『クリード 過去の逆襲』デイミアンはなぜクリードを憎むようになったのか?

※以下の考察・解説には映画のネタバレが含まれています


2015年に公開された『クリード チャンプを継ぐ男』は『ロッキー』シリーズのスピンオフではあったものの、映画の完成度はスピンオフの枠を超えて一つの作品として際立っていた。
『クリード チャンプを継ぐ男』は伝説のボクサー、ロッキー・バルボアのライバルかつ親友のアポロ・クリードの息子(私生児)であるアドニス・クリードが主人公だ。

アドニス・クリード

幼い頃に父を亡くしたアドニスは孤児院にいるところをアポロの正妻であるメアリー・アンに引き取られ、メアリーの養子として暮らす。裕福な暮らしの中でメアリーの愛情を一身に受けて育ったアドニスは大学を出て証券会社で働いていたが、心の中にはボクシングへの想いがくすぶり続けていた。周囲の反対を押し切り、アドニスはボクサーとして身を立てていくことを決意する。
そして、父のライバルであったロッキーの元を訪れ、自身をトレーニングしてくれるように頼む。既にボクシングからは距離を置いていたロッキーだったが、悩んだ末にアドニスの頼みを聞き入れる。
アドニスはロッキーをトレーナーにし、二人は二人三脚で夢をつかむために支え合っていく。

かつてのシルヴェスター・スタローンがそうであったように、『クリード チャンプを継ぐ男』で映画監督のライアン・クーグラーも主演を務めたマイケル・B・ジョーダンも一夜にして栄光を掴んだ。
その後2018年に公開された続編の『クリード  炎の宿敵』では、クリード親子の因縁の相手であるドラゴ親子との対決が描かれる。
『クリード 炎の宿敵』を細かく理解するには『ロッキー4/炎の友情』を観ておかねばならないが、ここで押さえておきたいのは『ロッキー4/炎の友情』の公開当時の評価は決して芳しいものではなかったということだ。東西冷戦の雪解けムードなど当時の時代背景を盛り込んだ部分はあるものの、ストーリー展開は凡庸でありきたりなものだった。だがそれも『クリード 炎の宿敵』によって『クリード』シリーズを理解するための重要作として再認知された。『クリード 炎の宿敵』が過去作を救い上げたのだ(その後にはスタローン自身の再編集版である『ロッキーVSドラゴ:ROCKY IV』が公開された)。

『クリード 過去の逆襲』

そして今回『クリード』シリーズの最新作として製作されたのが『クリード 過去の逆襲』だ。
『クリード 過去の逆襲』は2023年に公開されたボクシング映画。『クリード』シリーズとしては3作目、『ロッキー』シリーズとして数えると9作目となる。
『クリード 過去の逆襲』ではマイケル・B・ジョーダンが主演と監督を兼任している。マイケル・B・ジョーダンにとっては今回が映画監督デビュー作となる。一方『クリード チャンプを継ぐ男』、『クリード 炎の宿敵』でロッキーを演じたシルヴェスター・スタローンは今作には出演していない(製作には名を連ねている)。
その理由について、スタローンは当初想定していた内容から外れてしまったことを挙げている。

『クリード 過去の逆襲』ではアドニスの幼い頃のある出来事と過ちが明らかになる。
アドニスは幼い頃、孤児院で知り合ったデイミアンと賭けボクシングを行っていた。デイミアンはアドニスより年上で、その世界では負け無しの王者でもあった。
いつものようにデイミアンと連れ立っている時に、アドニスはある男とすれ違う。彼の名はレオン。孤児院の時にアドニスとデイミアンを虐待していた職員だつた。アドニスはレオンを何回も何回も殴り付ける。
レオンの仲間がアドニスを襲おうとするが、その時にデイミアンは銃を手にして彼らを威嚇する。そこに警察も出動。まだ執行猶予期間中だったデイミアンは刑務所に服役することになった。しかし、アドニスはその場を逃走。収監されたデイミアンに何の連絡もにとらずに今まで「忘れたい過去」として心の中で無かったことにしていた出来事だった。
だが、デイミアンが出所し、アドニスに会いに来る。
アドニスは既にボクサーとして大成功しており、今は引退してジムを経営しながら、後進の育成に力を注いでいた。目下の目標は有望な若手のフェリックスのタイトルマッチ。相手は『炎の宿敵 』でアドニスと戦ったヴィクター・ドラゴだ。
アドニスは過去の罪の意識から、デイミアンに何かと手をかけるが、デイミアンはボクサーとして世界タイトルマッチへの挑戦を望んでいた。

もう一人の自分

今作はアドニスが自分自身と向き合う物語だ。幼い頃、兄弟同然の存在だったデイミアンは「成功できなかったもう一人の自分自身」でもある。今作はやけにクリード一家のセレブ生活が映し出されるが、それによって何も持たないデイミアンとのコントラストがはっきりと浮かび上がる。
デイミアンにとってもアドニスは「もう一人の自分」だ。もし何かが少しでも違っていれば、いや、あの時アドニスが逃げなければ、先にボクシングの才能を開花させチャンプになっていたのは自分だったかもしれない。

スタローンは『クリード 過去の逆襲』の内容はダークすぎると感じて出演を見送った。

『クリード』シリーズのロッキー

『クリード』シリーズの主役はアドニスだが、実質的にはロッキーも準主役と呼べるほど重要な登場人物だ。
ロッキーは父を亡くしたアドニスにとっての父親的な存在をこれまでの『クリード 』シリーズで担っていた。もちろんトレーナーとしてアドニスを最高の状態まで鍛え抜く役割もロッキーだ。それが目的を掴みとるための試練であり負荷となってドラマを力強く演出し、一本の道筋を与えていた。
そういった意味ではロッキーがいなくなった『クリード 過去の逆襲』こそ、『クリード』シリーズが『ロッキー』シリーズと完全に切り離してなお魅力あるコンテンツとして成立するかの試金石だったと思う。結果から言えばコンテンツの魅力はなんとか保っている。だが、ストーリーとドラマが少し分かりにくくもある。

メアリー・アンはなぜ手紙を隠したのか?

例えばデイミアンが刑務所からアドニスへ出した手紙をメアリー・アンはなぜ隠し続けていたのか。
映画の中では手紙の内容には一切触れられてはいない。内容よりもその存在が大切だからだ。
メアリー・アンはアドニスに刑務所に入るような暮らしは送ってほしくなかった。だから悪友であるデイミアンとの関係を無理矢理にでも絶ち切ったのだった。
タイトルマッチを希望するデイミアンに対し、アドニスは無理だと断るが、デイミアンはなりふり構わずに王座を狙っていく。その中でデイミアンは次第に本性を現していくが、アドニスだけがそれに気づかないふりをしていた。

デイミアンはアドニスとビアンカに招かれてパーティーに出席する。その場に同席していたドラゴが暴漢に襲われ、負傷する。
フェリックスのタイトルマッチがあわや中止かという時にアドニスはフェリックスの相手に素人ボクサーのデイミアンを推薦する。アドニスはかつて自分の父親のアポロ・クリードが無名のボクサーだったロッキー・バルボアにチャンスを与えたのと同じことと自分を納得させていたのだろう。
だが、試合はデイミアンの反則スレスレの汚い戦法により、フェリックスの敗北に終わる。そして、メアリー・アンが隠し持っていた手紙のなかにデイミアンとドラゴを襲った男が刑務所の中で仲良くしている写真を見つける。

デイミアンはずっとアドニスへの憎しみを胸に秘めていたのだった。アドニスは自分の過去の過ちを妻のビアンカに打ち明ける。
チャンプとなったデイミアンはメディアにアドニスの過去を暴露する。これによってアドニスには辛辣な声も寄せられるようになった。このあたりは昨今のコンプライアンスとSNSの関係を連想させる。

過去作とのリンクとオマージュ

アドニスはデイミアンを止めるために現役復帰し、デイミアンとのタイトルマッチに挑む。
もうロッキーのような指導者はいない。自分で自分を取り戻すしかない。
アドニスは怪我から復帰したドラゴ相手にスパーリングしてもドラゴにも歯が立たない。この『クリード 過去の逆襲』は『クリード』シリーズのみならず、『ロッキー』シリーズの過去作のエッセンスがそこかしこに散りばめられているように感じる。
前述のドラゴは『クリード 炎の宿敵』でのアドニスの対戦相手であり、冒頭でアドニスの引退試合の相手だったコンランは『クリード チャンプを継ぐ男』の対戦相手だった。
また、引退後の生活から一転してプロボクサーへの復帰とそれによって傷んだ体を考慮したトレーニングは『ロッキー・ザ・ファイナル』を彷彿とさせる。

このクライマックス前の特訓のシーンは『ロッキー』シリーズからのお約束だが、アドニスが駆け上がるのは「ロッキー・ステップ」として有名なフィラデルフィア美術館ではない。ロサンゼルスのハリウッド。
それは『クリード チャンプを継ぐ男』に登場するアドニスのステージネームであるハリウッドと同じだ。また、子役時代から演劇の世界で活動しているマイケル・B・ジョーダンにとっては映画監督を果たしたことで、ハリウッドでの地位を固めたという思いもあったのかもしれない。

ロッキーについて語るべき物語

だが、やはり『クリード』シリーズの過去2作と比べると作品全体の根底に流れていた重厚感は幾分薄れてしまっている。あくまでアドニスが主役とは言え、ロッキーとの師弟関係も『クリード 』シリーズの大きな魅力であったのは間違いない。 ロッキーとアドニスの友情、伝説のボクサーとしてロッキーが繰り出す的確なアドバイスとアドニスのボクサーとしての完璧なフィジカル。そのコンビネーションも『クリード』シリーズの大きな魅力だっただろう。

『クリード 過去の逆襲』の批評でもロッキーの不在についてはドラマを損ねる結果になったと否定的な意見が多い。
だが、あくまで『クリード』シリーズを『ロッキー』シリーズの一部、ロッキーの物語と考えたときに、果たしてこれ以上ロッキーについて語るべきことがあるのか?という疑問もある。
ボクサーとしての人生が終わっても、人生は続いていく。戦い続けなくてはならないという意味においてはボクサーも人生も変わらない。
ロッキー・ザ・ファイナル』ではロッキーが息子のロバートに人生をこう語るシーンがある。『ロッキー・ザ・ファイナル』の中でも屈指の名場面だ。

「世の中はいつもバラ色じゃない。それなりに厳しく辛い事も待っている。
気を抜いていたらどん底まで落ち込んで二度と這い上がれなくなる。それが人生だ。
人生はどんなパンチよりも重くお前を打ちのめす。だが、どんなにきついパンチだろうと、どれだけこっぴどくぶちのめされようと休まず前に進み続けろ。
ひたすら苦痛に耐え前に進むんだ」

それを『クリード』シリーズにおいてロッキーは実際に示してきた。『クリード チャンプを継ぐ男』の中でそれは癌との戦いであったし、『クリード 炎の宿敵』の中では孤独な日々のなかで家族との距離感を掴めず、息子との関係に迷う姿がそうだった。同作のラストでロッキーは勇気を出して息子の住むカナダを訪れる。そこで初めて孫と会い、息子とも和解の抱擁を交わす。既に妻のエイドリアンもその兄で親友のポーリーも亡くなっている。ロッキーの人生にこれ以上語るべきものがあるだろうか。もし、あるとすればそれはロッキーの死以外にはないが、誰が伝説の男が弱々しくこの世からいなくなる瞬間を見たいと言うのだろうか。

デイミアンとの対決はボクシングの試合よりも二人とも子供だったころに戻ったかのような演出がなされている。このあたりは大のアニメ好きを公言しているマイケル・B・ジョーダンらしい漫画的なアプローチだが、ボクシングマッチの拳と拳がぶつかり合う生々しさを期待していると、肩透かしにあったような気分になるだろう。

その意味で『クリード チャンプを継ぐ男』や『クリード 炎の宿敵』にあった痛々しい傷の描写やむき出しの殴り合いの極限状態の中で前に進む勇気などの要素が薄くなっていたのは否めない。もちろん初監督作としてはマイケル・B・ジョーダンは素晴らしい作品を作ったと思う。だが、これまでの『クリード』シリーズが求めるハードルは並み以上に高いところにあるというだけだ。

『クリード』ユニバース構想

ちなみにマイケル・B・ジョーダンの中にはマーベルやDC作品のようなユニバース構想もあるという。
本編の後には数百年後の世界を舞台にした『クリード 新時代』のアニメが上映されたが、もし『クリード 過去の逆襲』に続きがあるなら、アドニスの娘、アマーラのボクサーとしての姿を観てみたいと思う。
デイミアンとの試合に勝った後のリングの上にはアマーラとアドニスがボクシングごっこをしている。そこにはアドニスを倒し、ベルトを手にするアマーラの姿がある。アマーラは生まれつき耳が聞こえないという設定だ。

『ロッキー』から『クリード』へ、50年近くにわたってシリーズが愛されているのは人間として普遍的なものを描いているからだ。挑み続けることの困難さと大切さ。勇気を持つこと。それはどんな環境にいても、どんな性別でも、そしてどんな時代でも変わらない。

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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