『ゴジラ』 戦争という日常

※以下の考察・解説には映画のネタバレが含まれています


ゴジラと言えば日本が世界に誇るポップカルチャーの一つであり、怪獣の代名詞といってもいいだろう。
スティーブン・スピルバーグ、ティム・バートン、ジョン・カーペンターなど名だたる映画監督たちがゴジラのファンを自認している。
なぜゴジラが世界に広まったかと言うと、昭和の『ゴジラ』シリーズが外貨獲得の手段として積極的に海外に輸出されたからだ。
その始まりは1954年に公開された『ゴジラ』だった。
スティーブン・スピルバーグは初めて『ゴジラ』を見たときにはどうやって怪獣をあれほどなめらかに動かしているのかがわからなかったという。

『ゴジラ』は特撮映画としても非常に画期的な作品であった。当時の怪獣モノの映画はストップモーションで撮影するのが一般的だった。ストップモーションとは怪獣をヒトコマずつ撮影していくもので言わばパラパラマンガと同じようなやり方だ。
1933年に公開された『キングコング』や『ゴジラ』にも強い影響を与えた『原子怪獣現わる』もストップモーションで撮影されている。しかし、ストップモーションでは手間も費用も膨大になってしまう。
そこで着ぐるみ方式が採用された。今作でゴジラを演じたのは、中島春雄。中島は特技監督の円谷英二からは人形アニメでやれば7年かかるが、お前が演ってくれれば3月でできる」と言われたという。そしてこの着ぐるみでミニチュアの街を破壊するというのは以後の怪獣映画のスタンダードな特撮技術となっていく。

だが、『ゴジラ』の魅力は特撮だけにあるのではない。今回は『ゴジラ』が怪獣映画の枠を越え、映画史に刻まれ続けている理由を探っていこう。

核の脅威

ゴジラの着想の原点に核兵器の脅威があるのは有名な話だ。
1954年には第五福竜丸の被爆が起きる。唯一の被爆国である日本が再び核の被害に遭った出来事だ。
アメリかがビキニ環礁で行った水爆実験のキャッスル実験は、想定の三倍もの破壊力を計測し、避難区域外で創業していた遠洋マグロ漁船の第五福竜丸を含む1,423隻が被爆した。第5福竜丸の無線技師であった久保山愛吉はこの事故から半年後に亡くなっている。

戦後10年を経たずに再び日本に核の恐怖が訪れる。それを象徴したのがゴジラだ。阿部和助によるゴジラの初期デザインは原爆のキノコ雲をモチーフにしたものだった(あまりに露骨すぎるとこの案は却下された)。
核の象徴であるゴジラは、通常兵器では倒すことはできない。そこがゴジラがただの巨大化した動物ではなく、人間に畏れを感じさせる神のような存在でもあることを示している。

ゴジラの物語は海上で突然船が爆発炎上する事件が起きたことから始まる。生き残った人はその様子を「海が光って爆発した」と表現した。
大戸島ではある老人が古くから伝わる伝説の怪物の「呉爾羅(ゴジラ)」の仕業ではないかと述べるが、島の娘から一笑されてしまう。しかし、その夜、島にゴジラが来襲する。
壊滅的な被害を与えた原因を探るために考古学博士の山根恭一博士とその娘の美恵子が島を訪れる。
そこで見たのは放射能に汚染された水とジュラ期に絶滅したはずのトリロバイトであった。驚く一行の前に不気味な足音が響く。そして山の向こうからゴジラがその姿を表す。
山根博士はゴジラをジュラ期の水棲生物が陸上に上がる途中の生き物ではないかと推測。博士はゴジラをむやみに退治せず、現代まで生き永らえた強靭な生命力を研究するべきではないかと述べる。

意外に思うかもしれないが、第五福竜丸の事件がおきるまでは、国民の間には原子力は危険なものであるというより、新しい可能性を秘めた未来のエネルギーというイメージがあった。原爆の被害を受けた国として、原子力を禁止するのではなく、あくまで平和利用を模索しようという考えだ。山根博士の主張にはこの戦後すぐの国民の考えが投影されているのではないだろうか。
ゴジラが現れたというニュースは全国で話題になる。東京を走る電車の中では乗客たちが「長崎の原爆でも生き残ったのに、今度はゴジラ」「また疎開か」と話し合う。

当時は終戦からそう時間も経っていない時代だ。『ゴジラ』を観て驚くのは当時の人々と戦争との距離感だ。兵士にとっての戦争ではなく、一市民から見た戦争とはどのようなものだったのか。
ゴジラはSF映画とも呼べるが、その点においてはなによりもリアルな描写を見せている。

後述するが、ゴジラが東京に上陸し街を火の海に変えていく場面では母親が子供を抱きながら「みんなでお父ちゃんのところへいくのよ」と語りかけている場面もある。父親は戦争で亡くなったのだろう。当時の国民にとっても死との距離感は今より近かったのかもしれない。今も第二次世界大戦をテーマにした邦画は多く作られているが、『ゴジラ』ほど戦争の真実を映した日本映画もないだろうと思う。
日本は沖縄や硫黄島で米軍と交戦したが、本土が戦闘の舞台になることはなかった。つまりほとんどの日本人にとって戦争とは相手に攻めることではなく、一方的に被害を受けることだったのではないか。
戦争末期には日本の主要都市はほとんど空襲で被害を受けている。

冒頭に述べたように、ゴジラが外貨獲得の手段として積極的に利用された時からは単なるエンターテインメント作品になり下がってしまった部分があるが、この『ゴジラ』にはエンターテインメントも保ちつつも明確な反核、反戦のメッセージがある。

ゴジラは核から生まれた

ゴジラ対策の助けになるかもしれないという情報を元に恵美子は新聞記者のとともに芹沢博士の元を訪ねる。芹沢は決して口外しないようにと固く念を押し、恵美子だけに実験内容を見せる。決して口外しないように言われた恵美子は芹沢の研究室でオキシジェン・デストロイヤーの存在とその威力を知る。

再びの上陸に備え、ゴジラを感電死させようと高圧電流が張り巡らされるが、ゴジラは高圧電流が流れる電線や自衛隊の攻撃をものともせず、東京の街を壊滅させていく。
街を走る戦車と火の海と化した東京。ゴジラとは一つの戦争であり、現実には起きなかった本土決戦を再現しているとも言えるのではないか。
余談だが、ゴジラの正体については戦没者達の亡霊ではないかとも言われる。2001年の映画『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』はこの説を取り入れているが、『ゴジラ』のゴジラがそうであるかについてはいささか疑問でもある。ゴジラ=戦没者論の理由としてはゴジラが毎回南方の海から日本へ向かってくること、そしてどんなに街を破壊しても皇居だけは襲わないことが挙げられている。
だが、戦没者は日本のために命を懸けて殉じていった人々であるのだから、そもそも日本を襲う意味がないのではないか。ゴジラの目には家族と離ればなれになって逃げ惑う人々が見えていたはずだ。ゴジラが戦争の犠牲者を表しているとするならば、どうしてまた犠牲者を増やそうとしているのだろうか。

話を物語に戻そう。
ゴジラが去った街は多くの怪我人や死者、家族とはぐれた人々で溢れていた。瀕死の母親、ガイガーカウンターを向けられる子供、重傷の男たち。

実はゴジラによる犠牲者に最も照明を当てているのはこの第一作目の『ゴジラ』だ。第二作目の『ゴジラの逆襲』以降、怪獣同士の決闘、いわゆるVSモノがゴジラシリーズの主力となってからは主人公関連以外の人間たちはゴジラから逃げ回るだけの役割しかない。だが、この『ゴジラ』ではゴジラがどれだけ街を破壊し、一人一人の心身を傷つけたのか、その惨禍が圧倒的な迫力で描かれる。特に『ゴジラ』での被害者の描写は戦時中の野戦病院をイメージさせる。ここでも『ゴジラ』は戦争の風景を強烈に映画の中に転写している。

恵美子も傷病者の看護に当たる。その惨状に心を痛めた恵美子は芹沢の実験内容を尾形に伝える。
これならゴジラを倒せるかもしれない。
一縷の望みをかけるも、芹沢は原子爆弾よりも恐ろしいこの技術が軍事利用されることを恐れ、決して首を縦に振ろうとはしない。
「尾形、もしオキシジェン・デストロイヤーを一旦使ったら最後、世界の為政者たちが黙ってみているはずがないんだ。必ずこれを武器として使用するに決まっている。
原爆対原爆、水爆対水爆さらにその上この恐怖の武器を人類の中に加えることは科学者として、いや、一個の人間として許すわけにはいかない。」
そこに日本の被爆国としての在り方を見ることができる。

ハリウッド映画の最終手段として採られるのが核兵器での攻撃だ。
『インデペンデンスデイ』など、ただ、そこには圧倒的な破壊力を示すために使われるだけであり、放射能などの核兵器のマイナスな側面はほとんど無視され、なかったものとして扱われる。他に有名どころでいうとマイケル・ベイ監督の『ザ・ロック』、ジェームズ・キャメロン監督の『トゥルーライズ』もそうだ。
そんなハリウッド映画を観ているとやはり被爆国に生きる者の一人としてとしては核兵器を甘く捉えているのではないか?との想いは拭えない。
放射能による汚染、被爆による後遺症など、核兵器の圧倒的な破壊力がともなう凄惨な現実は日本以外でどれだけ理解されているのだろうか。
もちろん、戦後すぐの日本でもGHQによる検閲により、原爆の負の側面は国民に伝えられず、そのかつてない破壊力のみが「原子力の平和的な利用」という期待と共に国民の間に広がっていった。今のような情報に溢れた時代でもなければ情報伝播のスピードも比べ物にならないほど遅かっただろう。当時の国民にとって原爆は「新しい未来の可能性」をもたらすものでもあったのだ。
だが、前述の第5福竜丸の事件によって覆される。また本作の監督の本多猪四郎は原爆が投下された広島の惨状を実際にその目で見ていた。

その時の本多の想いは、妻である本多キミの著作『ゴジラのトランク』に詳しい。少し長いが引用しよう。
「広島にはね、草木一本生えてないんだ。街には色がないんだ。墨絵のようだった。一緒に乗っていた人は”あと72年間は何も生えないそうだ”って教えてくれた。俺は何のために戦っていたのだろう。広島に残って生きている人たちのために俺はこれから何ができるだろうって考えて、考えて。でも何も思い浮かばなくってね。
戦争は終わったけれど、原子爆弾はこれからどうなっていくんだろう。進みすぎた科学は人間をどこに連れていくんだって。それまでは無事に帰ってきた安堵感でいっぱいだったのに。あんな気持ち、初めてだったなぁ。」
芹沢の人物像には本多のそういった思いが投影されている。

本多猪四郎にとっての戦争

本多猪四郎は『ゴジラ』について「自らの戦争体験」という。
本多にとって戦争とは何だったのだろうか。本多は終戦を中国江蔭で迎えている。本多の他の兄弟は戦時中に全員亡くなっている。
本多は1911年生まれの映画監督だ。本多は1933に東宝の前身であるPCLに入社し、山本嘉次郎や成瀬巳喜男の助監督につく、山本嘉次郎の門下生には他に黒澤明や谷口千吉がいるが、本多は最も先に入社したにも関わらず、本多が兵役に就いている間に、皆先に映画監督としてデビューしている(この件に関して、『姿三四郎』の監督が決まった黒澤明は、国のために家族や仕事を犠牲にしてきた本多に対して負い目があったという)。

『ゴジラ』には独特のヒューマニズムがある。
登場人物の誰もが善い部分を持ち、純粋な悪人は存在しない。例えば山根博士を例にとると、彼は科学者としての立場からゴジラを殺すことには反対するが、科学的な側面にしか価値を見いだせない男でもない。
映画に登場するこうしたポジションの科学者というと、どちらかと言えばマッドサイエンティストのような狂人を設定されることが多いが、本多はそうではなかった。
どんな人物にも人間らしさを残し、純粋な悪だと設定された人間はいない。
「僕の場合はどの役も悪というものはない。僕は各々の役がその立場にいたらどうしてもそうしなきゃならないという状況下で動いてもらうんですね。根底的にはどちらも生きるためにやっていると言うことですね。」本多はこう述べている。彼のこのようなヒューマニズムは戦争体験によって培われたものだろう。

本多は戦時中に三度召集を受け、兵役に就いている。合わせて8年間を兵隊として戦争に費やした。
そんな兵役のなかで本多は慰安所の管理責任者なども務めていた。慰安所や慰安婦と言えば戦争の悪の側面として語られることが多いが、本多は彼女達の身の上に同情しつつも、そこで働く意義や彼女たちへの尊敬も感じていたという。
また、軍隊のなかでは理不尽な暴力もあったそうだが、本多は「どうしたら殴られないか」を考えて行動し、また部下にもそういった暴力は振るわなかったという。
歴史を後世から見たときに、人はどうしても正しかったのか、間違っていたのか、善か悪かを判断したがるものだ。だが、実際にその時代を生きた人にとってはそう単純にどちらかで断言できるものではあるまい。
それこそが本多のヒューマニズムであり、彼が戦争で得たものでもあったのだろう。
ちなみに本多猪四郎は極めて温厚な人柄で知られるが、終戦時には中国の人から村に留まって一緒に暮らしてほしいとも言われたという。本多の人柄を偲ばせるエピソードでもある。

「尾形、人間というものは弱いものだ。一切の書類を焼いたとしても俺の頭の中には残っている。俺が死なない限りどんなことで再び使用する立場に追い込まれないと誰が断言できる」
芹沢はオキシジェン・デストロイヤーの使用をなおも断ろうとする。
このセリフにも本多の人間観が出ている。人の強さも弱さもどちらも受け入れ、愛そうとしたのが本多猪四郎だった。

『ゴジラ』はなぜ映画史に刻まれ続けていのか

テレビから流れる少女たちが歌う平和への祈りを聞いて、芹沢はオキシジェン・デストロイヤーの使用をついに決意する。少女達の歌声に合わせてテレビはゴジラが破壊した街並みを写し出す。それは文字通りの焼け野原であり、強く終戦直後の日本を感じさせる。芹沢は戦争によって人生を狂わされた一人だ。
戦争によって取り返しのつかない外傷を負い、それによって恵美子との婚約も破棄、芹沢は心にもまた取り返しのつかない傷を負った。それを忘れるかのように芹沢は研究に没頭し、オキシジェンデストロイヤーを生み出すに至った。
だが、ゴジラを倒すためにその研究資料の一切を処分する。
それを見た恵美子は慟哭する。それは最後に残った芹沢の人生そのものだったに違いない。恵美子だけに明かされた研究の内容。それは恵美子が思う以上に重いものだった。恵美子は芹沢と尾形のやりとりの中でその意味に気づいたのだろう。オキシジェン・デストロイヤーを使うことが、一人の男が生きてきた証や費やしたそれまでの人生を消し去ることに他ならないと。

もちろんゴジラの猛威は圧倒的であり、神に祈る他ないほどに人間は追い詰められていたという事実も重要だ。これほどの絶望感には今作以降のどの『ゴジラ』シリーズも及ばない。
ゴジラの眠る海までたどり着いた芹沢はオキシジェン・デストロイヤーを持って海中へ向かう。そして命綱を自ら切り、ゴジラとともに死するのであった。
山根博士はこう呟く。
「あのゴジラが最後の一匹だと思えない。もし水爆実験が続けて行われるとしたらあのゴジラの同類が世界のどこかに現れるかもしれない」

どんな作品に対しても最も恐ろしいのは時間だ。どんな斬新な表現であっても、それが多く模倣されると、当初の驚きは消えて、それがスタンダードな表現になっていく。やがて時が経つにつれて見飽きたものとなり、陳腐化してつまらないものになってしまうだろう。
『ゴジラ』にしてもあの時世界を驚かせた特撮は今のVFXのレベルと比べるととてもではないが足元にも及ばないだろう。だが、本作に込められた思いや1954年という戦後間もない生々しさと戦争の記憶は今なお消えない傷痕として『ゴジラ』に深く刻まれている。それこそが『ゴジラ』が怪獣映画の枠を越え、映画史に刻まれ続けている理由ではないか。

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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