『ブッシュ』

※以下の考察・解説には映画のネタバレが含まれています


オリバー・ストーンはベトナム戦争に従軍したことを原体験として『プラトーン』『天と地』『7月4日に生まれて』という3本の戦争映画を撮った。
いずれも戦争の現実を鋭く写し出した作品だ。

オリバー・ストーンとアメリカ

オリバー・ストーンはベトナム戦争では空挺部隊に所属し、LRRPと呼ばれる偵察隊に加わっていた。その部隊は死傷率が非常に高かったという。
オリバー・ストーンの映画はアメリカ政府に批判的なものが多い。それはベトナムでの経験が多く影響しているのだろう。
『7月4日に生まれて』は実在の反戦活動家のロン・コーヴィックが主人公だ。アメリカ政府の喧伝した大義を信じて自らベトナム戦争へ参加したロンだが、実際の戦場は政府の唱える正義とは程遠い場所だった。兵士と民間人の区別も難しく、ロンは何の罪もない家族を殺してしまう。また、ロンはパニックに陥って同僚の兵士を射殺するいう事件も起こしてしまう。
そして戦場で負傷し、帰国したロンはベトナム帰還兵として白い目で見られる。

自分が信じた国家とは何だったのか?

オリバー・ストーンの目が国家の最高権力者である大統領に行くのは必然だろう。
1991年には『JFK』でジョン・F・ケネディを、1995年には『ニクソン』で、ウォーターゲート事件で失脚したリチャード・ニクソンを取り上げている。
そして2008年に公開されたのが、今回紹介する『ブッシュ』だ。

ジョージ・W・ブッシュ

『ブッシュ』は2000年から2008年まで二期、アメリカ合衆国大統領を務めたジョージ・W・ブッシュを主人公にした映画だ。主演はジョシュ・ブローリンが務めている。
ちなみに『ブッシュ』は邦題で、原題は『W.』。ブッシュの父親のジョージ・H・W・ブッシュも大統領を務めているので、二人を区別する分かりやすい象徴として『W』なのだろう。

個人的にも政治に興味を持ち始めた頃にアメリカ合衆国大統領だったのがブッシュだった。もともと学生の頃からロック・ミュージックが好きだったのだが、ロックのバックグラウンドには「ラブ&ピース」がある。
9.11の報復としてブッシュ政権はアフガニスタンへの空爆を始めた。しかし多くのミュージシャンがその行動にノーを突きつけた。好きなミュージシャンをきっかけに、私の目も政治や歴史に向いていたわけだ。

映画はブッシュとその側近たちが「悪の枢軸国」について話す場面から始まり、ブッシュのこれまでの生い立ちとアフガニスタン侵攻からイラク戦争の失敗までを交互に映していく。「悪の枢軸国」とはブッシュが年の一般教書演説で述べた言葉でイラン、イラク、北朝鮮の三ヶ国を指す。

ブッシュ政権の根底にはしばしばキリスト教原理主義の思想があると言われる。「悪の枢軸国」の悪(=evil)という表現にしても、「我々の側につくか、テロリストの側につくか決めよ」と述べたブッシュ・ドクトリンにしても、ユダヤ・キリスト教的な善悪二元論をブッシュは好んで用いている。

『ブッシュ』と同じ2008年に公開された映画で、ロン・ハワード監督の『フロスト×ニクソン』という作品がある。内容は人気司会者のデイヴィッド・フロストがウォーターゲート事件で辞任したリチャード・ニクソン大統領に自身の関与と謝罪をテレビインタビューの中で認めさせようとする話だ。
インタビューの中でフロストはニクソンが司法妨害したことを録音テープを使って問い詰める。ニクソンは思わず「大統領が行うのならばそれは合法だ」と答えてしまう。思わずフロストはニクソンの言葉を聞き返すのだが、監督のロン・ハワードはブッシュ政権でも同じ言葉を聞いたという。『フロスト×ニクソン』はブッシュ政権下で国民へ十分な説明なく進められるアフガニスタン戦争を批判したいと思って製作された面もある。

オリバー・ストーンはアメリカの歴史について『オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史』を著しているが、その中にブッシュ政権のことも書かれている。
ブッシュは大統領になると、側近をイエスマンで固めてしまった。またその顔ぶれも右派や急進派が多くを占めた。

ブッシュ家は名門の家系ではあるが、ジョージ・W・ブッシュは一家の落ちこぼれだった。
大学では、仕事はどれをしても長続きせず、信仰心も取り立てて篤くはなかった。

吉田茂を祖父に持つ麻生太郎氏は自らを「生まれはいいが育ちは悪い」と謙遜して見せたが、まさしくブッシュは育ちが(本当の意味で)悪かった。

ハーバード時代のブッシュに指導した経験を持つ霍見芳浩は、ブッシュについて「普通、授業を教えた生徒の事はいちいち覚えていないものだが、彼は非常に出来の悪い生徒だったのでよく覚えている」「もう箸にも棒にもかからない」「典型的な金持ちのお坊ちゃま。怠惰で授業態度も悪く、大統領はおろかどんな組織のリーダーも務まる人物ではないと思った」とまで述べている。
だが、ブッシュが父と同じ大統領になれたのは「落ちこぼれ」だったからに他ならない。

コモン・マン

2000年の大統領選挙でブッシュとアル・ゴアが討論をした。
「社会保障って連邦政府の仕事なの?」致命的な無知を晒したブッシュに対立候補だったアル・ゴアは「そうですよ」「そうですよ」と侮蔑的な笑みを浮かべて返したのだが、この討論の結果、支持率が上がったのはブッシュの方だった。
クリントン政権で副大統領を務めてきたアル・ゴアとテキサス州知事だったブッシュの差は明確だったのだが、無知なブッシュの方に国民は親近感を抱き、ため息を連発し無知を軽蔑するようなアル・ゴアに嫌悪感を抱いたからだ。国民が選んだのは政治家としての適性よりも無知で自分にとって親しみやすいブッシュだった。
エリートは私たちのことをわかってくれない、わたしたちのような普通の人こそ政治に参加するべきだ、という考えがある。これはコモンマン信仰とも呼ばれるが、ブッシュはまさにコモンマン(一般の人)としての親しみやすさを武器に大統領に昇り詰めた。

ブッシュは年にテキサス州知事へ立候補するが、このときにブッシュを政治コンサルタントとしてサポートしたのがカール・ローヴだ(のちにローヴはブッシュ政権において次席補佐官、大統領政策・戦略担当上級顧問を務めるようになる)。
『ブッシュ』の中でもローブが「人は一緒にビールを飲んで話したいやつに投票する」とブッシュにアドバイスする場面がある。
実際、大統領時代のブッシュの政策に批判的だったエルトン・ジョンもブッシュと直接会うと彼の魅力と優しさを感じたという。

ジョージ・H・W・ブッシュとの比較

父と同じ大統領になったブッシュはこれまで以上に父と比較される自分を容易に想像できただろう。落ちこぼれであった自分が父を越える業績をどこに残すか。ブッシュは中東問題をそこに持ってきたのだった。
映画ではチェイニーとの食事中に、チェイニーがイラク戦争を開始するようブッシュに持ちかける。

「湾岸戦争で止めを指さなかったから、今アメリカがテロリストに狙われるようになっている」

しかし、これについてはイラク戦争開戦当時の雑誌の記事で「父のブッシュが『もしイラク戦争にまで入ってしまったら中東は余計に混乱する』ことをわかっていたからこそ、あえてそれ以上はしなかったのではないか」「だが、バカな息子ブッシュはそれが分からず、父を超えたい一心で戦争を始めてしまった」
そういう論評も目にした。この見方が正しいことは『ブッシュ』の中でも描かれていることで明らかだ。

湾岸戦争の勝利の最中、当時だったチェイニーはなぜバグダッドまで侵攻しないのか、父ブッシュに質問する。父ブッシュはこう答える。
「無駄にアメリカの死者を増やす必要はない。」「バグダッドまで侵攻すればかえってサダム・フセインを英雄にしてしまう恐れがある。」
父ブッシュにとっての湾岸戦争はそこで終わった。

だが、父ブッシュは湾岸戦争で勝利を収めたにも関わらず、1992年の大統領選挙でアーカンソー州知事だった無名のビル・クリントンに破れる。
父ブッシュは「増税はしない」という選挙公約を掲げ、大統領になったのだが、1990年にはその約束を反故にし、増税に踏み切った。そのことで「小さな政府」を支持する党内の保守派を失うことになった。
また、1988年の大統領選挙の際に父ブッシュは対立候補だったマイケル・デュカキスに対して、猛烈なネガティヴ・キャンペーンを展開したのだが、同じようにクリントンに対して行ったネガティヴ・キャンペーンは通用しなかった(余談ではあるが、デュカキスに対して行ったネガティヴ・キャンペーンがあまりに猛烈だったために側もブッシュに対してネガティヴ・キャンペーンを行わざるを得なくなり、そのために1988年の大統領選挙は「史上最も汚い選挙」と呼ばれるようになった)。

上記のような4年前の選挙の「増税はしない」という公約を反故にしていたこと、更に景気後退や4年前と同様の戦術であるネガティブ・キャンペーンか通用しなかったことが父ブッシュの主な敗因ではあるのだが、『ブッシュ』で息子ブッシュは湾岸戦争の時に止めを指さなかったからだと憤る。

父ブッシュはパウエルを統合参謀本部議長として重用したが、息子ブッシュの政権ではパウエルは非主流派になった。生粋の軍人であるパウエルはイラク戦争において慎重な姿勢を最後まで崩さなかった。パウエルはイラクに先制攻撃を仕掛けるのであればそれに足る正当な理由が必要であると考えており、国連の承認も絶対だと思っていた。
たが、チェイニーはそうではない。彼はイラク戦争の大きな目的はイラクにある石油だという。アメリカが世界を支配するにはイラクやイランにある天然資源を確保することが不可欠だった。そのためにはイラクに大量破壊兵器があるという建前は絶対だった。

オリバー・ストーンによるとブッシュ政権には911の予兆となるような出来事の報告が各機関から40件以上寄せられていたが、全て取り合うことはなかったという。
『ブッシュ』でもイラク戦争が泥沼の様相を呈するにつれて、政権の不手際について政権内で、責任追求が始まる場面がある。大量破壊兵器が発見されない件と共に、前の不穏な情報を無視した件が議論されるが、結局みな当時の行動を正当化するばかりだ。『オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史』でもオリバー・ストーンはこの点を批判している。

オリバー・ストーンはブッシュについて「(ブッシュは)、深く物事を考えず、毎朝起きて鏡を見ては、『よぉ、元気?』なんて自分に語りかけているような男だ。自分が行なったことに関してそれがどんな結果を招くか、他人にどんな痛みを及ぼすかまったく考えられない人間だよ。映画を作る前も嫌いだったけど、映画を作って増々嫌いになった。」と否定的な見方を示している。それでも「でも、そこはわたしもプロだから第三者的な見地にたって映画を製作したつもりだ」というのだが。

だが、この映画からはブッシュの人生における華やかさはほとんど映し出されない。彼が行ったテキサス州知事の就任スピーチ、大統領選挙と当選の瞬間、そうしたものはこの映画には登場しない。

代わりに登場するのはナッツを喉に詰まらせて死にかける姿であったり、言い間違いをする姿であったり、どこか間の抜けた男としてのブッシュだ。
イラク戦争の場面では実際の戦争の映像が使用されているが、そこで流れる音楽は子供向けのマーチのようなもの。ブッシュの頭の中にあった戦争のイメージはそのようなものだったのだろう。
音楽と映像のミスマッチは戦争を始めるトップの人間と、戦争の最前線で戦う兵士や犠牲となる人々との圧倒的なコントラストがブッシュという人物の愚かさを表している。

オリバー・ストーンと映画製作

ちなみにこのように社会的な作品を多く撮ってきたオリバー・ストーンだが、今後思うように映画製作ができるかは不透明だ。
2016年には元CIAのエドワード・スノーデンを主人公にした『スノーデン』を撮ったのだが、その内容ゆえにアメリカ国内では出資がつかず、イギリスとドイツから出資を受けた経緯がある。
今後ハリウッドで格好の素材になりそうな大統領と言えばドナルド・トランプを思い付く。すでにジョニー・デップが2016年の大統領選挙の際にトランプを風刺する目的の映画『The Art of the Deal』の中でドナルド・トランプを演じているが。

もっともオリバー・ストーンは2016年の選挙戦において民主党の大統領候補だったヒラリー・クリントンよりもトランプを支持している。
ヒラリーは真の意味でのリベラルではないとオリバー・ストーンは言う。
アメリカによる新世界秩序を目指しており、そのために他国への介入が必要だと信じていると述べている。
共和党と言えばタカ派のイメージだが、戦争そのものは民主党政権下で起きたケースの方が多い。その点、トランプはアメリカ・ファーストを掲げ、自国の経済の回復を重視した。

ストーンは第二次世界大戦以降の戦争はすべて無駄だったという。また、トランプもイラク戦争は不要の戦争だったと明言している。
だが、実際のトランプ政権では新型コロナウイルスの対応などの問題やアメリカ合衆国議会議事堂襲撃事件も起きているのは事実だ。
オリバー・ストーンはすでにアメリカ国内での出資が受けづらくなっており、『スノーデン』が最後の商業映画になるかもしれないと発言しているが、彼の目からのアメリカの今はどう映るのだろうか。

最新情報をチェックしよう!
NO IMAGE

BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

CTR IMG