『レディ・プレイヤー1』現実世界への跳躍

※以下の考察・解説には映画のネタバレが含まれています


「私の作品は両親が離婚した子供達へ向けたものだ」映画監督のスティーヴン・スピルバーグは自身の映画についてこう答えている。
確かに『E.T.』、『ジュラシック・パーク』、『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』などスピルバーグの作品に登場する子供は両親が離婚したり、片親という設定が多い。それはスピルバーグ自身が子供の頃に両親の離婚を経験しているからだろう。それは世界的な映画監督となってからもスピルバーグの心にトラウマとして残り続けたのかもしれない。
そんな心の隙間を埋めたのが映画だった。

『レディ・プレイヤー1』

今回紹介する『レディ・プレイヤー1』はエンターテインメントの最高峰を極めながらも、同時にスピルバーグが自身の子供時代に向けたラブレターではないかと思う。
『レディ・プレイヤー1』は2018年に公開されたSFアクション映画だ。主演はタイ・シェリダンが務めている。原作はアーネスト・クラインの小説『ゲームウォーズ』。

物語の舞台は2045年。もはや地球は環境汚染や気候変動、政治不全が原因となって荒廃し、大半の人々がスラム街で暮らさざるを得ない状況に陥っていた。彼らは荒廃した世界からの逃避としてOASIS(オアシス)と呼ばれる仮想現実の世界にのめりこんでいた。OASISはVR(ヴァーチャル・リアリティ)の仮想世界であり、ゴーグル1つで想像したことがすべて現実になる、いわば理想郷でもあった。
17歳のウェイド・ワッツも「パーシヴァル」というアバターになってOASISに入り浸っていた一人だった。彼が取り組んでいたのはアノラック・ゲーム。アノラック・ゲームとは、OASISの創始者であるジェームズ・ハリデーが仕組んだ遺言を解き明かすゲームだ。ハリデーの遺言は「全世界に告ぐ。オアシスに眠る3つの謎を解いた者に全財産56兆円と、この世界のすべてを授けよう。」というものだった。ゲームの参加者はハリデーがオアシス内に隠したとされるイースターエッグを必死に探す。ウェイドもOASISで出会った仲間、そして謎めいた少女アルテミスとともにアノラック・ゲームに挑む。
そこへオアシスの管理権によって世界支配を企む巨大企業、IOI(イノベーティブ・オンライン・インダストリーズ)社も加わる。IOI者のCEOのソレントは、アイロックというアバター殺しも雇い、エッグを手に入れようとする。そしてアノラック・ゲームは現実世界をも巻き込んだ闘争へ発展していく。

今回改めて『レディ・プレイヤー1』を観返してみたが、エンターテインメント作品としても、最高に素晴らしい映画だ。ボーイ・ミーツ・ガールとアドベンチャーの要素を併せ持つストーリーは少年マンガの王道のようでもあるし、VRという仮想空間を舞台にした設定はある意味では異世界転生モノとも似通っている。
オアシスの世界を通してアルテミスに惹かれていくウェイドだが、
原作者のアーネスト・クライン は『ゲームウォーズ』は押井守監督の『アヴァロン』に影響を受けたと公言している。確かに『レディ・プレイヤー1』と『アヴァロン』は仮想現実空間を舞台にしたゲームの世界という設定が共通している。

1980年代への愛情とオマージュ

『レディ・プレイヤー1』は1980年代への愛情とオマージュに溢れた作品だ。あらゆるサブカルチャーがごった煮になったような世界観もこの映画の大きな魅力だろう。原作者のアーネスト・クラインは1974年生まれ。最も多感な時期にリアルタイムで影響を受けたのが1980年代のサブカルチャーだったのだろう。物語の冒頭からヴァン・ヘイレンのヒット曲『JUMP』が鳴り響く。
ウェイドのアバターであるがレースに使う車は改造されたデロリアン。1985年に公開された『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で有名な車だが、クラインが小説を発売し、映画化権を売った金で購入したのもデロリアンだと言う。
スピルバーグは1946年生まれで1980年代には3~40代。クラインのように1980年代に思春期を過ごしたわけではないが、それでも当時を「イノセントで気楽な時代だった」と語っている(もちろんこれには異論もあるだろう。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』では80年代における白人の没落が描かれている)。

さて、公開当時、あらゆる映画系のサイトが『レディ・プレイヤー1』に登場した他作品のキャラクターやアイテムをリストアップしていた。
一例を挙げると

・キングコング『キングコング』
・ティラノサウルス『ジュラシック・パーク
・チェストバスター『エイリアン
・バットマン『バットマン』
・デロリアン『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(ちなみに劇中で登場するゼメキス・キューブというアイテムの名前の由来は監督のロバート・ゼメキスの名が元になっている)

他にも
・メカゴジラ『ゴジラvsメカゴジラ』
・ガンダム『機動戦士ガンダム』・
・赤いバイク『AKIRA』
・『ストリート・ファイター』

と日本のアニメや特撮作品も多く映画に取り入れられているのも話題になった。

また1980年代のカルチャーだけでなく、スピルバーグならではの映画への愛情も『レディ・プレイヤー1』には織り込まれている。
一つは「友あるものは敗残者ではない」というセリフ。劇中では、ウェイドの呼び掛けに対して集まった無数のアバターを見ながらアイロックがソレント対してかけた言葉だ。これは1946年に公開されたフランク・キャプラの『素晴らしき哉、人生!』からの引用だ。またエンディングではオーソン・ウェルズの『市民ケーン』からの引用も見られる。
スピルバーグは2012年にエンパイア誌の「世界の映画監督が選ぶ好きな映画ベスト10」という企画において『素晴らしき哉、人生!』と 『市民ケーン』どちらもその中に選んでいる。
また二つめの鍵を得る際に1980年に公開された映画『シャイニング』の舞台が登場する。これは原作にはない映画版だけ設定だが、その凝りようはオマージュというレベルではない。スピルバーグが『シャイニング』の監督であるスタンリー・キューブリックと彼の生前親しかったこともあるのだろう。キューブリックは『アイズ・ワイド・シャット』を遺作として1999年に亡くなるが、キューブリックが遺した原案を元にスピルバーグは2001年に『A.I.』を完成、公開させている。

一方でこれらのオマージュは『レディ・プレイヤー1』の表層に過ぎないと思う。もちろん圧倒的な映像の威力としきりに宣伝されていた没入感にも嘘はない。事実、スピルバーグはこれまでに製作した映画の中で3番目に難しかったとの感想を吐露している。
ちなみに『レディ・プレイヤー1』の撮影の合間に作り上げた映画が『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』というからスピルバーグの早撮りぶりは健在だ。

『レディ・プレイヤー1』に込められた本当のメッセージ

では、『レディ・プレイヤー1』に込められたスピルバーグの本当のメッセージとは、何なのか?
『アヴァロン』ではゲームの世界から元に戻れなくなる人々を未帰還者と呼ぶ。そのために、アヴァロンは非合法のゲームでもあった。『アヴァロン』の監督である押井守は、「それはもはや現実ではないのか?」と語っている。しかし、『レディ・プレイヤー1』のメッセージはそれとは逆だ。
スピルバーグは『レディ・プレイヤー1』を監督した理由を分断とシニシズムから逃れ、空想と希望のある世界へ観客を誘いたかったからと答えている。だが、逃避だけでは何も変わらない。

三つの鍵を獲得したウェイドはオアシスでハリデーのアバターであるアノラックからエッグを授かる。その場所は幼少期にハリデーが過ごした子供部屋。そこでは幼いハリデーが一人でゲームに熱中していた。彼は幼い頃から人との関わり方がわからずにビクビクしていたと語る。だが、死期を悟って気づいたことがあると告白する。
「現実はつらく苦しくいいことばかりじゃない。でも現実の世界でしか味わえないんだ、うまいメシは。なぜなら現実だけがリアルだから」
ハリデーはそうウェイドに語りかける。このセリフはスピルバーグがネット世界にどっぷり浸かった現代人に向けた言葉でもあるだろう。

リープ・オブ・フェイス(Leap of faith)

現実世界に戻ったウェイドはアルテミスに愛を告白する。
「僕はハリデーとは違う。飛び込めるよ」
ハリデーはずっと現実から逃げていた。ハリデーが遺した3つの鍵は全て彼の過去に関係していた。その中にはハリデーが勇気を持てず、叶わなかった恋もあった。

作品を貫く大きなテーマは現実に飛び込む勇気だ。冒頭のヴァン・ヘイレンの『JUMP』の意味はここにあった。
リープ・オブ・フェイス(Leap of faith)という言葉がある。信じて跳べという意味だ。もともとは哲学者のセーレン・キルケゴールの「Leap to faith」という言葉が元になっている。信仰への跳躍とも訳されるが、熱心なキリスト教信者であったキルケゴールだが、一方で理性的にみればキリスト教の中には多くの矛盾もある。だが、例えそうであっても神を信じて跳ばなくてはならない瞬間があるとキルケゴールは考えた。そこには理性や論理は関係ない。
ちなみに『JUMP』のコーラスを日本語に訳すと「思いきって飛べ」。まさにリープ・オブ・フェイスだ。
ウェイドは思い切って現実へ飛び込み、向き合う覚悟を決めた。そこには論理はない。いちかばちかの跳躍なのだ。その背中を押したのは愛という信仰だった。

バラのつぼみ

さて、ウェイド達の元にオアシスの共同設立者であるモローが訪れる。オアシスの運営権を譲渡するためだ。
「モローさん、いやオグ、来るの早かったですね」
そういうウェイドにモローはこう答える。
「魔法のソリで来た」
そこの言葉にウェイドは気づく。
「ハリデーの『バラのつぼみ』はあなただ。」

このバラのつぼみという言葉はオーソン・ウェルズの『市民ケーン』からの引用だ。
莫大な富を手にした新聞王でありながら、孤独な晩年を過ごしたケーンが遺した最後の言葉が「バラのつぼみ」だった。『市民ケーン』ではニュース記者がその言葉を手がかりにケーンの本当の人物像に迫っていく。「バラのつぼみ」それはケーンが子供の頃に遊んだソリに描かれていた模様だった。「バラのつぼみ」とは後悔や取り戻せない宝物を象徴でもあった。
ハリデーにとって、親友だったモローこそが取り戻せない宝物であり、モローと決別しなければならなかったことが人生での最大の後悔だったのだ。

仲間とともにOASISを運営することになったウェイドはオアシスを週の二日休みにすることにする。現実の世界もまた大切だからだ。

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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