『ランボー3/怒りのアフガン』アメリカはアフガニスタンに何をしたのか

※以下の考察・解説には映画のネタバレが含まれています


中東の反米感情

9.11はその後の世界を変えてしまった。
2001年9月11日、世界は中東に渦巻く根強い反米感情を知った。
そして、アメリカにとってはソ連に代わってアフガニスタンを拠点とするテロ組織が国家の敵になった。当時のジョージ・W・ブッシュ大統領は2002年1月29日に有名な「悪の枢軸国」演説(一般教書演説)をする。この中でそう名指しされた国家はイラク、イラン、北朝鮮だ。悪の枢軸国の2つを中東の国が占めている。

しかし、なぜ中東にここまでの反米感情が生まれているのか。

ヒントは意外な映画にあった。1988年に公開された『ランボー3/怒りのアフガン』だ。1982年に公開された『ランボー』から始まるシリーズ第三弾となる作品だ。
今では考えられないことだが、今作ではアメリカがアフガニスタンの武装組織に援助を行っていた歴史が描かれている。

ランボーはこれまでの歴戦の傷を癒すべく、タイの寺院にいた。
軍隊時代の上司であるトラウトマンはタイまでランボー探しに来ていた。彼の目的はソ連に侵攻され苦しむアフガニスタンの反政府組織への支援をランボーに頼むためだったが、ランボーは「俺の戦争は終わった」としてその依頼を固辞する。トラウトマンは「戦士である真の自分を受け入れるまでは戦いは終わらない」と言い残し、アフガニスタンへ向かう。
しかし、トラウトマンはアフガニスタンでソ連兵に捕まってしまう。
そのことをタイで聞いたランボーはアメリカの支援も受けられないことも承知で単身アフガニスタンに乗り込み、トラウトマンの救出に向かう。

『ランボー3/怒りのアフガン』は多くの人がランボーに持つイメージそのままにランボーが滅茶苦茶に暴れまわる作品でもある。
本編の101分の間に108人もの人が死ぬ内容から「もっとも暴力的な映画」として1990年度のギネスブックに掲載されたほどだ。

ベトナム帰還兵を代弁する『ランボー』

だが、本来『ランボー』は明確なメッセージを持った社会派の作品だった。1982年に公開された『ランボー』はベトナム帰還兵であるジョン・ランボーが祖国で差別され迫害されていく様が描かれる。

ベトナム戦争は初めてテレビで放送された戦争でもあった。ベトナム戦争において、メディアは自由な取材がアメリカ当局から認められており、ジャーナリストたちが映し出す戦場の光景は、祖国と正義を背負って戦う戦士としての兵士ではなく、絶えずゲリラ部隊に悩まされ、苦悩する人間としての姿や一般市民を殺害する兵士の姿だった。
その現実に国民のアメリカへの信頼は大きく揺らいだ。そしてその思いはカウンターカルチャーやヒッピームーブメントと結び付き、反戦活動が全米で巻き起こった。
そうした世論の高まりもあり、アメリカは1973年にベトナムから撤退する。
ベトナムの戦場から帰って来た兵士たちに国民は冷たかった。その一人がランボーだ。

ランボーはその身なりのせいで立ち寄ったの保安官のディーズルに街からは出ていくようとにとパトカーに乗せられ郊外まで連れていかれる。街に戻ろうとするランボーだったが、ディーズルから公務妨害とナイフ所持の疑いにより取り調べを受ける。ディーズルの部下による非人道的な扱いによってランボーはベトナムで受けた拷問の記憶がフラッシュバックし、彼らを倒し、山へ逃げ込む。
山へ逃げ込んだランボーを追うディーズルらだったが、ゲリラ戦のプロフェッショナルであるランボーは彼らを一人一人倒していく。
そしてランボーは街へ戻り、ランボーがディーズルにトドメを刺そうとしたその時かつての上官であるトラウトマンがランボーを制止する。ランボーはトラウトマンに泣きながら胸の内をさらけ出す。
「何も終わっちゃいないんだ!俺にとって戦争は続いたままなんだ
あんたに頼まれて必死で戦ったが勝てなかった
そして帰国したら空港で非難轟々だ
赤ん坊殺しとか悪口の限りを並べやがった!
あいつらは何だ?戦争も知らずに!頭に来たぜ!
俺は世間者じゃのけ者なんだ。
戦場には仁義があってお互い助け合った。戦場じゃ100万ドルの兵器を任せてくれた。
でもここでは駐車係の口もない!惨めだよ。どうなってるんだ?みんなどこだ?」

この思いは当時の多くの帰還兵が感じていたことだろう。
自らもベトナムへの従軍経験を持つオリバー・ストーンは1989年に『7月4日に生まれて』という映画でベトナムへ出兵したロン・コーヴィックの実話を映画化した。敵の銃弾を受け、半身不随となり帰国したコーヴィックはすっかり変わってしまったアメリカ社会に絶望する。臆病で戦争を怖がっていた友人は、
コーヴィックの中に政府への疑問が頭をもたげる。そしてコーヴィックは熱烈な反戦活動家になっていく。

しかし、ランボーは違う。彼は再び戦士として戦場へ向かっていく。
それはなぜか。人気シリーズだから、と言ってしまえば見も蓋もないが、それでも『ランボー』シリーズには現実の社会問題とそれに対する正義がある。
それはシルヴェスター・スタローンが『ランボー』シリーズに込めた意義でもあるだろう。
もっとも『ランボー/怒りの脱出』については現実的には戦争終了後も捕虜となっていた兵士の存在は確認されておらず、こちらの作品はアメリカの勝利を描いた架空のベトナム戦争だと言えるが。
2008年の映画『ランボー/最後の戦場』にはミャンマーで今なお続く人権蹂躙が、2020年の映画『ランボー ラスト・ブラッド』ではメキシコのマフィアと人身売買がテーマになっている。そして、『ランボー3/怒りのアフガン』ではソ連軍に虐殺されるアフガニスタン(ソ連・アフガン戦争)が取り上げられている。

アメリカはアフガニスタンに何をしたのか

ソ連侵攻のきっかけは1978年にアフガニスタンで社会主義政権が誕生したことだ。国名をアフガニスタン民主共和国と名乗り、アフガニスタン首相に就任したヌール・ムハンマド・タラキーは急激な世俗化を推し進めたが、国内ではイスラム主義者の兵士たち(ムジャーヒディーン)が蜂起しアフガニスタン紛争が始まる。アメリカは反共産主義の名目でムジャーヒディーンに援助を行った。
対するソ連もムジャーヒディーンの台頭によってイスラム主義がソ連近隣諸国にも広まることを恐れ、1979年にアフガニスタンに侵攻した。このソ連の行動は西側諸国から強い非難を受け、経済制裁の発動を招いた。
当初この戦争は短期で終わると考えていたソ連の思惑は完全に外れ、10年近くも長期化・泥沼化していった。それはソ連の経済を圧迫し、ソ連の崩壊をより加速させる一因にもなった。
ソ連・アフガン戦争はソ連にとってのベトナム戦争とも言えた。1万5千人の戦死者のほかに5万人の負傷者、病気に罹患した兵士は42万人にのぼり、PTSDを発症した者も少なくなかった。

ソ連が撤退した後にアメリカもアフガニスタンから手を引いた。空白となったアフガニスタンにはムジャーヒディーンによる連立政権が成立したが、バニ派、ヘクマティアル派、ドスタム派、イスマイルハーン派などムジャーヒディーンも決して一枚岩ではなく、各派の対立はやがてアフガニスタン内戦へと繋がり、数百万単位の難民を生み出した。

そのような中で台頭してきたのがタリバンだ。タリバンは1994年頃から急激に勢力を伸ばし1996年には首都のカブールを制圧しアフガニスタン国土の9割を支配するまでに至る。
当初はアメリカもタリバンの支配が中東の安定をもたらすと考え、タリバンに比較的好意的であった。実際にCIAもパキスタン軍の諜報機関であるISIを通じてタリバンを軍事面および資金面で援助していた。
しかしタリバンのイスラム主義に基づく厳格な支配体制は人権侵害などを含んでおり、次第にアメリカはタリバンに対して方向転換するようになる。1997年11月にはマデレーン・オルブライト国務長官がタリバンの人権侵害を批判し、タリバンに対するアメリカの反対姿勢を明確にした。

タリバンは1996年から反米テロ組織であるアルカイダと連携をとっており、1998年にはケニアとタンザニアのアメリカ大使館爆破テロ事件を引き起こす。ここにきてタリバンとアメリカの敵対姿勢は決定的になった。当時の合衆国大統領のクリントンは議会の反対を押し切り、スーダン国内のアルカイダの拠点とされた化学兵器工場と、アフガニスタンのテロリスト訓練キャンプに報復攻撃を行う。(すぐに化学兵器工場とされた工場はミルクと薬品の工場であったことが発覚している)

『ランボー3/怒りのアフガン』でランボーとともに戦ったムジャーヒディーンたちの中にのちにアルカイダの指導者となるウサマ・ビン・ラディンもいた。
トラウトマンは捕虜となった後にソ連のザイセン大佐にこう述べている。
「愛国心をもったゲリラがいる国は征服できない。我々はそれをベトナムで体験した」
2001年9月11日の掃除多発テロを契機として始まったアフガニスタン戦争だが、2021年にタリバンが復権し、それでもアメリカは撤退した。事実上、タリバンの勝利とも言える。
今、トラウトマンのこの言葉はアメリカにこれ以上ない皮肉を以って響くのではないだろうか。

created by Rinker
¥3,980 (2024/05/20 10:58:09時点 Amazon調べ-詳細)
最新情報をチェックしよう!
NO IMAGE

BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

CTR IMG