『オッペンハイマー』と『ゴジラ』

2024年3月10日に開催された第96回アカデミー賞で『ゴジラ -1.0』が日本映画としては初の視覚効果賞を受賞した。このアカデミー賞で作品賞をはじめ7部門でオスカーを獲得したのが『オッペンハイマー』だ。
『オッペンハイマー』は映画ファンの間ではクリストファー・ノーランの最新作として話題になっていたが、日本で一般に認知されたのは、2023年8月に「バーベンハイマー」が問題視されたことが大きかっただろう。

バーベンハイマーとは?

バーベンハイマーとは元々はアメリカで『バービー』と同時に公開された『オッペンハイマー』の二作を総称するための呼び名だ。『バービー』と『オッペンハイマー』という全く方向性もジャンルも異なる作品が共に大ヒットを記録するという異例の現象が起きた。そこで、この二作を総称してバーベンハイマーという名前がついたのだ。だが、バーベンハイマーはバービーと原爆画像のコラージュを指す言葉に変容していく。

バーベンハイマーハイマーで多い構図は笑顔のバービーらの後ろに『バービー』のテーマカラーであるピンク色のキノコ雲があるというもの。かわいいバービーの後ろに原爆というギャップがウケているのだろう。
さらに、『バービー』の公式SNSアカウントまでもがバーベンハイマーの画像に肯定的なコメントを寄せたものだから、日本国内では『バービー』へ批判が殺到、「『バービー』を上映中止に」という声も上がった。

原爆とゴジラ

『オッペンハイマー』が本当にタッグを組むべき映画は『ゴジラ-1.0』ではなかったか。
『オッペンハイマー』とゴジラ映画には共通する欠くことのできない原爆というテーマがあるからだ。
とはいえ原爆に対する両作の立ち位置は対称的であることは記しておきたい。
『オッペンハイマー』は原爆を作った男の話であり、原爆を投下した国の歴史である。『ゴジラ』(ここでは1954年の第一作を指す)は原爆を落とされた被爆国として、核兵器の脅威を描いている。

そのきっかけは1954年に起きた第五福竜丸被爆事件だ。1954年にビキニ環礁でキャッスル作戦と呼ばれる水爆実験が行われた。キャッスル作戦 で使用された水爆は当初の3倍もの破壊力を示し、避難区域外にいた第五福竜丸の乗組員は全員被爆してしまう。中でも久保山愛吉無線長は被爆から半年後に死亡。「原水爆の被害者はわたしを最後にしてほしい」が彼の最期の言葉であったという。

「原爆の父」と「水爆の父」

『オッペンハイマー』でエドワード・テラーは原爆より強力な水爆の開発を進めようとする。オッペンハイマーは世界初の原爆実験となったトリニティ実験で自ら開発した原爆の威力とヒロシマ・ナガサキでのその被害を見て、核軍縮を目指すようになる。
一方のテラーはトリニティ実験に対して「なんだ、こんなちっぽけなものなのか」
オッペンハイマーが「原爆の父」と言われたのと同様に、テラーは「水爆の父」と呼ばれた。ゴジラは確かに原爆のメタファーだが、ゴジラは水爆実験により被爆し誕生した怪獣なのだ。つまり、オッペンハイマーの危惧した世界が生み出したモンスターが『ゴジラ』ともいえるだろう。

オッペンハイマーと芹沢大助

一見対称的な作品でありながら、『ゴジラ』にも『オッペンハイマー』との共通点をみることもできる。例えば作品に登場する科学者の芹沢大助はオッペンハイマーの人物像を更に掘り下げたようなキャラクターであること注目したい。
科学者として新しい技術を研究したいという欲求と、その一方でそれが軍事利用されてしまうのではないかという不安。

ここでいう芹沢の不安はトリニティ実験の後にオッペンハイマーが直面したことと同じだ。
『オッペンハイマー』で原爆は大気に引火し、一度でも使うと世界が滅亡するのではと予測されたことがあったが、芹沢が作ったオキシジェン・デストロイヤーは酸素を破壊する兵器であり、正に大気を破滅させるものだった。
オッペンハイマーが危惧した最悪のシナリオを『ゴジラ』は辿っている。

もちろん、『ゴジラ』はエンターテインメント作品であり、怪獣映画であり、SF映画ともいえる。そう考えた時に原爆はその中の一面に過ぎない。
だが、『ゴジラ』の監督の本多豬四郎は原爆が投下されてまだ間もない広島の被爆地の惨状を目の当たりにしている。戦地で終戦を迎えた本多は中国の天津から復員し東京へ帰る途中、汽車から原爆によって廃墟と化した広島の街を見ていた。「この世の終わりがやってきたと思った」そう本多は述べている。
その時の広島に関する本多の思いはその妻、本多キミの著作である『ゴジラのトランク』に詳しい。少し長いが引用しよう。
「広島にはね、草木一本生えてないんだ。街には色がないんだ。墨絵のようだった。一緒に乗っていた人は”あと72年間は何も生えないそうだ”って教えてくれた。俺は何のために戦っていたのだろう。広島に残って生きている人たちのために俺はこれから何ができるだろうって考えて、考えて。でも何も思い浮かばなくってね。
戦争は終わったけれど、原子爆弾はこれからどうなっていくんだろう。進みすぎた科学は人間をどこに連れていくんだって。それまでは無事に帰ってきた安堵感でいっぱいだったのに。あんな気持ち、初めてだったなぁ。」

『ゴジラ-1.0』を監督した山崎貴は『オッペンハイマー』に対して「日本側から返答の映画を作らなくてはいけない、という気がすごくした。いつか実現させたいと思っている」

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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