『素晴らしき哉、人生!』映画史に残る名作はなぜ失敗したのか?

※以下の考察・解説には映画のネタバレが含まれています


アメリカでは毎年クリスマスシーズンになると『素晴らしき哉、人生!』が放送されるのが定番らしい。
『素晴らしき哉、人生!』は1946年に公開されたフランク・キャプラ監督、ジェームズ・スチュワート主演のファンタジー映画だ。
名作の古典映画のひとつであり、さまざまな名作映画ランキングに顔を見せる、紛れもない映画の傑作である。キャプラ自身、「過去の映画でやって来たこと全てを込めた」と本作について語っている。
だが、『素晴らしき哉、人生』が公開当時興行的にも評価的にも低いものであったことは有名だ。
私自身は昨年初めてこの映画を観たが、決してつまらないとは思わなかった。むしろ温かみのあるエンディングは素直に感動できた。
ではなぜ『素晴らしき哉、人生!』は公開当時酷評されたのか?今回はその部分を考察していこう。

『素晴らしき哉、人生!』

『素晴らしき哉、人生!』は主人公のジョージが一人自殺しようとするところから始まる。
その様子を見ていた翼を持てないでいる落ちこぼれの天使、クラメンスは彼の人生を幼少期からさかのぼって見ていくという構成だ。
12歳の頃、ジョージは真冬の池に落ちた弟を助け代わりに左耳の聴力を失う。また、手伝っている店の店主の薬の配合の間違いを見つけ失敗を未然に防ぐ。
成長したジョージは家業の住宅ローン会社をを継ぐのではなく、世界を巡り、建築家になるという夢を描くが、父の死によってその夢を諦め、家業を継ぐことにする。ジョージはその仕事は弟が大学を卒業するまでと考えていたが、弟のハリーは大学を卒業すると結婚し、妻の父の会社で働くこととなる。ジョージは住宅ローン会社を続けざるを得なくなるが、高校時代の友人、メアリーとも結婚し、ささやかな幸せをつかむ。
しかし、町の富豪であるポッターはジョージの会社を潰そうと画策する。 あるとき、ジョージの叔父が会社の金8000ドルを紛失してしまう。それがなければ会社は倒産し、ジョージは逮捕され、家族は路頭に迷ってしまう 。
ジョージはやむを得ずポッターに金の工面を泣きつくが、ポッターは相手にしない。
ジョージは自らの保険金で損失を賄うしかないと考え、自殺しようと橋へ向かう。そこには老人がいて、ジョージの目の前で川に飛び込んでしまう。ジョージは老人を助けるが、その人こそが老人に姿を変えたクラレンスだった。
クラレンスは自殺しようとするジョージに向かって、彼が存在しなかった世界を見せる。

企画の成り立ち

『素晴らしき哉、人生!』の原作はフィリップ・ヴァン・ドーレン・スターンの小説『最も素晴らしき贈り物』だ。もともとはRKOが『最も素晴らしき贈り物』の映画権をもっており、その時点でダルトン・トランボが脚本まで書いていたと言われる。リバティフィルムを発足させたキャプラはRKOと配給契約を結び、RKOから映画化権を5万ドルで購入している。
『素晴らしき哉、人生!』の脚本としてクレジットされているのはキャプラに加え、アルバート・ハケットとフランセス・グッドリッチだが、最初に脚色したのはトランボで、キャプラはその脚本を買って練り直したというのが最も近いだろう。
『素晴らしき哉、人生!』は1946年のアカデミー賞で作品賞や監督賞など5部門にノミネートされている。この時点で内容が決して悪くないことはわかる。しかし、結局作品賞を受賞したのはウィリアム・ワイラー監督の『我等の生涯の最良の年』だった。
『我等の生涯の最良の年』は復員兵のPTSDをテーマにしている。戦場を経験し、故郷に帰ってきた三人の復員兵は戦争で負った心身の傷と家族や恋人とのすれ違いに直面する。

キャプラとワイラー

ワイラーもキャプラも第二次世界大戦の際には軍隊に協力している。
しかし、キャプラがワシントンDCに駐在し、映像製作を担っていたのとは対照的にワイラーはパイロットとして実際の戦場に出撃もしている。ワイラーは戦争の過酷さを肌で知っていたのだろう。
キャプラの『素晴らしき哉、人生』は『我等の生涯の最良の年』と作品賞の他にも監督賞、主演男優賞で争っているが、いずれも『我等の生涯の最良の年』が受賞し、『素晴らしき哉、人生!』は無冠に終わっている。

キャプラコーン

『素晴らしき哉、人生!』は負債を抱えて自殺しようとする男の話だ。だが、実際に戦争によって熾烈な命のやり取りを目の当たりにした時代にあってはいささか生ぬるいテーマだったのかもしれない。
井上篤夫氏の著書『素晴らしき哉、フランク・キャプラ』に山田洋次監督が序文(『映画の嘘』)を寄せているが、その中では当時はネオリアリズモが隆盛であり、キャプラのようなハッピーエンドの映画は人気がなかったと語られている。
終戦直後である40年代後半のアカデミー賞受賞作を見ると、『オール・ザ・キングスメン』や『紳士協定』『ハムレット』などシリアスな作品が目立つ。
キャプラの描くヒューマニズムやアメリカン・ドリームはキャプラスクと呼ばれ、キャプラの作品の魅力でもあった。しかし戦後の時代においてはキャプラの描くハッピーエンドは「キャプラコーン(古臭い)」とも呼ばれていた。

戦後のキャプラとワイラーのキャリアは見事に対称的だ。
『素晴らしき哉、人生!』の失敗でキャリアが事実上断たれたキャプラとは逆に、ワイラーは映画監督としてヒット作を作り続けていく。その代表が『ローマの休日』だ。
『ローマの休日』も企画段階においてはフランク・キャプラが監督するという話もあった。実際にキャプラはエリザベス・テイラーとケリー・グラント主演で『ローマの休日』を撮るという構想を持っていたが、予算面からこの作品を降りてしまう。何年か脚本は中に浮いた状態だったが、ウィリアム・ワイラーはローマでのロケ撮影を条件に『ローマの休日』の監督を引き受ける。
ワイラーは『ローマの休日』にも戦争の影響を色濃く残している。

『ローマの休日』

ローマの休日』は新聞記者のジョーと身分を隠して公務から逃げ出したアン王女の一日だけの恋を描いた作品だ。個人的な恋と、王女としての責任に揺れるアンだが、最終的には個人的な恋を諦め、公務に復帰する。ジョーとのデートの途中でアンは「願いの壁」に立ち寄る。このシーンはウィリアム・ワイラーが最も力を入れたシーンだという。ジョーは願いの壁をこう解説する。
「戦争中、ここで子どもを連れた男が空襲にあった。この壁の後ろに避難して祈ったら、爆弾はすぐ側に落ちたが怪我はしなかった。だから後でここにお礼の札をかけたんだ」

戦後間もない当時、願いの壁に掲げられていたのは決して明るい願いばかりではなかったはずだ。
アンもまた願いを掲げる。が、その内容を聞かれて「どうせ叶わないことよ」と答える。
願いの壁には戦争で引き裂かれた人々の悲痛なメッセージもあっただろう。王女としての使命はもう二度このような悲劇を繰り返さないことではないのか。アンの中で個人的な愛は大きな人類愛へと昇華していく。戦時中はファシストの国だったイタリアのローマから国同士の連携を訴えるラストシーンも興味深い。
ここまで『ローマの休日』について述べてきたが、『我等の生涯の最良の年に話を戻そう。
『我等の生涯の最良の年』と比べて、『素晴らしき哉、人生!』にも戦争の要素がなかったわけではない。ただ、それはショージがであったり、その代わりに戦場へ向かった弟が復員兵として戻ってくるなどで、ストーリーの中心には戦争というテーマは絡んでこないのだ。

アメリカン・ドリーム

逆に『素晴らしき哉、人生!』は戦争が終わったあとの人々の暮らしにフォーカスを当てたとも言えるだろう。
戦後、人々の描くアメリカン・ドリームの一つは家を持つことだった。

『素晴らしき哉、人生!』でもジョージは貧しい人々が家を持てるように低金利で融資をしていく。

今もアメリカにとって家というのは特別な意味を持つ。
2008年に公開されたクリント・イーストウッドの『グラン・トリノ』でも主人公のコワルスキーは治安の悪化したデトロイトを離れず、そこにある自分の家に執着している。
コワルスキーはポーランド系の移民という設定だが、アメリカに渡ってアメリカン・ドリームを実現できた。
グラントリノとデトロイトの自宅はその象徴なのだ。
アメリカン・ドリームを手にした移民という設定はそのままフランク・キャプラの人生とも重なる。彼らは夢を実現させてくれたアメリカに忠誠を誓い、愛国心の高さから戦争にも参加した。移民だからこそ、誰よりもアメリカの市民であろうとしたのだろう。
コワルスキーは朝鮮戦争、キャプラは第二次世界大戦に従軍した。特に敵国であったイタリアからの移民だったキャプラにとって、戦争を通じてアメリカに貢献することは大きな意味を持っていたに違いない。
キャプラ自身、『素晴らしき哉、人生!』を通して戦争という影を人々の頭から取り去りたいという思いがあった。

キャプラが『素晴らしき哉、人生!』に込めた思い

冒頭にも書いたように、『素晴らしき哉、人生!』はキャプラにとって映画人生の集大成とも言える自信作だった。

クラレンスは自殺しようとするジョージに向かって、彼が存在しなかった世界を見せる。
クラレンスが見せたジョージのいない世界では、弟は凍死し、手伝っていた店の店主は薬の配合ミスで逮捕されている。メアリーは独身のままであり、町はポッターに牛耳られ、猥雑なネオンの光る町に変わっていた。

クラレンスはジョージにこう言う。
「一人の人間の人生は、大勢の人生に影響を与えている」「君は本当に素晴らしい人生を送ってきた」
キャプラらしい台詞だ。
「クラレンス!元の世界に戻してくれ!どうなっても構わない!妻と子供たちの元へ!」「私はまだ生きたいんだ!」
そう懇願するジョージ。彼は気づいたら元の世界へ戻っていた。

「メリークリスマス!」ジョージはそう叫びながら家に帰り、家族との再会を喜ぶ。刑務所に行っても構わないと思っていたジョージだったが、町の人々がつぎつぎにやってきて、ジョージにお金の融通をしてくれる。「家を持てたのはジョージのおかげだ」ジョージは皆から愛されていることを実感する。
ジョージは贈り物の中に『トム・ソーヤの冒険』を見つける。中を広げると、そこには「友あるものは敗残者ではない。翼をありがとう。」とクラレンスからのメッセージが書かれていた。

キャプラの持つ普遍的なヒューマニズムは『素晴らしき哉、人生!』でも変わらずに貫かれている。『素晴らしき哉、人生!』でキャプラの輝かしいキャリアは途絶えてしまったが、やがてテレビが家庭に普及するようになると本作と共にキャプラも再評価されるようになる。
そこにはいつの時代も変わらないヒューマニズムと希望があるからだ。

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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