『ホテル・ルワンダ』国際社会から切り捨てられた世界

唐突だが、「50万人から100万人もの人が犠牲になった虐殺があった」と言われて、それは何だと思うだろうか。
第二次世界大戦中の出来事?もしくはベトナム戦争?少し世界史の知識がある人ならカンボジアのポル・ポトを思い浮かべるだろうか。
だが、「1994年に50万人から100万人もの人が犠牲になった虐殺があった」と言い直したらどうだろう。すぐに答えられる人は少ないのではないか。
この答えはルワンダ虐殺だ。
6000人の犠牲者を出した9.11のテロは100年後の世界史にも掲載されているだろう。だが100万人が亡くなったルワンダ虐殺は果たしてどうだろうか。

アフリカのシンドラー

今回はルワンダ虐殺をテーマにした『ホテル・ルワンダ』を紹介したい。
私たちのいう「世界」の実態がどれだけ偏っているかをこの映画は炙り出しているからだ。『ホテル・ルワンダ』は実話を元にした映画で、1262人もの避難民を虐殺から救い出し、「アフリカのシンドラー」と呼ばれたポール・ルサセバギナが主人公だ。
ポールは白人向けのホテルであるミル・コリンズ・ホテルの支配人をしている。
ちなみにミル・コリンズとはフランス語で「千の丘を持つ国」という意味だ。

千の丘とはルワンダの地形に由来する。ルワンダの国民はツチ族よりフツ族の占める割合が多い。伝統的にツチ族は遊牧民が多く、フツ族は農耕民が多いのだが、ルワンダの千の丘の地形は農業には向かず、フツ族はツチ族に比べて経済的にも貧しかった。
古くからルワンダは王族が国を治めてきたが、その王は代々ツチ族が占めている。
だが、このころはフツ族とツチ族の間に対立はなく両者は平和に暮らしていた。また、もともとフツ族とツチ族は同じ  民族であり、その両者を分ける決定的な違いもなかったのだ。フツ族とツチ族の結婚も珍しくはない。『ホテル・ルワンダ』でもポールはフツ族だが、妻のタチアナはツチ族だ。

『ホテル・ルワンダ』ではラジオの放送がまず流される。

「”なぜツチ族を嫌うのか”と尋ねられたら、”歴史を学べ”と答える。
ツチ族は植民地支配に協力し、仏族の土地を奪い搾取した。今その反乱軍が帰ってきた。奴らはゴキブリで人殺しだ
ルワンダは仏族の国、我々こそ多数派。奴らは売国奴で侵略者だ。我々はRPF(ルワンダ愛国戦線)の反乱軍どもを一掃する。
こちらはフツ・パワーのRTLM局」

そして虐殺前のルワンダの日常が映し出される。街は一見平和に見えるが、ラジオからは「ツチ族はゴキブリだ」とアジテートが流れ、町にはツチ族排斥のデモが行われている。
緊張を極限まで膨らませた風船のような情勢だったが、フツ族を中心としたルワンダ政府とツチ族を中心としたルワンダ愛国の間で和平協定が結ばれる。この決定で今の対立状態も落ち着くだろうと安堵するポールだったが、家に帰ると妻から「大統領の乗った飛行機が撃墜された」と聞く。
そして、それをきっかけにルワンダ虐殺が始まることになる。
ではなぜこの2つの民族は虐殺を引き起こすまでに対立していったのだろうか。

フツ族とツチ族の歴史

平和な時代を築いていたルワンダ王朝だが、19世紀の末になると西欧諸国の手がルワンダに伸びてくる。1884年に開催されたベルリン会議でルワンダの意思は一切考慮されず、一方的にドイツの植民地にすることを決められた。ドイツの植民地支配はイギリスの植民地政策に倣ったもので、まずツチ族と仲良くなり、ツチ族を直接支配し、ツチ族にフツ族を支配させるという方法だった。これにより、フツ族とツチ族の間に対立が生まれた。

第一次世界大戦でドイツは敗北するが、ルワンダへの植民地支配は終わらず、ベルギーがドイツに代わって引き続きルワンダを支配するようになる。ベルギーはドイツが行っていた民族対立をさらに推し進めた。
ベルギーはツチ族のフツ族に対する支配を正当化するために、ジョン・ハニング・スピークが唱えた「ツチ族の祖先は白人の血を引くコーカソイドであり、それゆえにフツ族を支配する優等性がある」との学説(ハム仮説)を広めていった。それはナチス・ドイツがユダヤ人に対するアーリア人の優等性を創作したことと変わらない人種差別の思想であった。
これにより、フツ族とツチ族の人口調査においてそれぞれの区別を外見的な違いから判断し、それぞれの民族の人口を洗い出した。もちろんこれには何の意味もない。

映画の中でもホアキン・フェニックス演じるジャーナリストのジャックがホテルに居合わせた女性客二人にそれぞれの 属する民族を訪ねる場面がある。一人はフツ族で、一人はツチ族だったが、ジャックは「見分けがつかない」と呟く。だが、ルワンダの国民は自分がどちらの民族かが明記してある身分証明書を持っていた。ポールの身分証明書には大きくフツ族という明記がある。これも先の人口調査を元に記載されたものだ。

一方で、ベルギーの植民地支配時代にルワンダへ派遣されたキリスト教の聖職者たちもこのような人種差別的には否定的で、被支配層だったフツ族の権利の回復を目指す運動を始めていく。
個人的にもそれ自体は正しいと思うが、反面フツ族へある思いを抱かせることにもなった。
「ツチ族よりもフツ族が古くからこの地に住んでいたのであれば、私たちフツ族がルワンダを支配するのが本来のあるべき姿ではないのか?」
このフツ族の思いはフツの知識人たちの手により1954年にフツ宣言という形で発表される。
しかし、これをきっかけにツチ族とフツ族の対立は激化、ベルギーはそれまで支配層だったツチ族ではなく、多数派のフツ族を支援するようになる。
ルワンダではフツ族の政党が議席を伸ばし、国民投票の結果、それまでの王政は廃止され、共和制として生まれ変わることになる。その時の最後の国王はキゲリ5世であるが、キゲリ5世の兄であり、前国王であるムタラ3世は不可解な最期を迎えており、当時のツチ族の間では暗殺という見方が強かった。
ちなみにムタラ3世はルワンダ国王で初めてキリスト教(カトリック)に改宗した国王であり、そのためにルワンダ国民にはキリスト教徒が多い。現在はルワンダの80%を越える国民がキリスト教徒である。『ホテル・ルワンダ』でもタチアナの胸元に十字架のペンダントを見ることができる。

フツ・パワー

ルワンダは1962年に独立を果たす。もともと資源に乏しいルワンダはベルギーにとっても重要な植民地ではなかった。
だが、依然としてフツ族とツチ族の対立は続き、多くのツチ族の難民がウガンダに流れ込んだ。彼らの中から武装民兵が現れ、度々ルワンダのフツ族へ攻撃を繰り返した。そして、1987年には「ルワンダ愛国戦線(RPF)」が結成され、1990年にはルワンダ政府に対して宣戦布告を行う。
こうしてルワンダ内戦は本格化していった。この裏には当時のルワンダ大統領のハビャリマナとその一家が汚職により私腹を肥やしていることへの民衆からの批判をそらすためにツチ族への敵意を煽ったこともある。経済的な国民の不満もあり、ツチ族迫害の動きは激しさを増していく。しかし、国際社会からの批判もあり、10992年のにルワンダ政府とルワンダ愛国戦線(RPF)の間で和平合意が結ばれ、ルワンダ内戦はひとまずは終結した。

しかし一度火のついた対立は簡単には消えなかった。
『ホテル・ルワンダ』で冒頭に登場するラジオ局のRTLMは1993年の8月9日に開局したラジオ局だ。当初は若者向けの音楽などを流すラジオ局であったが、次第にツチ族に対する敵意をむき出しにしていく。当時のルワンダの識字率は50%であり、国民にとってラジオは大きな影響力を持っていた。
同局はフツ過激派によるヘイトスピーチの拠点となり、ツチ族をゴキブリ呼ばわりし、彼らを根絶やしにすべきだと繰り返し叫んだ。そしてルワンダは仏族によって支配されるべきだと説いた。このフツ至上主義のイデオロギーは「フツ・パワー」と呼ばれる。

そして、和平合意から1年も経たない1994年4月6日にハビャリマナ大統領が暗殺され、それを契機にルワンダ虐殺が始まっていく。

世界から見捨てられたルワンダ

ルワンダ虐殺において、犠牲者の80%は虐殺が始まって6週間までに殺害されたと言われている。虐殺は4月に始まってから12週間後に終わるが、その前半にほとんどの犠牲者が殺害されている。
しかし、国際連合がルワンダ虐殺を認定したのは5月17日であり、それによって国連軍がルワンダに派遣されたのは7月になってからだった。
国際連合ルワンダ支援団の司令官であるロメオ・ダーレルは虐殺発生当時からルワンダへ国連から平和維持軍の派遣を要請していたが、これらは全て拒否された。
また、虐殺が始まって2日後にワシントン・ポストがルワンダでの出来事を記事にしたのだが、アメリカは何も動くことはなかった。
『ホテル・ルワンダ』の劇中でもアメリカ人ジャーナリストのジャックが秘密裏にルワンダの虐殺をカメラに収め、それをニュースを通して世界に発信しようとする。
ポールはそれがきっかけとなって、国際社会がルワンダに介入し、虐殺を止めてくれることを期待するが、ジャックからの返事は「世界の人はあの映像を見て皆『怖いね』と言ってそのままディナーを続けるだろう」というものだった。

果たして現実はそれ以上だった。諸外国から助けが来るどころか、それまでルワンダに留まっていた国連軍も撤退してしまう。

『ホテル・ルワンダ』では国連軍の司令官としてニック・ノルティ演じるオリヴァー大佐が登場する。これは前述のダーレルをモデルにした人物だ。
虐殺が始まって、各国から兵士がルワンダにやってくる。ポールは国連の介入で救助されると思い、オリバー大佐と祝杯を上げようとするが、オリバー大佐が伝えたのは国連軍の撤退だった。
「(西側の超大国は)”君らはゴミ”そう思っている」「救う値打ちがないと思っている」
どういうことです?そう尋ねるポールに大佐はこう答える。
「君はわかっているだろう。君は頭が良く、スタッフからの人望も厚いがオーナーにはなれない。君が黒人だからだ。”ニガー”ですらない。アフリカ人だ。」
ニガーはアメリカで黒人を指す蔑称だ。
国連軍は各国の外国人をルワンダから退避させるとそのままルワンダを去っていった。オリヴァー大佐と最小限のメンバーだけがルワンダに残った。

西欧諸国とほぼ利害のないルワンダの虐殺は介入はおろか虐殺行為との認定もなかなか行われず、その結果として100万を越える死者を出すことになってしまった。 ルワンダにもっと早く国際社会が介入していたら、ここまで多くの犠牲者は出なかったのではないかと言われている。
当時のアメリカの国務長官であったウォーレン・クリストファーは5月21日まで「ジェノサイド」(虐殺)との言葉を公式に使用することを認めなかった。その後もアメリカ政府当局者が公然「ジェノサイド」の語を使うようになるまでにはさらに3週間かかった。虐殺だと認めれば「集団殺害罪の防止および処罰に関する条約(通称:ジェノサイド条約)」に批准していたため、虐殺だと認めれば行動しなければならなかったからだ。
アメリカには1991年に起きたソマリア内戦への介入の失敗があった。

モガディシュの戦闘

当時泥沼化していたソマリア内戦の中で難民の飢餓が国際的な課題となっていた。国際連合は難民の飢餓を救うために平和維持活動から平和的積極活動での軍事介入に舵を切る。この作戦はソマリア民兵のモハメッド・ファッラ・アイディードの側近二人を捕らえることを目的としており、作戦は30分足らずで終了する予定だった。この作戦は国連軍ではなくアメリカ軍単独での作戦となり、それが失敗の一つの要因にもなった。
30分足らずで終わるだろうと思われていた戦闘だが、2機のブラックホークが民兵組織によって墜落させられる。他の兵士たちが救出に向かうも民兵に包囲され、籠城を余儀なくされた。
結果として作戦の終了まで15時間も費やすこととなり、18名の犠牲者が出た。犠牲者の遺体は裸にされ住民に引きずり回された。その映像がアメリカのニュースで放送され、世論は撤退に傾いていく。そしてアメリカはソマリアから撤退する。ベトナム戦争以来の規模の敗北だった。

この戦闘はモガディシュの戦闘と呼ばれ、2001年にリドリー・スコットが『ブラックホーク・ダウン』という映画にもしている。
そしてこの失敗がアメリカの他国への軍事介入を慎重にさせたと言われている。
ルワンダ虐殺当時、アメリカ合衆国大統領であったビル・クリントンは1999年にインタビューで「もしアメリカから平和維持軍を5000人送り込んでいれば、50万人の命を救うことができたと考えている」と述べている。

日本にとってのアフリカ

もちろん、ルワンダを軽視している国際社会のなかには日本も含まれる。
『ホテル・ルワンダ』そのものがルワンダ軽視のひとつの事実であるからだ。2004年に製作された『ホテル・ルワンダ』は高い評価を得てにアカデミー賞作品賞にノミネートもなったのだが、配給権の高騰と日本人にはあまり馴染みのないルワンダ虐殺というテーマによって日本では配給会社の買い手がつかずに未公開となっていた。
そこで映画評論家の町山智浩氏などが『ホテル・ルワンダ』日本公開を求める会」(現『ホテル・ルワンダ』日本公開を応援する会)による活動により配給元が決まり、日本でも2006年にようやく公開されることとなった経緯がある。

また同じくルワンダ虐殺を取り扱った書籍『ジェノサイドの丘』の翻訳を担当した映画評論家の柳下毅一郎氏は、原書を訳そうと思い出版社に持ち込んだが、「アフリカの事件では読者への訴求力がない」と片っ端から断られたと語っている。

ポール・ルサセバギナのその後

『ホテル・ルワンダ』の主人公、ポール・ルサセバギナはルワンダ虐殺の後、ベルギーに亡命し運送会社を経営。2005年にはアメリカから民間人に対する最高の勲章である「大統領自由勲章」も授与されている。
しかし、反ルワンダ政府組織に資金提供していたことが明かになりルワンダ政府から国際指名手配された。

ルワンダ大統領のポール・カガメはルワンダ愛国戦線(RPF)出身であり、民族差別の撤廃に力を注ぎ、ルワンダの著しい経済成長をバックアップした人物だ。今のルワンダの身分証明書や公文書に民族名を記入したり、公式の場で民族の区別を論じることが禁じられているが、これらはカガメ大統領が実施した政策だ。
一方でカガメ大統領には反対勢力への弾圧などもあり、独裁的であるという批判もされている。

以前から反ポール・カガメ政権の立場をとっていたポール・ルサセバギナは2020年に逮捕され、禁固25年の刑を言い渡されている。

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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