『スーパー・チューズデー 〜正義を売った日〜』ジョージ・クルーニーが訴える理想とは遠い選挙の実態

※以下の考察・解説には映画のネタバレが含まれています


今は参議院選挙も終わったが、このレビューを書き始めたのは2022年7月9日。参議院選挙の投票日を明日に控えているタイミングだった。
選挙活動に勤しむ候補者を見ながらなぜ日本の選挙は政策が前に出てこずに名前だけがこれほど連呼されるのか?という思いに駆られた。では、他の国の選挙はどうなのだろう?

というわけで参考に観てみたのが『スーパー・チューズデー 〜正義を売った日〜』だ。

『スーパー・チューズデー 〜正義を売った日〜』

『スーパー・チューズデー 〜正義を売った日〜』は2011年に公開されたジョージ・クルーニー監督、ライアン・ゴズリングが主演を務める政治ドラマ映画。原題は『idea of  march』で3月15日のことを指している。
邦題の『スーパーチューズデー』とは大統領予備選挙が集中する3月の第二火曜日を指している。この予備選を制することで大統領への道が一気に現実味を増す、重要な日だ。しかし、この邦題からは原題に含まれるもうひとつの意味が失われてしまっている。

「ブルータス、お前もか」

『idea of march』の3月15日とは共和制ローマの政治家、ユリウス・カエサルが暗殺された日でもある。
当時のローマは覇権主義であり、国家を維持するために絶えず周辺国と戦争を繰り返していた。一方でローマ国内では貧富の差が生まれ、国内を治めていた元老院の政治は次第に独裁化していた。そのような時に広く民衆の支持を得たのがユリウス・カエサルだ。
カエサルは元老院に対抗するため、同じく元老院に敵対していたクラッスス、ポンペイウスとともに紀元前60年に第一回三頭政治を成立させる。執政官になり、元老院から軍事権を与えられたカエサルはガリア戦争で勝利を掴み、ローマを平定した。その後、自身が終身独裁官に就任。
しかし、カエサルによる独裁政治を危惧し共和制を支持した側近のブルータスによって暗殺されている。カエサルが死の間際に発した「ブルータス、お前もか」という言葉は有名だ。

アメリカの選挙戦

今作の主人公はライアン・ゴズリング演じる選挙プランナーのスティーブン・マイヤーズだ。彼は若く才能があり、ハンサム。
そんな彼が尊敬しているのが民主党の大統領候補であるペンシルバニア州知事のマイク・モリスだ。
映画はスティーブンがモリスの討論のリハーサルを行う場面から始まる。候補者同士の公開討論や政策についての具体的な討論は選挙の行方を左右する大切な場面だ。有権者は将来のリーダーとしてどちらがふさわしいか、様々な角度から候補者を見ている。そこには政策だけでなく、ユーモアや親近感までが求められる。

1981年に「アメリカを再び偉大に!」のスローガンで当選したロナルド・レーガン。彼もまた巧みにユーモアを利用した政治家だ。
レーガンの大統領当選時の年齢は69歳。2期目を賭けた大統領選の時には73歳という高齢になっていた。当然、年齢はレーガンにとって不安材料のひとつと見られていた。対抗馬は当時57歳のウォルター・モンデール。モンデールとの公開討論で「年齢は大統領の職務進行の妨げになるか」そう問われたレーガンはこう切り返している。
「私は政治目的のために相手の若さや経験不足を利用するつもりはありません。」
この言葉に聴衆は爆笑し、モンデールすら苦笑したという。のちにレーガンは「私はこの十四語の台詞によって大統領当選を確実にした」と述べている。

人柄や政策、そして候補者同士の直接討論。それらは日本には圧倒的に足りていない部分だ。
今回の参議院選挙の候補者を選ぶにあたって私は投票対象の選挙区の候補者のアンケートの回答を元に自分の考えと似ている人を選んだ。だが、正直にそれだけでは全く足りないと感じた。人柄も政治への熱意も反対・賛成の5段階のみのアンケートからでは見えてこない。まして名前を連呼するばかりの選挙カーなど論外だ(しかしながら、それでも投票結果にはプラスになるというのだから驚きだ)。

政治家としての信念と個人としての倫理

だが、アメリカと日本の選挙には同じような共通点もある。政治家としての信念と個人としての倫理は一貫しないということだ。
実は『スーパー・チューズデー 〜正義を売った日〜』が描いているのはその部分だ。民主主義の理想の下で行われる、理想とはほど遠い選挙の現実を描いている。
『スーパー・チューズデー 〜正義を売った日〜』の原作はボー・ウィリモンが2008年に書いた戯曲『ファラガット・ノース』。ウィリモンは2004年の大統領選挙で有力候補者だったハワード・ディーンの選挙スタッフとして働いた経験を基に同作を書き上げた。

『スーパー・チューズデー 〜正義を売った日〜』で、スティーブンはインターンの選挙のスタッフであるモリーと親密になり、何度か一夜を共にする。
しかし、ある深夜に彼女の携帯電話に電話ががかかってくる。それは選挙スタッフに与えられた専用の携帯電話であり、インターンに深夜に電話する相手なんて誰だろうか?電話の声を聞いたスティーブンは愕然とする。モリスからの電話だったのだ。
モリスは熱意ある誠実な政治家に見えたが、裏ではインターンの選挙スタッフのモリーと寝ており、彼女を妊娠させていた。モリーの家は敬虔なカトリックであり、中絶費用の負担は頼めない。モリーは費用の負担をモリスにお願いしていたのだった。モリスがどれだけ正しい政策と実行力を備えていたとしても、このスキャンダル一つで大統領への道は途絶えてしまう。

実際の政治家のスキャンダル

『スーパーチューズデー』は架空の話だが、2019年の映画『フロントランナー』では1980年の大統領選挙で実際に女性スキャンダルによって選挙から撤退せざるを得なくなったゲイリー・ハートを取り上げている。
ハートは「ジョン・F・ケネディの再来」とも呼ばれ、その先駆的な政策と若さで爆発的な人気を集めた。
ハートは1981年には各学校にコンピューターを配布することを呼び掛けた。未来のアメリカの産業が製造業からITにシフトすることを予見していたのだろう。また、1983年の時点でアメリカの石油政策が中東問題や戦争に発展すると予想しており、1984年にはソ連の崩壊を見越してゴルバチョフとも冷戦後の世界情勢について話し合っていたという。政治的には実に先見の明に長けていたと言える。
順調に見えたハートの大統領選だが、マイアミ・ヘラルド紙の一つの報道によってその前途は大きく狂いだす。選挙運動中にハートが若い女性を自宅に連れ込んだと報じたのだ。
ハート以前はこのような不倫スキャンダルがあってもメディアがそれのみを大々的に取り上げることはなかった。
「人は下らんゴシップなど気にしない。噂話なんかより神聖な選挙の方が重要だ!」
しかし、そう言い切ったハートの予想は外れる。ゴシップは選挙と地続きだった。若きリーダーのスキャンダル。マスコミは執拗にハートとその家族らを追いかけ、騒ぎ立てた。かくて「次期大統領の最有力候補」は失速し、大統領選挙からの撤退を表明する。

政治家のスキャンダルで言えば、ビル・クリントンの不倫スキャンダルはよく覚えている。ホワイトハウス実習生と現役の大統領との不適切な関係はアメリカはおろか日本でも大きく騒がれたスキャンダルだった。クリントンは1992年の大統領の予備選挙でも不倫や多くのスキャンダルを抱えていたことでも知られる。
日本国内においても今回の参議院選挙中に与党の候補者が過去の不倫スキャンダルが報じられた。案の定というべきか、彼は落選している。

スティーブンとモリスの3月15日

これらの例ではスキャンダルが有権者に知られてしまったケースだが、モリスの不倫の件はスティーブンしか知らないスキャンダルだった。
しかし、スティーブンはスティーブンで対立候補のプルマン候補のブレーンであるトム・ダフィーと会っていたことが上司のポールにバレてモリスの選挙スタッフをクビになってしまう。そしてスティーブンは対立候補のプルマン陣営に向かう。
このことでスキャンダルが公になってしまうと思い込み、追い詰められたモリーは自殺してしまう。モリーの死を発表した会見でモリスは彼女をほとんど面識がなかったと発言する。自分が信じていた理想の政治とは何だったのか?スティーブンにとってモリスは理想の政治家だった。だが、それも今は失墜した。
モリーの携帯電話を使ってスティーブンはモリスを呼び出す。
モリスは今まさに大統領という絶大な権力を得ようとしている。モリスはカエサルで、スティーブンはそんな彼を止めようとするブルータスだ。ブルータスもかつてはカエサルを父のように慕っていた。
かくしてスティーブンはモリスと対峙する。
「大統領は必要のない戦争を始めることもできる。国を破産させることもできる。だが、インターンとファックするのは許されない」
秘密を握られたモリスはスティーブンの要求を飲み、スティーブンは解雇されたポールの後任としてモリス陣営にカムバックする。

理想とは遠い現実

原作『ファラガット・ノース』を書いたボー・ウィリモンは2004年の民主党大統領予備選挙に立候補したハワード・ディーンの選挙スタッフだったとは先に述べたが、ウィリモンは『スーパー・チューズデー 〜正義を売った日〜』のスティーブンのような選挙スタッフの中枢ではなく、モリーのような末端のスタッフだったと言うが、それでも選挙の汚さは間近で見てきたという。
「対立候補者の支持者が時間内に投票会場に行けないよう、わざと交通渋滞を起こしたこともあった。他にも共和党が身分証明書を持たずに来た有権者には投票させないなど、妨害行動は山ほどあった」

監督のジョージ・クルーニーにとっては本作『スーパー・チューズデー 〜正義を売った日〜』は4本目の監督作品だ。政治的な作品としては2005年に公開された『グッドラック&グッドナイト』以来となる。
もともとクルーニーは政治への関心が高く、熱心な民主党支持者として知られる。2014年にはカリフォルニア州知事に立候補するのではないかというニュースが流れたほどだ。しかし、『スーパー・チューズデー 〜正義を売った日〜』でのドロドロした選挙戦の舞台は共和党ではなく民主党だ。そこからはイデオロギーを越えたクルーニーなりの誠実さが見えてくる。

『スーパー・チューズデー 〜正義を売った日〜』は民主主義を標榜するアメリカのそれとはほど遠い選挙の裏側を告発する作品と言えるが、それでも有権者に自分のメッセージを届けるという意味では未だに名前の連呼が幅を利かせる日本のそれより遥かに理想的と言えるだろう。

参議院選挙を間近に控えた2022年7月8日に安倍元首相が銃撃され死亡する事件が起きた。余りに衝撃的なニュースは世界に驚きと悲しみを持って受け止められたが、それでも日本の政治家からは「民主主義への挑戦」「テロには屈しない」などの判で押したような言葉で溢れ、自分の言葉で哀悼の言葉を紡いでいると感じられたものは少なかった。
故人への哀悼の気持ちとともに、自分の言葉で国の将来を語ることのできる政治家は果たしてどれだけいるのか、暗澹たる思いが溢れた。

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映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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