『タクシードライバー』

※以下の考察・解説には映画のネタバレが含まれています


「全ての動物は夜に徘徊する」
『タクシードライバー』はそんな主人公の独白から始まる。

『タクシードライバー』は1976年に公開されたマーティン・スコセッシ監督、ロバート・デ・ニーロ 主演のアメリカ映画だ。
真夜中のニューヨーク。そこに生きるベトナム帰還兵の一人の孤独な男を描いている。

「こんなに暗い映画がヒットするわけがない」配給元のコロンビアは『タクシードライバー 』を当初このように評価していた。そのために最初は小規模での公開だったが、意外にも初日から長蛇の列ができる大ヒットとなった。
監督のマーティン・スコセッシもこの映画は万人向けの作品ではないと思いながら撮っていたという。「万人に向けた映画を作る必要はないと思っていた。だから多くの支持を得られて驚いた」と語っている。
なぜこれほど『タクシードライバー』は人々を惹き付ける作品になったのか?
それには『タクシードライバー』の成り立ちから解説していこう。

『タクシードライバー』が生まれるまで

スコセッシは親友の映画監督ブライアン・デ・パルマから脚本家のポール・シュレイダーを紹介された。
ポール・シュレイダーはUCLAで映画を専攻、卒業後は映画評論家として活動していたが、脚本家への転身を果たそうともがいていた。シュレイダーの言葉を借りると「歯車がずれ始め全てが悪い方向に」行ってしまったという。結婚生活も破綻し、住所もままならない。何週間も誰とも喋らず、車中泊をすることも多かったという。シュレイダー曰く「タクシー」とは孤独の象徴だそうだ。
シュレイダーは1974年の映画『ザ・ヤクザ』で脚本家としてデビューする。
一方でシュレイダーには『ザ・ヤクザ』の前に書き上げていた脚本があった。それが『タクシードライバー』だった。

スコセッシは『タクシードライバー』の脚本に強く惹かれたという。主人公のトラヴィスの孤独が手に取るように理解できた。
「是非この脚本を自分の手で映画化したい」ブライアン・デ・パルマからも『タクシードライバー』はスコセッシが撮るべきだと強く勧められたと言う。

だが、当時スコセッシには映画監督としての実績がなく、『ミーンストリート』、『アリスの恋』が評判を得てようやく『タクシードライバー』を撮るチャンスに恵まれた。
主演には『ミーンストリート』でもタッグを組んだロバート・デ・ニーロが決まった(ロバート・デ・ニーロも元々はブライアン・デ・パルマからの紹介で知り合っている)。

当時デ・ニーロはベルナルド・ベルトリッチ監督の『1900』の撮影中だったが、休みができるとアメリカへ戻って『タクシードライバー』の準備を進めた。この時、デ・ニーロが役作りの一環として実際にタクシーの免許を取得し、タクシードライバーとして働いていたエピソードは有名だ。

ベトナム帰還兵としての『タクシードライバー』

そんなデ・ニーロの演じるトラヴィスだが、ベトナム戦争帰還兵で戦争のPTSDにより不眠症に陥っているという設定だ。

ベトナム戦争はテレビを通じて世界にその惨状が放送された。共産主義との戦いを信じてベトナムに向かった兵士たちは絶え間ないゲリラ兵との戦いで心身を病み、また誰がゲリラかわからない恐怖と緊張は市民の虐殺という悲劇を招いた。
1982年に公開された『ランボー』や、1993年に公開されたオリバー・ストーン監督の『7月4日に生まれて』も同じくベトナム帰還兵を主人公にした作品だ。
それらの映画では彼らの抱えるPTSDと、社会が容赦なく彼らを疎外していく様が描かれる。

特に『7月4日に生まれて』は実話を元にした映画で、半身不随になりながらベトナムから帰還した元アメリカ兵のロン・コーヴィックが主人公なだけに、その描写もリアルだ(監督のオリバー・ストーンも実際にベトナム戦争に従軍した経験を持つ)。生きて帰国を果たしたロンだが、市民を殺したことと、同僚を誤射して死なせてしまったことの罪悪感が精神を蝕んでいく。また、 ベトナム帰りのロンには「」などの容赦ない罵声が浴びせられる。
愛国者故の行動が、当の国(国民)に認められないという猛烈な苦しみが帰還兵を襲う。『ランボー』はフィクションだが、以下の台詞は当時の帰還兵達の心境を見事に表しているのではないか。
「何も終わっちゃいないんだ!俺にとっては戦争は続いたままなんだ!あんたに頼まれて必死で戦ったが勝てなかった!
そしてやっと帰国したら、空港にはデモ隊が俺を待ち受け、罵り声を浴びせてきた、赤ん坊殺しだ大量殺人者だってね!
あいつらにそう言う資格があるのか、誰一人戦争が何かも知らないで俺を責める資格があるのか!」

正しさと誘惑の狭間の葛藤

『タクシードライバー』のトラヴィスも同様にそんなアメリカ社会に馴染めず、孤独を募らせている。
一方でトラヴィスは夜の町の若者達のモラルの低下に苛立ってもいる。命を懸けて戦ったのは何のためだったのか?「奴らを根こそぎ洗い流す雨はいつ降るのか?」というトラヴィスの台詞が印象的だ。

『タクシードライバー』公開当時に文化学者の関口英男氏が『キネマ旬報』にその評論を寄せているが、当時のニューヨークにおけるタクシーは乗客にとっては安全な乗り物である一方で、タクシーの後部座席で性行為など、タクシードライバーという仕事は世の中の「堕落」と最も向き合わねばならない職業なのだという。
2016年に公開された『ローガン』にも同じような場面がある。ミュータントのほとんどが絶滅した世界で老いて衰えたローガンはリムジンの運転手をしているが、

だが、そんなトラヴィスも選挙事務所で働くパッツィに好意を抱き、デートを重ねるようになる。次第にパッツィも心を開いてゆくが、トラヴィスはベッツィーをポルノ映画館へ誘ってしまう。「これはポルノじゃないの?」「いや、アベックが観る映画さ」トラヴィスはそう言うが、映画が始まるとベッツィーは怒って席を立ってしまい、二人の関係は終わる。演じるシビル・シェパードも「ポルノは嫌い」と告白している。ポール・シュレイダーはこうした行動をとるトラヴィスのキャラクターについて、ベッツィーを支配したいという欲望と、孤独の現れであると語っている。

腐敗した人間を排して街の浄化を願う思いと、パッツィーをポルノに誘うような行動は一見矛盾しているように見える。
だが、これはスコセッシが映画の中で一貫して示してきたテーマでもある。
正しく、善のものになろうとする自分と、堕落し、誘惑に溺れる自分との葛藤だ。
スコセッシ自身、幼い頃は司祭を目指していたが、やがて堕落し、神の道を放棄し、映画の道を歩みだす。だが、スコセッシの中にある信仰への関心は映画監督になっても失われることはなかった。むしろ映画を通して信仰と弱さを描き続けた。特に2016年に公開された『沈黙』や1987年に公開された『最後の誘惑』には特に顕著だ。

アイリス

そんなトラヴィスの前に現れるのが娼婦の少女、アイリスだ。アイリス役にはスコセッシの監督した『アリスの恋』にも出演したジョディ・フォスターに声がかけられた。
12歳の娼婦という役柄からジョディ・フォスターは母親から「監督はイカれている」と言われたといい、ジョディ・フォスター自身も、普段の格好とは違う露出度の高い衣装に「こんな下品な服を着るの?」と泣き出したと言う(フォスター曰く「屈辱的」)。
ジョディ・フォスターは役作りの一環として実際に娼婦として暮らす15歳の少女と面談したという。彼女の境遇はアイリスにとても良く似ていた。彼女はアイリスの友人役で『タクシードライバー』の劇中にその姿を見せている。
アイリスはトラヴィスにとって堕落した世界の犠牲者であり、救わねばならない存在だ。何からアイリスを守る?この世界からだ。トラヴィスは銃を仕入れ、髪型をモヒカンにし、大統領候補の殺害計画を実行に移す。トラヴィスのモヒカン刈りはスコセッシのアイデアだ。ベトナム戦争で危険な任務に従事していた兵士達はみなモヒカンのような髪型をしていたという。

パランタイン大統領候補暗殺未遂

『タクシードライバー』のストーリーはジョージ・ウォレス暗殺未遂事件にも影響を受けている。
脚本を手掛けたポール・シュレイダーは実行犯であるアーサー・ブレマーの日記を読み、『タクシードライバー』に反映させた。トラヴィスがパッツィをポルノ映画館へ誘うという場面もブレマーが15歳の少女をポルノ映画館へ誘ったというエピソードが元になっている。
ちなみにブレマーが狙ったジョージ・ウォレスは公民権運動の時代に強硬的な人種差別主義者としても有名だ。ウォレスは「今ここで人種隔離を!明日も人種隔離を!永遠に人種隔離を!」のスローガンで選挙を勝ち上がった。しかし、ブレマー自身に政治的な主義・主張はなく、ウォレスを狙った理由は「警備が軽そうだったから」であった。

トラヴィスは売春組織の人間を皆殺しにしてその場を後にする。後日、トラヴィスは少女を売春組織から救い出したヒーローとして新聞で称賛されていた。
スコセッシによると、世間からの称賛はトラヴィスにとっては予想外であり、依然として彼の心の闇は変化がないという。 そして、トラヴィスの狂気は爆発寸前のところまで高まり、この作品は終わる。

ちなみにアイリスを演じたジョディ・フォスターは、その後のアイリスについて、「人間はそう変われないと思う」と答えている。「トラヴィスの願いはアイリスが悲惨な過去を乗り越えて幸せな人生を贈ること。でもそんなおとぎ話のようなことはあり得ない。」

『タクシードライバー』とレーガン大統領狙撃事件

だが、『タクシードライバー』は現実社会にも影響を及ばす程の底知れない引力を持った作品だった。公開後、前述のように『タクシードライバー』は様々な観客を引き付けた。特にトラヴィスのような孤独を抱えた男たちが多かったという。
ボストン大学教授のブルース・シュルマンは『タクシードライバー』へ観客が集まったのは 若者が憧れる魅力的な都市を映したからではないかと述べている。それは単に栄えている華やかな街というだけではない。その裏にある危険性までも『タクシードライバー』は映し出していた。それは当時の若者にとってとてもリアルだった。
もちろん、それらの観客の中にはトラヴィスのような者も混じっていた。

ポール・シュレイダーは映画の公開後、自身の事務所にある男が現れ、「なぜ俺の人生を映画にした?」と尋ねられたという。最初は「ベトナム帰還兵のタクシー運転手かと思った」そうだが、
また、これらの最たるものがジョン・ヒンクリーだろう。ヒンクリーはレーガン暗殺未遂の犯人として知られている。

『タクシードライバー』に出演したジョディ・フォスターに夢中になった当時25歳のジョン・ヒンクリーは彼女の気を引くために当時のアメリカ合衆国大統領であるロナルド・レーガンの暗殺を企てる。ヒンクリーはこの映画を15回以上も観ており、当時12歳のジョディ・フォスターへの恋慕を深めていった。当初はストーカー紛いの手紙や電話でのアプローチだったものの、ヒンクリーの行動はエスカレートしていき、遂にはジョディ・フォスターの前で自殺しようと考える。だが、それも叶わないと知ったヒンクリーは当時の大統領、ロナルド・レーガンの殺害を試みる。

ヒンクリーが放った銃弾はレーガンの右胸の肺の奥に達した。当初は骨折程度かと思われていたが、車中でレーガンの胸から血泡が溢れ出していった。急遽ホワイトハウス行きを取り止め、レーガンをのせた大統領専用車は病院へ向かった。レーガンは病院へ着くなり崩れ落ちたという。そのまま手術が必要なほどの危険な状態だった。
レーガンは一命をとりとめ、その年齢に似合わない強靭な回復力で公務に復帰した。

ジョディ・フォスターはこの事件を境に数年間女優としての活動を休止していた。

フォスターは『タクシードライバー』のように社会に影響を及ぼすような暴力的な作品の在り方に対してこう語っている。
「映画の暴力が影響を及ぼすかということは今日でも解決しない永遠のテーマだと思う。アメリカ文化における暴力は議論すべきなのか?無害な映画だけでいいのか?
私はそうは思わない。モラルを捨てずに社会の問題点を突いた映画を作るべきだと思う」

また、脚本を務めたシュレイダーも「ヒンクリー事件(レーガン大統領狙撃事件)は検閲によって防げるものではない。」と述べている。

『タクシードライバー』の持つこのような強烈な引力は70年代に留まらず、現代においても多くの影響を与えている。

『タクシードライバー』から『ジョーカー』へ

例えば、2019年に公開されたトッド・フィリップス監督の『ジョーカー』は『タクシードライバー』の影響が色濃い。

トッド・フィリップスは『ジョーカー』を製作するに当たって『タクシードライバー』や1982年の映画『キング・オブ・コメディ』からも多くの影響を受けていると公言している。

『ジョーカー』では貧しく、孤独に生きるコメディアン志望のアーサー・フレックは徐々に精神を蝕まれていく様を描いている。
持つものと持たざるもの、富むものと貧しいものの分断が『ジョーカー』では描かれる。ゴッサム・シティでは富む者は貧しいものに見向きもしない

分断は映画の中だけでなく、現実社会においても経済的な格差のみならず、肌の色、人種、国籍、性別、あらゆる要素で起きている。
成り行きからエリートビジネスマンを射殺したアーサーは計らずも「持たざる者」たちから英雄として扱われる。
『タクシードライバー』でポン引きたちを虐殺したトラヴィスのように。

『タクシードライバー』と『ジョーカー』にはもうひとつ共通点がある。どちらも主人公の視点から物語が進んでいくというところだ。どちらの映画もトラヴィスやアーサーからの視点でのみ描かれる。だからこそ、彼らの孤独はより一層リアルに感じられたのだと思う。一方で彼らは精神を蝕まれていく存在であり、現実と虚構の狭間が曖昧な「信頼できない語り手」でもある。
『ジョーカー』ではアーサーは同じアパートに住むシングルマザーの女性と親密になるが、物語の後半でそれはアーサーの妄想であり、実際には何の接点もなかったことが明かされる。
『タクシードライバー』に関してもトラヴィスがアイリスを救出する場面はトラヴィスの妄想ではないかという見方があるようだ。
理由としてはあれほどの殺人事件を起こしておいて、あっさり元の日常に戻れるわけはないというもの。
『ジョーカー』が『タクシードライバー』から多くの影響を受けているのなら、この妄想の部分も『タクシードライバー』からの影響なのかとも推測できる。
『タクシードライバー』で描かれた孤独は『ジョーカー』に受け継がれ、現代においても人々の心の奥深くの何かに触れたのだろう。

ポール・シュレイダーは『タクシードライバー』の脚本の先頭にトマス・ウルフの著作『神の孤独な男』から次の言葉を引用していたという。
「『人間とは孤独である』この私の信念は免れがたい事実であり、真理である」

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
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