『フロスト×ニクソン』歴史を変えた1つのインタビュー。現在にも響く権力とメディアの攻防

※以下の考察・解説には映画のネタバレが含まれています


リチャード・ニクソンはアメリカの政治史上唯一任期の途中で辞任した大統領だ。そのきっかけは1972年のウォーターゲート事件だった。
1972年6月17日にアメリカ・ワシントンのウォーターゲートホテルに入っていた民主党全国委員会に5人組が侵入したところを警備員が発見。逮捕された犯行グループが盗聴器を所持していたことが発覚した事件だ。
現職の大統領がその権限を濫用して、盗聴などの犯罪行為や司法妨害を行わせるのは前代未聞のスキャンダルであった。ニクソンは任期を待たずに辞任するが、その直後に静脈炎を起こし入院。生死の淵をさまよった。ニクソンは自身の後に大統領となったフォードによって恩赦され、ついにニクソンが法廷に立つことはなかった。この顛末に国民は猛反発した。

コメディアン出身の英国の司会者、デイヴィッド・フロストがニクソンにインタビューを申し込む。インタビューはニクソンの大統領在任中を振り返るという内容だが、その目的はニクソンにウォーターゲートでの犯罪行為を指示したことを認めさせ、国民へ謝罪させることであった。
そのフロストとニクソンの攻防を描いた作品が『フロスト×ニクソン』だ。

『フロスト×ニクソン』

監督はロン・ハワード。もともとは脚本家のピーター・モーガンと話をしていたときにモーガンが次にやる舞台の脚本をロン・ハワードに見せた。それが『フロスト×ニクソン』だ。
映画の中でデヴィッド・フロストを演じたマイケル・シーンとリチャード・ニクソンを演じたフランク・ランジェラは舞台版からの続投だ。フランク・ランジェラは今作でアカデミー賞主演男優賞にノミネートされている。
余談だが、ランジェラは撮影中も自らを「大統領」と呼ぶように周囲に指示し、あえて周囲と距離をおいていたという。

さて、前述のとおり『フロスト×ニクソン』の物語の大筋はニクソンにウォーターゲート事件への関与を認めさせることだ。
フロストには「ニクソンが謝罪する姿」を映し出し、アメリカへの進出を果たしたいという思惑があった。ニクソンにはこのインタビューを通じて自らのダーティなイメージを挽回し、政界に返り咲きたいという思惑があった。
この互いの思いの強さがインタビュー前から激しくぶつかり合う。フロストは個人で莫大な借金をしてまでニクソンへのインタビュー権を獲得する。ニクソン側はウォーターゲートに関する質問はと無茶な制限をつける。
監督のロン・ハワードは本作を「『ロッキー』の頭脳版」だと説明する。フィジカルなバトルではないが、確かにテレビという戦場で彼らは激しく打ち合っている。

テレビの洗礼

ニクソンがテレビの洗礼を受けたのは1960年9月26日に行われたケネディとの大統領候補者同士の討論会だろう。ともに大統領候補であった二人が計4回にわたってテレビ討論を行った。この様子は約7,000万人が観ていたという。
アメリカ史上初のテレビ討論会はケネディの勝利に終わる。ケネディ自身も大統領選挙を振り返って「運命の分かれ目を決めたのは、何よりもテレビ討論会であった」と回想している。
ケネディの濃い色のスーツに対してニクソンは薄いグレーのスーツを着用、またテレビ用のメイクを施したケネディに対して、ニクソンは議論の中身が重要だとしてメイクを拒否した。結果としてニクソンは当時のモノクロの画面のなかでは印象が弱く余計に疲れを感じさせた。面白いことに、二人の討論をテレビで視聴者していた人はケネディが優勢だと感じ、ラジオで聴いていた人はニクソンが優勢だと感じたという。
ニクソンはこのときの反省を活かしフロストのインタビューに臨んだ。『フロスト×ニクソン』でもフロストはニクソンが世論からのストレスで疲弊していると思っていたが、実際に面会したニクソンは気力に溢れていて驚く場面がある。

実際のインタビューは1977年に実施されたのだが、その様子をリアルタイムで観ていたフランク・ランジェラはニクソンの様子を芝居がかっていると感じたという。それだけニクソンには自信があったということだろう。
事実、インタビューのほとんどは完全にニクソンのペースで進んでいく。

メディアと大統領

個人的にはニクソンのベトナム戦争など今日の世界情勢と重なる部分が興味深い。ニクソンは「北ベトナムの共産主義作戦本部がカンボジアに存在する」という大義名分を掲げ、1970年にカンボジアに侵攻する。それはまるで大量破壊兵器を持っているという大義でイラク戦争に突入したブッシュ政権を彷彿とさせる。

ロン・ハワードは『フロスト×ニクソン』の撮影中、ニクソン時代と同じように2008年当時のブッシュ政権でもイラクやアフガニスタンへの侵攻において権力濫用が議論されているという類似性や関連性を感じたという。

ニクソンが行ったカンボジア侵攻だが、作戦本部は存在せず、逆に侵攻によってカンボジアで反米感情が高まり、クメール・ルージュの台頭へ繋がっていく。クメール・ルージュ1975年4月17日に首都プノンペンを占領し、首相となったポル・ポトは1975年から1979年の間に150万から200万人を虐殺した。

現在の中東もこれに似てはいないか。アフガニスタンやイラクと次々に戦争を起こしたアメリカではイスラム国などのイスラム原理主義組織が台頭、アフガニスタンではかつて壊滅状態にしたタリバンが復権し、再び政治の実権を握る事態に陥っている。
フロストはニクソンに対してCIAも国防省も反対したのになぜカンボジア侵攻を行ったのかと問いかけるが、ニクソンは結果として北ベトナム軍の大量の武器を徴発したと答えた。それらの武器はアメリカに向けられるものであったと。
ニクソンはある労働者から言われた言葉を引き合いに出す。「大統領、ひとつ言わせて下さい、もう少し早くカンボジアに攻め込んでくれれば、息子は死ななかった」
その言葉を紹介した後にニクソンは畳み掛けるように「もっと早くカンボジアを攻撃するべきだった!」と自らを正当化する。

ひとつの政治的決断はそれによって救われる人と傷つく人の両方を生み出す。ニクソンは巧みにその中の一人にクローズアップして見せる。
「一人の死は悲劇だが、100万人の死は統計上の数字に過ぎない」という言葉を思い出す。カンボジア侵攻により家族を失った人も大勢いるはずだ。正に狡猾かつ老練の政治家の力量を感じさせる。

ハリウッドでニクソンほど悪役として登場した大統領も他にいないだろう(今後ドナルド・トランプがそうなる可能性は大いにあるが)。
だが、『フロスト×ニクソン』はニクソンをただの悪人として描いているわけではない。前述の通り狡猾で老練な悪役らしい素質もあるが、それと同じくらい国を治めてきた者の迫力に満ちている。その前ではフロストは生意気だが、青臭い青年くらいにしか見えない。しかし、ニクソンの生い立ちを探っていくと貧しく惨めな若き日のニクソンの姿が現れる。

なぜ彼は法を逸脱してまで権力に固執したのか。

最後のインタビューの前、深夜に酔ったニクソンがフロストに電話を掛ける場面がある。ニクソンは在任中、側近を心配させるほどの酒癖でまた興奮すると電話魔になってしまったそうだ。この場面は史実ではなく創作なのだが、そうしたニクソンの性格をうまくストーリーに織り込んだと言えそうだ。またこの場面はニクソンとフロストのバックグラウンドを知る上で非常に重要なシーンだ。
ニクソンはフロストのプロフィールを見ながら問う。
「君はメソジスト教徒の慎ましい家で育ち、上流階級の金持ちばかりの名門大学に入った、オックスフォードか?」
「ケンブリッジです。」答えたフロストにニクソンが畳みかける。「上流階級の人間たちに君も見下されたろ?」「それが我々の悲劇だ。違うかね?」
ニクソンは貧しい家の出身だった。宗教的にも異端とされてきたクエーカー教徒であった。そして大学もアイビーリーグには入れず、政治家になっても学閥で差別を受けている。
「我々は自分を敗者のように感じる」「我々が心のそこから欲しいのは彼らから尊敬されることだ」
最後のインタビューのテーマはウォーターゲートについて。ニクソンは言う。
「だが、スポットライトを浴びるのは一人だ。負けたものには荒野が待っている」

フロストの切り札

そしてフロストのニクソンへのインタビューは最終日を迎える。
この日のフロストには切り札があった。ニクソンが処分していたと思っていた電話の内容だ。それは事件の隠蔽工作の指示を示唆する内容だった。
この隠蔽指示を出したのは、大統領補佐官のアーリックマンとホールドマンであったが、何故かニクソンは彼らを逮捕しなかった。
フロストはここに果敢に切り込む。
ニクソンはこう答える。
「逮捕することもできた。だが、かれらは私の部下だ。彼らを若い頃から知っている、彼らの家族も。彼らのしたことと我々のしたことは犯罪ではない。」
だがこの後に続く言葉でニクソンは致命的なミスを犯す。

「大統領には多くの仕事がある。法律の厳密な意味では合法ではないことも。より大きな国益のためにやるのだ」
「待ってください、こういうことですね、大統領は国益のためなら非合法な行為ができる」
「大統領がやるのなら非合法ではないという意味だ」
そう発言した直後、ニクソンの顔に後悔と動揺の色が表れる。対性的にフロストの顔に浮かぶのは驚きと勝利の確信だ。
「つまり、あなたも法を犯し隠ぺい工作にかかわったことを認めますね?」
ニクソンが答えかけたところで彼の政治補佐官であるジャック・ブレナンが止めに入る。
しかしニクソンの心は決まっていた。再開したインタビューでニクソンはフロストの追及についに告白する。
「それは真実だ。私は過ちを犯した。恐ろしい過ちを。それは大統領の価値を傷つける過ちだった」
「国民を失望させた。友人たちを。国家を。最悪なことは政治制度を危うくし、政治を目指す若者たちの夢を打ち砕いた。彼らは思うだろう”ひどい腐敗だ”と。
国民を失望させた。わたしはその重荷をこれから生涯背負って生きる」

マスメディアの恐ろしさ

テレビの本当に恐ろしい所は切り取られた一瞬が視聴者にとっては全てになってしまうところだ。フロスト側で調査員を務めたジェームズ・レストンは映画のエンディングでインタビューを振り返ってこう述懐する。
「テレビのペテン、または第一にして最大の罪は単純化だ。矮小化するんだ。偉大さも、難しい思想も、時代の断片も。全キャリアもただ1コマの映像に集約される。
(中略)デビッドは一瞬を捕まえることに成功した。ジャーナリストも検察官も司法委員会も政敵も捕まえられなかったもの。それはニクソンの顔だ。むくんで膨れ上がり、孤独に荒廃し、自己嫌悪と敗北間・・・。
インタビューの他の部分は忘れられるだけじゃない、存在すらしなくなる」

実際のインタビューが実施された1977年当時はもちろんだが『フロスト×ニクソン』が公開された2008年当時と比べても今のメディアの在り方も様変わりしている。マスメディアの中心はテレビからインターネットになった。SNSの発達によって情報の伝播力は格段に伸びたが、このレストンの言葉はマスメディアの本質を実に的確に突いている。

インタビューが終わった後のニクソンの表情にはどこか安堵と穏やかさが透けて見える。ニクソンにとって負けるのことの許されない環境で戦い抜いてきた人生は過酷だったのだろう。
「私の政治生命は終わった」インタビューの最後にこう話すニクソンだったが、それは過酷な戦いの人生がようやく終わったことを意味するのではないだろうか。

インタビューの開始前、政治補佐官のジャック・ブレナンはフロストの履いていた革靴を見て「イタリアの靴は女性的だ」と侮蔑的な評価をする。ニクソンへのプレゼントとしてインタビュー後にフロストは自身の靴と同じものをニクソンへ手渡す。ニクソンはそれを笑顔で受けとる。重い鎧をようやく外すことかでき、ニクソンの心が解き放たれたことを感じる場面だ。インタビューによってニクソンもまた救われた一人かもしれない。

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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