『顔のないヒトラーたち』歴史を裁く難しさ

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※以下の考察・解説には映画の結末のネタバレが含まれています


2021年1月26日、ドイツのアンゲラ・メルケル首相は国際アウシュヴィッツ委員会の追悼行事で「人類に対する罪に時効は無く、東寺の残虐行為の記憶を後世に伝え、その記憶を鮮明に保つ責任を恒久的に負っている」と述べた。
メルケル首相に限らず、2015年にはヨハヒム・ガウク大統領がアウシュヴィッツ解放70年の追悼式典において「アウシュヴィッツについて思いを馳せることなしに、ドイツ人のアイデンティティーはあり得ない」と発言している。

忘れ去られたアウシュヴィッツ

信じがたいことだが、戦後多くのドイツ国民が戦時中にアウシュヴィッツで何が起きたのか知らなかったそうだ。
では今日のドイツがナチスの行ったユダヤ人に対するホロコーストを認識するようになったのは何がきっかけなのだろうか。
それは1963年に開かれた「フランクフルト・アウシュヴィッツ裁判」だ。
2014年に公開された『顔のないヒトラーたち』はそのフランクフルト・アウシュヴィッツ裁判が開廷するまでの困難に満ちた道程を描いている。

1945年、戦争に負けたドイツは敗戦国となり、マルティン・ボルマンやへルマン・ゲーリングをはじめとする12名のナチス高官がニュルンベルク裁判で死刑になった。ニュルンベルク裁判は連合国が敗戦国であるドイツを裁いたものだ。
しかし、戦勝国が敗戦国を裁き、戦勝国の犯罪行為は不問となった裁判の不公平さや、人道に対する罪というそれまでになかった罪を過去の行為に対して適用させるという「法の不遡及」という近代法の原則に反した内容であることから、当時からこの裁判には批判の声も根強かった。ちなみに「人道に対する罪」や戦争犯罪が明文化されたのは1947年の国連総会における「ニュルンベルク諸原則」からだ。
そして戦後の西ドイツの政界では戦勝国が敗戦国を裁くことが不当であるとの認識が一般的であった。

形だけの非ナチ化

もうひとつ、戦後ドイツの状況を知る上で押さえておきたいポイントがある。
それが「非ナチ化」だ。
戦後ドイツは東西に分裂するが、徹底的に非ナチ化を推し進めた東ドイツとは対称的に、アメリカが占領していた西ドイツでは非ナチ化は思うように進まなかった。まず非ナチ化はアメリカ主導で行われたのだが、アメリカがドイツの地域人間関係を詳細に把握できなかったため、非ナチ化の主導権はドイツの手に移譲された。しかし、ドイツの手に渡ると住民同士の庇い合いなどにより非ナチ化は思うように進まなかった。
そして、公職を解かれたことで逆に西ドイツの社会の人材不足が深刻になった。そうした戦後復興のなかで公職を解かれたはずの元ナチスの人々は次々に公職に復帰した。なんとその割合は元ナチスの99%にも上る。

映画の冒頭は強制収容所にいた画家のシモン・キルシュが小学校教師のシュルツにタバコの火を借りようとするところから始まる。差し出されたその手には人差し指と中指がなかった。その特徴から彼が元ナチスの親衛隊だったことに驚き、恐怖する。
前述のように元ナチスは公職には就けないはずだが、実際はほとんどのナチスは復職を果たしていた。
新米検事のヨハン・ラドマンは新聞記者のトーマス・グニルカから親衛隊だったシュルツが教職についているとの訴えを聞き、この不正を文部省に報告するが、文部省も人手不足を理由に形式ばかりの免職をしシュルツは小学校教師を続けていた。

ドイツ自身の手でナチスを裁く

西ドイツでは当時は多くの犯罪が時効を迎えており、元ナチスを裁けるのは殺人罪しかなかった。ここでは「人道に対する罪」はニュルンベルク裁判では適用されたが、あくまで西ドイツの法律には「人道に対する罪」はなかった点に留意したい。
ラドマンは真実を明らかにし、罪を犯しながらも、今もなおそれを隠し平穏と生きる人々を裁こうとする。
このヨハン・ラドマンという人物は実在の人物の数名を合わせた架空の人物だ。実際にフランクフルト・アウシュヴィッツ裁判における功績者としてはラドマンの上司として設定されているフリッツ・バウアーが取り上げられることが多い。2015年の映画『アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男』では冒頭では実際のバウアーのインタビューを見ることができる。

ラドマンはシモンからアウシュヴィッツの収容所で双子の娘がヨーゼフ・メンゲレの実験台となって亡くなった話を聞く。
この実験の内容は文章で表すのもためらうほど残酷なもので、実際にメンゲレの行った生体実験でもある。史実ではこの子らは苦しみに泣き叫ぶ我が子を哀れむ実の親によって窒息死させられたという。
ラドマンはナチスの犯罪を徹底的に洗い出そうとする。アウシュヴィッツに関わったナチスの数、およそ8000人。
ナチスが残した膨大なデータを一つ一つ確認し、罪の証明を集めていく気の遠くなるような作業だ。平行して強制収容所を生き延びた人たちからも当時の状況の聞き取りを行っていく。

危険な「正義」

しかし、個人的にはラドマンには終わりまで共感することができなかった。個人的に彼の「正義」がとても危ういものに映ったからだ。
ラドマンは1930年生まれでアウシュヴィッツで何が起きたか知らなかった。映画の序盤でラドマンはグニルカに「シュルツは免職された」と伝える。「彼が何をしたんだ?」ラドマンはグニルカにそう尋ねるが、逆にグニルカからは「アウシュヴィッツを知らないのか?」と言われてしまう。ラドマンはアウシュヴィッツの収容所を保護拘禁用の収容所だと思っていたのだ。
フランクフルト・アウシュヴィッツ裁判には世代の断絶という側面もある。戦場を経験したことのない世代が戦争に参加した親の世代を悪として責める。だが、その時代を生きた人間でなければわからないこともあるだろう。後の時代から見れば愚かだったかもしれない。だが、当時の時代の中では仕方ない選択ももちろんあったに違いない。

2008年に公開された『愛を読む人』という映画がある。この作品でもフランクフルト・アウシュヴィッツ裁判同様に、ドイツ人が元ナチスを裁くということが重要なテーマとなる。 15歳の少年、マイケルは病気で介抱してもらったことをきっかけに21歳年上の女性、ハンナ・シュミッツと関係を持ってしまう。
その逢瀬はハンナがマイケルの前から姿を消したことで終わりを迎えるが、少年が大学生となったとき、法学部のゼミの一貫で見学したある法廷でハンナと再会する。
彼女は戦時中、強制収容所の看守として働き、どのユダヤ人をアウシュヴィッツに送るか選別する役割を負っていたのだった。
マイケルはハンナへの愛と戦争犯罪者を愛してしまった罪悪感に苛まれる。
『顔のないヒトラーたち』が被害者に寄り添った作品というならば、『愛を読む人』は加害者の側の視点だろう。

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ラドマンは果てない裁判準備の中で神経をすり減らし、元ナチス党員は全員悪だと考えるようになる。シンプルで明快な善悪の基準だが、ラドマンのこの思考は非常に危険だ。
組織、国籍、人種、それらで人を定義し、善悪の基準をつけるのはユダヤ人や障害者、ジプシーたちを悪として絶滅させようとしたナチス・ドイツの考え方そのものではないか。これこそが全体主義の萌芽ではないのか。
そしてラドマンには一つの信じたくない事実を知ることになる。実の父が元ナチスの党員だったのだ。ラドマンの母は言う。「ナチスの党員であることは普通のことだった」と。それも息子の世代が知らない戦時下のドイツの現実だった。また、共にナチスの犯罪を暴くために動いていた新聞記者のグニルカこそがアウシュヴィッツの強制収容所に勤務していた一人だった。

歴史を裁く難しさ

正義とは何か?償いとは何か?ラドマンは開廷直前まで進めたフランクフルト・アウシュヴィッツ裁判から降りてしまう。
死の床に臥せたシモンから「亡くなった娘たち二人のために祈りを捧げてほしい」という願いを受け入れ、ラドマンとグニルカはアウシュヴィッツへ向かう。
有刺鉄線の向こうにかつての強制収容所を見ながらラドマンは「大義を見失った。人を裁く自信が無くなった」と言う。
その時までラドマンは自らを崇高な正義の最高峰にいると考えていただろう。だが、彼は一介の検事に過ぎず、ましてや正義を司どる神でもない。
「もし、あの時代に自分が兵士だったら、同じことをしたかも」
ラドマンはそう続ける。歴史を裁く難しさがそこにはある。

『顔のないヒトラーたち』の批評を読むと、今作品を通して今なお自国の過去とその罪に向き合い続けるドイツの姿を肯定的に評価したものが多い。
だが、私が抱くのはこの終盤のラドマンと同じ思いだ。歴史を裁くことの難しさ、そして歴史を裁くこと自体が傲慢ではないかという思い。

政府の反ナチス姿勢と市民の本音

現在のドイツはさらにナチスに対して厳しくなっている。ナチスの強制収容所で働いたことが立証されれば、殺人幇助が成り立ってしまうのだ。
強制収容所の目的であるホロコーストは例え明文化されていなくとも道徳的に明らかに罪だろう。だが、積極的に推し進めた指導者と従うしかなかった者たちの境界をどう分けるのか。
ナチス・ドイツの裁判を考えるときにどうしても法の道徳的な限界に行き当たるのだ。道徳はあれど、それが法に落とし込めていない。もちろん、国家そのものが、ホロコーストを推し進めたのならば、ホロコーストを罪とする法律など存在するはずもない。全体主義国家であれば、不文律のモラルよりも偏った法が優先されるのは火を見るより明らかだ。

ドイツ政府は徹底した反ナチスの姿勢だが、ここで市民の側からの声を見てみたいと思う。
2015年に公開された『帰ってきたヒトラー』という映画がある。現代にヒトラーが甦ったら、という「もしも」を描いたコメディなのだが、半ドキュメンタリーとも言える作品でもある。

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それはヒトラーが現代の街を散歩するという場面。実際にヒトラーの格好をした役者が本物の市民の前に姿を表すというゲリラ撮影だ。
もしもの事態に備えてボディーガードも付けられたというが、果たして現代に現れたヒトラーを待っていたのは熱狂的な市民の支持だった。多くの人が携帯をヒトラーに向ける。ヒトラーは街を移動しながらドイツの政治への不満を市民に尋ねていく。

「何か言えば外国人排斥だと言われる」「原理主主義者さ、帰ってもらいたいよ」「外国人の流入よ うれしくはないわ」「アフリカ人のIQを調べたとする。ドイツに来るアフリカ人はIQの平均が40~50でドイツ人は80以上だった。今は高くても60だ。外国人が増えてる」
上記は市民の声の抜粋だが、ドイツの政治の問題として外国人の流入を少なくない人が挙げている。
「我々ドイツ人には何も言えない。過去のことがあるからだ。だが正直にいうと私の意見は違う」
そう、いくら過去を否定しても、どこかで歴史はまた繰り返すのではないか?ではそれはなぜだろうか?

ユダヤ人で強制収容所に入った経験もある哲学者、ハンナ・アーレントは全体主義についてこう述べている。
「大衆自身が、個人主義的な世界の中で生きていくことに疲れや不安を感じ、積極的に共同体と一体化していきたいと望んだ」
これは今日の私たちにも通じないか。共同体をメディアや同調圧力と言い換えてもいいだろう。
余談だが、『顔のないヒトラーたち』公開の2年前、2012年に映画『ハンナ・アーレント』が公開されている。『ハンナ・アーレント』では『顔のないヒトラーたち』でラドマンの婚約者のマレーネ・ウォンドラックを演じたフリーデリーケ・ベヒトが若き日のハンナ・アーレントを演じている。

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沈黙の迷宮の中で

話を戻そう。『帰ってきたヒトラー』である家族にヒトラーはインタビューを試みる。おそらくは祖母と孫であり、祖母は本当のヒトラーの時代を経験している。
「昔も悪いことばかりではなかった」そういうヒトラーに祖母は「その通り」と同意する。
孫は「政治が悪かった」「過去を繰り返さないために歴史から学ぶんだ」という。そんな彼の言葉に祖母は「お前はめでたいわ」と返す。

何が正しくて、何が悪なのか。私たちはその判断が本当にできるのか?
『顔のないヒトラーたち』の原題はIm Labyrinth des Schweigens、「沈黙の迷宮の中で」という意味だ。
その沈黙の長さはその問いに答えるまでの時間そのものではないだろうか。

作品情報

『顔のないヒトラーたち』
公開年:2014年
上映時間:167分

スタッフ

監督
ジュリオ・リッチャレッリ
脚本
エリザベト・バルテル
ジュリオ・リッチャレッリ
製作
ヤコブ・クラウセン
ウリ・プッツ
サビーヌ・ランビ

キャスト

アレクサンダー・フェーリング
フリーデリーケ・ベヒト
アンドレ・シマンスキ
ヨハン・フォン・ビューロー
ゲルト・フォス
ヨハネス・クリシュ
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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
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