『バック・トゥ・ザ・フューチャー』ノスタルジーの中に本当に隠されたものとは?

※以下の考察・解説には映画のネタバレが含まれています


ロナルド・レーガンは文字通りハリウッドから生まれた大統領だった。レーガンは俳優から大統領へと転身した異例の政治家であったが、大統領になってもスピーチをしばしば映画の台詞から引用し、選挙においても映画の力を大いに利用した。
税制改革法が成立した際には連邦議会にくすぶる増税の動きに対して「やれよ、楽しませてくれ」と述べている。これはクリント・イーストウッド主演の『ダーティハリー』でのハリー・キャラハン刑事の名セリフ。
また、ソ連は今でも敵だと思うかと記者に訊かれた際には「それは別の時、別の時代の話」だと応えている。これは『スター・ウォーズ』の冒頭のナレーションからの引用。
そして、レーガンは1986年の一般般教書演説では「我々の行き先に道が敷かれている必要はない」と述べた。これは1985年に公開された『バック・トゥ・ザ・フューチャー』からの引用だ。

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』はロバート・ゼメキス監督、マイケル・J・フォックス主演のSF映画だ。今なお高い人気を誇る、SF映画の傑作である。

1985年のアメリカ カリフォルニア州ヒルバレー。ロックが好きな高校生のマーティ・マクフライは登校前に知り合いの発明家、ドク・ブラウンの家に立ち寄る。そこでドクから「今夜1時15分で凄い実験をするから来るように」という電話を受け取る。
学校ではマーティはのオーディションに落とされ、教師には「マクフライ家は代々落ちこぼれ」とまで言われてしまう。
しかし確かに父親は弱気で冴えないサラリーマン、母はキッチン・ドランカー、兄はブルーカラーのフリーター。姉も異性とデートさえしたことのないという家庭環境であった。
さて、ドクの言葉通りにショッピングモールの駐車場に着いたマーティ。彼を待っていたのはドクの愛犬アインシュタインとドク、そしてデロリアンをカスタマイズしたタイムマシンだった。
ドクの実験とはタイムスリップのこだった。愛犬のアインシュタインをデロリアンに乗せ、1分後の未来にタイムスリップさせる。実験は成功するものの、タイムマシンの燃料のプルトニウムはリビアの過激派をだまして調達したものだったことから、ドクはリビアの過激派の襲撃に遭い、凶弾に倒れてしまう。マーティもそこから逃げるため、デロリアンの乗り込むが、運転中、肘が偶然次元転移装置のスイッチにあたってしまい、30年前の1955年にタイムスリップしてしまう。マーティはそこで若かりしころの両親やドクと出会う。
ドクに元の時代に戻ろうとしたマーティだったが、ふとしたきっかけで1955年当時にはティーンエイジャーだった母親のロレインがマーティに惚れてしまう。
父のジョージとロレインをくっつけなければ、自分の存在が消えてしまう。マーティはロレインの気持ちをなんとか父の方へ向けさせようと奮闘する。

大統領ロナルド・レーガン

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』では1955年にタイムスリップしたマーティと、1955年当時の若いドクの会話の中でレーガンの名前が登場している。

「1985年のアメリカの大統領は?」
「ロナルド・レーガン」
「ロナルド・レーガン? 俳優の? 副大統領はジェリー・ルイスか? 大統領夫人はジェーン・ワイマンか? 財務長官はジャック・ベニーだろ? 冗談はもう十分だ」
ジェーン・ワイマンは当時のレーガンの妻であり、ジュリー・ルイスとジャック・ベニーは当時人気だったコメディアンだ。
レーガンはこのシーンがお気に入りで、初鑑賞時にはわざわざ映写機を巻き戻させたという。

ロナルド・レーガンは「アメリカを再び偉大に!」とのスローガンで大統領に当選した。彼が言う偉大だった時代のアメリカとは1950年代のアメリカのことだ。
今作でも描かれた1950年代のアメリカとはどういう時代だったのだろうか?

古き良きアメリカ

アメリカの50年代は「パクス・アメリカーナ」とも呼ばれるアメリカの黄金期でもあった。
好景気もあり、労働者の収入は増え、政府からの低利の融資もあり、彼らの多くは郊外に家を持つようになった。生活水準は向上し、50年代を通して一人当たりのGDPはアメリカがトップだった。そして豊かになったアメリカには「若者文化」が生まれる余裕も出てくる。

ロックンロールもその一つだ。今作で脚本を努めたボブ・ゲイルはタイムスリップ先の時代を1955年としたことについて、ロックンロールが生まれて間もない時期だからだと述べた。
終盤に指を負傷したギタリスト、マーヴィン・ベリーの代わりマーティが弾いたギターがきっかけでロックンロールが生まれるというシーンがあるのだが、この場面が成立するためには映画の舞台は1955年でなければならなかった。

パーティーでマーティが弾いたのはチャック・ベリーの『ジョニー・B・グッド』だ。その演奏を聞いたマーヴィンがチャック・ベリーに「新しい音楽を見つけたぞ!」と電話する。タイムパラドックス的なエピソードだが、実際にはチャック・ベリーはマーティの演奏の3か月前に『メイベリーン』でデビューしている。

マクフライ家とアメリカの没落

タイムスリップする前のマクフライ家はお世辞にも良い家族だとは言えない。
このマクフライ家の状況にはそのまま80年代当時のアメリカの経済的な没落が重ねられている。

マーティはトヨタのハイラックスに憧れている。安くて丈夫な日本車は石油危機をきっかけにアメリカの市場でシェアを伸ばしていった。
クルマのみならず、アメリカの多くの企業が日本の勢いに押されていた。
ボブ・ゲイルはその当時の日本の勢いについて「あの頃は本当に日本企業がアメリカを乗っ取ってしまうと信じていた」と語っている。
1988年に公開された『ダイ・ハード』でも主人公であるジョン・マクレーンの妻は日系企業で働いており、映画の舞台はその会社のビルである「ナカトミ・ビル」だ。

そんな80年代の状況が50年代だと逆になる。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3』では1955年のドクが壊れたデロリアンの部品を見てこう言う。「ああ、これは壊れるはずだ。こいつはメイド・イン・ジャパンだ」。しかし、1985年に暮らすマーティは「何言ってんのドク? 良いものはみんな日本製だよ」と言い返す。
そこから30年、日本企業はアメリカを飲み込む勢いで成長していったのだ。そんな80年代のアメリカ人から見ると、確かに50年代は黄金時代だっただろう。だが、それはマジョリティの白人に限定すればだ。

50年代の闇

マイノリティにとっては50年代は80年代とは比較にならないほど権利が抑圧された時代であった。
2015年に公開された映画『キャロル』は50年代のアメリカを舞台に人妻であるキャロルとカメラマン志望の女性、テレーズの恋愛を描いた作品だが、キャロルは同性愛者であることを理由に親権を奪われてしまう。50年代、同性愛は「治療すべき病気」と見なされていたのだ。
人種差別もそうだろう。キング牧師やマルコムXなどに代表され、60年代には公民権運動が大きな盛り上がりを見せる。結果として80年代には多くの黒人が市長になっている。80年代のヒルバレーの市長は黒人のゴールディだが、50年代には彼は食堂の掃除係だ。
2016年の映画『フェンス』はオーガスト・ウィルソンの戯曲を映画化した作品で、1950年代のアメリカを舞台に黒人の父とその家族のすれ違いを描いた作品だ。
父のトロイはかつての自分の経験から黒人がどれ程努力したところで白人と同じ待遇を得ることはできないと考えていた。そのために息子に大学へのスポーツ推薦の話が来ても無駄なことだと決めつけ、サインもしない。トロイは字も読めず、免許も持っていなかったが、黒人が就ける職業の中では良い仕事を得ていた。トロイはそれに満足し、黒人が白人と同等の権利を持つことには懐疑的だった。『フェンス』はおそらく戯曲『セールスマンの死』を下敷きにして書かれているが『セールスマンの死』のテーマは家族という幻想の崩壊である。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』もまたそれまでの家父長的な家族の形から変わりつつある姿を描いている。その象徴が奔放に生きる高校生のロレインだ。

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』に悪意はあるのか?

映画評論家の町山智浩氏は著書『最も危険なアメリカ映画』の中で『バック・トゥ・ザ・フューチャー』は差別的な映画だと言う。ロナルド・レーガンの掲げたような保守的なアメリカを善とし、50年代における黒人やマイノリティ達の困難や功績を無視しているという。

同著では同じくロバート・ゼメキス監督の『フォレスト・ガンプ/一期一会』も取り上げられている。『フォレスト・ガンプ/一期一会』はIQは低いが心優しい男、フォレスト・ガンプの半生を描いた物語で、彼の人生を通してアメリカの戦後も垣間見れる作りになっている。
だが、そこには本来避けては通れないはずの公民権運動が全く描かれておらず、さらに公民権運動を後押ししたはずのブラック・パンサー党などは悪役として描かれているなど、差別的な映画であるとの批判も多い。
確かに『フォレスト・ガンプ/一期一会』と並べて見た場合には『バック・トゥ・ザ・フューチャー』もそのような差別が潜んでいるのかと思ってしまう。

だが、前述のロレインの描かれ方を見ると、保守的なアメリカを賛美した映画とは断言しづらい。
また、冒頭でレーガンに言及している台詞を紹介したが、この台詞からはレーガンへの皮肉は感じても、賛美は感じられない。実際にこの台詞はレーガン批判でないかという声もあったそうだ。
ロバート・ゼメキスの監督デビュー作も『抱きしめたい』という、ビートルズの追っかけをテーマにした作品であった。
レーガンの唱える「保守的なアメリカ」という理想を『バック・トゥ・ザ・フューチャー』は頑なに守っているわけではない。

脚本を務めたボブ・ゲイルは『バックトゥ・ザ・フューチャー』の着想の原点はセントルイスの実家で高校時代の両親の写真を見たことだという。ボブ・ゲイルは父が学級委員だったことを知らなかった。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の根底にあるのはノスタルジーだ。ノスタルジーとなる過去はいつだって美しい思い出になってしまうものだ。
ただ、「アメリカをもう一度偉大に!」その思いはレーガンと同じだろう。

 レーガン時代の映画

同時期にはそんなレーガンの思いに呼応するような「強いアメリカ」を想起させる映画が公開されている。
1984に公開された『ターミネーター』では未来から来た兵士のカイル・リースと女子大生のサラ・コナーが世界の未来を守るために殺人マシンに立ち向かう。1982年に公開された『ランボー』はベトナム戦争の帰還兵をテーマにしているが、作品の内容はベトナム戦争の批判ではなく、むしろ無責任に戦争に反対した人々への批判だとも言える。
いずれにせよ、レーガンが映画と最も親和性の高い大統領であったことは間違いない。そんなレーガンがマーティン・スコセッシの映画『タクシードライバー』に影響されたジョン・ヒンクリーに狙撃されたのは皮肉としか言いようがないが。

さて、レーガンの言う「偉大なアメリカ」は80年代に実現できたのか。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』が公開されたのはレーガンにとって大統領の2期目となる1985年だったが、ほぼ同時期に『エルム街の悪夢』が公開されている。
同作は連続児童殺人事件の遺族に焼き殺された犯人が怪物として蘇り、若者達の夢の中で殺人を行っていくという物語だ。夢の中で殺された者は現実世界でも死を迎える。
『エルム街の悪夢』の大人に殺された殺人鬼が蘇り子供を犠牲にしていくという内容はレーガンの政治を揶揄しているという声もある。レーガンは小さな政府を目指していたのだが、政権を去るときには巨額の財政赤字を残していた。その負担は次の世代に引き継がれていく。まさに大人が生み出した「怪物」に子供たちが襲われる、『エルム街の悪夢』そのものだ。

一方で『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で80年代に戻ったマーティが目にしたのは絵にかいたように様変わりしたヒルバレーの街と家族だった。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のストーリーは映画会社から「スウィートすぎる」と指摘されていたが、この映画はアメリカの復活と明るい未来を多くの観客に感じさせただろう。

時代が求めるもの

暗い時代だからこそ、人々を勇気づけるノスタルジーが必要なのだろうと思う。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』公開から20年後の日本はかつての勢いもなくなり、「失われた20年」とも呼ばれる長期不況のまっただ中であった。
そんな時にヒットしたのが2005年に公開された 『ALWAYS 三丁目の夕日』だ。 同作は昭和33年(1958年)の東京の下町を舞台にした人間ドラマを描いた作品で、古き良き日本の温かみとノスタルジーを描いて大ヒットした。
だが、やはり同作にも「過去を美化している」「あの時代にあった不衛生さが描かれていない」などの批判の声が出た。
それは同じく古き良き時代のノスタルジーを描いた『バック・トゥ・ザ・フューチャー』への批判とそう変わらない。

その時代の影や闇の部分を描いていないという批判は確かに『バック・トゥ・ザ・フューチャー』に当てはまる。しかし、ノスタルジーを通して今の時代を生きる人々に勇気を与えることができたらからこそ『バック・トゥ・ザ・フューチャー』は大ヒットすることができたのだろう。
「アメリカを再び偉大に!」そのレーガンの想いは政治的に成功したのかはさておき、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を通して多くの人が共鳴したのではないだろうか。

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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