※以下の考察・解説には映画のネタバレが含まれています
最高峰の「商品」
のっけから恐縮だが、私はいわゆるマーベル映画が好きではない。
映画監督のマーティン・スコセッシはマーベル映画を「マーベル映画はシネマだとは思わない。正直、マーベル映画はテーマパークのような感じで、感情的・心理的体験を他の人に伝えようとしている人間の映画ではない」と評して賛否両論を巻き起こしたが、個人的にはスコセッシの意見に同意する。
映画にはエンターテインメントの部分も確かにあるが、それと同等かそれ以上に芸術でもあって欲しいと思う。また時には強く何かを考えさせられるような深い問いを投げ掛けて欲しいとすら思う。
その意味ではマーベルの多くの映画は真逆だと思っている。エンターテインメントとしては最高峰なのは間違いない。巨額の費用をかけた「商品」ゆえにどうすれば客に受けるのか、計算し尽くされてもいるだろう。
だが、私はその映画を作った人の想いが観たい。誰もが美味しく食べられるカップヌードルではなく、頑固親父の作ったこだわりの一杯を食べてみたい。
スコセッシは『タクシードライバー』の製作中、「万人に受け入れられる必要はない」と思いながら撮影していたそうだ。たしかに『タクシードライバー』は好き嫌い、賛否分かれる作品だろう。だが、映画史に残る名作となったことは否定しようがない。
今のマーベル映画で『タクシードライバー』に並ぶ作品は果たしてあるだろうか?
ライアン・クーグラーが映画で描いてきたもの
さて、前口上はこの辺にしておいて、今回紹介したい映画は『ブラックパンサー』だ。「マーベル映画を嫌いと言っておきながら、マーベル映画を紹介するのか?」と思われるかもしれない。少し弁解をさせてほしい。
先日映画館でたまたま『ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』の予告編を観た。それは私の中のマーベルのイメージを覆し、社会的なメッセージを強く感じることができた。これなら観てみたいと思った。
『ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』を観るなら当然『ブラックパンサー』は観ておくべきだろう。
そして、『ブラックパンサー』の監督がライアン・クーグラーであることも大きい。
クーグラーは長編2作目の『クリード チャンプを継ぐ男』でブレイクしたが、デビュー作である『フルートベール駅で』は実在の事件をテーマにした作品だ。映画によっては特定の主張のために登場人物の設定や演出が犠牲になる場合もあるが、本作では登場人物を素直に一人の人間として描いており、キャラクターに対しての誠実さを感じさせた。またイデオロギー的でもなく、押し付けがましくもないが、確かなメッセージ性に溢れた佳作でもあった。
次作の『クリード チャンプを継ぐ男』は『ロッキー』シリーズのスピンオフということもあって、よりエンターテインメント性を増した作品となったが、それでもキャラクターへの誠実さは変わらず、『ロッキー』同様のエモーショナルな作品だった。個人的にも大好きで何度も観返している一本だ。
そんなライアン・クーグラーがメガホンをとるマーベル映画であれば、エンターテインメントだけではない「何か」を感じることができるのではないかと思ったのだ。
『ブラックパンサー』
『ブラックパンサー』は2018年に公開されたスーパーヒーロー映画。主演はチャドウィック・ボーズマンが務めている。
物語は遥か昔、地球にヴィブラニウムという鉱物からできた隕石が落下する所から始まる。
やがてその地にいた5つの部族は互いに戦争を始めるが、ヴィブラニウムの影響を受けたハーブを摂取した一人の戦士が超人的な力を持つブラックパンサーとなる。彼の元に4つの部族はまとまり、ワカンダ国が作られた。
それから長い月日が経ってもワカンダは鎖国政策をとり外部からの侵入を厳しく制限していた。ワカンダはヴィブラニウムから得る最先端技術によってユートピアのような繁栄を享受している。それは奴隷制度や植民地を体験していないもう一つのアフリカの姿ではないか?
「奴隷制度はあまりにも悲惨でひどいものだから、何かでバランスをとらなければならない。 だから、おとぎ話に出てくるようなアフリカを描いた」そうクーグラーは述べている。
ワカンダは王政を敷いて国家を安定させているが、ある時自爆テロによって国王のティ・チャカが亡くなる。そして息子のティ・チャラが新しい王となる。だが、チャラが国王になるその前日に、ある男がロンドン博物館からヴィブラニウムの使われたワカンダの武器を盗み出していたことが明らかになる。
男の正体はティ・チャラの叔父の息子であるアメリカ人のエリック・スティーブンスだった。いくつもの戦場を渡り歩き、傭兵として多くの人を殺した彼を人はキルモンガー(死の商人)と呼んだ。キルモンガーは世界各地で今も苦しんでいるアフリカ系民族のためにワカンダの技術と武器を使うべきだと求める。
キルモンガーの存在を知らなかったティ・チャラは父の側近であったズリを問い詰める。ズリは全てを白状し、ティ・チャラは父チャカが隠し続けてきた重大な秘密を知ることになる。
そしてキルモンガーは王座を賭けてティ・チャラに戦いを挑む。
『ブラックパンサー』が誕生した時代
原作はスタン・リーが1966年に発表したコミックの『ブラックパンサー』だ。それまで黒人が主人公のスーパーヒーローコミックは存在していなかった。
だが、1960年代はアメリカ国内で公民権運動が活発だった頃だ。キング牧師やマルコムXをはじめとして、多くの黒人が人種差別の撤廃を望み、権利の獲得と「分離すれども平等」の欺瞞を壊そうとした。黒人のスーパーヒーローである『ブラックパンサー』はそういう時代に誕生した。(ちなみに同一のネーミングで同じく1960年代に黒人解放闘争を掲げた政治組織「ブラックパンサー党」があるが、スタン・リーは同党はコミックとは全く無関係だと語っている。)
スタン・リーは現実社会の問題点をコミックの中に巧みに反映させてきた。『X-MEN』では人間に迫害されるミュータントには当時の黒人やユダヤ人が経験した迫害の歴史が重ねられている。スタン・リー自身もユダヤ人であった。ルーマニアからの移民で貧困の中で育ったという。移民ゆえの差別や迫害もあったであろうことは容易に想像できる。
2018年に実写映画として甦った『ブラックパンサー』には「ダイバーシティ(多様性)」の考えが強く盛り込まれている。
ライアン・クーグラー監督のデビュー作『フルートベール駅で』は2009年に警官に不当に拘束され殺されたオスカー・グラント三世の最後の1日をテーマにした作品だった。
だが、アメリカではその後も2012年に黒人の少年であるトレイボン・マーティンが自警団の男に射殺される事件が、2020年には黒人男性のジョージ・フロイドが白人警官に殺される事件がが起きている。これらを一面的にアメリカに蔓延する人種差別意識の表れのみがその原因だと断ずることは難しい部分もあるものの、差別が全く無くなったとは言えないだろう。かつて黒人奴隷達は「魂を持たない」とされ、それによって白人達が奴隷達を殺しても罪に問われることはなかったのだから。
アフリカの文化
クーグラー自身はアメリカ育ちであり、アフリカを訪れたことはなかったというが、本作の製作準備の一環として南アフリカの国々を取材したという。
ハリウッド映画において「彼らのことはしばしば歪められ、誤った形で伝えられている。もしくは浅く薄く描かれたり、ストーリーの道具になっている。彼ら自身が傷つく、有害な描かれ方をしている」とクーグラーは述べている。
『ブラックパンサー』には大きな皿を唇にはめているリバー族という部族が登場するが、この風習はエチオピア南部の部族であるムルシ族の風習だ。また、ティ・チャラの友人であるウルバの属する部族である国境族はケロイド状の傷を装飾として身体に施している(スカリフィケーション)が、この風習もムルシ族にはある(この他にもスーダンのヌバ族やインディオなど世界各地の民族で見られるものである)。『ブラックパンサー』でワカンダ王家と反目しているのは平地のない山の奥に済むジャバリ族だが、この設定も実際に山岳地帯にあるレソト王国がモデルになっているのだろう。
また、ワカンダでは女性が国王の護衛となるなど、ジェンダーレスな社会が実現している。実際に女性が率先して戦う部族があるのかは不明だが、ただワカンダでは誕生した者は全て戦士として育てられるとクーグラーは言う。
それは2017年に公開されたバティ・ジェンキンス監督の『ワンダーウーマン』を思い出させる。『ワンダーウーマン 』もアメコミの実写化で、女性だけの部族であるアマゾン族の王女ダイアナを主人公にした物語だ(アマゾン族はギリシャ神話に登場する女性だけの部族、アマゾネスが元になっている)。
『ブラックパンサー』は公民権運動を作品に反映させているが、『ワンダーウーマン』は女性解放運動の中から生まれた作品だ。ダイアナの腕輪はかつて女性達が手枷で縛られていた名残を象徴している。
『ワンダーウーマン』は批評家からも高い評価を受けた。『ブラックパンサー』と同じく今の時代が求めているものを上手く作品に取り入れていたからだろう。
キルモンガーと今のアメリカ
クーグラー監督の過去作品(『フルートベール駅で』『クリード チャンプを継ぐ男』)で主役を努めてきたマイケル・B・ジョーダンは今回、敵であるキルモンガーを演じている。キルモンガーは独裁的で冷酷ながらも、祖国ワカンダに裏切られた哀しみと孤独をあわせ持つキャラクターだ。
『ブラックパンサー』のコミックでは、キルモンガーはワカンダを白人の影響を排除した原始的な国家へ戻そうとする。今でいうところのイスラム原理主義者のようなものだろう。
映画ではキルモンガーはワカンダの技術を用いて武力で世界を平定しようとする。そんなキルモンガーの姿には世界の警察と呼ばれるアメリカの姿が透けて見える。
韓国、ベトナム、イラク、ソマリア、アフガニスタン…ざっと思い付くだけでもこれだけの国に武力行動を起こしている。その全てを否定はしないが、イラクというパンドラに触れたことがアメリカに終わりなきテロとの戦いを強いることになった。
今作を軽々しく公開当時のトランプ政権と結びつけるのはいささか浅慮だと思うが(『ブラックパンサー』の企画段階ではまだトランプ政権は誕生していなかったからだ)、こうした世界の警察として戦争を増やし続けるアメリカへ失望した人々もトランプ支持に回ったのではないかと思う。
だが、世界のあらゆる問題に表立って支援を行おうとしないティ・チャラの姿勢もまた完全に正しいとは言えないだろう。
クーグラーがこれまでの作品でキャラクターに見せる誠実さは本作でも貫かれる。ましてあらゆる情報が錯綜するこの時代において、単純な善悪の対立という構図では観る者は却って白けてしまうだろう。
『ブラックパンサー』に込められたもの
ティ・チャラとキルモンガーの戦いは、ティ・チャラの一突きを胸に受けたキルモンガーの敗北に終わる。
瀕死のキルモンガーをティ・チャラはワガンダの夕焼けが見える場所へ連れていく。そこはキルモンガーが父から「ワガンダの夕焼けが一番美しい」と聞かされていたその場所だ。
傷の手当てをしようとするティ・チャラの勧めをキルモンガーは断る。「先祖は船から海に身を投げた」そうキルモンガーは言う。
1997年に公開されたスティーブン・スピルバーグの『アミスタッド』は黒人奴隷をテーマにしているが、その境遇は悲惨で想像を絶するものだ。
アフリカの黒人たちは奴隷商人の手によって狩られ、船に詰め込まれる。奴隷は積み荷でしかないから、邪魔になれば生きたまま海へ投棄される。キルモンガーのいうように自ら海に身を投げる奴隷の姿も『アミスタッド』では描かれる。
西欧にとって長らく暗黒大陸であったアフリカ大陸は列強に搾取され続けた。アフリカの国々の国境線が不自然に真っ直ぐなのもそのことを強烈に示している。
続編となる『ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』ではティ・チャラ亡き後のワカンダを諸外国の侵略から守り抜く物語になる。
『ブラックパンサー』のヒットにより、クーグラーはアカデミー賞の会員への参加を打診されるが、「映画という芸術作品を競争させるのは変だと感じる」と参加を断っている。
クーグラーはマーベル映画であってもエンターテインメントだけの映画にしようとはしていない。『ブラックパンサー』はクーグラーが今の世界を見つめ、そして自身のルーツであるアフリカを見つめ直した作品だとも言えるだろう。