『シャドウ・イン・クラウド』「エイリアン」の兄弟作の欠点

※以下の考察・解説には映画のネタバレが含まれています


グレムリンと聞くと、1984年に公開されたジョー・ダンテ監督の『グレムリン』を思い出す人が多いだろう。同作ではかわいらしい容姿のモグワイというペットが、飼育の上での3つのルール(太陽に当ててはいけない/夜12時以降に餌を与えてはいけない/水をかけてはいけない)が一つずつ破られていき、グレムリンという凶暴な生物へと変貌していく。

グレムリンという魔物

だが、そもそものグレムリンとは飛行機の中に潜んで故障を引き起こす魔物のことだ。グレムリンの存在は第一次世界大戦中の英国空軍にて語られるようになったという。『魔女がいっぱい』や『チャーリーとチョコレート工場』で知られる児童文学作家、ロアルド・ダールが1942年に著した『グレムリンズ』によって、グレムリンの知名度は世界へ波及していく。ダール自身も英国空軍でパイロットとして働いた経験があった。第二次世界大戦中にもグレムリンを目撃したという報告がされたことがあるが、機械の不調を魔物のせいにすることで、仲間である整備士への責任を回避させる狙いがあったようだ。

『エイリアン』の兄弟作

今回取り上げる『シャドウ・イン・クラウド』はそんなグレムリンを題材にした作品だ。第二次世界大戦中のパイロットがグレムリンと戦うというストーリーで、いかにもB級映画といった内容だが、それも無理もない。『シャドウ・イン・クラウド』のそもそもの原案がSFホラーの名作『エイリアン』の初期案を元にしたものだからだ。いわば『エイリアン』の兄弟作ともいえるだろう。
ダン・オバノンの書いた『グレムリン』という脚本がそれだ。もともとオバノンが書いていた『メモリー』という脚本に『グレムリン』の脚本を掛け合わせたものが『エイリアン』のストーリーの原型だ。

ダン・オバノンはジョン・カーペンターが監督を務めた『ダーク・スター』で脚本、特殊効果、主演を務めた(脚本はカーペンターと共同)。  『ダークスター』はコメディであり、ヒットしたとは言えなかった。オバノンはより本格的なSF映画を手掛けることを望み、新たな脚本に取りかかる。それは内容だった。オバノンはこの脚本に『メモリー』と名付ける。『メモリー』は未知の惑星に降り立った宇宙飛行士たちが怪物に襲われるという内容で『エイリアン』の核となる要素がある。
彼には『メモリー』とは別に作っていた脚本があった。それが『グレムリン』だった。

『グレムリン』は第二次世界大戦中に東京から戻るB-17爆撃機の中にグレムリンが潜んでおり、乗組員を一人ずつ殺していくという内容だ。オバノンは周囲の助言もあり、『メモリー』に『グレムリン』の要素を加え、さらに改修を続けていった。タイトルも『メモリー』から『スタービースト』、『スタービースト』から最終的には『エイリアン』へと変わっていく。
乗組員が一人一人殺されるという流れは『エイリアン』にそのまま継承され、Bー17は宇宙船のノストロモ号となった。

当時はSFとはB級の売れないジャンルだと見なされ 、特に見向きもされていなかったが、1977年に公開された『スターウォーズ』と『未知との遭遇』のヒットによりSF映画のブームが起きる。そんな時に20世紀フォックスに唯一あったSF映画の脚本が『エイリアン』の脚本だった。
ダン・オバノンは2009年に亡くなったが、オバノンが遺した『グレムリン』を原案として映画化したのが『シャドウ・イン・クラウド』だ。

『シャドウ・イン・クラウド』

女性空軍パイロットのモード・ギャレットはある極秘任務を帯びてBー17爆撃機「フール・エレナ(バカなエレナ)」に乗り込む。
B17の中で唯一の女性であるモードの突然の搭乗により、男たちはモードに侮蔑と猥談をぶつけていく。
モードは極秘任務の遂行中であることを告げるが、突然の乗客であるモードが、座れる場所は下部銃座だけであった。狭い銃座に荷物は置けない。持ってきたカバンをクエイド軍曹に預ける。鞄の中身は機密情報であり、開ければ軍法会議にかけられることをモードは乗組員に伝える。
得体の知れないモードを他の乗組員達は訝しがる。
そんな中、モードは雲の中に動く影を見つける。
乗組員たちに報告するも、逆にモードの「あり得ない報告」は彼女の立場を不利にしてしまう。

そして、モードの目撃した怪物はモードのいる銃座へと襲いかかる。その怪物、グレムリンが近寄るとあらゆる機器は後作動や故障を起こしまともに機能しなくなる。なんとかグレムリンを撃退したモードだが、彼女の眼下には日本軍の偵察機の姿があった。

『グレムリン』の骨子を借りたフェミニズム

オバノンの脚本を元にした本作だが、実際は『グレムリン』の骨子のみを借りたフェミニズム映画といった印象が強い。
舞台は同じ第二次世界大戦中の時代なのだが、『グレムリン』では東京から帰る途中の爆撃機に対して『シャドウ・イン・クラウド』ではニュージーランドからサモアへ向かう爆撃機に変更されている。監督のロザンヌ・リャンがニュージーランド出身ということもあるのだろう。

また、『シャドウ・イン・クラウド』は主人公を女性に変更している。『エイリアン』も主役は女性だが、『グレムリン』の段階では主役は男性だった。今作は女性の強さや女性に対する差別を前面に押し出している。だが、個人的にはプロパガンダ映画のようにそれが全面に出過ぎているようにも感じるのだ。

『シャドウ・イン・クラウド』の元々の脚本家はマックス・ランディスだが、彼は2019年に交際女性から暴行を告発されている。ランディスは『シャドウ・イン・クラウド』のプロデューサーも兼ねていたが、プロデューサーからはクレジットを消され、脚本として辛うじて名を残すのみとなった。ロザンヌ・リャンは告発を受けてランディスの書いた箇所を可能な限り削ったという。元々の脚本がどのようなものだったのか知る術もないが、これほどに男社会の女性蔑視とそれに負けない強い女という構図を見せられると正直ゲンナリしてしまう。
今の時代の流れだと言ってしまえばそれまでだろうが、このような構図を何度見てきただろうか。男は粗野で女は被害者。しかし、本当に強いのは女。これもまたひとつのステレオタイプなのではないだろうか。

カバンの中身

モードは眼下に日本軍の偵察機を発見し、乗組員に報告するが、こんな場所まで日本軍が来ることはできないと一笑に付されてしまう。
しかし、実際に日本軍の戦闘機はBー17に攻撃を仕掛けてくる。追い詰められたモードは単身で戦闘機を撃墜する。
このことがきっかけで、モードは乗組員から認められていくが、依然として鞄の中身を明かすことは頑なに拒むばかり。押し問答の末、乗組員のが無理やり鞄を開けるとそこに入っていたのは赤ん坊だった。
モードは極秘任務だと書類を偽り、実際は夫の虐待から逃げるために赤ん坊とともにBー17爆撃機に乗り込んだのだった。さらに赤ん坊の父親はクエイドであり、それはクエイド自身も知らない事実だった。機長は引き返すことを決断するが、そんな時にグレムリンが再度Bー17に襲いかかる。グレムリンの仕業でエンジンは故障、乗組員は殺され、赤ん坊の入った鞄は翼の下に辛うじて紐が引っ掛かっているだけの状態にされ、いつ落下してもおかしくない。さらに運悪くBー17は日本軍の爆撃機の攻撃も受ける。
モードは銃座から出て単身、赤ん坊の救出へ向かう。

強い女性の理由

監督のロザンヌ・リャンは『シャドウ・イン・クラウド』は『エイリアン2』に影響を受けたという。
1986年に公開された『エイリアン2』は宇宙を漂ってたエレン・リプリーがウェイランド・ユタニ社に発見されるところから始まる。ハイパースリープから目覚めたリプリーは自分が57年間も宇宙を漂っていたことを知らされる。リプリーは11歳で別れた愛娘が自分より早く老衰で死亡していることにショックを受ける。

毎晩、エイリアンの悪夢にうなされるリプリー。かつてエイリアンと遭遇した惑星、の住人たちが忽然と姿を消したという知らせを受ける。そこで唯一生き残っていたのは11歳の少女、ニュートだった。
エイリアン2』は娘を失ったリプリーと天涯孤独となったニュートが擬似的な親子関係を築いていく話でもある。
バトル・ヒロインの代表的なキャラクターであるリプリーだが、今作でのリプリーが戦う動機は自分自身のトラウマの克服と、ニュートを守り抜くことだ。物語が進むほどにトラウマの克服よりもニュートを守るためにリプリーは行動していく。そんなリプリーをニュートはついに「ママ」と呼ぶようになる。
『シャドウ・イン・クラウド』のモードの強さの源には母親としての母性がある。

クロエ・グレース・モレッツは2010年に公開された『キック・アス』のヒットガール役でブレイクした。子供に似つかわしくない圧倒的な強さと台詞が大きなインパクトを残したが、その強さは彼女自身の動機に裏打ちされていた訳ではなく、父の教育の結果だった。
それから10年後の『シャドウ・イン・クラウド』にはモード自身のはっきりした強さがある。子供のためならどんなリスクも厭わない、母親としての強さだ。 昨今のイデオロギーのような「強い女」に母性という普遍的な理由を与えたことは評価してもいいと思える。とは言えども個人的にはアクションシーンがあり得ない展開の連続で鑑賞時に少し笑ってしまったのだが。

とうとうモードらの乗るBー17爆撃機は機長も死亡し、緊急着陸をしなければ墜落するまでになる。副機長の活躍もあり、なんとか無事に着陸できたものの、機内の火災が酸素ボンベに引火し、Bー17は爆発炎上する。間一髪で機内から脱出したモードらは生還を喜び合うが、そこにはグレムリンとの最後の戦いが待っていた。
このすべてが終わったと思わせてもう一幕あるというのは『エイリアン』の影響だろう(日本版の予告編では思いっきりネタバレしていたが)。
全てが終わり、子供に授乳するモードの姿が映される。その時Bー17爆撃機の「フール・エレイナ」のペイントは炎に包まれ消されていく。そして『シャドウ・イン・クラウド』は幕を閉じる。
エンドロールには実際に第二次世界大戦に従軍した女性たちが映し出される。ロザンヌ・リャンは彼女たちへのリスペクトを込めてこの作品を撮ったという。それはわかるのだが、エンドロールまでこう出されると明らかにやりすぎだ。直接的に従軍していなくても、戦時中には出征した夫の代わりに家庭で子供たちを育て上げた女性も多くいたはずだ。彼女らも称賛されるべきではないのか?直接戦った女性だけが素晴らしいのか?そうではないだろう。

『シャドウ・イン・クラウド』は一時間半に満たない上映時間でテンポ良く進んでいくのだが、やはりB級映画だと感じる。
同じ卵から生まれたと言える『エイリアン』と『シャドウ・イン・クラウド』だが、『エイリアン』が名作として映画史に残り続けているのに対して『シャドウ・イン・クラウド』はどうだろうか。今の時代のムーブメントを過剰に打ち出した『シャドウ・イン・クラウド』だが、だからといってそれが名作になる条件ではない。

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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