『ターミネーター4』審判の日以降を描く「新三部作構想」はなぜ失敗したのか?

※以下の考察・解説には映画のネタバレが含まれています


アーノルド・シュワルツェネッガーが本格的に俳優としてブレイクしたのは1984年に公開された『ターミネーター』がきっかけだった。
以来、2003年に公開された『ターミネーター3』まで約20年に渡ってシュワルツェネッガーはターミネーターを演じ続けた。
今回紹介したいのはその後の『ターミネーター』シリーズ、2009年に公開された『ターミネーター4』だ。

『ターミネーター4』

本来であれば、「審判の日」以降の『ターミネーター』としてシリーズ化(後述するが三部作の構想があったらしい )が、興行成績が振るわず、結局続編の製作は行われなかった。
個人的には評価したい点も多々ある作品なのだが、なぜ『ターミネーター4』は観客に受け入れられなかったのか。
今回はその点を考察していくことで、改めて『ターミネーター』シリーズに込められたものは何かを見ていきたい。

『ターミネーター4』は2009年に公開されたマックG監督、クリスチャン・ベール主演のSF映画。『ターミネーター』シリーズとしては4作目になる。
前作のラストでAI(スカイネット)による全世界核攻撃(審判の日)が描かれた。本作はいままでのシリースで断片的に描かれてきた審判の日以降の世界が舞台となる。私が何より『ターミネーター4』を評価するのはこの点だ。現代を舞台に未来からやって来たターミネーターが主人公を追いかける、この決まったパターンの追いかけっこはもう終わりにすべきだろう。

今作の主役となるのはジョン・コナーとマーカス・ライトだ。
物語の舞台は2018年。人類抵抗軍のジョン・コナーはスカイネットがターミネーター「T-800」を量産化しようとしている事実をつかむ。母の予告の日よりずっと早く量産されようとしていることに危機感を抱く。抵抗軍司令部はスカイネットへの総司令を計画していた。ジョン・コナーはスカイネットが持つ人類の暗殺リストの中に父親となるカイル・リースの名を見つける。
一方、荒れ地で一人の男が目を覚ます。彼の名はマーカス・ライト。目覚める以前の記憶を失っていたマーカスは訳もわからずターミネーターの急襲を受ける。マーカスを助けたのは孤児の少年と少女のスターだった。孤児の少年はスカイネットの最重要殺害ターゲットのカイル・リース。こうして出会った3人は行動を共にするようになる。ある時ラジオで流れてきた抵抗軍のジョン・コナーのメッセージをきっかけに、3人はジョン・コナーの元へ向かう。

『ターミネーター4』の魅力

さて『ターミネーター4』の魅力として審判の日以降の世界観の描写の素晴らしさも挙げておこう。彩度を抑えたダークでザラついた、乾いたトーン。『ブレードランナー』をその鏑矢として未来世界をディストピアとして描くことは珍しくもないが、その中でも『ターミネーター4』は秀逸だ。
加えて、ジョン・コナーがまだ救世主として認知されていないという点もリアリティがある。『ターミネーター4』のジョン・コナーは抵抗軍の小隊長という立場で、彼を救世主として信じる者はほとんどいない。それは『マトリックス』で救世主を信じていたモーフィアスが続編の『マトリックス リローデッド』で異端者として見られている点を思い出させる。
そして、シュワルツェネッガーを起用しないという決断も評価したい。当時は今のようなCG技術はなかったために、『ターミネーター:新起動/ジェニシス』『ターミネーター:ニュー・フェイト』のように俳優の若い姿をCGで復元することは難しかった。何しろターミネーターのモデルアップの度に容姿が少しずつ老けていく。そんな奇妙な「人間らしさ」は『ターミネーター3』で極まり、ターミネーターのロボットらしさの一つである容姿の維持は既に限界に来ていたと思う。

過去作への敬意

マックGは『ターミネーター』シリーズが自分を映画監督の道に導いたと語る。
「(『ターミネーター』シリーズは)僕のすべてに影響を与えた。最初に『ターミネーター』を見たのは僕がまだ子供の頃だった。(中略)僕にとっては、パーフェクトなゾンビ・ムービーだった。ターミネーターはどんな攻撃を受けても常に前に進んでくる。そのあと、しばらくして『ターミネーター2』を劇場で見た。(中略)実は『ターミネーター2』は僕に映画監督になりたいと思わせてくれた作品なんだ。だからこの『ターミネーター』シリーズは僕に深く影響を与えてくれた映画なんだ」
『ターミネーター3』も決して評価は高くない映画だった。中でもジョン・コナーの年齢を間違えるなどの基本的な設定ミスは『ターミネーター』ファンから強い批判を受けた。
その点、マックGの手掛けた『ターミネーター4の過去作へのオマージュはリスペクトに溢れている。
いくつか例を挙げよう。

マーカス・ライトとカイル・リース、スターが車を取りに行くためにグリフィス天文台へ向かうが、そこは『ターミネーター』でT-800がタイムスリップしてきた場所だ。

バイク型のターミネーター、「モトターミネーター」(こういう独自のターミネーターを生み出している点も『ターミネーター4』を評価する一つだ)をおびき寄せるためにジョン・コナーが流す音楽はGuns N’ Rosesの『You Could Be Mine』。これは『ターミネーター2』でジョンが友達とゲームセンターへ遊びに行くときに流していた音楽だ。

また、マーカスが手品としてカイル・リースにストックを切り落としたショットガンを披露する場面があるが、『ターミネーター』でカイル・リースはショットガンのストックを切り落とし、肩に装着していた(つまり、実はマーカスから幼い頃に習ったということだ)。

さらに言うと『ターミネーター2』の冒頭は未来の戦争のシーンだ。人類の司令官として登場する大人になったジョン・コナーの顔には大きな傷があるが、『ターミネーター4』ではこの由来も描かれる。

他にもジョン・コナーの使うランチャーなどリスペクトやオマージュを挙げればきりがないが、ここでは割愛しよう。
その代わりに『ターミネーター4』がどれほどシリーズの正統性を意識していたのかはオリジナル・キャストからもある程度支持されていたことからも明らかだろう。『ターミネーター』『ターミネーター2』でサラ・コナーを演じたリンダ・ハミルトンは『ターミネーター3』にはドラマがないと言って出演を断っている(そのために『ターミネーター3』においてサラ・コナーはすでに故人の設定だ)が、『ターミネーター4』には音声での出演を果たしている。

ジョン・コナーという存在

では、ここからが本題だが、なぜそれほど強い思いで製作された『ターミネーター4』は失敗したのだろうか?
いくつかの原因が考えられるが、まずその一つとしては、エンディングで瀕死のジョン・コナーにマーカスの心臓を移植するという設定だろう。
当初のプロットではジョン・コナーはターミネーターとの戦いで亡くなり、代わりにマーカスがジョン・コナーに成り変わり、ジョン・コナーとして戦争を終結に導くというものだったという。確かにそれと比べると心臓移植に留まらせた公開版の設定の方がまだマシだ。だが、ジョン・コナーの存在が何を意味しているかを理解していなければ、それも単なる「意表をつく」以上の意味を持たない。

シリーズの第一作となる『ターミネーター』が公開されたのは1984年。ちょうどロナルド・レーガンが「アメリカを再び偉大に!」というスローガンで大統領に選ばれた時代だ。
つまりは「強いアメリカ」が求められた時代でもあり、それは『ターミネーター』の世界観と絶妙にマッチする。
また、レーガンの当選を強力にバックアップしたのはキリスト教福音派だ。『ターミネーター』は言い換えれば世界の危機をアメリカが救う物語でもあり、救世主の到来はキリストをイメージさせる。救世主であるジョン・コナーのイニシャルはイエス・キリストに重ねられていることに気づいただろうか。
その救世主が他者の心臓を宿している?
マーティン・スコセッシ監督の『最後の誘惑』では人間として淫欲に溺れたイエス・キリストの描写が激しく批判されたのだが、『ターミネーター4』でも同様にジョン・コナーの純潔性が求められていたのではないかと思う。もちろん命を懸けて誰かを救うという行為ほど大きな犠牲を払う行為はない。そして犠牲が大きければ大きいほど、また感動は作りやすい。だが、そのために「それはないだろう」という描写がいくつも見られる映画になってしまった。

・胸を貫かれたのに、なぜ数時間も生きていられるのか?
・夜戦病院のような場所で心臓移植手術はできるのか(加えてジョンの妻のケイトはもともと獣医でしかないのに心臓移植を、それも一人でこなせるのか)?

残念なことに『ターミネーター4』は一番大切にすべきクライマックスで様々な間違いを犯しているように思えるのだ。もちろん、これが他のタイトルを冠した映画ならこのエンディングでも十分だったのだろう。だが、これは『ターミネーター』映画なのだ(『ターミネーター』シリーズにおけるジョン・コナーの役割の変遷は『ジョン・コナーとは何だったのか?時代に翻弄された救世主』で詳しく述べている)。

失敗の原因としてもっと言うならば、個人的にはカイル・リースとジョン・コナーの関係を挙げたいと思う。
『ターミネーター』ではカイル・リースは元の時代に戻れないことを覚悟の上で自ら志願して1984年にタイムスリップするが、それほどまでに強い恩義をジョン・コナーがカイルに果たすシーンは『ターミネーター4』では見当たらない。確かにジョンはカイルを助けはしたが、それは『ターミネーター2』でT-800がジョン・コナーに行ったような片腕はおろか最終的には命まで投げ出すような犠牲を払った訳ではない。そのためにこの親子の共演シーンはただカイル・リースとジョン・コナーの出会い以外の意味を持たないのだ。本当は最もシリアスになるべきはマーカスとジョン・コナーの関係ではなく、カイル・リースとジョン・コナーの関係であるべきなのだ。マックGは公開当時『ターミネーター4』を新三部作の第一作目だと語っていた。その後のストーリーのなかでジョン・コナーとカイル・リースの関係は深く掘り下げられる予定だったのだろうと推測するが。

『ターミネーター』新三部作構想

『ターミネーター4』のラストシーンはスターとマーカスが手を繋ぐシーンが印象的だ。『ターミネーター2』でターミネーターを決して信用しなかったサラ・コナーとT-800が最後に握手を交わしたように、いつかは殺人マシンも生命の価値を理解し、人間と分かり合える。そんな未来を予感させる。
監督のマックGは「ジョンのために未来にはニ度と戻れないにもかかわらず、過去へと旅立つ決意をするに至るカイルの心の変化、成長の軌跡を描く物語になっていたはず」と新三部作の構想について語っている。続編ではサラ・コナーの登場やカイル・リースの戦士としての成長や葛藤が描かれる予定だったという。「大人になったカイル・リースがサラに会うために2029年から1984年に戻るかどうか、選択に悩む姿が描かれる」との発言もあることから、物語の舞台は『ターミネーター4』の11年後の世界だったかもしれない。
また、新三部作を通して機械と人間は何が違うのかというテーマも引き継がれる予定だったという。

『ターミネーター』シリーズは未だに第一作の『ターミネーター』、続編の『ターミネーター2』と並ぶ評価の作品は作られていない。『ターミネーター4』公開後、当時の製作会社だったハルシオン・カンパニーは同作の興行的な失敗により破産している。

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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