『クリード 炎の宿敵』スタローンが描いたドラゴ親子への救済

※以下の考察・解説には映画のネタバレが含まれています


2013年に公開された『クリード チャンプを継ぐ男』は抜群に面白かった。
『クリード チャンプを継ぐ男』はロッキーの最大のライバルにして親友のアポロ・クリードが遺したアドニス・クリードが主人公だ。

もともと『ロッキー・ザ・ファイナル』が個人的にフェイバリットな作品ではあったが、『クリード チャンプを継ぐ男』にも共通の精神性を強く感じた。それは「決して諦めない」ということだ。

クリードは裕福な家庭に育ち、証券会社で働くなどある程度の成功をしているが、それらを一切捨ててボクシングの道を歩む。ロッキーをトレーナーに迎え、父の名も隠して、自分自身の力で道を切り開こうとする。
『ロッキー』シリーズの魅力のひとつである、何度倒されても立ち上がるその不屈の精神は『クリード チャンプを継ぐ男』にも強く刻み込まれている。

『クリード 炎の宿敵』と『ロッキー4/炎の友情』

以来、『クリード』シリーズのファンでもある。2018年に公開された『クリード 炎の宿敵』は映画館まで足を運んで観に行った。
『クリード 炎の宿敵』は『チャンプを継ぐ男』とはまた違った角度で『ロッキー』シリーズとの結びつきを強く持った作品だった。

『クリード 炎の宿敵』を語る上では『ロッキー4/炎の友情』が欠かせない。『クリード 炎の宿敵』でアドニスと対戦するヴィクター・ドラゴは『ロッキー4/炎の友情』でアドニスの父、アポロ・クリードを殺したイワン・ドラゴの息子だからだ。そういった意味では今作は『ロッキー4/炎の友情』の続編と言ってもいい。

前作のコンランとの試合の後、アドニスは6連勝し、ライトヘビー級のタイトルマッチに挑むことになった。タイトルを得たアドニスの元にあるオファーがかかる。それはかつて父のアポロを殺したイワン・ドラゴの息子、ヴィクター・ドラゴとの対戦だった。かつての悲劇を経験しているロッキーを始め、妻のビアンカもヴィクターとの試合には反対するが、アドニスはヴィクターからの挑発を試合に臨む覚悟をしていた。

今作では当初前作で監督を務めたライアン・クーグラーが引き続き監督を務める予定だったが、『ブラックパンサー』に取り組むためにクーグラーは監督を降板。一時期はシルヴェスター・スタローンに監督のオファーもあったというが、若い人が監督した方がいいという判断もあり、監督は最終的にスティーヴン・ケイプル・Jrが担当している。
今作ではスタローンは脚本と製作にその名を残している。スタローンは『ロッキー』の脚本も手掛けている。いわばロッキー』シリーズの産みの親であり、誰よりも『ロッキー』の何たるかを知っている。
そんなスタローンが着目したのが『ロッキー4/炎の友情』だった。イワンの息子、ヴィクターを登場させ、アドニスと親子二代に亘る因縁を描いている。
だが、スタローンが本当に描きたかったのはドラゴ親子への救済ではないだろうか。

勝者の人生と敗者の人生

『クリード 炎の宿敵』ではイワンがロッキーに破れてから、ドラゴ親子がどれほど苦しい暮らしをしていたのかが描かれる。彼らにとって再び栄光をつかむにはボクシングしかなかった。
ロシアではなく、ウクライナに居を移し、早朝から走り込みなどの厳しいトレーニングを積み重ねる。そこにイワンの父親としての姿はない。あくまでボクシングのコーチとして息子と接している。
このヴィクターを演じたのはルーマニアのボクサーでもある、フロリアン・ムンテアヌ。

一方でアドニスは世界王者となり、恋人のビアンカとも結婚し、幸せの絶頂にいる。
この強烈なコントラストを『クリード 炎の宿敵』は冒頭から描いていく。
王者となったアドニスに次なる挑戦者が名乗りを上げる。それがヴィクター・ドラゴだった。

同じ頃、ロッキーの店にも父親のイワン・ドラゴが現れる。ロッキーにとってイワンは過去の傷を開かせる、会いたくない因縁の相手だった。イワンの口からはロッキーに負けて以降の彼ら親子の暮らしぶりが語られる。
イワンは今やロシアではドラゴの名前は誰も口にしないという。ロッキーに破れたイワンに対して祖国は手のひらを返したように扱われ、イワンは一転して周囲から蔑まれ、妻とも離婚、貧困のなかで野良犬のようにその日その日を戦って生きていくしかなかったという。
そんなイワンにロッキーはこう言い放つ。
「野良犬はこの街では処理される」
ロッキーの店には現役時代の試合の写真が何枚も飾られている。しかし、そこにイワン・ドラゴの写真はない。
ロッキーにとって、思い出したくない過去なのだ。

だが、イワンにとっては1日もロッキーを忘れることはできなかったに違いない。祖国に見捨てられ、妻にも去られ、今なお続く生活の厳しさ、その全てがロッキーへの恨みとして激しくイワン・ドラゴを突き動かしている。
そしてその思いは息子のヴィクター・ドラゴに受け継がれている。

ロッキーはアドニスにヴィクターと戦うならセコンドを降りると言う。どうしてもあのアポロの悲劇が頭をかすめるのだろう。

ロッキーの老いと孤独

『クリード 炎の宿敵』では前作とはまた違うロッキーの老いが描かれている。前作『クリード チャンプを継ぐ男』ではロッキーの老いを象徴することとして、ロッキーに癌が判明する。そもそもライアン・クーグラーは自身の父親が癌になったことが『クリード チャンプを継ぐ男』の着想のきっかけになったと言う。

スタローンが脚本を担当した『クリード  炎の宿敵』では老いの象徴としてロッキーの孤独が描かれている。もうポーリーもエイドリアンもおらず、『ロッキー・ザ・ファイナル』で和解したはずの息子のロバートは家庭を築き、カナダで暮らしている。
「この街で暮らすのは辛かったんだろう、どこに行っても『ロッキーの息子』だからな」
そうロッキーはロバートを慮るが、「人生に負けるな」とロバートを激励した『ロッキー・ザ・ファイナル』でのロッキーの姿とはかなりのギャップを感じたのが正直なところだ。老いて、ロッキーにはかつてのような覇気がどこか薄れているようにも思える。それはロッキーがロバートに電話をかけようとしてもダイヤルをためらってしまう姿にも表れている。

アドニス・クリードvsヴィクター・ドラゴ

話をアドニスとヴィクターへ戻そう。ロッキー無しで挑んだヴィクター戦だが、アドニスはヴィクターに圧倒される。試合の勝敗こそヴィクターの失格によりアドニスの勝利に終わったが、ダウンを喫し病院送りにされるほどのダメージを受けたアドニスは、実質的にヴィクターに破れたのだった。
心身ともにボロボロになったアドニスの姿が容赦なく写し出される。目からは血の混じった涙が流れ、腎臓も傷つけられており、排泄も痛みでままならない。
一方、実質的な王者となったヴィクターのために高官たちによって祝賀会が開かれる。イワンにとっては再び栄光に返り咲くための一歩だったが、ヴィクターは居心地の悪さを隠そうとしない。
そして、そこに父と自らを捨てた母親であるルドミラが表れると、憤りは最高潮に達し、思わず席を立つ。
「おまえの祝賀会の席だぞ」
イワンは息子をそう言うが、ヴィクターは「あいつらが父さんを追い出した!」「恥知らずな奴らめ!」と怒りを露にする。

「俺は負けた!」
そうイワンは言う。誰よりも負ける辛さと責任を感じているのはイワンだ。そして勝つことにどれだけ大きな意味があるかも。

戦う理由

『クリード 炎の宿敵』で繰り返し問われるのは「戦う理由」だ。ドラゴ親子には強烈な「戦う理由」がある。アドニスにも子供が生まれる。そして戦う理由を見いだす。それは「自分自身であるために」だ。
子供は生まれつき耳が聞こえないことがわかる。だがそれでも笑顔を見せるその姿にアドニスは改めて自分自身の在り方を問い直したのだろう。そういえば『ロッキー・ザ・ファイナル』のキャッチコピーは「自分をあきらめない」だった。アドニスの戦う理由は、『ロッキー』シリーズから脈々と受け継がれてきた核でもあるのだ。

クライマックスの試合の前にトレーニングシーンを挟み込むのも『ロッキー』シリーズのお約束だ(個人的にはこのトレーニングシーンには毎回燃える)。
今作では『ロッキー4/炎の友情』のように、ドラゴ側は整備された場所でトレーニングを行い、ロッキー側のクリードは自然に近い場所で原始的なトレーニングを積んでいる。

そして迎えたリターン・マッチの日。会場はロシア。アドニスにとってはアウェーの場所だ。
怒りをすべてアドニスにぶつけるようにヴィクターはひたすらアドニスを殴り続けるが、アドニスはそれをうまくかわしていく。とにかく勝利にこだわり、ハッパをかけるイワンとは対称的にロッキーは冷静だ。
たが、それでもラウンドを重ねる毎にアドニスはヴィクターのパワーに押されていく。ヴィクターは前回の試合同様に反則まで使ってアドニスを苦しめていく。だが、10ラウンドを迎えたころ、長丁場の試合を経験したことのないヴィクターに疲れが見え始める。それでもイワンはあくまでヴィクターに勝利を求めていた。

フランケンシュタインとその怪物

ドラゴ親子を見ていると、フランケンシュタインとその怪物を思い出す。メアリー・シェリーが産み出したホラー小説『フランケンシュタインあるいは現代のプロメテウス』は様々な作品やメディアへ派生した。もちろん映画もその一つだ。
フランケンシュタインの物語は幾度となく映画化されているが、1994年の映画『フランケンシュタイン』について監督のケネス・プラナーは「父親に愛されなかった息子の話だ」と述べている。

『クリード 炎の宿敵』ではその姿は母親に愛されないヴィクターに通じる。ヴィクターは父子を捨てた母親を憎む一方でその愛情にも飢えている。それは創造主のフランケンシュタイン博士に愛されない怪物の姿そのものだ。余談ではあるが、『フランケンシュタイン』におけるフランケンシュタイン博士の名前も同じヴィクターである。

終盤、アドニスの猛攻にヴィクターは続けざまにダウンを喫する。その様子を見て、再び母親のルドミラはヴィクターを見捨てる。
観客席に目をやると、さっきまで母親が座っていた席に誰もいない。このときのヴィクターの迷子になった子供のような目が印象的だ。ヴィクターは母親のルドルラを見返すための、そしてルドルラに愛されるための武器はボクシングだった。しかし、もう母は自分を見ていない。

「もういいんだ」

戦う理由を無くし、なす術なくアドニスに打たれ込まれるヴィクター。そんな彼にタオルが投げ込まれる。それは父のイワンからだった。ここで初めてイワンは父親らしい愛情を見せる。

『フランケンシュタイン』では、怪物は一度も創造主であるフランケンシュタイン博士から愛情を受けることなく、北極へ姿を消す。『クリード 炎の宿敵』はそうではない。ヴィクターは人間らしい愛情とやっと巡り会う。
『ロッキー4/炎の友情』でロッキーはボクサーとしてのアポロを尊重しすぎたことで彼の死を許してしまう。今作では同じ状況にイワンが置かれる。それまで息子をボクサーとしてしか見ていなかったイワンはここでやっと父親らしい行動をとる。ひとりの人間として息子を見るのだ。
「もういいんだ」
イワンのこの台詞は自分の復讐を息子にボクシングという形で負わせたことへの自省の言葉でもあるのだろう。『クリード 炎の宿敵』においてこの二人の関係も変わっていく。

冒頭ではイワンは車で先導し、ヴィクターは走るという形でのトレーニングだったが、ラストではドラゴ親子は二人とも並んで走っている。

そしてロッキーはカナダに暮らすロバートの元へ行く。「近くまで寄ったから」そう照れ隠しするロッキーをロバートは家に招き入れ、抱擁を交わす。
『クリード 炎の宿敵』の続編となる『クリード 過去の逆襲』にロッキーは登場しないが、例えロッキーがスクリーンに登場するのがこれで最後だったとしても、これ以上ない終幕だったと思う。
一方でアドニスの物語も、ヴィクターの物語もまだここでは終わっていなかった。『クリード 過去の逆襲』ではヴィクターはアドニスと良好な関係が描かれている。

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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