『マーシャル・ロー』9.11のテロを予見した映画

英語で包囲のことはsiegeシージーという。
今回紹介する映画『マーシャル・ロー』の原題はsiegeだが、日本語の語感が良くないということで、邦題が『マーシャル・ロー』に変更された経緯がある。マーシャル・ローは「戒厳令」を意味する。

『マーシャル・ロー』

『マーシャル・ロー』は1998年に公開されたサスペンス映画。監督はエドワード・ズウィック、主演はデンゼル・ワシントン。ブルース・ウィリスとの共演作だ。ズウィックとデンゼル・ワシントンは『グローリー』、『戦火の勇気 』に次ぐ三度目のタッグとなった。

今作の冒頭は当時の大統領であるビル・クリントンの会見のアーカイブ映像から始まる。この会見は 1996年にサウジアラビアで起きたホバルタワー爆破事件に対してのものだろう。サウジアラビアの米軍宿舎で起きたこのテロは400人近い犠牲者を出した。事件から5年後の2001年になって事件に関わったとされる14名を訴追、さらに2015年になってからはその中の一人であり、組織の指導者の男を拘束するに至った。
『マーシャル・ロー』公開時の1998年時点では犯人はわかっていなかったのだろう、劇中ではその主犯はアフメッド・ビン・タラールというイスラム系組織の族長と設定されている。
物語はタラールが秘密裏に米軍に拉致されるところから始まる。

タラールの拉致の少し後、ニューヨークでイスラム系アラブ人による連続テロが発生する。ワシントン演じるFBI特別捜査官のアンソニー・ハバードはバスでテロが発生したと聞き、現場へ向かう。だが、殺傷被害はなく、ただ青いペンキが乗客にかけられただけだった。
犯人からの要求は「彼を釈放せよ」というメッセージだった。ハバードらは彼が誰かわからず困惑する。

ハバードは捜査の過程でNSA(アメリカ国家安全保障局)のエリースと名乗る女性と出会うが、素性を明かさない彼女にハバードは不信感を抱く。
そんな中、第二の事件が発生。バスジャクバスの乗客が人質になったテロ事件が起きる。ハバードの説得の結果、乗客のなかで子供は解放されるが、次に老人が解放されようとした時にバスは犯人の自爆によって乗客もろとも爆発してしまう。

ニューヨークで起きた未曾有のテロにアメリカ陸軍のウィリアム・デヴロー将軍も捜査進捗を尋ねにハバードの元を訪れる。
「大統領は中東問題に詳しくない。自己弁護は得意だが。」と当時のクリントンのスキャンダルを暗喩する台詞が印象的だ。ケネディの再来とも言われたクリントンは目立った失政こそなかったものの、ケネディ同様に女性問題は多く、ホワイトハウス実習生との不倫は弾劾裁判にまで発展する大スキャンダルとなった。

ハバードらはバスの自爆テロ犯の情報から爆弾の製造現場のアパートを急襲。テロの仲間を殺害する。事件は解決したかに見えたが、次に上流階級の人々の社交場であった劇場が爆破される。テロの規模はバスから劇場、小学校、そしてFBI本部へとエスカレートしていく。

9.11の同時多発テロを予見?

『マーシャル・ロー』が公開されたのは1998年だが、3年後の2001年に起きた9.11のテロを予見したかのような内容に驚かされる。
9:11以降、アメリカは「テロとの戦い」を掲げ、中東との戦争に突入していくわけだが、それ以前からなどの中東の国との対立関係は存在していた。

本作でのキーパーソンとなるのが、NSAのエリースだ。彼女の正体はCIAの秘密工作員で本当の名前はシャロン・ブリッガー。
彼女はイラクの反サダム・フセインのグループに武器や訓練などの提供を行っていた。テロに使われた爆弾の製造方法も彼女が教えた通りのやり方だった。
ここでアメリカと中東の歴史を少し振り返ろう。

アメリカと中東の歴史

1985年に公開された『ランボー3/怒りのアフガン』には冷戦末期のアメリカと中東(アフガニスタン)との関係が描かれている。
当時、アフガニスタンはソ連の侵攻を受けており、アメリカはアフガニスタンの兵士に武器や訓練などの援助を行っていた。
ランボーの上司であるトラウトマンもそのためにアフガニスタンに赴いていたが、ソ連軍に捕まり捕虜になってしまう。恩人の危機にランボーはアフガニスタンのゲリラ兵士と協力してソ連軍と戦うというストーリーだ。皮肉なことに『ランボー3/怒りのアフガン』の公開直前にソ連はアフガニスタンから撤退している。

ソ連が撤退した後にアメリカもアフガニスタンから手を引いた。空白となったアフガニスタンにはムジャーヒディーンによる連立政権が成立したが、バニ派、ヘクマティアル派、ドスタム派、イスマイルハーン派などムジャーヒディーンも決して一枚岩ではなく、各派の対立はやがてアフガニスタン内戦へと繋がり、数百万単位の難民を生み出した。

そのような中で台頭してきたのがタリバンだ。タリバンは1994年頃から急激に勢力を伸ばし1996年には首都のカブールを制圧しアフガニスタン国土の9割を支配するまでに至る。
当初はアメリカもタリバンの支配が中東の安定をもたらすと考え、タリバンに比較的好意的であった。実際にCIAもパキスタン軍の諜報機関であるISIを通じてタリバンを軍事面および資金面で援助していた。
しかしタリバンのイスラム主義に基づく厳格な支配体制は人権侵害などを含んでおり、次第にアメリカはタリバンに対して方向転換するようになる。1997年11月にはマデレーン・オルブライト国務長官がタリバンの人権侵害を批判し、タリバンに対するアメリカの反対姿勢を明確にした。

タリバンは1996年から反米テロ組織であるアルカイダと連携をとっており、1998年にはケニアとタンザニアのアメリカ大使館爆破テロ事件を引き起こす。ここにきてタリバンとアメリカの敵対姿勢は決定的になった。クリントンは議会の反対を押し切り、スーダン国内のアルカイダの拠点とされた化学兵器工場と、アフガニスタンのテロリスト訓練キャンプに報復攻撃を行う。(すぐに化学兵器工場とされた工場はミルクと薬品の工場であったことが発覚している)

そう、まさに9.11でアメリカがテロリストに狙われた理由やテロリストの宗教的な思想など、『マーシャル・ロー』の内容とこの後に現実世界で起きた同時多発テロと見事に合致するのだ。

映画を超えた現実

しかし、誰がジャンボ機をワールド・トレードセンターやペンタゴンへ乗客もろとも突っ込ませると想像できただろうか?
イラクのサダム・フセインですら9.11の映像を初めて観た時は現実の光景ではなく、アメリカの映画の一場面だと思ったという。実際にテロが起きた時にはハリウッド映画の描写ががテロリストにインスピレーションを与えたのではないかという声も少数ながら上がったようだ。
『マーシャル・ロー』でのテロの犠牲者の数は600名強だが、9.11のテロではその10倍以上の人が犠牲になった。

オクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件

『マーシャル・ロー』は実際には1995年に起きたオクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件に影響を受けている。この事件は爆薬を積んだ車がオクラホマシティ連邦地方庁舎の駐車場で爆発し、ビルの80%が破壊され、子供を含む160人が犠牲になった。これは9.11が起きるまではアメリカで最多の犠牲者を出したテロ事件だった。
この事件の犯人は元陸軍兵士の白人男性だったが、一時的にオクラホマシティ周辺の中東系アメリカ人やアラブ人が警察に拘束される事態になった。
このあたりの描写は『マーシャル・ロー』でも描かれている。

「俺が法だ」

FBIビルまで爆破してしまうテロの恐怖から大統領はニューヨークに戒厳令を発布。軍隊を派遣する。
デヴロー率いるアメリカ軍はアラブ系の住民を強制的にスタジアムに収容していく。またそれだけでなく、疑わしい人物への拷問や殺害まで行っていた。
明らかな法の逸脱行為に危機感を募らせたハバードは軍を出し抜き独自に犯人を突き止め射殺する。そしてデヴローの元へ向かい、法も憲法も無視すれば、それこそテロリストの思う壺だとデヴローの方針を強く避難する。
それに対してデヴローは「俺が法だ」と言い放つ。

これとほぼ同じ言葉をテロが起きた後のブッシュも口にしたという。映画監督のロン・ハワードはそのことをきっかけに、権力の濫用を批判するメッセージを込めて『フロスト×ニクソン』を撮影している。
エドワード・ズウィック監督は『マーシャル・ロー』のメッセージは「自由の大切さ」だという。劇中でもデヴローのやり方に多くの市民が抗議のデモを行っている様子が描かれる。だが、その意図とは逆に「アラブ人=テロリストの偏見を助長する」として上映中止に追い込まれたという。

映画の理想と現実の社会

9,11の後、ニューヨークには州兵が派遣され、事実上の戒厳令状態となった。しかし、残念ながら現実は映画の描く理想には追い付かなかった事実もある。
2008年に公開されたオリバー・ストーン監督の『ブッシュ』では9.11テロの予兆とも言える情報が数十件ホワイトハウスに寄せられていたにも関わらず、それらの情報がスルーされたことが描かれている。『マーシャル・ロー』でハバードがとんな細かい情報も収集しようとしたのとは対照的だ。

また、前述のように、人種を越えた平等と自由を訴える作品であるのだが、実際の現実ではムスリムへの差別やヘイトクライムは止まず、テロとの戦いを終わらせることはできなかった。
2003年3月に始まったイラク戦争は5月には宣言されたが、実際には戦争状態はその後も続いている。

9.11のテロが起きた時、テロを描いたさまざまな映画が公開延期に追い込まれた。
9.11の後にヒットした映画は前述の『スパイダーマン』に加え、『ブラックホーク・ダウン』など、アメリカの誇りや信念を前面に出した作品が多い。特にモガデシュの戦いをテーマにした『ブラックホーク・ダウン』は「誰一人置き去りにしない」という海兵隊の掟をキャッチコピーにしており、困難な状況でも決して諦めないアメリカ軍を賛美した内容だ。また、『ブラックホーク・ダウン』は9.11以降、ムスリムを悪として描いた最初の作品でもあった。
一方で『マーシャル・ロー』はレンタルビデオ店から撤去されてしまったという。日本でも『マーシャル・ロー』のテレビ放映が決まっていたが、テロの影響を受けて延期されたという。

『マーシャル・ロー』はテロを予見したような映画だとは先に述べたのだが、その後にどう私たちは生きていくか、その未来の部分にまで示唆を与えてくれる作品だと思う。
現実がそこに追い付かない限り、いつまでも重要な映画であり続けるだろう。

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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