『イントゥ・ザ・ワイルド』24歳で荒野に消えたクリストファー・マッカンドレスの生涯

※以下の考察・解説には映画のネタバレが含まれています


「都会では自殺する若者が増えている」

井上陽水の名曲『傘がない』はそんな一節から始まる。

この曲が発売されたのは1972年。この年の日本の自殺者数は18015人だった。
いまや自殺者の数は年間3万人を越え、先進国の中では韓国と並んで自殺者の多い国となってしまった。

道端では政治家のポスターをよく見かける。
「日本を変える!」
「新しい未来へ!」
具体案は何も書かれていない、空気のようなキャッチコピーが並ぶ。
「生きづらさ」という言葉が叫ばれて久しい。私たちを本当に幸せにするのは何だろうか。

わずか24歳でアラスカの荒野に消えた若者ー。クリストファー・マッカンドレスの人生は10年以上も私を魅了してきた。

『イントゥ・ザ・ワイルド』

そのきっかけとなった映画が『イントゥ・ザ・ワイルド』だ。
監督は俳優としても活躍するショーン・ペン、主演はエミール・ハーシュが務めている。
原作はジョン・クラカワーが1995年に出版したノンフィクション小説の『荒野へ』。

ジョン・クラカワーは1954年にマサチューセッツ州のブルックラインに生まれた。幼い頃、父から登山の手ほどきを受け、若い頃から登山活動を行っている。また、1996年のエレベスト大量遭難事故の当事者の一人でもある。 作家としてはノンフィクションの作品がほとんどだ。クラカワーがマッカンドレスの物語に惹かれたのも、彼の人生とクラカワー自身の人生がどことなく似通っていたようにも感じたからだという。
クラカワーはマッカンドレスの遺族はもちろん、マッカンドレスがその旅の途中で出会った人々やマッカンドレス自身の日記を元にして『荒野へ』を書き上げた。
『荒野へ』はのベストセラーとなり、大反響を呼んだ。俳優のショーン・ペンも『荒野へ』に惹き付けられた一人だ。
ロサンゼルスの書店で『荒野へ』を手に取り、むさぼるように読んだという。
『荒野へ』の映画化権の獲得には10年近くかかったと言われるが、『イントゥ・ザ・ワイルド』はその努力を裏切らない名作に仕上がっている。

「人生の価値は長さではなく、どう生きたかで決まる」

奇しくも私もマッカンドレスの年齢とほぼ同じ23歳の時にこの映画と出会った。
当時は正社員というレールから外れてしまい、フリーターとして生活していた頃だ。リーマン・ショックの余波で私が学生の頃の就職事情は氷河期とも言われた。今のように「好きなことで生きていく」YouTube広告やアフィリエイトで生活が世間に広まる前の時期だったと思う。そんな中でレールから外れること(それも自ら望んだ訳でもなく)は今以上に大きなリスクでもあった。
そんな私に大きな慰めと救いを与えてくれたのが映画だった。当時はまだ天神の国体道路や福ビルにTSUTAYAがあってほとんど毎日のように通っていた。当然ながらまだネットフリックスやユーネクストのような定額映画見放題なんてサービスはない。
様々な映画を観た。定番の名作から流行りモノ、カルト映画などなど。子供の頃から映画は好きだったが、紛れもなくあの日々は今の私の礎になった。
特にすがり付くような想いで観たのは人生を描いた映画だ。デヴィッド・フィンチャー監督の『ベンジャミン・バトン』、『転々』や『図鑑に載ってない虫』を始めとする三木聡監督の映画たち、そして今作『イントゥ・ザ・ワイルド』だ。
どれも人とは違う人生で、それでも生きることは素晴らしいと背中を押してくれた。
そう、23歳の時から映画はエンターテインメントだけでなく、一つの道標にもなったのだ。

『ベンジャミン・バトン』はファンタジックなフィクションだが、『イントゥ・ザ・ワイルド』は実話を元にした作品だ。

「人生の価値は長さではなく、どう生きたかで決まる」
よく言われる言葉だが、クリストファー・マッカンドレスの生涯を想う時にこそ、これ以上なくこの言葉は当てはまる。
正にマッカンドレスの人生はそんな人生だった。

クリストファー・マッカンドレス

クリストファー・マッカンドレスは1968年にカリフォルニアのエル・セグンドで生まれた。父は元々NASAのエンジニアだったが、その後自身で会社を興し成功させている。
『イントゥ・ザ・ワイルド』では妹のナレーションによってマッカンドレスが旅に出るまでの暮らしが語られる。 両親の不仲と、子供の寂しさをモノを買い与えることで埋めようとしたこと。
その反動からマッカンドレスは反資本主義、反物質主義とも言える価値観を抱くようになった。荒野に暮らすことはその究極とも言うべきものだった。

「人生において必要なことは、実際の強さよりも強いと感じる心だ。
一度は自分を試すこと。
一度は太古の人間のような環境に身をおくこと。
自分の頭と手しか頼れない、過酷な状況に一人で立ち向かうこと」
『イントゥ・ザ・ワイルド』でもマッカンドレスの日記から上記の一節が紹介されている。

原作者のクラカワーはマッカンドレスは厭世的な願望があったり、死に急いでいたわけではないという。
マッカンドレスが何もかも捨ててアラスカの荒野へ足を踏み入れたのは、厳しい環境に身を置くことで己に打ち克とうとしたのだとクラカワーは述べている。
マッカンドレス自身、トルストイに深く傾倒していた。

トルストイ

『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』などの著作で知られるレフ・トルストイは1828に帝政ロシアで生まれれた。
後の帝政ロシア末期にはトルストイの思想に影響を受けたトルストイ運動と呼ばれる社会運動まで起きている。トルストイは物質よりも精神に重きを起き、法や警察などの強制力を否定した。その代わりに隣人愛や赦し、道徳などに価値が置かれ、また禁酒、禁煙、純潔などの禁欲的な側面もあった。

マッカンドレスの遺体が発見されたとき、共にあった書物にはトルストイの以下の文章が強調されていたという。
「私は変化が欲しかったのであり、平穏無事な生活など望んではいない。刺激と危険とそれに愛するもののために身を捨てる機会を求めていたのだ。自分の内部にはエネルギーが有り余っていて、我々の静かな生活にはそのはけ口がなかった」

マッカンドレスの荒野での暮らしぶりに対して「愚かだ」と批判する人も少なくない。確かに荒野の中で生きるという意志の固さに比べると、どうしても準備不足だということは否めない。
だが、たとえそうだとしてもマッカンドレスの人生を私は讃えたい。素晴らしい生涯だと思う。
満員電車に揺られながら家族のため、生活のために働くのもいい。『クレヨンしんちゃん』の野原ひろしのような人生も確かに素晴らしい。
しかし、クリストファー・マッカンドレスの人生もまた素晴らしい人生だ。仕事も名誉も金も地位も家族も、そして名前(マッカンドレスは「アレキサンダー・スーパートランプ」を自称している)すらも捨てて、夢へ向かう。彼の人生は一日一日が生への充実と刺激に満ちていただろう。

そしてこのトルストイの言葉(『家庭の幸福』内の記述)に表されるような感覚を一度も感じたことのない人などいるだろうか。
そこに臆することなく飛び込んだ勇気には憧れと尊敬を禁じ得ない。

マッカンドレスはなぜ死んだのか?

だが、マッカンドレスは荒野に足を踏み入れた4カ月後、1992年の8月に亡くなる。その遺体は2週間後にヘラジカ狩りに来た人々によって発見された。強烈な腐敗臭が寝袋から漂っていたのだという。
死因は餓死だった。
『イントゥ・ザ・ワイルド』ではエミール・ハーシュが52キロまで体重を絞って、死の迫ったマッカンドレスを演じている。
映画の中ではジャガイモとよく似た毒性の植物を接種したことで、衰えた体が急激に悪くなったように描写されているが、クラカワーはマッカンドレスが体調を悪化させたのは(植物図鑑に記載はないが)ナス科の植物には鞘に毒を持つものがあり、栄養失調状態の体には過大な負担となったという説を唱えている。植物を見間違えるマッカンドレスの愚かさ故ではないということだ。

だが、死がもはや逃れられないと知ると、マッカンドレスは遺書として次の言葉を残した。
「僕の一生は幸せだった。ありがとう、さようなら、皆さんに神のご加護がありますように!」
遺体のマッカンドレスは信じられないほど穏やかな表情をしていたという。それは死の数日前に撮影された写真もそうだ。バスの前で座って微笑むクリストファー・マッカンドレスの写真の中で最も有名なものだ。
異様なほど痩せ細っているが、その笑顔はどこまでも明るい。

「幸せが現実になるのは、それを誰かと分かち合った時だ」

『イントゥ・ザ・ワイルド』では死に行くマッカンドレスの脳裏に家族との再会が描かれる。
「幸せが現実になるのは、それを誰かと分かち合った時だ」
このマッカンドレスの言葉をどう解釈すべきかは難しい。一人で生きようとしたことへの一縷の後悔だろうか。それともマッカンドレス自身望む幸せを既に手にしていたことに気づいたのか。

『イントゥ・ザ・ワイルド』はできれば学生の頃に観ておいてほしい作品だ。
社会に出れば、様々な良い訳で逃げることもできる。いや、むしろその方が当たり前として歓迎される向きさえある。
「もう大人だから」
「社会人だから」
だが、それらが私たちを取り巻く「生きづらさ」の原因のひとつだ。冒頭にも述べたが、年間三万人を超える自殺者がいるのがこの日本だ。

マッカンドレスのような人生を送れと言うのではない。一つの人生の在り方として必ずクリストファー・マッカンドレスの人生は心に何かを残してくれるはずだ。
大人になるその前にぜひ観てほしい。生きることは素晴らしい。

最新情報をチェックしよう!
NO IMAGE

BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

CTR IMG