最後にウルヴァリンの墓に向かってローラが口にする言葉はシェーンが最後にジョージに伝えるセリフだ。
「人の生き方は決まっているんだジョージ、変えられない。人を殺した者は元には戻れない。正しくても人殺しの烙印を押される。帰ってママにもう大丈夫だと伝えろ。谷から銃は消えた。」
『LOGAN/ローガン』は孤独なもの同士が絆を再構築していく世界を描いた物語だ。
公開から5年後、アメリカの大統領はトランプからジョー・バイデンに変わった。世界はどう舵を切るのか。現実の物語は続いていく。