『007 スカイフォール』なぜMは「ユリシーズ」を詠んだのか?

『007』映画と言えば、いわゆるボンド・ガールと呼ばれる、ジェームズ・ボンドの相手役を務める美しい女性たちの登場も注目を集める。
最新作の『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』では、アナ・デ・アルマスの美しさが話題になり、一躍人気となった。もっとも、今の時代の風潮として「ボント・ガール」という呼称も批判の的とされつつあり、また彼女らの多くがボンドの夜の相手も務めるという描かれ方には時代錯誤との声もある。
そんな時代の流れもあってか、アナ・デ・アルマス演じるパロマもボンドと対等に戦えるCIAエージェントという設定で、ボンドと寝ることもない。

さて、今回紹介する『007 スカイフォール』のボンド・ガールはベレニス・マーロウ演じるセヴリンということになっている。
だが、『『007 スカイフォール』を観終わったほとんどの人は本当のボンド・ガールはセヴリンではないと知ることになるだろう。

『007 スカイフォール』

『007 スカイフォール』は2012年に公開されたサム・メンデス監督のスパイアクション映画だ。『007』シリーズとしては23作目の作品になる。
トルコでの任務中、MI6の工作員が殺され、NATOの工作員の情報が入ったハードディスクが奪われる事件が発生する。ボンドは実行犯であるパトリスを追うが、新人エージェントのイヴはパトリスに狙いを定めるが、ボンドとの格闘中で引き金を引くことができない。上司であるMの命令でイヴはやむ無く引き金を引くが、銃弾はボンドに当たり、鉄橋から川の中へ落ちていく。生死不明のボンドだったが、殉職者として死亡扱いになっていた。
そして、ゆっくりと南の島で休んでいたボンドだが、MI6本部が爆破テロを受けたというニュースを見て現場復帰を決意する。アルコールなどで身体能力もかなり低下していたボンドだったが、復帰テストをギリギリ合格でくぐり抜ける。
この体がボロボロというジェームズ・ボンドの設定は、原作であるイアン・フレミングの書いたジェームズ・ボンド像に近いことも書き加えておこう。
原作のジェームズ・ボンドは肝疾患やリウマチ、高血圧などを患い、医者からも「長生きできない」と明言されている。
加えて、ダニエル・クレイグがジェームズ・ボンドを演じてからの『007/カジノ・ロワイヤル』、『007/慰めの報酬』はともに007に就任してから間もないジェームズ・ボンドという設定だが、『スカイフォール』では一気にベテラン・エージェントの域にまで達している。
元々のイアン・フレミングのジェームズ・ボンドも30代後半という設定だったので、その意味でも原作に近いジェームズ・ボンドと言えるだろう。

リアル路線のジェームズ・ボンド

ボンドはQから武器とパスポートの提供を受け、パトリスの向かう香港へと飛び立つ。
ピアーズ・ブロスナン版の『007』の終了と入れ替わるように人気を博したスパイアクション映画がマット・デイモン主演の『ボーン・アイデンティティ』だ。『007』シリーズの華やかでゴージャスなスパイに対して、『ボーン・アイデンティティ』はリアルで人間らしいスパイ映画だった。
『ボーン・アイデンティティー』の監督のダグ・リーマンは『ボーン・アイデンティティー』は『007』へのアンチテーゼだと語っている。
「僕はジェームズ・ボンドに共感しない。彼は1960年代の価値観を持ったミソジニスト(女性を蔑視する人)。人を殺して笑ってジョークを飛ばし、マティーニをあおっている」

ダニエル・クレイグ版の『007』もその影響を受けてか、ある程度のリアルさを保っているように思える。『007/カジノ・ロワイヤル』『007/慰めの報酬』ではQそのものも登場しなかった。
ピアーズ・ブロスナンの『007/ダイ・アナザー・デイ』では透明になるアストン・マーチンが登場したが、『007 スカイフォール』でボンドがQから受け取る武器は指紋認証でボンドにしか撃つことができないワルサーと無線のみだ。
「冴えない武器だ」そうぼやくボンドに
「お好みはペン型爆弾?」Qは言う。
「あれはアンティークです」

復活(resurrection)

上海でパトリスと接触したボンドだが、格闘の末にパトリスは口を割ることなく死亡。パトリスの荷物からカジノへ向かったボンドは、そこでパトリスの仲間らしい女性、セヴリンと知り合う。
ボンドはセヴリンと共に雇い主である男のもとへ向かう。
一連のテロ事件の黒幕は元MI6のエージェントであるシルヴァだった。シルヴァはMに裏切られ、その憎しみから今回の事件を引き起こしたのだった。

サム・メンデスの作品には『アメリカン・ビューティー』や『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』など、庶民の家庭の崩壊を描いた作品が多い。
サム・メンデスは絆や愛という言葉には代表されるような家族という幻想を取り去って見せる。
『007 スカイフォール』もまた崩壊した家族の話だ。
Mという母親と、その息子であるジェームズ・ボンドとシルヴァ。
母親の愛情を受けた子供と、母親に拒絶された子供の物語だ。
ボンドはシルヴァから本当は復帰テストの結果は不合格だったと聞かされる。

「君の趣味は?」
シルヴァがボンドに問う。
「復活(resurrection)かな」
このresurrectionは単に復活という意味ではなく、キリスト教的な復活のニュアンスも含んだ言葉であることは補足しておこう。

シルヴァは捕えたセヴリンの頭にウイスキーを乗せ、ボンドにウイスキーを撃つように命じる。ボンドの弾は外れ、シルヴァはセヴリンを撃ち殺す。
今回のボンド・ガールのセヴリンの扱いはかなり酷い扱いだ。ボンドの相手をした以外はあまりに、あっさりと物語から退場してしまう。ボンド・ガールへの批判が高まるのも理解できる。

復帰のテストが不合格であっても温情をかけてもらい「ギリギリ合格」で現場復帰するなど、Mからの寵愛を受けてきたボンドと、切り捨てられたシルヴァ。
逮捕されたシルヴァはMに自身の身の上を話す。

シルヴァは敵に捕まったとき、それでもMを守ろうと拷問にも耐えたが、遂に自殺を決意し、奥歯に隠したカプセルを飲む。しかし、死にきれずに顔半分が崩れてしまう。そして入れ歯を外し、崩れた顔を晒す。
シルヴァとボンドにはともに死から生き延びたという共通点もある。二人は1枚のコインの光と影のような存在だと言えるだろう。
その意味で『007 スカイフォール』を『ダークナイト』と結びつける考察も多い。『ダークナイト』もバットマンとジョーカーは光と影であり、互いが互いにとって不可分の関係だ。
『ダークナイト』のバットマンは当時のアメリカ自身の象徴でもあったが、『007 スカイフォール』のジェームズ・ボンドも2012年のイギリスを象徴しているのだろうか?

その答えはМが詠む詩にある。

『ユリシーズ』

Mは面会を終えると今回の情報漏洩について証言するため、公聴会へ向かう。そこでMはMI6の存続を訴え、亡き夫が好きだったという詩『ユリシーズ』を詠み上げる。
『ユリシーズ』はイギリスの詩人、アルフレッド・テニスンの作品であり、ギリシャ神話の英雄であるオデュッセウスが老齢となり来し日々を詠ったものだ。
1833年、古くからの親友を失ったテニスンは、オデュッセウスに自らを重ねてこの詩を詠んだという。
『ユリシーズ』の詩は長年MI6を指揮してきたM自身にも通じる。

「確かに多くが奪われたが、残されたものも多い
昔日、大地と天を動かした我らの力強さは既にない
だが依然として我々は我々だ我らの英雄的な心はひとつなのだ
時の流れと運命によって疲弊はすれど意志は今も強固だ努力を惜しまず、探し求め、見つけ出し、決して挫けぬ意志は」

これはMI6の事を指しているようで、その実はイギリスという国家そのものを詠んでいるのではないか。
2012年はロンドンオリンピックが開催され、ダニエル・クレイグがジェームズ・ボンドとしてエリザベス女王をエスコートしたことでも話題になった。また『007』もシリーズが公開されてから50年目にあたる節目の年でもあった。一方でGDPは落ち込みを見せていた時期でもある。監督のサム・メンデスは『007 スカイフォール』は国威発揚の機運に影響されたことを認めている。

「天が墜ちようとも正義を成就させよ」

今作のタイトル、「スカイフォール」は「天が墜ちようとも正義を成就させよ」というラテン語の格言からの引用だ。そして、ジェームズ・ボンドが生まれ育った生家の名称としても登場する。
公聴会の場を、脱走したシルヴァとその一味が襲撃する。ボンドはMを間一髪で救出、彼女を連れて自身が生まれ育った場所へ連れていく。
MI6とMの運命はジェームズ・ボンドに託されたのだ。
ボンドが向かった先が「スカイフォール」だった。
シルヴァもМを追ってスカイフォールへ向かう。ちなみにスカイフォールの場所はスコットランド。スコットランドはヨーロッパでも最古の歴史を持つという。

Mはなぜ死んだのか

シルヴァは深手を負ったMと共に心中しようとする。シルヴァがMに見せる憎しみと愛情がここに極まる。死から甦ったシルヴァはMを憎む一方でMが生きる意味でもあった。
だが、背後からボンドがシルヴァの背にを投げる。絶命するシルヴァだが、Mもまた致命傷を居っていた。ボンドの腕に抱かれ、死の床にあるMはこう呟く。
「私はひとつだけ正しいことをした」
これはテストの結果に反してもジェームズ・ボンドを007に復帰させた決断についての言葉だろう。

『007 スカイフォール』の本当のボンド・ガールはMだったのだ。

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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