『フルートベール駅で』BLACK LIVES MATTERが見落としているもの

※以下の考察・解説には映画のネタバレが含まれています


2020年のジョージ・フロイド事件をきっかけにBLACK LIVES MATTER運動はSNSによって世界中に広まっていった。

ジョージ・フロイド事件

2020年に黒人男性のジョージ・フロイドは偽ドル札の使用容疑により手錠をかけられた。フロイドは手錠をかけられ無抵抗であったにも関わらず、警察官によって頸部を8分間にわたって圧迫され窒息死した。
通常頸部への圧迫は1分間であっても危険な状態になるという。

BLACK LIVES MATTERとは「黒人の命も大切」という意味だ。

BLACK LIVES MATTER という言葉が提唱されたのはこのジョージ・フロイド事件ではなく、その前の2012年に黒人の少年であるトレイボン・マーティンが白人でヒスパニックのジョージ・ジマーマンに射殺された事件からだ。当時17歳の少年であったマーティンは丸腰であったにも関わらず、ジマーマンは彼を射撃した。ジマーマンは日頃から黒人への怒りを溜め「自警団員」を自称していた。しかしこのような事件においてもジマーマンの行為が「正当防衛ではない証拠」が見つからなかったため、わずか5時間で取り調べは終わった。そして翌2013年、ジマーマンには無罪判決が言い渡される。これに抗議の声が全米から集まり、SNSを通じてデモの動きが全米に加速していった。

黒人が不当に過度な暴力を受けて命を落とす。これは今に始まったことではない。

1991年、警察によって黒人男性のロドニー・キングが暴行される事件が起きる。当時25歳だったロドニー・キングは保護観察期間中にスピード違反を起こす。
逮捕を恐れたキングは警察の制止を降りきり逃亡を図るが、捕まり、警察からの凄惨な暴力を受ける。キングはあごと鼻を砕かれた他、脚と腕の重度骨折や眼球破裂などの重傷を負う。
この当時でさえも警官による暴力が黒人の死亡原因の第4位に上がっていた。はるか昔から警察による有色人種への暴力は続いていたのだろう。

ロドニー・キングの事件をきっかけに巻き起こったロサンゼルス暴動は2,383名の負傷者、1万2,000名にも膨れ上がる逮捕者を出すほどの大規模な暴動に発展した。

なぜこのような事件が後を絶たないのか?その本当の原因は何か、そして私たちが本当に見なくてはならないものは何か、今回はこの映画から探っていこう。

『フルートベール駅で』

今回紹介したい『フルートベール駅で』は声高に黒人差別の解消を謳った映画ではない。だが、生きることの崇高さを教えてくれる作品だ。
誰の命も不当に奪われるべきではない。
『フルートベール駅で』は2013年に公開されたドラマ映画。監督は今作が長編デビュー作となったライアン・クルーガー。主演はマイケル・B・ジョーダンだ。当初はわずか7館での公開となったが、その内容が絶賛され、1063館へと拡大公開された。
今作は2009年1月1日に起きたオスカー・グラント三世射殺事件をとりあげ、彼のその一日を描いている。
映画はオスカーがフルートベール駅で警官から暴行を受ける実際の映像から始まる。2009年1月1日、オスカー・グラントは22歳の若さで亡くなる。この映像はYouTubeにアップされ、瞬く間にアメリカ中に広まっていった。

監督のライアン・クルーガーは、本作をドキュメンタリー映画として制作するプランも持っていたが、結局は俳優に演技させることに決めたという。それにはドキュメンタリーよりドラマ形式で演技させた方が早く映画を完成させられる(実際に『フルートベール駅で』の撮影日数はわずか20日ほどだ)ということと、ドラマの方がキャラクターにより感情移入してもらえると考えたからだという。

クーグラーは亡くなったオスカーと同い年であり、生まれ育った場所もオスカーと同じサンフランシスコのベイエリア。またクーグラーの母親はオスカーの母親と同じアパートに住んでいた。
「観客にオスカーの物語につながりを感じてほしかった」そうクーグラーは語っている。彼はオスカー・グラントを聖人でも悪人でもなく、私たちと変わらない一人の人間として忠実に描こうとしている。
人種や社会的地位、職業ではなく、あくまで「一人の人間の尊厳」を描くことが今作の狙いであり、今までの差別を訴える映画作品とは一線を画すところだろう。

黒人差別の現状を訴える作品においては、その不公平さを是正しようと行動する人々にその焦点が当てられることが多い。例えば『フルートベール駅で』でオスカー・グラント三世を演じたマイケル・B・ジョーダンは2019年に『黒い司法 0%からの奇跡』という映画で、弁護士であるブライアン・スティーヴンソンを演じている。同作もまた理不尽な扱いを受けた黒人男性の実話をもとにした映画だ。

1987年6月、ウォルター・マクミリアンは白人女性のロンダ・モリソンを殺害した罪で逮捕される。彼が殺人を行ったという証拠はなかったが、検察側は誘導尋問などを駆使してウォルターを犯人に仕立て上げた。裁判は1988年8月15日に始まったが、わずか1日半でマクミリアンには終身刑が宣告される。この時の陪審員の構成は11人の白人と1人のアフリカ系アメリカ人だった。
弁護士のブライアン・スティーヴンソンはウォルター・マクミリアンの無実を晴らすために奔走する。

だが、『フルートベール駅で』はそのような黒人差別と戦う力強い映画ではない。そこにあるのは一人の人間の未来への希望と家族を理不尽に奪われた者の悲しみだ。

黒人を取り巻く現実

もちろん一方でアメリカ社会における黒人を取り巻く現実も知っておかねばならない。 ZAi ONLINEの橘玲氏のコラムを参考に見てみよう。

まず前提にしたいのはアメリカの人口における黒人の割合だ。2018年のデータによると黒人は人口の13%を占めている。しかし全米の殺人事件の53%、強盗の約60%に黒人は関わっている。
2019年に警官は1004名を射殺したが、そのうち黒人が占める割合は4分の1の235人だった。この数字から見ると、黒人による犯罪率の高さは事実だろう。しかし実際にはその割には実際に撃たれる可能性は低いということがわかる。
また橘玲氏によればそのほとんどが容疑者が武装しているか、危険なケースであり、2014年に起きたマイケル・ブラウン射殺事件(ファーガソン事件)も実際は黒人少年のマイケル・ブラウンは警官の銃を奪おうとするなど危険な状態であり、警察は正当防衛として射撃したのだが、メディアは「丸腰の黒人少年を白人警官が射殺した」と大きく報じたのだという。
2020年に新任した検察官のウェスリー・ベルは、この事件について射撃した警察官ダレン・ウィルソンを起訴する観点から5カ月かけて密かに調査したが、起訴することはできないとその結果を発表している。

一方でCNNとカイザ・ファミリー・ファウンデーション(KFF)の調査では「過去30日の間に警察に人種を理由として理不尽な扱いを受けた」と感じたアフリカ系アメリカ人は19%、ヒスパニック系は17%に上った一方で白人は3%だった。

実際に警察が人種差別をしているかどうか、「レイシャル・プロファイリング」の視点からも述べておこう。レイシャル・プロファイリングとは容疑者を絞り込むときに人種的な要素を盛り込むことだが、合衆国憲法に照らし合わせると、これは違憲となり禁止を明示している州もある。だが実際にはランダムに選んだはずでも、圧倒的に黒人が多いという結果も出ている。ミネアポリス市ではランダムに停車させた車の80パーセントが黒人のドライバーだったという。
他にも、違法薬物を使用している割合は黒人・白人も同程度の割合なのだが、例えばマリファナ所持で黒人が捕まる確率は白人の3.7倍だという。

こうしてみると、黒人の方が犯罪率が高いというのも黒人の方が「警察に捕まりやすい(=犯罪件数として扱われやすい)」ということはあるのかもしれないとは思うが、ではなぜ警察が黒人を多く検挙しているのかを考えると、先に述べたように「犯罪率が高いから」と言えなくもない。
卵が先か、鶏が先か、のような堂々巡りになってしまいそうだが、そもそも黒人の犯罪率の高さの原因には貧困もあることは記しておこう。黒人の貧困率は白人の2倍にもあたる。国や人種に関係なく、貧困率と比例して犯罪率は上がっていく。では彼らの貧困の原因は何かというと、差別があるからだ。
BLACK LIVES MATTER運動においては「アメリカの警察には人種偏見が蔓延している」として警察組織の解体を叫んだ人たちもいたのだが、それよりも問題は差別が生み出される構造そのものではないのか?

こうしてみるというまでもなく人種差別は警察問題だけでなく、社会全体にまとわりづいた深い根を持つ問題だ。警察官による黒人への射殺事件はそうした差別が巡り巡って起きた結果だろう。
黒人=「かわいそうな被害者」、警察=「人種差別主義者の加害者」という見方でこの問題は捉えられるべきではない。いかなる人種差別も許されるべきではないし、存在してはならない。まして丸腰の人間を射殺するなど自警行為でも正当防衛でもなく、ただの殺人だ。

ALL LIVES MATTER

『フルートベール駅で』を観ると、BLACK LIVES MATTERの枠を超えALL LIVES MATTER(すべての命は大切)というメッセージを感じる。黒人である前に一人の人間を描いているからだ。

ALL LIVES MATTER(すべての命は大切)はBLACK LIVES MATTERのカウンターとして生まれた言葉だが、やや否定的な意味合いにとられることもある。

そもそもALL LIVES MATTERが生まれたきっかけは、BLACK LIVES MATTERが一部の人に「黒人の命が大切」だと受け止められてしまったからだ。
(本来のBLACK LIVES MATTERは「黒人の命も(ほかの人たちと同様に)大切」という意味だ)

加えてBLACK LIVES MATTERを叫ぶデモが暴力に発展してしまったからでもあるのだろう。
権利や平等、自由を守るために声をあげるのは当然のことだ。個人的にはBLACK LIVES MATTERが本来の平等を訴える運動であるならば全面的に支持したい。
しかし、それらを守るために他のなにかを攻撃したり破壊したり、貶めたりするのであれば、それは今までに受けてきた差別や暴力をただ同じ手段で返しただけではないか?

ジョージ・フロイドが警察官に殺された3日後の5月28日にミネアポリス反人種差別デモが起きた。その一部が暴徒化し、警察署への放火や略行為が起きた。それに対してミネソタ州知事のティム・ワルツは非常事態宣言を行い州兵を出動させた。
この事態を受けて6月1日、 ジョージ・フロイドの弟であるテレンス・フロイドは兄が死亡した場所を初めて訪れ、人々にこう語った。
「あなたたちの怒りは分かるが、私の半分も怒ってはいないだろう」
「それでも、わたしは暴れるためにここへ来たのではない。わたしがものを壊したり、コミュニティーをめちゃくちゃにするためにここへ来たわけじゃないのに、あなたたちは何をしているのか? 何もしていない。これでは兄を連れ戻すことなどできない」

と、暴力ではなく、平和的な方法で差別を解決しようと語りかけた。

デモ隊が掲げるプラカードの中には「No justice No peace」、「Black Lives Matter」という言葉とともに「Good cops are dead cops」(善良な警察官は死んだ警察官だけ)という言葉も目立ったそうだ。それはインディアン戦争でアメリカインディアンを虐殺したフィリップ・シェリダンの言葉(「良いインディアンは死んだインディアンだ」)がもとになっているのに!

私の思うALL LIVES MATTERは、すべての人を含めたすべての人が平等であるべきだ、ということだ。誰が中心の社会でもない。人生の主役は他ならない自分自身のはずだ。

「オスカーは僕であってもおかしくなかったと思ったんだ。」

ライアン・クルーガーはそう言う。『フルートベール駅で』には肌の色や生まれた場所、育った環境に関わらず、だれにもかけがえのない人生があるのだということに気づかせてくれる。

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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