『リンカーン』南北戦争は奴隷解放戦争だったのか?

※以下の考察・解説には映画のネタバレが含まれています


ある時、黒人の歴史についての本を読んでいたら意外な記述を見つけた。南北戦争の時にエイブラハム・リンカーンはこう言ったそうだ。
「私のこの戦争は連邦を救うことであって奴隷を救うことでも、奴隷制を壊すことでもない。
私は奴隷を一人も開放しなくても連邦を救えるならそうするだろうし、私は奴隷を開放することで連邦を救えるならそうするだろう」

リンカーンといえば、「奴隷解放の父」と呼ばれ、人道主義者というイメージもある。
2008年に大統領に選出されたバラク・オバマは選挙運動を通じてリンカーンを強く意識していた。
オバマが出馬宣言を行ったのはイリノイ州スプリングフィールド。この地はオバマの地元であると同時にリンカーンが政界入りを果たした場所でもある。オバマはこの時黒い帽子にフロックコートというリンカーンを意識した服装だった。
また勝利演説の際にはリンカーンの名前を取り上げてこう述べた。
「今よりもはるかに分断されていた国民にリンカーンが語ったように、私たちは敵ではなく友人なのだ」
オバマが大統領に選出された当時のアメリカもまた保守的な共和党支持者とリベラルな民主党支持者の間で分断があった。さらにオバマは就任式ではリンカーンが使った聖書を用いてもいる。
オバマはリンカーンについて「とても敵わない才能の持ち主」と述べている。リンカーンが今なお最も人気のあるアメリカ大統領の一人であることは間違いないだろう。

そのリンカーンが「奴隷を救うことでも、奴隷制を壊すことでもない」?
果たしてしてリンカーンの実像は彼のイメージに比べてどうなのだろうか。

リンカーンの実像

今回は2012年に公開されたスティーヴン・スピルバーグ監督作『リンカーン』を題材にエイブラハム・リンカーンの実像に迫ってみたい。
まず、明らかにしておきたいのはスピルバーグが『リンカーン』を撮った動機だ。スピルバーグはリンカーンを一人の人間として描き出したかったという。そこにエイブラハム・リンカーンという男への誠実さを感じとれる。偉人というのは誰も多かれ少なかれある程度は聖人視されているものだ。スピルバーグはそんな虚像の中からリンカーンを救い上げようとした。
「崇拝するのではなく、一人の人間として彼を見てほしかった」
そうスピルバーグはインタビューで語っている。彼の描くリンカーンは目的のためにはあらゆる手段を使う男だ。そんな姿は「正直者エイブ」と呼ばれたリンカーンのイメージを覆していく。
スピルバーグ の描くリンカーンは賛成票の代わりに失職が見込まれる民主党員に職を用意するなどの裏工作を行い、下院での票集めに奔走する。

本作でリンカーンを演じているのはダニエル・デイ=ルイス 。ダニエル・デイ=ルイスはその圧倒的役作りと演技力で在りし日のリンカーンをスクリーンに蘇らせている。その偉業とは裏腹に彼の演じるリンカーンはどこか脆さを感じさせる。実はリンカーンは鬱病だったのではないかと囁かれている。
ジョシュア・ウルフ・シェンク 著『リンカーン -うつ病を糧に偉大さを鍛え上げた大統領』ではリンカーンの鬱の原因として父方の遺伝や親しくしていた女性のアン・ラトリッジの死去など複数の可能性を述べている。
また晩年のリンカーンは甲状腺腫瘍のため声が非常に甲高くなったと言われる。 当時の音声は残っていないが、ダニエル・デイ=ルイスは1900年代初期の記録をヒントにし、リンカーンの暮らした地域の発音を参考にしたという。
ダニエル・デイ=ルイスは本作の演技で史上初の3度目のアカデミー主演男優賞受賞を果たした。

映画の中で語られるリンカーンの姿は穏やかで哀しみを帯びた策略家と言えるだろう。
ただ正直に言えば、日本人にとって『リンカーン』という映画は理解に難しい作品ではないだろうか。なぜならリンカーンの人生を描いた伝記映画ではなく合衆国憲法修正第13条を成立させるための攻防にその焦点が当てられているからだ(スピルバーグも「この映画は観客の理解を前提にしている」と述べている)。
当然そこを理解するためには前後の歴史についても知識が求められるだろう。まず映画の背景である南北戦争から見ていこう。

南北戦争はなぜ起きたのか?

南北戦争の開戦理由は複雑だが、北部と南部の経済構造の違いが深く関わっている。南部は農業が主な産業であり、大規模なプランテーションでの綿花栽培が一大産業であった。当時アメリカ南部が生産していた綿花は世界の生産量の4分の3にも達していたという。その労働力を担ったのが黒人奴隷だった。また、南部はイギリスとの経済的な結び付きが強く、そのために関税を低くすることを望んでいた。

対して北部はいち早く工業化に成功した都市となっていた。北部では経済の基盤が工業となり、南部のように経済の発展のために大規模な奴隷は不要になっていた。北部は既に奴隷を禁止する条約に批准していた。北部は関税を高くし、国内産業を保護することを目指していた。

このように同じアメリカ合衆国であっても一枚岩ではいかなかった。北部と南部の対立が激化し、共和党のリンカーンが大統領に選出されたことを機に南部の州はアメリカ合衆国から脱退し、新たにアメリカ連合国を発足させる。その初代大統領にはジェファーソン・デイヴィスが就任した。リンカーンの大統領就任から一年後のことだった。

リンカーンは奴隷制をどう考えていたのか

ここで冒頭の疑問に立ち返ろう。リンカーンは南北戦争の開戦当時、奴隷制の廃止を求めてはいなかったと冒頭でも述べた。もう一度その言葉を見てみよう。

「私のこの戦争は連邦を救うことであって奴隷を救うことでも、奴隷制を壊すことでもない。
私は奴隷を一人も開放しなくても連邦を救えるならそうするだろうし、私は奴隷を開放することで連邦を救えるならそうするだろう」

これは1862年8月22日、リンカーンが奴隷制反対論者のホーレス・グリーリーに答えた時の言葉だ。「ニューヨーク・トリビューン」の編集者だったグリーリーは「2000万人の祈り」という記事で南軍に対してより積極的な攻撃と迅速な奴隷解放を訴え、リンカーンの中庸姿勢を批判していた。

他にもリンカーンが奴隷制の廃止を求めていなかったと証明する例は歴史のそこかしこに散見される。
例えば就任演説でリンカーンはこう述べている。
「直接的にせよ、間接的にせよ、現在奴隷制度が存在する州においてそれに干渉するつもりはない。私にはそうする法的な権限がないと思うし、そうする意思もないからだ」
さらにリンカーンは北軍の将軍2名が占領した管轄地域で勝手に奴隷解放を宣言した時、リンカーンはそれを直ちに撤回させてもいる。1861年にミズーリ州に到達したジョン・フレモントが奴隷解放の布告を出した。奴隷は奴隷所有者の財産であり、所有者が合衆国に対する反乱者である場合はその財産は没収されるという理屈だ。ただ、大統領の許可のない宣言は意味を持たない。この時リンカーンは南北戦争の争点は合衆国の維持だと考えていたことがわかる。もっともこの時はフレモント側を世論は支持したらしいが。
1862年9月22日に奴隷解放宣言の予備宣言がなされた。その中でもリンカーンは「境界州の奴隷制には手をつけず、この日までに反乱をやめれば、その地域の奴隷制にも手をつけない」と述べている。しかし、この日までに南軍は降伏せず、1863年1月1日、リンカーンは奴隷解放宣言を発布した。

もっとも奴隷解放宣言については意図して遅く出したという見方もある。
「君なら開戦直後に奴隷解放を宣言しただろう」
『リンカーン』でリンカーンは共和党のスティーズブンスにこう言う。
スティーブンスは急進的な奴隷解放論者であり、奴隷を支配していた白人から富を奪い、解放された奴隷たちに平等に分け与えるべきと説いた。だが、奴隷解放宣言を早期に出すことは却って奴隷制を維持することに繋がる。当時のアメリカは南部の連合国と北部の合衆国に分かれていたが、北部の中には奴隷制を維持していた州が4つあり、奴隷解放宣言を出すタイミングによってはその4州が南部に寝返る可能性もあった。「コンパスは北は指してくれるが、その途中にどんな困難があるかまでは教えてくれない」
リンカーンはこう言う。この場合の北とは連邦を再び一つにすることと、奴隷制廃止の二つを含んでいるのだろう。

『リンカーン』の中で彼は「奴隷解放の父」のイメージそのままに奴隷たちの解放と平等を目指している。しかし、いつ奴隷解放がそれほど崇高な使命に変わったのか。リンカーンがその目的の一つとして奴隷解放を胸に秘めていたことは間違いないが、その優先順位は南北戦争開戦当時にあっては決して高いものではなかったはずだ。
リンカーンの頭の中にはまず、連邦の統一があった。それはもちろん北軍が勝つことだ。開戦当時ですら南部の人口や経済規模を北部は数倍は上回っていたが、南部の後ろにはイギリスがいた。リンカーンとしてはイギリスが南北戦争へ介入してくるのは何としてでも避けたかった。だが、イギリスが南部を承認しようという動きを見せはじめた。
そこでリンカーンが打ち出したのが奴隷解放宣言だ。イギリスでは既に奴隷制は廃止されていた。ここでイギリスが南部を承諾することは奴隷制を後押ししていることになる。そうなればイギリス国内の世論が政府に否定的になるのは目に見えていた。 リンカーンはイギリスの南部への介入を避けるために奴隷解放宣言を出したのだ。
ここで南北戦争は明確に「人道」を問う戦争に変わった。

また奴隷解放宣言はイギリスの南部への介入を避けるための単なる政治的手段でもない。この宣言の発布までにはリンカーン自身の奴隷制に対する考え方も変化している。
南北戦争当時から共和党の中には「奴隷制を廃止すれば南部は戦う大義がなくなる」という意見があった。1862年4月に合衆国領土での奴隷制を禁止する決議が採択されたが、懸念だった北部4州の動きはほとんどなかった。このことがリンカーンに奴隷開放の実現への可能性を示したともいえるだろう。
1862年9月にはリンカーンは奴隷解放を求める聖職者たちの集会で「私は奴隷たちに自由を与える宣言をしないと決めたわけではない。この問題は昼夜を問わず、他の問題以上に私の心を占めている。神のご意志と思われることをするつもりだ」と述べている。奴隷制に対するリンカーンのスタンスが微妙に変化しているのがわかるだろうか。

アメリカ合衆国憲法修正第13条

リンカーンの業績として有名な奴隷解放宣言だが、『リンカーン』には登場しない。スピルバーグがリンカーンの実像を描くために選んだエピソードはアメリカ合衆国憲法修正第13条を下院で可決させるための攻防だ。というのも奴隷解放宣言については法的な拘束力がなく、見方によっては戦時だけの一時的な措置と解釈される恐れもあった。そうなれば戦争が終われば再び解放された人々は奴隷に戻ってしまう。
奴隷解放宣言を実行するには憲法を変えることこそが重要だったのだ。成立には下院の3分の2の賛成が必要だが、下院の3分の1は民主党が占めており、共和党内もスティーズブンスのような急進派もおり、決して一枚岩といえる状態ではない。
『リンカーン』では彼の家族にも踏み込みながら、この成立までの駆け引きを描く。
ここで疑問なのはいつからリンカーンは奴隷制に反対していたのか、という点だ。政治的にそれが至上命題になるのは南北戦争において奴隷解放宣言を出したときからだろう。だがそれ以前からリンカーンの中に反奴隷制度があったのは間違いない。そもそもリンカーンの両親が共に反奴隷制主義者であったことがあり、その思想は少なからずリンカーンにも影響を与えているだろう。28歳のときにリンカーンは明確に奴隷制は「非公正にて悪しき政策」であると述べている。

リンカーンのダークサイド

ただ、リンカーンの実像はこれまで見てきたようなイメージに当てはまらないものもある。

歴史というものが大きな川だとしたら、リンカーンは川の底で輝く砂金と言えるだろう。
だが、その砂金もまた時代の流れによってその形は作られていくのだ。

リンカーンもまた、当時のアメリカの価値観からは逃れ切れていない。『リンカーン』が崇拝ではなく一人の人間としてのリンカーンを描こうと試みているのならば、ここでリンカーンのダークサイドについても記しておこう。
リンカーンの祖父はアメリカンインディアンに殺された。リンカーンのファーストネームのエイブラハムは祖父の名から採られている。
リンカーンの父トーマスは、自らの父が殺されたその場に居合わせていたという。
リンカーンの反奴隷制の思想が幼少期からの環境に強く影響を受けているのならば、アメリカンインディアンに対する考え方もまた然りだろう。
23歳の時リンカーンはソーク族およびフォックス族インディアン連合との闘いであるブラック・ホーク戦争に従軍している。
またリンカーンは奴隷解放を目指す一方で1862年にダコタ・スー族との間でダコタ戦争を起こしている。
リンカーンもまた当時のアメリカの指導者と同じようにネイティブアメリカンを少なからず軽視していたのではないか。

また奴隷に関しても法的自由は賛成していたが、社会的・政治的権利の付与は支持していなかったとも言われる。

映画『リンカーン』の強さ

話を『リンカーン』に戻そう。
修正案の採択日が迫った日、前述のようにロビイストによる買収も叶わなかった者たちの元へにリンカーンは自ら説得に向かう。
可決日、下院の傍聴席にはいつもは見慣れぬ黒人たちの姿があった。一見場違いにすら見える彼らだったが、その日の主役は間違いなく彼らだった。
修正案は規定の3分の2を2票上回って可決される。

歓喜に湧く共和党や、ホワイトハウスに集った人々の祝福。まさに政治の一つの理想形だろう。
この作品からはリンカーンの時代から100年以上経った今でもアメリカの政治にはまだ理想を追求できる希望と力強さが託されていると強く感じさせられる。
現実を見れば自由や平等が絵空事でしかないことはよくわかる。それでも政治は自由と平等を実現できると『リンカーン』は宣言している。もちろんアメリカ国内においても「Black lives matter」のように未だ黒人をはじめとする有色人種への差別は続いている。だが、それでもまだ政治は現実に屈しないと国民に信じさせるだけの希望を持っているのではないか?
果たして日本で今後このような政治的な映画が制作されるのか、作られたとしてまた一般の人々にどれだけ受け入れられるのかを想像すると改めてそう思う。

冒頭で述べたバラク・オバマも『リンカーン』を鑑賞している。
「少なくとも、僕らは方向性を決める権利は持っていると思う。それから大統領として気付くのは、自分が就任中に約束の地に辿り着くことはないということ。つまり、今自分の植えた種が実になるのは、何年も後になってから。だから将来的な見通しを持てる能力が大事だし、その上で、今目の前の政治的な決断をしてくことがどれだけ大事なのかを学んだ」
オバマは本作の感想をそう述べている。そこにあるのは自分で責任をもって意思決定していくという志の強さとリーダーシップの覚悟だ。

時代の中で苦悩し、時代の中で常に最善の道を探り実現していった一人の男。その姿は聖人とは程遠いものなのかもしれないが、今の時代においても変わらぬ強さを見出すことができる。

『リンカーン』はリンカーンの第二期の大統領就任演説の様子とともに幕を下ろす。
「我々は切に願い、心から熱く祈る。戦争のもたらす苦しみが速やかに過ぎ去らん事を。しかし神が奴隷による250年もの間の報われぬ労苦によって蓄えられた富が崩れ去るまで、または鞭によって流された血が剣によって一滴残らず償われるまで、闘いを続けることを望むなら3000年前の言葉の通り”主の裁きは誠に真実にして、ことごとく正しい”と現在でも言わなくてはならない。何人にも悪意を抱かず、すべての人に慈愛をもって神が我々に示し給う正義を信じ、やるべきことを成し遂げるべく励もう。国家の傷を癒し、いたわるのだ。戦いに倒れた者やその未亡人や孤児たちを。そして惜しみない努力で正しく永遠に続く平和をもたらすのだ。我々の間に、全ての諸国民の間に。」

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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