タイトルの本当の意味とは?『ゴーン・ガール』が作られた理由

※以下の考察・解説には映画のネタバレが含まれています


英語で女性を指す言葉は様々だ。Lady、Woman、Girl、それぞれどう違うんだろう?
Ladyは大人の女性を指すのだが、Womanに比べてより丁寧な言い方になる。つまり、『マイ・フェア・レディ』は私の美しい貴婦人という意味になる。
Womanも大人の女性を指すのだが、こちらはちょっとカジュアルなニュアンスになる。つまり、『プリティ・ウーマン』はかわいい女性という意味だ。
Girlは女の子という意味で、主に未成年の女性を指す言葉だ。ただ、日本で「女子会」というように、大人の女性の間でもGirlは使われることもある。では『ゴーン・ガール』はどういう意味になるのだろうか?

『ゴーン・ガール』

『ゴーン・ガール』は2015年に公開されたデヴィッド・フィンチャー監督、ベン・アフレック、ロザンムド・パイク主演のスリラー映画だ。原作はギリアン・フリンの同名小説。映画版の脚本もギリアン・フリンが担当している。

よく「結婚は人生の墓場」とは言うけれど、この映画ほどそれを実感できる作品はない。幸せそうに見える夫婦の裏にある本当の姿を映し出した作品だ。
『ゴーン・ガール』はデヴィッド・フィンチャーの監督作の中で『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』を抜き、当時最高の興行収入を記録した。『ゴーン・ガール』は決して明るい作品ではない。にもかかわらず、なぜこれほどの人気を集めたのだろうか?

フィンチャーの描く「人間の真実」

デヴィッド・フィンチャーが優れた映像作家であり、サスペンスの名手であることは疑うべくもないが、しかしフィンチャーは常に作品を通して「人間の真実」を炙り出そうとしてきた。
ゾディアック』に顕著だが、『ゾディアック』で描かれるのは事件そのものではなく、ゾディアック事件が関係者の人生をどう狂わせたか、という部分だ。真実の追求に溺れるあまりに人生そのものを犠牲にした者達の話だ。彼らの真実の人生は何だったのか。
セブン』では聖書における7つの大罪をモデルにした殺人事件が発生するが、事件は憤怒を抑えきれない刑事が無抵抗の犯人を射殺することで完結する。この結末こそ犯人が望んでいたことであり、刑事は殺人犯へと身を落としパトカーで連行されていく。
ファイト・クラブ』ではより直接的だ。なにしろ、主人公の真実の姿がもう一人の人間として登場するのだから!
「我々は消費者だ。ライフスタイルに仕える奴隷。殺人、犯罪、貧困も誰も気にしない。それよりアイドル雑誌にマルチチャンネルTV、デザイナー下着、毛生え薬、インポ薬、ダイエット食品、ガーデニング……。何がガーデニングだ! タイタニックと一緒に海に沈めばいいんだ!」
「ワークアウトは自慰行為だ。男は自己破壊を」

「『ファイト・クラブ』はポルノだ。」そう『ファイト・クラブ』を評したのは著名な映画評論家のロジャー・イーバートだが、確かに『ファイト・クラブ』はマッチョイズムを強烈に刺激してくる。
だが『ファイト・クラブ』の過剰とも言えるマッチョイズム讚美は男尊女卑的だと批判を受けることにもなった。
それに対してのデヴィッド・フィンチャーからの回答が『ゴーン・ガール』ではないだろうか。

ニックとエイミーは中の睦まじい夫婦としてちょっとした有名人でもある。だが、結婚五周年の日に妻のエイミーは忽然と姿を消す。家には血液の痕。それは紛れもなくエイミーのものだった。エイミーの失踪は全米で大きな注目を集めるニュースになった。
夫のニックはテレビで妻の無事を呼び掛ける。その姿は多くの同情を集めた。だが、捜査が進むにつれてニックの不倫やキッキンに大量の血液の痕があるなどニックに不利な事実が明らかになる。当初は悲劇の夫として注目を集めていたニックは妻殺しの容疑者として次第に世間から疑われていく。

レイシー・ピーターソン殺害事件

『ゴーン・ガール』で描かれた事件は実際の出来事をモデルにしている。それが2002年に起きたレイシー・ピーターソン殺害事件だ。夫のスコット・ピーターソンは12月24日に妻のレイシー・ピーターソンが失踪したと警察に通報した。事件は全米の注目を集めるが、スコットが妙に落ち着いていたことと、スコット自身に不倫の事実があったことから、彼は容疑者として扱われることになる。
失踪の翌年の4月にはレイシーと胎児の遺体が発見され、スコットは死刑判決を受ける(現在は死刑は撤回されているが、有罪判決に変わりはない)。
だが、レイシーの遺体が発見されてなお、レイシーの目撃情報が複数寄せられている。
それらは恐らく他人のそら似だろうが『ゴーン・ガール』はそうではない。

エイミーは本当に生きており、妻殺しの容疑でニックが死刑になるように周到に準備していたという事実が明かされていく。
「私は死んだ。前よりずっと幸せ。まだ失踪だけど、じき死亡扱いになる。
死ぬのだ。
そして怠け者で浮気者の夫は私を殺した罪で監獄へ」

夫婦という仮面を剥ぎ取った後に現れたのは残酷なまでの本音の世界だ。

『メリーに首ったけ』

原作小説である『ゴーン・ガール』は2012年に出版され、全米で200万部を売り上げる大ベストセラーになった。原作者のギリアン・フリンは『ゴーン・ガール』の着想のきっかけは『メリーに首ったけ』だという。
『メリーに首ったけ』は1998年に公開されたベン・ステイラー、キャメロン・ディアス主演のロマンティック・コメディ映画だ。高校生のテッドは憧れのメリーとプロムに出かけるはずが、あるトラブルによって中止になってしまう。メリーとの仲もそれっきりになってしまうが、大人になってもテッドはメリーのことを諦めきれなかった。
テッドは探偵を雇ってメリーのことを調べるが、その雇った探偵もメリーに夢中になってしまう。ついには二人以外にもメリーに惚れている男達がどんどん明らかになる。みんなが美人でかわいいメリーに夢中になってしまうのだ。
優しくてキュートで少し抜けてて、まさに放っておけない魅力を持った女の子。それがメリーだ。

だが、フリンはこのキャメロン・ディアス演じるメリーのキャラクターに違和感を感じたという。
「これは女性のことなんて何もわかっていない、『男の映画屋』が作った『いい女』だ」
これは劇中でのエイミーのセリフにも活かされている。

『いい女』

「男はいつも褒め言葉として言う。『彼女はいい女だ』。『いい女』は何でもしてくれ、いつも機嫌よく絶対男に怒らない。恥ずかしげに愛情深く微笑み、その口をファックに提供する。
『いい女』は男の趣味に合わせる。彼がオタクならマンガ好き。ポルノ好き男ならイケイケ女。アメフトを語り、フーターズで食事する」これはフリンの本音でもあるだろう。ちなみにフーターズとは店員の女の子が露出度高めのユニフォームで接客する人気のカジュアルなスポーツバー。1998年に公開された『コヨーテ・アグリー』は恐らくフーターズがモデルだ。

エイミーは逃亡先で生活資金を奪われてしまう。そのことで、彼女の計画も当初の予定通りにはいかなくなってしまう。
仕方なくエイミーは元カレのデジー・コリングスを頼るが、彼もエイミーを束縛しエイミーはコリングスとの生活に辟易してしまう(原作ではコリングスは高校時代の恋人であったが、破局後ストーカー行為を繰り返し自殺未遂を起こし精神病院に一時期入院していたなどの過去がある )。
一方、ニックはエイミーの罠に気付き、カメラの前で誠実な夫を演じることで世間からの同情を惹こうと考えていた。自身の浮気を認め、謝罪し、家に帰ってきてほしいと語るニックの姿にエイミーの心も動かされてゆく。そうなると邪魔になるのはコリングスの存在だ。エイミーは事前にレイプされたかのような証拠を用意した上でコリングスを誘い、喉を切って殺害する。

『忘れじのおもかげ』に隠されたもの

『ゴーン・ガール』の予告編はデヴィッド・フィンチャー自らが手掛けているが、そこではリチャード・バトラーがカバーした『忘れじのおもかげ』が使われている(原題は『she』)。
同曲はエルヴィス・コステロによるカバー版が1999年に公開された『ノッティングヒルの恋人』の主題歌としてヒットしている。
『ノッティングヒルの恋人』は冴えない書店員とスター女優の身分違いの恋を描いたラブコメだ。この身分違いの恋というのは『ローマの休日』や『タイタニック』など、ある意味恋愛映画の一つのスタンダードとも言えるだろう。
だが、『ゴーン・ガール』で使われたのは意図的にその中の一部分を欠いたものだった。

She may be the face I can’t forget(忘れられない 彼女の面影)
A trace of pleasure or regret (喜びまたは後悔の跡)
May be my treasure or the price I have to pay (それは僕の宝物あるいは代償なのかも)

She may be the song that summer sings (彼女は夏が歌う歌なのかも)
Maybe the chill that autumn brings (または秋がもたらす冷気)
Maybe a hundred different things(様々な一面を見せてくれる)
Within the measure of a day (限られた一日の中で)

She may be the reason I survive(彼女は僕が生きる理由なのかも)
The why and wherefore I’m alive(彼女がいるから僕は生きている)
The one I’ll care for(辛い日々も雨の日々も)
Through the rough and rainy years(思い続ける大切な人)

Me I’ll take her laughter and her tears(僕は受け止める)
And make them all my souvenirs(彼女の笑い声もその涙もすべてが僕の大事な宝物)
For where she goes I’ve got to be(彼女の行く所に僕も行く)
The meaning of my life is(僕の人生の意味それは彼女なんだ)
She, she, she

本来の歌詞はこちらだ。

She may be the face I can’t forget(忘れられない 彼女の面影)A trace of pleasure or regret (喜びまたは後悔の跡)
May be my treasure or the price I have to pay (それは僕の宝物あるいは代償なのかも)

She may be the song that summer sings (彼女は夏が歌う歌なのかも)
Maybe the chill that autumn brings (または秋がもたらす冷気)
Maybe a hundred different things(様々な一面を見せてくれる)
Within the measure of a day (限られた一日の中で)

She may be the beauty or the beast (彼女は美女か それとも野獣なのかも)
Maybe the famine or the feast (彼女は飢えか それとも祝宴)
May turn each day into a Heaven or a Hell (毎日を天国にも地獄にも変えてしまう)

She may be the mirror of my dreams(彼女は僕の夢を映す鏡なのかも)
A smile reflected in a stream (水面に映る笑顔)
She may not be what she may seem (でも彼女のそんな風に見えている姿は違うかもしれない)
Inside her shell(彼女の殻の中とは)

She who always seems so happy in a crowd(彼女は多くの人に囲まれていつだって幸せそうに見える)
Whose eyes can be so private and so proud(彼女の目はとても神秘的で誇り高く)
No one’s allowed to see them when they cry(泣く姿を誰にも見せない)

She may be the love that cannot hope to last(彼女との愛に長続きは望めない)
May come to me from shadows of the past(過去の影から逃れて僕の所へ)
That I’ll remember till the day I die(僕は死ぬまで忘れないだろう)

She may be the reason I survive(彼女は 僕が生きる理由なのかも)
The why and wherefore I’m alive(彼女がいるから僕は生きている)
The one I’ll care for(辛い日々も雨の日々も)
Through the rough and rainy years(思い続ける大切な人)

Me I’ll take her laughter and her tears(僕は受け止める)
And make them all my souvenirs(彼女の笑い声も その涙もすべてが僕の大事な宝物)
For where she goes I’ve got to be(彼女の行く所に僕も行く)
The meaning of my life is(僕の人生の意味それは彼女なんだ)
She, she, she

そう、その隠された部分こそ、『ゴーン・ガール』の最大のネタバレの部分だ。
つまり、予告編で歌われなかった部分こそ、「Girl」が去った後に残った真実なのだ。

タイトル『ゴーン・ガール』の意味

本作のタイトル『ゴーン・ガール』を素直に読むならば、2つの意味がある。
それはエイミーという女性の失踪、そして、エイミーが演じ続けていた「いい女」が消えたということだ。
ちなみに男性が成人女性に対してGirlと使う場合、そこには若干の見下すようなニュアンスになってしまうそうだ。日本語でいうなら「小娘」みたいな感じだろうか。
ちなみに「ゴーン」には「消えた」の他にも「過去の」「落ちぶれた」「死んだ」などの意味があるという。

ゴーン・ガールがこれだけヒットしたのは鮮やかなネタバレとサスペンスらしい緊張感を持続させた巧みな演出も脚本もあるだろう。
だが、同時に「今の時代」を鮮やかに描いているからだとも思う。メディアによる切り取りや偏向報道、真実よりもイメージが支配してしまう世論の怖さ、それらに振り回され、時に利用しようとするニックの姿は同時に私たちの姿でもある。
また女性にとっては『ゴーン・ガール』は男性の知りたくない女性の本音の世界をこれでもかと描いていた作品でもある。
エイミーが本当に憎んだのはニックの背景にあった社会に当たり前のように存在していた「女性」への圧力や差別、性的暴力を容認してきた社会ではなかったのか?

女性から男性への反旗の物語

エイミーの策略によってニックは自身の精子でエイミーが妊娠していることを告げられる。子供に対する責任からニックはエイミーとの子供を夫婦として共に育てるという選択をする。エイミーが今まで演じてきた「いい女」という男性からの理想の押し付けを、今度はエイミーがニックに「理想の夫」として押し付けるのだ。

原作ではエイミーとの暮らしの中でニックは自身もいつ殺されるかわからないという恐怖と共に生活していることが明らかになる。そしてニックは「理想の夫」を少なくても子供が成人になるまでは演じ続けなければならない運命にある。

『ゴーン・ガール』はドギツイ女性から男性への反旗の物語でもあるのだ。

ちなみに『ゴーン・ガール』の公開から2年後の2017年、大物映画プロデューサーのハーヴェイ・ワインスタインによる性暴力事件とその隠蔽工作が明らかになり、#MeToo運動と、Time’s Up運動として世界中に広まった。
2022年にはその顛末を描いた映画、『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』も公開され、絶賛を受けている。

男性優位の社会は今、変革されようとしている。

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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