「世界を変えようとしたあの頃戦争を止め、平和をもたらそうとした。だが、明るい光に差す影を私は見た。誰の心にも光と闇がある。選択で人は変わる。それはどんな英雄にも変えられない。私は学んだ。愛だけが本当に人を救えると」というモノローグで『ワンダーウーマン』は幕を閉じる。『ワンダーウーマン』の舞台は第一次世界大戦の真っ只中だ。確かに戦争は善と悪が色濃く映る、その極致だろう。
しかし、平和な時代だからといって悪がなくなるわけではない。
『ワンダーウーマン』は2017年に公開されたスーパーヒーロー映画だ。監督のパティ・ジェンキンスにとっては14年ぶりの映画監督作品となった。
『ワンダーウーマン』は全世界で4億ドルを超えるヒットとなり、スーパーヒーローを描いた映画の女性監督として、パティ・ジェンキンスは過去にない興行収入を記録した映画監督となった。
『ワンダーウーマン』は女性の自立を描いた作品でもあるが、それを超えて人間の業にまで迫った作品でもある。
昨今、女性を主役にした映画は増えているが、女性さえ主役にしておけばヒットするというものでもないだろう。その点で人間の中に切り離せない善と悪があることまで示した『ワンダーウーマン』はそれらの作品とは一線を画していた。
さて、今回はその『ワンダーウーマン』の続編である『ワンダーウーマン 1984』を紹介したい。
『ワンダーウーマン 1984』
『ワンダーウーマン 1984』は2020年に公開されたスーパーヒーロー映画。監督のパティ・ジェンキンスと主演のガル・ガドットは前作に引き続き続投している。
タイトルの通り、物語の舞台は1984年。一見平和な時代に見えるが、この時期のアメリカは冷戦や経済不況などの問題を抱えていた。
『ワンダーウーマン』で恋人のスティーブを亡くしたダイアナは、ダイアナ・プリンスとしてスミソニアン博物館で考古学者として勤務する傍ら、ワンダーウーマンとして日々街の犯罪と戦っていた。
冒頭ではショッピングモールでの大捕物のシーンがある。
1979年に公開された『ゾンビ』ではショッピングモールにゾンビたちが集ってくる。『ゾンビ』においてショッピングモールとは大量消費時代のメタファーでもあった。
『ワンダーウーマン 1984』に登場するショッピングモールもまた豊かなアメリカの象徴だろう。テレビの中からはタレントが石油への投資を呼びかけている。街にあふれるカラフルやファッションやネオン。
パティ・ジェンキンスは1984年を舞台にした理由について、「私たちが生きているこの時代は、どこから始まったかというと1980年代。それはつまり、1980年代を舞台にすれば今の時代に対するコメントも出来るということ」と述べている。
つまり、この時代を描くことはそのまま今の時代にも繋がるのだ。
ダイアナが働くスミソニアン博物館に新しい女性が加わる。彼女の名前はバーバラ。地味で冴えないが、優しいバーバラにダイアナは好感を抱く。
バーバラの仕事は宝石や鉱物の研究だが、FBIからの依頼で盗品の鑑定をすることに。その中には触れた人間の願いを叶えるという石があった。同僚が冗談交じりで石を握って「コーヒーが一杯ほしい」と願うと、誰かのコーヒーが一つだけ余り、彼はコーヒーを一杯もらえるようになった。
願いを叶える石を握ったダイアナは密かにスティーブとの再会を望む。
その夜、バーバラは酔っぱらいの男に襲われる。間一髪のところをダイアナに助けられたバーバラは、研究室へ向かい、石を握りしめてダイアナのようになりたいと願うのだった。
ある時、スミソニアン博物館にある男が寄付を申し出る。男の名前はマックス・ロード。テレビで石油への投資を呼びかけていたタレントだ。
実はマックスは石油投資を呼びかけていながら、肝心の石油は全く採掘できておらず、出資者からも見放され、会社も崖っぷちにあった。マックスの目的は寄付を口実にスミソニアン博物館を訪れ、バーバラが管理している願いを叶える石を手に入れ、成功を叶えるためだった。
『ウォール街』
マックスのキャラクターには、前大統領のドナルド・トランプと、1987年に公開された映画『ウォール街』の登場人物であるゴードン・ゲッコーが反映されているという。
ゲッコーは「強欲は善」を公言して止まない投資家だ。『ウォール街』の主人公は若い証券マンのバド・フォックスだが、野心家の彼は成功を掴むために、ゲッコーに弟子入りする。
だが、ゲッコーは金儲けのためなら法も情も平気で踏みにじる男だった。
バドは父親の務める会社の再建をゲッコーに託すが、ゲッコーは会社を分割し、それぞれを売却、従業員のを計画があった。
ゲッコーの真意に気づいたバドは、ゲッコーのライバルであるを巻き込み、復讐を挑む。
監督のオリバー・ストーンは、当時の証券バブルと金儲け至上主義を批判する目的で『ウォール街』を制作した。
オリバー・ストーンの父のルイ・ストーンもウォール街で働き、株の仲買人をしていたが、その頃人々は誇り高く、品格もあったとストーンは回顧している。ストーンは父について「ウォール街で仕事をし、経済が大好きだった父なのに実際に金は儲けていない。客の資産は増やしたが、自分は何も得ていないのだ」という(オリバー・ストーンの評伝にはルイは成功したディーラーだと書かれているのでいささかの疑問は残るが)。
『ウォール街』は大ヒットするものの、ストーンの思いとは裏腹に、ゲッコーに憧れて金融業界を目指す者が増えてしまったという。
『ワンダーウーマン 1984』のマックスもそうだ。マックスはバーバラに恋心を抱かせ、持ち出し厳禁の石を秘密裏に手に入れる。そして石と自分を同化させ、無尽蔵に自分の願いを叶えていく。マックスは欲望のままに突き進み、それが少しずつ世界の歯車を狂わせていく。
1980年代と今の多くの共通点
この映画が興味深いのは、1984年を舞台としていながら、作品の中で描かれる問題は今日の私達の社会と多くの共通点を持ち合わせていることだ。
例えばバーバラのようなコンプレックスを抱えた女性はいつの時代も存在しているだろう。彼女は身近なダイアナに憧れたが、今であればSNSのインフルエンサーなどに憧れていたかもしれない。
人々の欲望も1984年と今と変わってはいない。『ウォール街』で述べたように資本主義の過度な行き過ぎは1980年代にすでに始まっていた。
それを始めたのがロナルド・レーガンだ。レーガンが大統領に就任した時、アメリカは財政赤字と貿易赤字、いわゆる「双子の赤字」による不況の最中でもあった。レーガンはレーガノミクスと呼ばれる経済政策で新自由主義経済を推し進め、その結果、製造業は海外へ拠点を移し、国内産業の中心は金融業へシフトした。
だが、1987年にウォール街は大暴落に陥る。いわゆるブラック・マンデーだ。それによって、拝金主義にも歯止めがかかるのかと思えば、その後も新自由主義経済は続けられ、貧富の格差はますます拡大し、ついには2008年にリーマンショックを引き起こすことになる。
オリバー・ストーンは2010年に『ウォール・ストリート』を公開する。これは『ウォール街』の23年ぶりの続編だが、やはり、『ウォール街』の頃と何も変わっていない、いやそれどころか余計に人々の欲望は膨張している。『ウォール・ストリート』でゲッコーはこう言う。
「私はかつて『強欲は善だ』と言ったが、今や強欲は合法になった」
マックスのような人物はかえって今の方が増えているのではないか?
人々の心に潜む悪
さて『ワンダーウーマン1984』は絶賛された前作とは異なり、賛否両論の作品となった。
個人的には何もかも『ワンダーウーマン』とは対極の作品だと感じた。
例えば、『ワンダーウーマン』ではスティーブがダイアナに人間社会を教えていくが、『ワンダーウーマン 1984』では、ダイアナがスティーブに現代社会を教えていく。前作は第一次世界大戦の真っ只中であり、平穏な暮らしを知らなかったスティーブが、平和と文明の発展に目を輝かせる様子が少年のようで、スティーブの本来の性格が垣間見える。
また、前作ではヴィランはアレスという戦いの神であった。通常、続編のセオリーとしてはより作品の世界観をスケールアップさせることが顕著だが、本作はそうではない。むしろ、積極的にスケールダウンし、人々の心に潜む悪にフォーカスした作品になっている。
バーバラは正義と愛情の間で揺れ動いた挙げ句に、ダイアナを裏切り、マックスの側につく。マックスは大統領をも凌ぐ権力を手に入れたが、幼い息子だけは裏切ることができない。今作のヴィランはスケールの大きさから言えば、前作とは比べ物にならないほど小市民的だ。
だが、個人的にはこれでいいのだと思う。冒頭で紹介した『ワンダーウーマン』の最後の台詞をもう一度紹介しよう。
「誰の心にも光と闇がある。選択で人は変わる。それはどんな英雄にも変えられない。私は学んだ。愛だけが本当に人を救えると」
絶対的な悪は存在しない。