『死霊の盆踊り』Z級の最低映画はなぜ現在まで生き残ってきたのか?

ティム・バートン監督の映画『エド・ウッド』は「史上最低の映画監督」との異名を取る映画監督エド・ウッドへの愛に溢れたドラマ映画だ。伝記映画と呼ぶにはいささか創作が過ぎる部分があるものの、映画への熱い情熱だけで日々を生きる若きエド・ウッドの姿をユーモラスに描いている。

エド・ウッドは存命中には決して報われることのなかった人物でもあるが、『エド・ウッド』ではそんなエド・ウッドの人生の中でも最も輝かしい時期を映画にしており、全体的に喜劇調の作品になっている。ちなみにエド・ウッドがオーソン・ウェルズとの邂逅を果たすシーンがあるが、それは監督のティム・バートンの創作だ。
だがエド・ウッドは自身の最高傑作と信じた『プラン9・フロム・アウタースペース』の失敗には流石に打ちのめされてしまい、以降の映画製作への情熱を失ったとも言われる。
この意見には一理ある。今回紹介したい『死霊の盆踊り』を観てしまった後には誰もが脱力するだろうし、いやほとんどの人がまず『死霊の盆踊り』のあまりのつまらなさに早送りか途中で視聴を止めてしまうだろう。

『死霊の盆踊り』

『死霊の盆踊り』はA.C.スティーブン監督、ウィリアム・ベイツ主演のオカルト・ポルノ映画だ。今作にエド・ウッドは脚本として関わっている。
私自身、『プラン9・フロム・アウタースペース』も『死霊の盆踊り』も観た。どちらもつまらないという事前情報を知った上で観たのだが、『プラン9・フロム・アウタースペース』は決してつまらないとは思わなかった。いや、かといって面白くはないのだが、つまらなさの中にも作り手の情熱を感じるのだ。確かに特撮がチャチな出来かもしれないが、意外なほどにそれは気にならない。テレビ番組のコントのセットのようなものだが、それでも僕たちはコントの世界に感情移入して笑っていたはずだ。もともとそんなものだと思ってしまえば、すぐに慣れる。

だが、『死霊の盆踊り』は本当にどうしようもなくつまらなかった。延々と続く緊張感のない踊り、棒読みのセリフと下手な演技。元々はわずか18ページの脚本であったが、それでは間が持たないとは判断した監督によって、なぜかすでに作品の大半を占めていたダンスシーンが追加されることになりら作品はさらに間延びしてしまう結果となった。

撮影中も監督のA.C.スティーブンは出演者のクリズウェルにはさんざん手こずったと述べている。クリズウェルといえば『プラン9・フロム・アウタースペース』での大袈裟なナレーションで有名だ。その時もカンペを読んでいるのが明白な演技をしているが、今作『死霊の盆踊り』でもわざわざエド・ウッド自身がカメラの下にしゃがみこんでクリズウェルにカンペを見せていたという。加えて、取り巻きに常に自身の演技を称賛させるなどの振る舞いをしていたクリズウェルに対してA.C.スティーブンは「クソッタレ」と感想を述べている(それでも試写の際にクリズウェルは自身の出演シーンに満足し、泣き出してしまったという)。

『エド・ウッド』とエド・ウッド

A.C.スティーブンは一方のエド・ウッドに対しては脚本のみならず、現場でも様々なサポートをしてくれたと感謝を語っている。

晩年のエド・ウッドはポルノ作品を多く手掛けた。エド・ウッドにしても手堅く収入を得たいという思いもあったのだろう(録音係のサム・コペツキー曰く「ポルノは損することはない」という)。
また当時のエド・ウッドは酒浸りで、金を貸すとすぐに酒を飲み始めたとA.C.スティーブンは証言している。

エド・ウッドは1978年に亡くなる。死因はアルコール中毒であった。
女優のヴァルダ・ハンセンは、エド・ウッドは人知れずどうしょうもないほどの悩みを抱えていたという。そこにはティム・バートンの『エド・ウッド』とは対称的な孤独な生活の苦しさが浮かび上がってくる。

駄作と失敗作の死屍累々が築いてきた歴史

それでも、それでもだ。『死霊の盆踊り』は今やカルト映画としてBlu-rayにまでなっている。そればかりでない。アメリカで公開されてから20年後の1987年には日本でも劇場公開され、さらににはリバイバル上映まで行われている。
エド・ウッドより映画の才能がないものは多くいるだろう。しかし、誰もその人たちの名前を知らない。逆に映画監督として思い浮かべる名はみなエド・ウッドよりも才能ある人物のはずだ。
今作『死霊の盆踊り』の邦題の名付け親となったのは映画評論家の江戸木純氏だが、彼の名前もエド・ウッドに由来している。
「映画史とは、今も繰り返し見続けられている傑作、名作だけでなく、その何倍もの駄作と失敗作の死屍累々が築いてきた歴史」

エド・ウッドが理想とした形ではないかもしれないが、エド・ウッドは確かに映画史にその名を刻んだ。

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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