『アメリカン・ヒストリーX』「怒りは、君を幸せにしたか?」今の時代にこそ響く名作

※以下の考察・解説には映画のネタバレが含まれています


いつからだろうか、韓国という国はおろか、韓国人や韓国食、とにかく韓国のもの全てを否定するような人がやけに目に付くようになった。外へ出れば街宣車が「韓国との国交は断絶すべき」と叫んでいる。果たして街の人たちはその言葉をどう思っているのだろうか。過激で極端な思考だと冷笑する人もいる一方で、声にはせずとも激しく同意している人もいるかもしれない。
確かに韓国については国家としてどうかと思う部分はある。いわゆる反日と呼ばれる人々がいることも知っている。しかし、だからと言って韓国の人々全員がそうではないこともわかっているつもりだ。

もう10年くらい前になるだろうか。福岡の天神駅の地下街を歩いていたら韓国人のカップルに声をかけられた。どうやら道がわからないらしい。たどたどしい英語で会話しながら、彼らを目的地のそばまで道案内した(よほど急いでいなければ、その場所まで連れていくのが私の道案内だ)。別れ際に握手をしたのだが、その時に男性側から「You are very kind(あなたはとても親切だ)」と言われたことが印象に残っている。

ネットやメディア上の韓国の姿を追えば、とんでもない国家と国民というイメージが強くなるかもしれないが、私は上記の経験から、人はその人個人でしか測ることはできないと学んだ。国籍はもちろんのこと、血筋や宗教でもその人を測ることはできない。
映画『ブレット・トレイン』でブラッド・ピット演じる殺し屋のレディバグがこう言う。「クソッ、日本人は遠慮深いはずだ!」
それが海外から見たステレオタイプな日本人の姿かもしれない。だが、当たり前だが、もちろん日本人のすべてがそうではない。本当は個人個人で判断するべきなのだろう。
そのことを言葉より雄弁に語ってくれる映画がある。

『アメリカン・ヒストリーX』

今回紹介したいのは1998年に公開された『アメリカン・ヒストリーX』だ。
監督はトニー・ケイ、主演はエドワード・ノートンとエドワード・ファーロングが務めている。
『アメリカン・ヒストリーX』はネオナチの兄弟のデレクとダニーが主人公だ。

ネオナチとは?

ナチズムはヒトラーの死と共に滅びたわけではない。第二次世界大戦後、ドイツではナチズムは禁止され、連合国によって非ナチ化が行われたが、世界各地にナチズムの流れを汲む組織は残った。それに加えて民族主義的な極右思想を持つ組織もネオナチと称されることがある。
ダニーの兄、デレクは地元のネオナチ組織のリーダー格だった。デレクは消防士の父がドラッグの売人に殺されたことがきっかけで白人至上主義的に傾倒していく。部屋にはハーケンクロイツやヒトラーの肖像が飾られ、有色人種、ユダヤ人の排斥を声高に叫び、暴力すら辞さない。

ある夜、弟のダニーは車が黒人に盗まれようとしているのを自宅の窓から見かけ、デレクに伝える。激昂したデレクは黒人を殺す。ダニーの戦慄する表情とは対称的に、警察に逮捕される時にもデレクは誇らしげな表情を崩さない。
兄のデレクを演じたのはエドワード・ノートンだが、『ファイト・クラブ』の時とはうって変わって筋肉質になったノートンの変貌ぶりが凄い。
そして、デレクは3年の刑期を終え、町に帰ってくるが、その間にダニーはさらに白人至上主義に傾倒していた。授業でアドルフ・ヒトラーの『我が闘争』を題材にレポートを書いたダニーは校長のスウィーニーに呼び出され、『アメリカン・ヒストリーX』として自身の兄を題材にレポートを書いてくるように言われる。だが、刑務所を出て再会したデレクは3年前とは全く別の穏やかで公平な人物になっていた。
一体刑務所の中でデレクは何を経験したのか?

さらに高まりを見せる差別問題のリアル

『アメリカン・ヒストリーX』は公開当時よりむしろ今の方が世の中に響く映画だと思う。
今なおアメリカには人種差別が存在するのは説明する必要もないだろう。劇中で論じられていたのは1992年に起きたロサンゼルス暴動のきっかけとなったロドニー・キング殴打事件についてだったが、その後のアメリカ社会を見ても、オスカー・グラント三世射殺事件や、ブラック・ライヴズ・マター運動のきっかけとなったトレイボン・マーティン射殺事件や、ジョージ・フロイト事件など、このような事件は枚挙にいとまがない(オスカー・グラント三世射殺事件に関しては『フルートベール駅で』という映画にもなっている)。

また、デレクは住んでいるロサンゼルスのベニスビーチの治安が悪くなり、白人の職が奪われているのは移民として国境を越えて入国してくる有色人種のせいだと仲間を扇動する。
これもまた今の社会問題とリンクしてくる。
2020年にイギリスはEUを脱退した。その背景には移民の増加がある。EUの域内では自由に移動することか認められているが、その結果2004年~2015年までの11年間で欧州移民の数は100万人から300万人へと3倍に増えイギリスの社会保障の負担は増大することとなった。
また、国家としてナチズムを禁じているドイツにおいてもを2017年に移民排斥を訴える「ドイツのための選択肢(AfD)」が5%の得票率を得て第三党に躍進した。
現実に移民の増加に対する不安や恐れ、またそこから派生した排斥感情などは今の方がリアルではないのか?

一例として2015年に公開された『帰ってきたヒトラー』がある。内容はヒトラーが1945年からタイムスリップして現代に現れたら?というブラック・コメディなのだが、街中に登場するヒトラーのシーンは完全なロケで市井の人も巻き込んだある意味でドキュメンタリーに近いシーンになっている。興味深いのはほとんどの人がヒトラー(の姿をした俳優)の登場に嫌悪感を示さないところだ。それどころか、ヒトラーに握手を求めたり、移民の排斥を声高に訴える市民の姿もみられる。
「民主主義に参加しているという実感は?」ヒトラーが問う。
「ないわ。票は操作されているし、なにも変わらない」
「何か言えば外国人排斥だと言われる。外国人の子供は最悪よ。窓に物を投げつけてくるの 」
別の場所でもヒトラーは問う。「ドイツの問題は何だ?」
「外国人の流入よ。嬉しくはないわ」
他にも「何処でもいい、追い出してしまえ!」「親の国へ帰れ!」などと移民に対して否定的な言葉が目立つ。
そこには一概に人種差別だけでは片付けられない問題も横たわっている。その姿を私たちはどう捉えるべきだろうか。差別の萌芽はそこかしこに広がっている。

「怒りは、君を幸せにしたか?」

デレクは聡明がゆえに純粋な白人至上主義者だった。刑務所での担当は黒人受刑者のラモントとともにパンツとシーツの洗濯だったが、黒人を嫌悪しているデレクはラモントと口を利こうともしない。
デレクは刑務所内で同じような白人至上主義者のグループに加わるが、彼らがメキシコ人とドラッグの売買の付き合いがあることがわかると幻滅し、距離を置くようになる。そして次第にラモントとも話すようになる。デレクはイデオロギーの空しさと、黒人という人種ではなく、一人の個人として黒人のラモントと接していくようになる。

ある日、デレクはラモントに何の罪で服役しているのかを尋ねる。ラモントの刑期はデレクの倍の6年。しかし、その罪状はテレビを盗んだことと、それを誤って白人警官の足に落としてしまったことを「テレビを投げつけた」と判断されたことだった。「本当は投げたんだろ?」と返すデレクの言葉を強く否定するラモント。その表情はとても嘘をついているようには見えない。
かつて「裁判で黒人には有罪判決が出やすいのでは」という意見を否定し、元々黒人は犯罪率が高いと豪語していたデレクだったが、身をもって黒人は社会から不条理を押し付けられていることを知るのだった。そしてデレクは黒人達とバスケットボールなどを行うようになる。その様子を見ていた白人至上主義者たちはデレクの裏切りに対してレイプという制裁を加える。

面会に来たかつての恩師、スウィーニー校長はデレクにこう問いかける。
「怒りは、君を幸せにしたか?」
そして、デレクは怒りに任せて行動してきたことで自分も家族も不幸にしていることに気づかされる。
一方で白人至上主義者達のグループの後ろ楯をなくしたデレクは次は黒人の囚人達からの襲撃に怯えて暮らさなければならなくなった。だが、出所の日まで彼らからの殺意は感じるものの、手を出されることなく無事に過ごすことができた。なぜか?
「謎が解けた。お前が守ってくれていたんだな」デレクはラモントにそう話す。
「バカバカしい、誰がお前のために命を張るもんか」
「そうだな、バカげてる。でも事実だ」
デレクは何の貸しもない一人の黒人に救われたのだった。そのことを弟のダニーに伝える。
自宅に帰ったダニーは兄のこと、家族のことを回想する。兄が変わったのは父親を殺されてからか?いや、違う。父親もまた黒人達への嫌悪をかくさなかった。差別意識は親から子へと受け継がれてきたのだった。
デレクは鏡の前に立つ。胸には大きくハーケンクロイツのタトゥーが残っている。そこには消えない過去の重みがある。

翌朝、デレクは警察から白人至上主義者と黒人達との抗争が激化していると伝えられる。もう組織を抜けたと言うデレクだが、抗争を止められるのはデレクしかいないと諭され、渋々承諾する。
そんな中、ダニーが新しい生き方を始めようとした矢先に、黒人の少年に射殺される。

差別や暴力の連鎖の根

『アメリカン・ヒストリーX』の製作は大いにモメたらしい。監督のトニー・ケイはデレクを主人公にするつもりではなかったが、エドワード・ノートンが再編集を施し、現在の公開版の作品になったという。
それでも『アメリカン・ヒストリーX』が素晴らしいのは「ネオナチの兄弟が更正して良かった!素晴らしい!」で物語を終わらせないところだろう。映画ならではのハッピーエンドでは終わらせられないほど、人種差別や暴力の連鎖の根は深い。
映画の物語はここで終わるが、デレクはこの後どういう行動に出たのか、どういう人間になるのかを想像させる余地がある。そして私たちもそんなデレクを想像すると同時に果たして自分達はどうか?という自問自答をするだろう。
冒頭に韓国人へのヘイトが増えていると書いた。デレクも黒人達や移民を憎んでいた。確かに劇中には犯罪行為を行う黒人達も写し出される。黒人は単なる「かわいそうな犠牲者」ではない。また、白人至上主義だった頃のデレクは仲間とともにアジアの移民が営む食料品を破壊する。店員を凌辱し、暴力を振るい、金を盗む。デレクの行為は報復でも何でもなく、犯罪行為だ。ここまではほとんどの人はしないだろう。だが、言葉もまた人を傷つけ、争いを生むのも事実だ。
最近の日本では「異次元の少子化対策」が叫ばれているが、その意味では将来的に移民の受け入れもあり得るだろう。『アメリカン・ヒストリーX』で描かれていることは今から一歩先の日本の姿かもしれないのだ。

さて、ダニーが兄について書いたレポート「アメリカン・ヒストリーX」は次の言葉で締めくくられている。
「我々は敵ではなく友人である。敵になるな。激情におぼれて愛情の絆を断ち切るな。仲良き時代の記憶を手繰り寄せれば、良き友になれる日は再び巡ってくる」
この言葉はエイブラハム・リンカーンが1861年に行った大統領就任演説の最後の言葉の引用だ。ここの演説で述べられるのは南北戦争で分断された北部と南部の対立についてだが、変わらずに今にも響く人類愛への普遍性を持った言葉でもあるだろう。

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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