「人民の人民による人民のための政治」で有名なエイブラハム・リンカーン。
2012年に公開された『リンカーン』はリンカーンの代表的な偉業である、奴隷解放宣言を実現するために、合衆国憲法修正第13条の可決を目指すリンカーンの姿が描かれる。裏取引や買収まで持ち出して賛成派を増やそうとするその姿は「正直者エイプ」と呼ばれた人格者のイメージとは似ても似つかない。
それまでして、人種差別の撤廃はリンカーンの悲願であった。
アメリカ映画とネイティブ・アメリカン
しかし、その一方でリンカーンが先住民を弾圧していたことはあまり知られていない。そのことでアメリカではリンカーンの像を撤去する動きが出ている町もあるようだ。
リンカーンの生きた時代とほぼ同じ時代を描いたのが2015年に公開された『レヴェナント: 蘇えりし者』だ。そこでは今日の牧歌的なイメージ、弱者としてのイメージとは違う、白人らと先住民の熾烈な戦いが描かれる。これを観ると、支持はできないがリンカーンが先住民を弾圧したのも不思議ではないと思ってしまう。
ただそのようなアメリカン・インディアンに対しても白人たちは犯し、殺し、奪い尽くした。
リンカーンの時代から約100年後の時代を舞台にした『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』でもそれは健在だ。同作は実話をベースにした作品だが、1930年代、アメリカン・インディアンであるオセージ族は石油資源の発見により世界で最も裕福な民族になった。
かくてオセージの町は求職者や政務関連の仕事の白人たちが出入りするようになり、彼らの中にはオセージ族から財産を奪うことを企む者も少なくなかった。そんな中で起きたのが花の月オセージ族連続殺人事件だ。
犯人はその町の名士としても知られていたウィリアム・ヘイル。
目的は金だ。オセージ族の均等受益権を得るために次々と邪魔になる者たちの殺害を指示していった。均等受益権とは石油から出る利益はオセージ族であれば均等に受け取る権利があるということだ。
そして、そのオセージ族が亡くなった時は、受け取る権利は後見人が有するものとされていた。当時は「無知な先住民族は白人が保護するもの」という考えが主流であり、オセージ族の後見人も白人が多かった。
現代のアメリカンインディアンのアルコール依存や貧しさはジョニー・デップの初監督作として年に公開された『ブレイブ』でも描かれる(ちなみにジョニー・デップはチェロキー族の血を引いている)。ジョニー・デップはずっとアウトサイダーだった。それは『ブレイブ』で彼が演じるラファエルもそうだ。ラファエルは白人社会の外にいて、彼は貧困生活を余儀なくされている。その裏には今まで見てきたようなネイティブアメリカンへの侵略と搾取の歴史がある。
『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』でヒロインを務めたリリー・グラッドストーンはネイティブアメリカンの女性としては初めてゴールデングローブ賞を受賞し、アカデミー賞にノミネートされた。
『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』ではオセージ族の言語がそのまま使われている。
ゴールデン・グローブ賞でもリリーは自らの民族の言葉でスピーチを行った。
「これは、歴史的な受賞です。流暢ではなく少しではありますが、故郷の言葉を話せることに感謝しています。なぜなら、この業界ではネイティブの言葉を表現するために、先住民の俳優が話した英語のセリフをサウンド・ミキサーが逆再生していた時代もあったぐらいですから」
黒人の権利獲得や差別を描いた映画は多くあるが、ネイティブ・アメリカンを同様に描いたものはまだまだ少ない。
もちろん、いかに真実に忠実に作った映画といえども、すべての事実を盛り込むことは不可能だ。
クリストファー・ノーラン監督の『オッペンハイマー』は原爆を扱った映画ということもあり、日本では公開前から被爆者の姿が充分に描かれていないことについて激しい賛否両論が巻き起こった。
確かにヒロシマ、ナガサキという2つの被爆地、そして唯一の被爆国として原爆の深刻な被害を描くことは真実を描く一つだろう。
映画監督のスパイク・リーも「日本人に何が起きたか描いてほしかった」と語っている。
監督のクリストファー・ノーランによると「オッペンハイマー自身もラジオで広島・長崎の原爆の投下を知った」ことからヒロシマ・ナガサキの原爆被害は描かれなかったという。
だが、オッペンハイマーが見ていないであろう真実は他にもある。
トリニティ実験のその後
それはトリニティ実験のその後についてだ。
トリニティ実験とは1945年7月16日に行われた世界初の原爆実験のこと。
名前の由来はジョン・ダンの詩の一節「私の心を砕け、三位一体の神」から採られている。
この実験はニューメキシコ州の砂漠地帯が選ばれた。
トリニティ実験は成功するが、その被害についても『オッペンハイマー』では取り上げられていない。
実際にトリニティ実験により発生した放射能によって、実験場の放射線量は今でも通常の土地の10倍になっているという。そして、周辺住民のがんや白血病を罹患した人々が多くなる。中には4代にわたってがんを発症した人もいるそうだ。しかし、アメリカ政府は彼らに対して放射能の危険性を実験前に警告するどころか、実験とがんや白血病などの病気との因果関係すら認めようとはしなかった。
周辺住民にはネイティブ・アメリカンも少なくなかったという。
そもそもアメリカの核実験はほとんどすべてがかつて先住民族が暮らしていた場所で行われたものだ。そして度重なる実験の放射能によって彼らは何世代にも渡り暮らした土地に戻れない状態が続いている。『オッペンハイマー』には原爆被害が十分に描かれていないことを否定するつもりはない。もっと言えば被爆国の国民であることを盾に「被害を描かなかったのは残念だ」と上から目線で発言する気もない。
『オッペンハイマー』の主題はあくまでもオッペンハイマーの人生であり、またそのような中でも原爆の恐ろしさとオッペンハイマーの原爆に対する苦悩は十分に描かれている。
ただ、事実として描かれなかったものはある。それだけのことだ。若い人の間では、終戦記念日はおろか、日本がアメリカと戦争したことすら知らない人もいるという。『オッペンハイマー』を契機に、より多くの人が原爆について知ってほしいとも思うし、私自身も学んでいきたいと思う。