『タイタニック』ラブストーリーに隠れたフェミニズム映画としての魅力

※以下の考察・解説には映画のネタバレが含まれています


1997年はちょうど映画に夢中になりだした頃で、その冬の公開作品もよく覚えている。『メン・イン・ブラック』、『セブン・イヤーズ・イン・チベット』、『スターシップ・トゥルーパーズ』、そして『タイタニック』。
これらのラインナップから当時10歳だった私が映画館でセレクトした映画は『メン・イン・ブラック』だった。『メン・イン・ブラック』はUFOや宇宙人を目撃した人のもとには黒づくめの謎の男たちが現れるという都市伝説をコミカルに描いたアクション映画だ。その後『メン・イン・ブラック』はスピンオフまで含めて計4作もの作品が製作されるヒットシリーズとなった。当時映画が不調だったソニー・ピクチャーズは『メン・イン・ブラック』の大ヒットによって経営状態を持ち直すことができたというエピソードがあるほどだ。
だが、それよりも桁違いのヒットとなったのが今回解説したい『タイタニック』だ。

『タイタニック』

『タイタニック』は1997年に公開されたジェームズ・キャメロン監督、レオナルド・ディカプリオ、ケイト・ウィンスレット主演の恋愛映画。

『タイタニック』は当時の世界興行記録を塗り替えるほどの大ヒットになった。
この記録はジェームズ・キャメロン自身が2009年に『アバター』で塗り替えるまで12年間に渡って1位の座を保ってきた。アカデミー賞では14部門にノミネートされ、11部門で受賞を果たすなど、こちらでも最多数を記録している。また、日本国内に限定しても興行収入262億円という数字は圧倒的であり、公開から25年経った今も実写映画の興行収入ランキング1位の座に留まり続けている。

『タイタニック』はなぜこれほどヒットしたのか?

『タイタニック』はジェームズ・キャメロンが『トゥルーライズ』の次に監督した作品だ。それまでキャメロンは『ターミネーター』や『エイリアン2』など、アクション系のエンターテインメント作品を監督することが多かった。そんな中で恋愛を前面に推し出した作品は『タイタニック』が初めてだった(『ターミネーター』にも恋愛要素は入っているが、全面に出ているとまでは言えないだろう)。
だが、『タイタニック』がこれだけヒットしたのは果たしてその恋愛要素、もっと言ってしまえば主役の二人、ジャックとローズの悲恋だけにあるのだろうか?そう思ったからだ。事実、『タイタニック』は日本でもヒットはしたものの、「決定的に泣ける場面はない」との声もちらほら囁かれていた。
ではなぜ『タイタニック』は世界でこれほどヒットしたのか。今回は『タイタニック』の企画から製作までの流れを踏まえたうえで恋愛映画としてだけでない、『タイタニック』の側面に迫っていきたい。

まずは『タイタニック』が作られたきっかけから見ていこう。いかにジェームズ・キャメロンが『タイタニック』に深い思い入れがあったのかがわかる。

ジェームズキャメロンとタイタニック

有名な話だが、ジェームズ・キャメロンは元々海洋学者を志していた。当初は「深海に沈むタイタニックを撮影し、映画の中に収めたい」という願いが『タイタニック』の企画のもとになったという。
確かに『タイタニック』の本編を観ると開始から30分もの間、舞台は現代であり海に眠るタイタニックとその探索船の描写がメインとなっている。
実際にキャメロンは深海で望む映像を撮影するための新システムの開発も行わねばならず、さらにキャメロン自身も12回にわたってタイタニックの眠る深海まで潜水したという。

実際のタイタニックの撮影にはこのように巨額の費用がかかるため、映画に大衆的なテーマを持たせ、少しでも配給会社に莫大な制作費を認めてもらえるようにラブストーリーを取り入れたという説もある。
「20世紀フォックス(当時)に最初に売り込みに行った時、私はタイタニック号の絵で有名なケン・マーシャルの本を持っていき、その本の真ん中にある、タイタニック号が沈みかけ、救命ボートがそこから離れて行こうとしている見開きページの絵を見せたそして私はフォックスのトップにこう言った。『ロミオとジュリエットの話がここで起こるんだ』そして脚本を書き始めた」
そうキャメロンは語っている。
こうしてキャメロンは制作費のうちのまずは200万ドルを認めてもらったという。
ちなみに、『ロミオとジュリエット』だが、偶然にも1996年に公開された映画『ロミオ+ジュリエット』では、主役のロミオを『タイタニック』ジャックを演じたレオナルド・ディカプリオが演じている。
どちらもラブストーリーであり、悲劇の主人公という意味で通じるものがある。まさにキャメロンの言うように「船の上の『ロミオとジュリエット』」というわけだ。

『タイタニック』に乗り気ではなかったディカプリオ

『タイタニック』のヒットにレオナルド・ディカプリオの端正なルックスがあったことは否定できないだろう。『ロミオ+ジュリエット』もそうだが、どちらもいわゆる王子様的なイメージの役柄だ。しかし、ディカプリオはアイドル的な扱われ方は決して臨んではいなかった。
『タイタニック』のジャック・ドーソン役にも当初はそう乗り気ではなかったようだ。ディカプリオの目から見たジャックという男はクセがなく、俳優として演じる面白みに欠けているように映っていた。ディカプリオはジャックをもっと影のある男として演じたかったようだ。
『タイタニック』の序盤、ポーカーでタイタニックのチケットを手に入れたジャックが仲間のとともにデッキで「俺は世界の王だ!(iam king of the world)」と叫ぶシーンがある。このセリフはキャメロンが即興で思いついたものだが、当初はこのセリフもバカバカしくて言いたくなかったという。
ディカプリオに対して、キャメロンはジャックのイメージとして「ジェームズ・スチュアートの演じるキャラクターのような純粋無垢な男」だと説明している。ジェームズ・スチュアートはフランク・キャプラ監督の『スミス都へ行く』や『素晴らしき哉、人生!』などの名作で主演を務めたのアメリカの名優だ。その演じるキャラクターには真面目で純粋な心を持つ役が多かったため「アメリカの良心」とも呼ばれていた(スチュアート自身もその呼び名にふさわしい人格者だったという)。

『タイタニック』の公開後にディカプリオは世界的な人気を獲得するが、一方でこう漏らしている。
「自分の顔がキーホルダーになっているのを見るのに慣れるなんてできない」
その言葉の通り、ディカプリオはアイドルでなく俳優であることを求め続けた。『タイタニック』後のディカプリオよフィルモグラフィを辿ればそれは明白だ。当サイトで紹介しているだけでも『仮面の男』『ギャング・オブ・ニューヨーク』などがある。『タイタニック』翌年の1998年には『仮面の男』に出演しているが、あれほどのヒット作の主演となった俳優の次作としては小規模で地味な作品だ(ただ撮影自体は『タイタニック』の前に終わっていたという)。
『仮面の男』はアレクサンドル・デュマの『ブラジュロンヌ子爵』を原作に脚色した映画だ。本作でディカプリオはルイ14世とその異母兄であるフィリップを演じている。太陽王と言われたルイ14世の野心と気高さにディカプリオのルックスと佇まいが説得力を与えていることは間違いないが、今作におけるルイ14世は悪役であり、かつフィリップも長きにわたってバスティーユに幽閉されていた過去を持つ男だ。
その後もディカプリオは『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』で実在の詐欺師であるフランクJr.アバグネイル、『J・エドガー』では女装癖を持っていたといわれるFBI初代長官のフーヴァーなど、変わり者や癖のある人物を演じ続けている。
ちなみにあと一歩でいつもオスカーには届かなかったディカプリオだが、2015年の映画『レヴェナント: 蘇えりし者』で念願のオスカーを獲得。バックステージではケイト・ウィンスレットとハグする様子も見られた(二人はプライベートでも仲の良さで知られている)。

奴隷船タイタニック

話を『タイタニック』に戻そう。前述のように純粋に自由に生きるジャックと対の存在として描かれるのがケイト・ウィンスレット演じるローズ・デウィット・ブケイターだ。
彼女もまた自由な生き方に憧れているが、彼女を取り巻く環境は鎖のように今だけでなく遥か未来にわたっても彼女を縛り続けている。
ローズ自身は上流階級の娘だが、実際には家は没落しかけており、政略結婚として資産家のとの望まぬ結婚が決まっていた。そのためにタイタニックでアメリカに渡るのだ。ローズは当初タイタニックを「奴隷船」と形容していた。当時は女性の社会的地位は低く、いわば男性が率先して女性を引っ張っていくような時代でもあったのだろう。また保守的な女性はそれが女性らしい生き方と信じていたに違いない。
キャルとローズの関係を見ればそれが手に取るようにわかる。キャルからの愛はローズ自身に対する愛ではなく、あたかも愛玩品のようなモノに対する愛情と同質に近いものだった。

「肉も切ってあげるの?」

ローズら家族と他の知り合いとの会食の場面のこと、キャルはローズに何も聞かずにローズの分まで注文する。その後で「それでいいだろ?」と決めつけるのだ。
ここには男性の傲慢さが表れているのだが、ローズの母はそれを普通のこととして咎めたりもしない。ローズの母は友人との会話で「大学に行くのは結婚相手を見つけるため」と話してもおり、女性がより高度な学問を学ぶことには関心がないことがわかる(一方、ローズはモネやピカソなど絵画についての審美眼持ち、をフロイトの論を会話に持ち出すなど、当時の女性に求められていた教養以上に主体的に学んでいることがわかる)。

そんなローズを陰ながら理解していたのはキャシー・ベイツ演じるマーガレット・ブラウンだろう。ローズの分まで注文したキャルに彼女はこう言う。
「肉も切ってあげるの?」
ここで女性に対して男が絶対優位に立つという傲慢さは一瞬で無くなり、立場は逆転する。マーガレット・ブラウンの一言はそんな強烈な皮肉だった。
マーガレット・ブラウンは実在した女性で、映画の中でも言及されるが、別名「浮沈のモリー・ブラウン」。

「浮沈のモリー・ブラウン」

マーガレット・ブラウンは1867年にアメリカのミズーリ州で生まれた。夫のジム・ブラウンも貧しい男だったが、後にジムの持つ鉱山工学技術により金銀の採掘が成功したことで、一気に富豪の仲間入りをすることになった。
貧乏な暮らしから這い上がった彼女は上流階級の人間たちからは成金と思われていたが、マーガレット・ブラウンはその生涯を通して女性の地位向上や権利の獲得に情熱を捧げてきた人物でもある。
だからこそ、ローズの自由になりたいという気持ちにも、今の環境の居心地の悪さにも気づいていただろう。

だが、ローズの思いはそれを遥かに上回っていた。ローズは深夜に泣きながら海に飛び込もうとする。決まり切った未来と自分の力では何も変えられない現状に絶望したからだ。
たまたまその現場に居合わせたのがジャックで、これがローズとジャックの出会いだった。なんとかローズの自殺を食い止めたジャックはそれをきっかけにローズとの仲を深めていく。
ジャックは画家の卵で世界中を旅しておりタイタニックで故郷のアメリカに帰るところだった。一等客室用のデッキでジャックは自らの身の上を話す。ローズはジャックの自由な生き方に強い憧れを示す。「君は戸外に出るようなタイプじゃないと思っていた」これが当時の一般的な人から見た「育ちのいいお嬢様」への感覚なのだろう。
またジャックの乗馬の話を聞いたローズが「女性も馬にまたがって乗るの?」と驚く場面がある。これはエンディングまでの長い伏線となる。詳しくは後述するが、他にもジャックとともに噛みタバコを海に吐き飛ばすなど、いわゆる上流階級の娘には当てはらまない奔放さをもつ女性でもあったのだ。

「人生は贈り物」

その後、ジャックはローズの家族やキャル、マーガレット・ブラウンらとともにローズを助けたお礼として食事を共にする。その時にジャックは自分の人生観を次のように話す。
「人生は贈り物。無駄にはしたくない。次にどんなカードが配られるかわからないけれど大切にしたい。毎日を大切に生きたい」
そして、こっそりローズにメモを渡す。メモの内容通りに時計台の元で待つジャックに会いに行くローズ。彼女にジャックはこう言う。
「本物のパーティへ行ってみないか」
それは貧しい三等客船の人々が繰り広げる、上品ではないが喧騒とダンスに溢れた自由な世界だった。
ローズはビールをたらふく飲み、他人のタバコを吸い、大いに笑い、大いにはしゃぐ。憧れていた自由を楽しんでいる様子がわかる。

「女性らしさ」という鎖

20世紀初頭に求められていた「女性らしさ」は一部の女性には窮屈な鎖でもあった。
『タイタニック』の舞台は1912年。日本ではいわゆる大正デモクラシーの時期にあたる。与謝野晶子は同年パリへ出立し、ヨーロッパを回り、そこで暮らす女性の生き方に強い影響を受けている。また平塚らいてうや市川房枝などは1919年に日本初の婦人団体である新婦人協会を設立している。

ジャックとローズは互いに惹かれ合い、ローズはジャックの絵のモデルとして裸体を晒す。ここはローズが何もかもから解き放たれた状態でジャックと向き合っていることの証明でもあるのだろう。
この場面にはいくつかの裏話がある。有名なところで言えば実際のローズのデッサンを描いたのはディカプリオではなく監督のジェームズ・キャメロン自身であるということだが、ディカプリオとケイトの共演シーンで一番最初に撮影されたのはこのシーンだという。
「そのベッド、いやカウチに横たわって」というジャックの台詞があり、これはジャックの緊張を示す台詞でもあるのだが、言い間違えは芝居ではなくディカプリオの本当のミスだった。
それをキャメロンがOKテイクとして採用したわけだが、そういった部分からも主演俳優二人の緊張感を感じることができるだろう。

『タイタニック』の過酷な撮影裏

それでなくとも『タイタニック』の撮影は過酷だった。『ターミネーター』シリーズに出演したアーノルド・シュワルツェネッガーは『ターミネーター』でのキャメロンの完璧主義者ぶりを「あの時のジムは凄かった。事前に撮影するショットをとても細かく説明する。その位置が1ミリずれただけで、物凄く凶暴になるんだ」と、証言しているが、それは『タイタニック』でも遺憾なく発揮された。
こだわりの有名な部分ではタイタニックのほぼ実寸大の模型を作り上げてしまったという逸話だろうが、船室のセットを見てその仕上がりに不満を持ったキャメロンが自身でペンキでセットを塗り替えてしまったり、氷山が届くと斧を持って自分で氷を砕くなどをしていた。

それらはまだいい方で、長期の水の中の撮影によりスタッフや出演者は風邪やインフルエンザ、低体温症に悩ませられる事態になった。ローズ役のケイト・ウィンスレットも低体温症になってしまった一人。他にもケイトは身体中がアザだらけになり、肘の小さな骨が欠けてしまったという。また、タイタニックが沈み、海中での漂流シーンになるとキャメロンは、「トイレ休憩のために水槽から出ようとする者は、全員クビにする!」と脅していたといい、ディカプリオとケイトら多くの役者がプールの中で用を足すほかなかったという。
このような過酷や撮影のため、業を煮やしたスタッフがケータリングの中にドラッグを混入させるという事件も起きている。

ローズ・ドーソン

『タイタニック』は流氷に接触してからの後半は恋愛映画というよりもサバイバル映画、パニック映画の趣が強くなる。
そう、ここでローズが描いていたような未来は崩れ去り「生きるか死ぬか」の極限状態に追い込まれる。
ジャックとともに船内に流れ込む大量の水から逃れ、救命ボートに乗せられるローズ。救命ボートの数が乗客の半分以下しか乗せられない数しか用意されていなかったのは有名だが、そのために女子供を優先してボートに乗せるというルールがあった。

しかし、ローズは救命ボートにから船内に戻り、ジャックと運命を共にすることを決める。ローズが自分で人生の大きな舵を切った瞬間だ。
ローズは海に浮かぶ扉の上に横たわって、ジャックとともに救助を待つが、全身海に使ったままのジャックは救助が来る直前で凍死してしまう。「絶対にあきらめるな」ジャックからの約束を胸にローズは凍死した乗客から笛を取り、必死に生存者がいることをアピールする。
こうして助かったローズは母やキャルと再会することなく、一人でアメリカへ渡る。生存者として名前を聞かれた時にローズはこう答える。
「ローズ・ドーソン」

その後のローズ

冒頭でローズの現在の名はローズ・カルバートであり、女優として働いた後、田舎で孫娘と暮らしているという状況が明かされている。
ここについても少し考察したい。もともと芸術方面に強い関心のあったローズが演技の道に進むこと事態は理解できる。しかし、芸術の道は多くある中でなぜ女優だったのだろうか。その美貌や所作の美しさもあったかもしれないが、女優業を通して、様々な人の人生を体験したかったのではないか(タイタニックから生還した後のローズの人生はアメリカの芸術家ベアトリス・ウッドをモデルにしている)。

年老いたローズが眠りにつく枕元には、タイタニックの事件の後の彼女の生き生きとした姿が描かれている。いつかジャックに対して「女も馬にまたがるの?」と尋ねたローズだが、その中にはローズが馬にまたがる写真もある。また飛行機に乗る写真もあり、彼女がジャック同様、世界を巡るような人生を送ってきたのだと推測できる。
そして、ジャックを失った後にも素晴らしい恋に恵まれたこともわかる。

ローズは死んだのか?

『タイタニック』のエンディングは目を閉じたローズがタイタニックの中でジャックと再会する夢を見る場面で終わる。そこは身分を超えて彼らの再会を多くの人が祝福している。ここは単なる夢ではなく、ローズが天に召されたことを表す。この場面で登場するのはタイタニックの事故の犠牲者のみであり、ローズの母やモリー・ブラウン、キャルなどの生存者は登場しない。また、柱の時計の時刻はタイタニックが沈没した時刻だ。
年老いたローズを演じたグロリア・スチュアートはキャメロンに眠りにつくシーンの際に「このシーンで私は死んでいるのか生きているのか」と訪ねたという。キャメロンは「それは観客に判断してほしい」と答えたが、グロリアは明快な答えを求めた。
それに対してキャメロンは「息を止めてください」と答えたという。

ローズはジャックを亡くした後も自分の人生を豊かに自由に生きてきた。少なくともジャックの幻影に囚われるような人生ではなかった。その自由さを与えてくれた源がジャックであり、『タイタニック』ではそれがローズの恋人である以上にジャックという役に与えられた重要な役割だったのだ。
ジェームズ・キャメロンはバトルヒロインを多く描いてきた。『エイリアン2』のエレン・リプリー、『ターミネーター』シリーズのサラ・コナーはその代表として有名だが、『トゥルーライズ』でも平凡な主婦がテロ組織とスパイとの戦いに巻き込まれ、エンディングではスパイの一人として活動するようになる。『タイタニック』に限らず、強い女性、自立した女性というのはジェームズ・キャメロンが一貫して描いてきたテーマなのだ。
『タイタニック』でのバトルは格闘技や銃撃戦ではなく、自分の運命を自分の手でどう切り開いていくかにある。それは権利や尊厳を獲得していく戦いだ。タイタニックの事故から100年以上が経った今においてもそれは変わらない。
それこそが『タイタニック』が多くの共感を得たのではないかと思う。

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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