『ラストナイト・イン・ソーホー』男性側にとっての#MeToo

※以下の考察・解説には映画のネタバレが含まれています


ホラー映画は苦手だ。映画館では新作映画の予告編を観るのも楽しみの一つだが、ホラー映画の予告編に当たってしまった時は何かしらの罰を受けている感じさえする。
ただ、このサイトでもいくつかのホラー映画は紹介している。『悪魔のいけにえ』や『ゾンビ』だ。ホラー映画であっても、多くの後続映画に影響を与えた名作はやはりチェックしておきたいと思ったからだ。
他にホラーを観る動機があるとすれば、監督が誰かということだ。

『ラストナイト・イン・ソーホー』

今回紹介する『ラストナイト・イン・ソーホー』はエドガー・ライトが監督と知って観てみたいとかねてより思っていた。
エドガー・ライトとホラー映画と言えば2004年に公開された『ショーン・オブザ・デッド』だろう。『ショーン・オブ・ザ・デッド』は先述の『ゾンビ』へのリスペクトとオマージュに溢れたホラー・コメディ作品だった。愛も友情も恐怖も笑いも、一つの映画のなかにバランスよくちりばめられている。

『ラストナイト・イン・ソーホー』もやはり恐怖だけを追求するホラー映画ではなかった(むしろホラーとして観た場合は肩透かしさえ食らうかもしれない)。
主人公は田舎からファッションの学校へ通うためにロンドンに引っ越してきたエロイーズ・ターナー。エロイーズは母を亡くし、祖母に育てられているが、時折母の姿を見ることができる「能力」を持っていた。
エロイーズを演じるトーマシン・マッケンジーもエロイーズと同じく撮影当時18歳であり、本作の撮影のためにニュージーランドからロンドンへ赴いた。まさにエロイーズのような経験を実際にしてきているわけだ。

エロイーズのルームメイトとなったジョカスタは事あるごとに田舎出身のエロイーズを見下す言動をする。耐えきれなくなったエロイーズは、寮を出て、一人暮らしすることを決める。
だが、そこでエロイーズは思いもよらない経験をすることになる。

今作でも『ショーン・オブ・ザ・デッド』と同様に往年のホラー映画との共通点が感じられる。
まず、学校へ入学するために寮に入るという冒頭の設定と、赤を強調したライティングはダリオ・アルジェントの『サスペリア』を彷彿とさせ、またクラスメイトの女子からイジメられるという流れはブライアン・デ・パルマの『キャリー』とも重なってくる。加えて主人公が超能力を持つという設定も『キャリー』そっくりだ。エドガー・ライトによると、他にもニコラス・ローグ監督の『赤い影』やロマン・ポランスキー監督の『反撥』の作品の影響があるらしい。

1960年代へのタイムスリップ

さて、一人暮らしの部屋で眠りにつくエロイーズだが、彼女は夢の中で自身が憧れる1960年代にタイムスリップしていた。
そこでは『007 サンダーボール作戦』が上映されていたことから、エロイーズがタイムスリップしたのは1965年だろう。エドガー・ライトは『ラストナイト・イン・ソーホー』に『007』関連の小ネタをいくつか仕込んでいる。まずはエロイーズがバーで頼むカクテルの名前が「ヴェスパー」。これは実在するカクテルの名前ではあるのだが、元々は『007/カジノ・ロワイヤル』に登場するボンドガール、ヴェスパーの名にちなんだカクテルで、名付け親は他ならぬジェームズ・ボンド。
また、エロイーズの下宿先の大家を演じているのダイアナ・リグは1969年に公開された『女王陛下の007』。またエロイーズがバイトするバーのオーナー役には1964年に公開された『007/ゴールドフィンガー』に出演したマーガレット・ノーランが務めている。なぜこれほどまでに『007』映画への目配せが多いのか?その理由はこれから明らかになる。

エロイーズは夢の中でサンディという少女と自身が一体化しているように感じていた。
歌手としての成功を夢見るサンディはエロイーズの憧れにもなった。現実世界でも髪をブロンドに染め、サンディの髪型を真似る。エロイーズは徐々に明るさを持ち、ロンドンの生活にも慣れてゆく。
しかし、夢の中のサンディは成功とは裏腹に恋人のジャックストリップまがいのショーに出演させられたり、男性達への夜の相手を強要されてしまう。そして、現実世界でもエロイーズはサンディや顔のない男たちの影を目にするようになる。

サンディの正体

やがてエロイーズはサンディがかつて自身が住むこの部屋に住んでおり、そこで殺されたことを幻影で見る。パニックになるエロイーズだが、なおも男たちは現実世界でもエロイーズの前に姿を表す。
監督のエドガー・ライトは『ラストナイト・イン・ソーホー』の着想を以下のように述べている。
「何年も前に、1960年代のハリウッドやイギリスのショービジネスの世界で、人生やキャリアに終止符を打たれた人の話を読んだ。とても悲惨で心を痛めた。この数年間で、非常に進歩的な方法で被害者が自分自身のために勇気を持って話すことができるようになったが、しかし1960年代の人々の言葉をもう語る人がいないため、誰も聞くことはできない。もうこの世にいない人たちの本当の姿を知るのはとても難しい。その悲劇的な感覚が僕に重くのしかかることとなった。それが本作のインスピレーションの源になったと言える」
エロイーズは警察にも相談するが、サンディという少女が殺害されたことが証明できずに、警察からは頭のイカれた女として処理されてしまう。
エロイーズは図書館へ行き、過去にソーホーでサンディという名の少女が殺されていないかジョンと共に調べるが、図書館の中でも多くの男性たちの幻影に取り囲まれ、ついにはジョカスタをハサミで殺しかけるところまでいってしまう。

エロイーズは何もかも諦めて、田舎へ帰ると祖母に電話する。一刻も早くロンドンを離れたいエロイーズはジョンに車で送ってもらうことにする。その前に部屋に戻って荷物をまとめようと自室へ向かう。
大家に短期間で部屋をすることを詫びると、大家はエロイーズに飲み物を出して、警察が訪ねてきたことを話す。それは警察署でエロイーズの話を唯一取り合ってくれた女性警官だった。
大家はエロイーズに昔話を語る。以前は自分もあの部屋に住み、歌手を夢見ていたこと。しかし、望まぬ男性たちの相手が嫌になり、あの部屋を訪れた男性たちを次々と殺害して床や壁に埋めたこと。大家こそがサンディだったのだ。

エロイーズは逃げようとするが、飲み物に入った薬のせいで動くことが出来ない。戻ってこないエロイーズを心配したジョンがエロイーズの下宿先を訪れるが、大家によって刺されてしまう。
エロイーズはなんとか大家から逃げるように自分の部屋へ向かうが、そこでも大勢の顔のない男たちの幻影に取り囲まれる。しかし、彼らの本当の声はサンディから助けてほしいという悲痛な訴えだった。彼らはサンディにより殺害された被害者でもあった。

なぜ幽霊たちは顔がないのか?

なぜこの幽霊たちは顔がないのか。大家は行為の途中に男たちの顔をあえて覚えないように、のっぺらぼうだとして見るようにしていたという。
夢見る若者への性的搾取というと、日本ではジャニーズ問題を連想させるが、『ラストナイト・イン・ソーホー』の公開された2021年ではむしろ#MeTooの影響を考えたほうが正しい。
#MeTooはハーヴェイ・ワインスタインの長年に渡る性加害を発端に起こった運動だったが、顔をなくすことで幽霊たちは個人ではなく「男たち」という性別だけの共通点になってしまう。
そこで搾取する男性、被害者になる女性という構図がはっきりと浮かび上がる。
だが、一方的に男が悪で終わらせていないのは特筆すべき点だろう。

キャンセル・カルチャーの是非

『ラストナイト・イン・ソーホー』は、もちろんサンディにも同情はできるのだが、「助けてほしい」そう言う男たちの叫びにもまた同情してしまうような作りになっている。単純に#MeTooだけならば、徹底的に男を加害者として描くこともできたはずだ。
でもそうではない。加害者(疑惑も含む)への復習がキャンセル・カルチャーとして時に罪以上の罰を受けることさえある。そもそも『ラストナイト・イン・ソーホー』の大まかな物語は#Meより前に存在していた。今作の脚本を手掛けたクリスティ・ウィルソン=ケアンズもまたエロイーズのように若い頃に田舎からロンドンへ出てきた経験を持っていた。
「クリスティと脚本を書いた理由の一つは、彼女自身がロンドンで働いたことのある若い女性だったからです。おかげで、お互いにショービズ界で実際に見てきたことを脚本に生かすことができた。けれど1960年代の話やこの数年間で表に出てきた話は、ショービズ界が存在する限り続いている。なので、僕らが聞くことのできない話はまだまだたくさんあるのです」
エドガー・ライトはクリスティについてそう述べている。

なぜ『007』なのか

エロイーズが憧れる1960年代だが、決して輝かしいばかりの時代ではない。サンディが経験したような悪夢も「スターになるには当然のこと」として許容されてきた事実がある(もちろんエドガー・ライトはそれに対しても「今なお続いていること」と述べている)。
もちろんセクハラなどに関してはセクハラという認識すらなかっただろう。
その1960年代の女性軽視を象徴するのが『007』ではないか。
その象徴がボンドガール。ボンドガールの平均年齢は26歳であり、ボンド役の俳優より大幅に若いことが多い。また、彼女たちのネーミングも初期の頃は性的な意味を連想させるものがチラホラ見受けられた。その最たるものが『007/ゴールドフィンガー』に登場したプッシー・ガロアだろう。このボンドガールの名前を日本語に訳すと「女性器がいっぱい」という意味だ。(もっともプッシー・ガロアを演じたオナー・ブラックマンはこのネーミングについて「ただのジョークなのに、変な意味に捉える方がいやらしい」と一蹴しているが)。また、ボンドガールがほとんどのストーリーにおいてボンドと寝てしまうのもその一つだろう。
エロイーズは幽霊たちのサンディを殺せという声には同調することが出来ない。せめてサンディを救おうとするが、彼女はエロイーズの声を聞かずに、燃える家と運命を共にする。

エロイーズは学校に戻り、ショーを優秀な成績で成功させる。そこには母の姿とサンディの姿もあった。その姿はまだ夢を信じていた頃のサンディだろう。その時であれば、わかり合うことができた。
『ラストナイト・イン・ソーホー』が描くのは分断ではない。かといってユートピアのような夢物語でもない。

エンドロールでは、無人のロンドンの街角が映し出される。これは静止画ではなく、コロナ禍によるロックダウンで無人になったロンドンの動画だ。

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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