『名探偵コナン 100万ドルの五稜星』はなぜヒットしたのか?イベントとしての映画

『名探偵コナン 100万ドルの五稜星』が公開わずか3日で33億円の興行収入を突破したという。そのニュースを目にした時は素直に凄いと思う気持ち半分、日本全体が幼稚化しているのではないかという気持ち半分だった。
『鬼滅の刃』もそうだが、少年マンガの劇場版が歴代の興行収入上位に食い込んでくる昨今の状況を見ていると、正直に言えばどうしてもそう思わざるを得ない。
だが、作品を観ないことには何も言えないだろう。そういうわけで日曜の早朝、一番早い8時台からの上映スケジュールで『名探偵コナン 100万ドルの五稜星』を観てきた。

午前8時の映画館

いくら日曜と言えど、朝の8時台ならそう人も多くもないだろうと軽い気持ちでチケットを購入したのだが、ほとんどの席が埋まっていて驚いた。
場所は福岡県早良区のマークイズ福岡ももち。ショッピングモールではあるものの、天神や博多ほど交通が便利なわけでも、店舗が充実しているわけでもない(おまけにイベントと重なった場合、駐車料金が日本一高くなるという)。
なのにポップコーン売り場には早朝から列ができ、映画グッズの回りには小さな子供だらけで近づくこともできない。
何回か、早朝からこの映画館へ行ったことはある。おそらく、『しん次元! クレヨンしんちゃん THE MOVIE 超能力大決戦 〜とべとべ手巻き寿司〜』や『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』は早朝から観たはずだ。大抵は良くても数名くらいがゆっくり歩いているくらいだ(個人的にはその映画への愛着と場所柄どうしても『ゾンビ』でショッピングモールに集まってくるゾンビを思い出してしまうが)。

『名探偵コナン 100万ドルの五稜星』はなぜこれほどヒットしたのか?

早朝の映画館に集まっている人たちを見ていて、このヒットの仕組みも一つわかった。
それは幼い子供が一人鑑賞するためには親もチケットを買わなければならないということだ。

映画を観るコスト

普段こうした子供向けの映画は観ないので意識していなかったのだが、例えば大人一人が『タイタニック』を観る場合は大人一人の料金なので1800円かかるが、子供一人が『名探偵コナン』を観たいと言った場合は最低でも2800円、家族4人であれば4800円かかることになる(父、母、子供2人を想定)。
要は付き添い分の料金が上乗せされるということだ。これも興行収入を押し上げた一つだが、これだけではないだろう。この理屈で言えば、『ドラえもん』や『クレヨンしんちゃん』も大ヒットしなければおかしいからだ。
もう一つの理由は大人も楽しめるかどうかだ。

大人も楽しめるコンテンツ

『名探偵コナン』のアニメがスタートしたのは1996年。私が小学校2年生の頃だ。それから30年近くになるが、最初から見続けた人はもう30代は超えているだろう。もちろん『名探偵コナン』を卒業した人も少なくないだろうが、それでも大人もある程度楽しめるコンテンツであることは間違いない。

『名探偵コナン 100万ドルの五稜星』を観ていると、子供は推理よりもアクションシーンの方で盛り上がっていた。本来探偵モノのはずなのにやけにアクションが多いと思ったらそこは子供へのサービスでもあるのだろう。逆に大人も謎解きの部分であったり、北海道の歴史などの史実に触れる部分では十分に楽しめるのではないだろうか。

『名探偵コナン』という作品自体を通して言うなら個人的には30代も半ばを過ぎて、昔は無能のイメージだった毛利小五郎に共感する部分が見えてきたり、それでも娘と居候の子どもの2人を養育するのはすごいなど、それまで見えなかったキャラクターの大人としての一面がわかるようになった。
ちなみにアニメ化においては、子供向けのアニメというよりも、ミステリーアニメという所に主眼が置かれたようで、やはりテーマ曲などの完成度は従来の子供向けアニメとは一線を画している。

この「大人も楽しめる」という点では平成の『ゴジラ』シリーズ(以下平成ゴジラ)も同じ共通点を持っている。平成ゴジラも興行収入は安定して10億円を超えることのできるドル箱シリーズとして製作されていた(恐らく外貨獲得の面では『名探偵コナン』より可能性があったのではないか)。
子供、特に男の子は怪獣が好きだ。私自身も幼い頃、両親にねだって平成ゴジラを観に行っていた。
だが、大人になるとそれだけではない見方もできる。例えば『ゴジラvsキングギドラ』では当時のバブル期の日本と、それに対する批判精神が盛り込まれている。また、平成ゴジラは当時の日本の新名所を戦いの舞台に設定していることも多く、前述の『ゴジラvsキングギドラ』では新宿の超高層ビル街、『ゴジラvsデストロイア』では当時出来たばかりのお台場がその舞台となった。幼い頃は佐賀県に住んでいたが、『ゴジラvsスペースゴジラ』では隣県で馴染みも深い福岡が舞台ということを両親が話題にしていたのを覚えている。
『名探偵コナン』も同様に一人で映画館に来れるような年齢になっても楽しめる作品なのだ。

そして、最後は『名探偵コナン 100万ドルの五稜星』はイベントとしての映画だということだ。

イベントとしての映画

先日、近所の本屋さんに行った。私は本屋さんに行くと必ず映画雑誌や映画関連書籍のコーナーはチェックする。映画雑誌の表紙の多くを占めていたのがクリストファー・ノーラン監督の『オッペンハイマー』だった。目玉作、注目作だったのは間違いないだろうが、僅か一ヶ月ほどでスクリーンを『名探偵コナン』に奪われそうになっているのが現実だ。

『オッペンハイマー』は昨年の8月にアメリカで公開され、アカデミー賞の作品賞まで獲得した。映画ファンは日本公開を心待ちにしていたのだが、原爆というテーマもあり、国内での配給先がなかなか決まらなかった。アメリカからかなり遅れて2024年の3月に日本公開になった。
賛否両論の内容は公開前からニュースになっており、かつ監督はクリストファー・ノーラン。注目を集める要素はすべて揃っていた。映画ファンのボルテージは最大限に高まっていたはずだ。
もちろん『オッペンハイマー』が失敗したわけではない。それ以上に『名探偵コナン 100万ドルの五稜星』の勢いが凄すぎたのだ。

今回は映画ファンのマーケットと国民的アニメのマーケットの大きさの差をつくづく実感した。
映画ファンは(その言葉に決まった定義はないが)、映画鑑賞そのものを楽しむ人だろう。要は映画というフォーマットの中から作品を選ぶ人たちだ。だが、今回『名探偵コナン 100万ドルの五稜星』に足を運んだのは(映画ファンもいるだろうが)『名探偵コナン』のファンがほとんどだろう。『名探偵コナン』の関連イベントの一環として映画があると考えた方が良いかも知れない。

エンターテインメントビジネスとして『名探偵コナン』は作りが上手いと思う。
今回は「怪盗キッドの真実」が一つ明らかになる。ファンであればあるほど驚くだろう。映画そのものが新規コンテンツとしての魅力を持つことはもちろん、そのような特ダネを映画の中に毎回潜ませておくことで、「観たい」作品から「見逃せない」作品へと昇華させていることも見事だ。

今回はなぜ『名探偵コナン 100万ドルの五稜星』がこれほどヒットしているのかが知りたくて映画館で鑑賞してみたのだが、そこにはイベントとしての映画、エンターテインメントの極地ともいえる作品づくりを確認することができた。

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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