『ワンダーウーマン』なぜダイアナはノー・マンズ・ランドを超えられたのか

2001年に公開されたM・ナイト・シャマラン監督の『アンブレイカブル』は一言で言えばスーパーヒーロー映画だ。
骨形成不全症でコミックの画廊を経営するイライジャは世界には自分と対極の存在があると信じ、その者こそがスーパーヒーローであるという信念を持っていた。
そしてついにその男を見つける。デヴィッド・ダンは列車の脱線事故の唯一の生存者であり、かすり傷一つ負っていなかった。
デヴィッドにイライジャは「コミックは実際の歴史が刻まれている」と言う。デヴィッドはその言葉を信じないが、しかしイライジャの言うことは全くの的外れではない。『X-メン』では迫害されるミュータントにはナチス・ドイツによるユダヤ人への迫害が重ねられている。原作者のスタン・リーもまたユダヤ系だった。

『ワンダーウーマン』

1941年に出版された『ワンダーウーマン』もまた確かに時代を反映していた。『ワンダーウーマン』の原作はウィリアム・モールトン・マーストンが手掛けているが、ウィリアムの妻であるエリザベスは『ワンダーウーマン』にフェミニズムの側面を与えた。主人公を女性にしたのもそうであり、ワンダーウーマンが縛られた鎖を引きちぎって敵と闘う演出は縛られて不自由であった女性の立場を表している。

映画としての『ワンダーウーマン』は2017年に公開された。監督はパティ・ジェンキンス。主演はガル・ガドットが務めている。
『ワンダーウーマン』は公開されるやいなや、初週の興行収入は1億50万ドル(約111億円〙を記録、最終的には4億ドルに達し、監督のパティ・ジェンキンスは女性監督作品および女性が主役のアクション映画女性で最も高い初週・累計収入を記録した監督になった。

『ワンダーウーマン』はなぜこれほどまでに観客を惹きつけたのだろうか。それには形を変えて今もまだなくならない女性差別の現状があるからではないか。
だが、パティ・ジェンキンスは『ワンダーウーマン』に惹かれた理由をこう話す。
「私はワンダーウーマンが女性ヒーローだからやりたかったのではなくて、面白いキャラクターだからやりたかった」

実は『ワンダーウーマン』はパティ・ジェンキンスにとって14年ぶりの映画監督作品だ。
前作は2003年に公開された『モンスター』。
『モンスター』は1989年から1991年にかけて起きた連続殺人事件の映画化で、主演のシャーリーズ・セロンは20kgもの増量を行い、連続殺人犯のアイリーン・ウォーノスを完璧に再現してみせた。
『モンスター』はパティ・ジェンキンスの長編デビュー作でもあったが、高い評価を受け、シャーリーズ・セロンはアカデミー賞主演女優賞を獲得している。
もちろん『モンスター』と『ワンダーウーマン』の間にパティ・ジェンキンスにオファーがなかったわけではない。なかにはマーベル映画の『マイティ・ソー』の監督の打診もあったそうだが、パティ・ジェンキンスは『ワンダーウーマン』にこだわり続けた。

『ワンダーウーマン』の主人公であるダイアナは、女性だけが住む島セミッシラで暮らすアマゾン族の王女の娘だ。
アマゾン族は神ゼウスから、息子のアレスによって堕落させられた人間を平和へ導く存在として作られた。しかし、アマゾン族の女性たちは人間の下僕となることを拒んで反乱を起こし、人間とは違う世界で暮らすことにしたのだった。

アマゾン族の女性の手には幼い頃から腕輪がある。腕輪のデザインは彼らがかつて奴隷であることを忘れないようにするために取り入れられたものだ。詳しくは後述するが、それは社会における女性の位置づけを示しているようにも思える。
ある時、セミッシラに一機の戦闘機が墜落する。ダイアナはパイロットを助け、その顔を覗き込んでこう言う。

「あなたは人間(マン)?」「俺って男(マン)に見えないかな」

しかし、すぐに男を追いかけてドイツ軍がセミッシラに押し寄せてくる。応戦するアマゾン族の戦士たち。ドイツ軍をなんとか撃破したアマゾン族であったが、王女の妹でありダイアナの師であったアンティオペが犠牲になってしまう。
危険をもたらした男の正体を問い詰めるアマゾン族の女性たち。
観念した男はスティーブ・トレバーと自らの名前を明かす。スティーブのはイギリス兵だが、ドイツのスパイとして活動していたことがバレて追われてきたのだった。

ダイアナはスティーブから外の世界では第一次世界大戦によって、数千万人もの犠牲者が出ていることをトレバーから聞く。
外の世界の争いに心を痛めるダイアナ。
戦いの神であるアレスを殺せば戦いもなくなると信じ、神を殺せる唯一の剣であるゴッドキラーを携え、ダイアナはスティーブとともに人間社会へと旅立つ。

奴隷の仕事と何が違うの?

アレスを殺すため、戦地へ向かおうと逸るダイアナだが、当時の世界では戦地で戦うのは男の仕事だった。
第二次世界大戦では女性も兵士として戦地へ向かっている。2020年に公開された『シャドウ・イン・クラウド』は第二次世界大戦の時代を舞台に、戦闘機に突如現れたたモンスターと女性パイロットの戦いがえがかれる。第一次大戦の頃はほぼそういう女性はいなかったに違いない。
ロンドンに着いたスティーブとダイアナだが、スティーブはまずはダイアナに服を用意することにする。ダイアナのコートの下はアマゾン族の鎧そのままだからだ。
ロンドンの服屋にはコルセットが置かれている。ダイアナが思わず鎧と勘違いしてしまうのは笑いどころだが、実際には女性らしさで締め付ける、現代の腕輪のようなものだ。
スティーブの秘書から秘書という仕事の内容を聞いたダイアナは言う。
「それは奴隷の仕事と何が違うの?」

ノー・マンズ・ランド

スティーブらとともに戦地へ赴いたダイアナだが、そこはイギリス軍とドイツ軍が膠着状態で睨み合う無人地帯(ノー・マンズ・ランド)があり、2年以上も突破することができないままだった。
しかし、「マン=男」ではないダイアナならどうか?
パティ・ジェンキンスは「言葉遊びが好き」とユーモアを交えて述べていたが、同時にこの場面は映画の中でも最も力を入れた部分だという。
ダイアナが一人、機銃掃射の嵐に耐えながらも一歩一歩無人地帯を前に進んでいくのは神々しささえ感じさせる。
そのさまはドラクロワが描いた『民衆を導く自由の女神』やジャンヌ・ダルクを彷彿とさせる。『民衆を導く自由の女神』はフランスの七月革命をテーマにした作品で、自由の女神はフランスの国家そのものを指していると言われ、女神として描かれる女性は自由を象徴しているとされる。
確かにダイアナは自由だ。そして純粋にアレスを倒せば、平和が手に入ると信じている。ナチス・ドイツのルーデンドルフ大佐こそ、人々に悪の心を植え付けるアレスに違いない。

しかし、ジャンヌ・ダルクが神の啓示を受けながらもフランス側についたことが示すように、ダイアナが一方的にイギリス軍の味方でいることに違和感を感じる場合もあるだろう。だが、ダイアナはまだ「人間」について理解できていない。世界の不幸や悲しみを完全になくすことはできないという事実に気づいていないのだ。

しかしながら、一方のスティーブも安らぎとは無縁の暮らしをしている。ドイツ軍撃破の宴の中、スティーブはダイアナとダンスを踊る。
そして、その夜スティーブとダイアナは結ばれる。展開としては唐突な気もするが、スティーブもまた、ダイアナの中に初めての安らぎを見出したのだろう。

翌日、近くでドイツ軍のパーティーが開かれ、そこにはルーデンドルフも参加するという情報を掴んだスティーブらはそのパーティーに潜入する。
ダイアナも流麗なドレスを纏い、ルーデンドルフに近づく。そのドレスの背中からはゴッドキラーが見えているのだが。
所構わずルーデンドルフを殺そうとするダイアナを、大騒ぎになるのを恐れたスティーブが静止する。
しかし、そのせいで昨夜スティーブとダイアナがダンスを踊った村に毒ガス弾が撃ち込まれ、多くの人々が犠牲になる。
ダイアナはスティーブへの怒りを爆発させる。
そしてさらなる毒ガス弾がイギリスへ向けて発射準備が進んでいることを知ると、二人はそれぞれの目的を持って発射場へと向かう。

ダイアナを演じたガル・ガドットはイスラエル出身の女優だ。イスラエルには兵役義務があるため、ガドットもまでの2年間、兵役に就いている。
イスラエルはパレスチナの中では常に緊張関係が続いており、武力戦争も頻発している。そのような中でダイアナのようなキャラクターは

ルーデンドルフを見つけたダイアナは戦いの末にゴッドキラーでルーデンドルフを殺す。だが、それでも戦争は止まらない。アレスは彼ではなかった。では誰が?

イギリス政府の要人であるパトリック卿こそ、裏で人間たちを滅ぼそうとするアレスだったのだ。
ゴッドキラーでアレスを倒そうとするダイアナだったが、アレスの力の前にゴッドキラーは粉々になってしまう。
アレスはダイアナに真実を教える。ダイアナは粘土から作られたのではなく、アレスを倒すためにゼウスとピッポリテの間に作られた子供だったのだ。

「ゴッドキラーはお前自身だ」

アレスはそうダイアナに伝える。そして、アレスが人間に邪心を芽生えさせたのではなく、アレスは人間にもともとあった邪心を利用して人間を自滅させ、滅ぼそうとしていたのだった。
一方、毒ガスを積んだ爆撃機がイギリスに飛び立とうとしているのを察知したスティーブは、爆撃機をジャックし、空中で自爆する。
ダイアナはスティーブの死に怒りを爆発させる。そして、アレスの囁きのままに毒ガスを開発した博士(ドクター・ポイズン)を殺そうとするが、スティーブの「愛している」の言葉が脳裏に浮かび、ダイアナは博士の殺害を止める。

愛で世界を救う

そして、ダイアナは悪を止めるのはゴッドキラーでも自分自身でもなく、愛であることに気づく。
この場合の「愛」とは赦すこと。
ドクター・ポイズンを赦し、トレバーの犠牲を赦し、人間の愚かさを赦したダイアナは、アレスに打ち克つ。
ダイアナの「愛で世界を救う」というモノローグで映画は幕を閉じる。

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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