『セブン』なぜサマセットはヘミングウェイを引用したのか?

※以下の考察・解説には映画のネタバレが含まれています


映画と詩

ハリウッド映画には詩や小説の一節を引用する場面が多く見られる。
2015年に公開されたクリストファー・ノーラン監督の『インターステラー』では人類の新たな居住地を探す挑戦を描く物語だが、その計画の途中で責任者のブランド博士が死亡する。死の床にあるブランド博士は計画の前提となる方程式に嘘があったことを認め、最期の言葉を言う。それがディラン・トマスの詩だった。

「穏やかな夜に身を任せるな」

ブランド博士が言い遺したこの詩には続きがある。
「老齢は日暮れに 燃えさかり荒れ狂うべきだ死に絶えゆく光に向かって 怒れ、怒れ」
そこには今にも消えようとする命とは対称的に未だに希望への燃えるような情熱を感じさせる。

2012年に公開されたサム・メンデス監督の『007 スカイフォール』ではМが窮地に立たされたМI6の不屈の意志をアルフレッド・テニスンの詩『ユリシーズ』に重ねる。

「昔日、大地と天を動かした我らの力強さは既にないだが依然として我々は我々だ我らの英雄的な心はひとつなのだ時の流れと運命によって疲弊はすれど意志は今も強固だ努力を惜しまず、探し求め、見つけ出し、決して挫けぬ意志は」

2017年に公開された『エイリアン:コヴェナント』で遺伝子操作によってエイリアンを生み出したアンドロイドのディヴィッドは19世紀の詩人であるパーシー・シェリーの詩を引用する。

「我が名はオジマンディアス、王の中の王なり 我が偉業を見よ、全能の神々、そして絶望せよ!」

ディヴィッドは異星の地で遂に新しい生命を生み出し、その星に住んでいたエンジニアを滅ぼした。それは神にも等しい行為だ。ディヴィッドは自らを王の中の王だと称えてみせた(ディヴィッドはこの時「バイロン卿の詩だ」と作者を間違えるが)。また同作ではジョン・ミルトンの『失楽園』からの引用もある。

『セブン』

だが、個人的にはひときわ強い印象を残すのが『セブン』だ。
『セブン』は1995年に公開されたデヴィッド・フィンチャー監督、ブラッド・ピット、モーガン・フリーマン主演のサイコ・サスペンス映画だ。
本作のエンディングはモーガン・フリーマン演じるサマセットのモノローグで締められる。

「ヘミングウェイが言っていた。『世界は素晴らしい。戦う価値がある』後半の部分には賛成だ」

ヘミングウェイは言うまでもなく20世紀のアメリカを代表する小説家、アーネスト・ヘミングウェイのことだ。「世界は素晴らしい。戦う価値がある」この一節はヘミングウェイの長編小説『誰がために鐘は鳴る』からの引用だ。

『誰がために鐘は鳴る』は1940年に発表された。1936年に起こったスペイン内乱をテーマにしており、橋の爆破という任務を負ったロバート・ジョーダンという元スペイン語教師のアメリカ人兵士とゲリラ組織に匿われていたマリアという女性の4日間の恋を描いている。
ヘミングウェイも特派員としてスペイン内戦に参加した。『誰がために鐘は鳴る』にはそんなヘミングウェイの体験が色濃く反映されている。
ロバートは物語の最後に自分の人生を振り返って「世界は素晴らしい。戦う価値がある」そう実感しながら死んでいく。
確かに愛する者と共に暮らす世界は途方もなく美しいだろう。そうした者にとって愛する者のために戦うことは何より価値ある行為には違いない。

だが、『セブン』におけるサマセットの引用は少し引っかかる。もう一度モノローグを紹介しよう。
「ヘミングウェイが言っていた。『世界は素晴らしい。戦う価値がある』後半の部分には賛成だ」
世界は素晴らしいものではない。それでも戦う価値はある、サマセットの思いはそういうことだろう。
しかし、下らない世界、絶望ばかりの世界のどこに戦う価値があるというのか?思うにその場合の価値とは「希望」しかない。
『セブン』はしばしば「後味の悪い映画」「救いのない映画」と形容される。そんな作品のどこに希望があるのか?
今回はこの疑問を辿っていこうと思う。

ニューヨークへのラブレター

タイトルの『セブン』とはキリスト教における「七つの大罪」に由来する。
「七つの大罪」とはのことでPride(傲慢)、Envy(嫉妬)、Wrath(憤怒)、Sloth(怠惰)、Greed(強欲)、Gluttony(暴食)、Lust(色欲)を指す。
老刑事のサマセットと田舎からニューヨークにやってきた血気盛んなミルズという若い刑事の二人が、この七つの大罪になぞらえた連続殺人の犯人を追っていくのが大まかな内容だ。
物語はサマセットのある一日から始まるこの日は日曜日だ。彼は殺人課の刑事で、日々接する凄惨な事件と仕事に嫌気が差していた。34年間働いてきた刑事という仕事もあと一週間で退職を迎える。
この日の事件は妻が夫を射殺した事件だ。犯行現場にはまだ死体が転がっている。

ちなみにこの死体役は本作の脚本を手掛けたアンドリュー・ケヴィン・ウォーカーが演じている。ペンシルベニア州で生まれたウォーカーは大学を卒業するとニューヨークに移り住んだ。タワーレコードで働きながら『セブン』の脚本を書いた。
「『セブン』はニューヨークへのラブレターだ」
ウォーカーはそう言う。ウォーカー曰くニューヨークでの暮らしは惨めで仕方なかったという。また「ありとあらゆる不快なものがすべて集中している」とも述べている。ウォーカーはニューヨークへのやりきれない憎しみを『セブン』にぶつけた。
映画で表現されるニューヨークは雨の降りしきる陰鬱な街だ。撮影自体はロザンゼルスで行われたが、いずれにせよ大都会の無機質な喧騒や孤独が『セブン』の舞台なのだ。

「(夫婦の)子供は発砲音を聞いたか?」サマセットは刑事にそう尋ねる。事件の真相よりも子供を気遣うサマセットの人柄が垣間見える。
そこにデヴィッド・ミルズが訪れる。退職を控えたサマセットの後任としてニューヨークへの移動を志願してようやく受理されたのだ。都会で活躍したい気持ちに逸るミルズにサマセットは「7日間は大人しく見ているだけでいい」と言う。夜、サマセットは眠りにつくためにメトロノームを動かす。都会の殺伐としたノイズに耐えられないからだ。

オマエは俺を神に近づける

そして、オープニングが始まる。このオープニングシーンはカイル・クーパーの手によるもので、その演出は多くのフォロワーを生んだ。
このシーンでフィンチャーは「殺人者の心のなかに入っていくような映像にしてほしい」とカイル・クーパーに注文したという。
死体の写真を集め、膨大な日記を残していく男の手が映し出される。
しかし、ここでは音楽にも注目したい。ここで流れている音楽はナイン・インチ・ネイルズの『closer』だ。
ナイン・インチ・ネイルズもまた無機質なインダストリアルという音楽ジャンルの代表的なバンドだ。
中でも初期の作品は暗く陰鬱な世界観が特徴で、コンポーザーを務めるトレント・レズナーの深い絶望が刻まれていた。『closer』の歌詞を一部紹介しよう。

You let me violate you(オマエは俺に汚させる)
You let me desecrate you(オマエは俺に冒涜させる)
You let me penetrate you(オマエは俺に挿れさせる)
You let me complicate you(オマエは俺に掻き乱させる)
(Help me…)I broke apart my insides(助けてくれ 俺は崩壊してしまった)
(Help me…)I’ve got no soul to sell(助けてくれ 売る魂もない)
(Help me…)The only thing that works for me(助けてくれ それしかもう効かない)
Help me get away from myself(助けてくれ 自分自身から解放させてくれ)

I wanna fuck you like an animal(獣のようにオマエを犯したい)
I wanna feel you from the inside(オマエを内側から感じたい)
I wanna fuck you like an animal(獣のようにオマエを犯したい)
My whole existence is flawed(俺の存在は間違いだった)
You get me closer to God(オマエは俺を神に近づける)

『セブン』の中ではこの最後の「You get me closer to God」のみがボーカルとして使われている。
犯人にとって殺人は自分を神にする手段なのだ。
ナイン・インチ・ネイルズのトレント・レズナーはのちにデヴィッド・フィンチャーの映画音楽を多く手掛けるようになる。
余談だが、私自身中学生の時からトレント・レズナーのファンなので、そのことがよりデヴィッド・フィンチャーの作品を愛好する理由にもなっている。

「七つの大罪」

話を物語に戻そう。
月曜日には別の事件が発生する。被害者は太った男性で、パスタの山に埋もれて亡くなっていた。両手は拘束されており、強制的に食べ続けさせられたうえで腹を蹴られたことが原因の内臓破裂が死因だった。
火曜日にはまた別の事件が発生する。高層ビルの一室で弁護士のグールドが殺されていた。グールドは犯人から1ポンド分の自身の肉を切り取るように命じられていた。そして床には被害者の地でGREED(強欲)と書かれていた。
また月曜日の事件で被害者の冷蔵庫の裏からGLUTTONY(暴食)と脂で書かれた文字が見つかる。

異常な連続殺人が起こる中、サマセットはミルズの妻であるトレイシーから夕食に誘われる。
サマセットはトレイシーからミルズとは高校の同級生だったことを知り、その純朴さに感心する。
その晩、サマセットとミルズは事件について話し合っていた。そこで警察で保護しているグールドの妻に写真を見せる。そして、グールドの部屋に隠されていた「HELP ME」の文字から前科者であるヴィクターの存在が浮かび上がる。
翌日、警察がヴィクターの部屋に踏み込むが、彼は廃人となっており、そこにはSLOTH(怠惰)の文字が刻まれていた。
金曜日、サマセットはトレイシーから相談を受ける。それは子供を産むべきかどうかというものだった。この街で子供を産むことを迷うトレイシーに、サマセットはかつて自分も同じような悩みを抱え、結局は堕児させたこと、そしてそのことについて今でも迷っていることを明かす。

サマセットは、犯人が「七つの大罪」になぞらえて殺人を犯していることから、図書館の記録を違法に入手し、貸出人リストの名前から「ジョン・ドゥ」という名前を見つける。明らかな偽名(ジョン・ドゥとは日本語で言うところの名無しの権兵衛のような意味合いだ)を怪しんだサマセットはミルズとともにジョン・ドゥのアパートへ向かうが、そこで帰宅しようとしていたジョン・ドゥと鉢合わせする。ジョン・ドゥは二人に発砲する。ミルズはジョン・ドゥを追うが、逆にジョン・ドゥに銃を突き付けられる。しかし、ジョン・ドゥは撃たずにそのまま逃走するのだった。
その後、警察のもとにジョン・ドゥから思いのほか早く自身まで辿り着いたことへの称賛と計画の変更を告げる電話がかかってくる。
そしてLUST(色欲)、PRIDE(傲慢)になぞらえた事件が発生する。
残りのENVY(嫉妬)、WRATH(憤怒)を残したまま、血染めになった服を着たジョン・ドゥが出頭してくる。

観客の心に傷を残す映画

監督のデヴィッド・フィンチャーはデビュー作である『エイリアン3』の製作のトラブルと同作への批評に傷つき、「また映画を撮るくらいなら大腸癌になったほうがマシだ!」とまで言い放った。
『エイリアン3』は新人監督のデビュー作としては異例とも言える製作費と、すでにフランチャイズとしての人気を獲得した『エイリアン』シリーズの最新作という最高の条件が揃っていたが、環境が良くなかった。
エレン・リプリーを演じたシガーニー・ウィーバーは「監督こそエイリアン!」とまで言い放った。
そんなデヴィッド・フィンチャーが映画監督として舞い戻るきっかけになったのが『セブン』だ。
『セブン』はジャンルとしてはサイコ・サスペンスにあたる。
1991年に公開された『羊たちの沈黙』は極めて高く評価され、サイコ・サスペンスというジャンルが注目されるきつまかけになった。『セブン』もそういう流れの中にある作品だが、その中でも今なお名作と呼ばれ続けている作品だ。
フィンチャーは「観客の心に傷を残す映画」が好きだという。フィンチャーは『セブン』の脚本を渡された時、最初のページを読んで一度監督を断った。どこにでもある老刑事と若い刑事のバディものにしか見えなかったからだ。しかし、ジョン・ドゥが出頭してくる所でで興味を惹かれ、監督を務めることを決めたのだった。
「ハリウッドの定型に従って展開を予想すると全部、掟破りの方向に転がっていく。70年代の映画を観てるような気分になったよ」
そうフィンチャーは述べている。

箱の中身

出頭したジョン・ドゥはサマセットとミルズに残り二人の死体の場所を教えるという。
のそこに一つの段ボール箱が運ばれる。その中身を見たサマセットは絶句する。
トレイシーの生首だったからだ。

なぜ、ジョン・ドゥは出頭したのか。彼もまた罪を犯したからだ。ジョン・ドゥが冒した罪、それは嫉妬だった。ミルズには美しい妻がいた。その平凡な幸せにジョン・ドゥは嫉妬した。
オープニングの解説で述べたように、ジョン・ドゥは神になろうとした。神として堕落した人間への絶望を、殺人という芸術で表現した。
しかし、トレイシーを見たときにミルズへ嫉妬している自分自身を知った。自らもまた平凡な人間であることに気づいたのだ。ジョン・ドゥもまた死ななければならない人間になった。だがそれは殉教者とも言える役割だ。そして、最後の「憤怒」に相当するピースがミルズだ。

サマセットはミルズに箱の中身を見るなというが、ミルズはその中身が何か、サマセットとジョン・ドゥの言葉から理解する。
職務と怒りの中で苦悩するミルズだが、脳裏にトレイシーの姿がよぎり、ジョン・ドゥを射殺する。倒れたジョン・ドゥに何発も銃弾を撃ち込む。
サマセットはこの結末にやりきれなさを感じる。そして、ヘミングウェイの一節を引用する。
ここで映画は幕を閉じる。

さて、『セブン』に対する様々な考察がネットには溢れている。
中にはサマセットが一連の事件の黒幕だという説もあるようだ。理由としてはトレイシーがサマセットにしか妊娠していることを明かしていないことをジョン・ドゥが知っているから、というのだが、ジョン・ドゥ自らトレイシーが「子供を身ごもっている」と命乞いしたと明かしているために、サマセット黒幕説は根拠の乏しい珍説と言う他ない。その他にもほぼ妄想としか思えないような考察もままある。
もちろん解釈は観た人に委ねられるだろうが、監督をはじめとする製作者の意図を探しだし、それらを考慮した上での解釈でなければ、とても考察とは呼べないだろう。ヒントはインタビューや劇中の音楽、本、様々な所に隠されているではないか。

3パターンのエンディング

ここから、私自身も『セブン』のラストシーンについて考察してみようと思う。

『セブン』のラストシーンには、3パターンのエンディングが用意されていた。
一つはミルズがジョン・ドゥを射殺した後に画面が暗転し、そのまま映画が終わるというもの(射殺後にヘリからの俯瞰のショットを入れる予定だったという説もある)。デヴィッド・フィンチャーの理想としたエンディングはこの形だったが、試写の結果、観客が映画の内容について混乱したままになってしまったので、これは取りやめになった。
二つ目はスタジオが提案したパターン。一つ目のエンディングが暗すぎると判断したスタジオは、ジョン・ドゥを射殺する役割をサマセットに変更し、サマセットが刑事を退職することを決意するというものだった。だが、これにはフィンチャーやウォーカーらが猛烈に反対し、こちらも取りやめになった。
最終的なエンディングとなったのが、公開版のエンディングだ。ここでは退職予定だったサマセットが「戦う価値がある」とヘミングウェイを引用し、退職を思いとどまることを示唆するようなエンディングになっている。

サマセットの物語

DVDのコメンタリーにおいて、ウォーカーは『セブン』を「サマセットの物語」だと述べている。ジョン・ドゥによる一連の事件はサマセットをどう変えたのか?

『セブン』は社会に絶望した人々の物語でもある。サマセットはもちろん、トレイシーもニューヨークをひどい状況と言い、このような世の中に子供を産み落としてもいいものか悩んでいる。ジョン・ドゥもそうだ。ミルズは理想を信じているが、最後の最後で絶望へと落とされる。
絶望の世界に希望などあるはずがない。だが、サマセットは連続殺人が本当に救いのない幕切れになったことで、改めて希望の価値に気づいたのではないか。
恐らくサマセットは刑務所に収容されることになるミルズの下へ面会に向かうだろう。そのときには穏やかな言葉をかけるはずだ。

サマセットにとっての希望とは人間と神の関係にも似ている。
神は実体としてこの世には存在しない。信じるかどうかが人間と神の関わりだ。
希望も同様で、絶望の世界に希望など存在しない。だが、それでも希望はあると信じて生きていけるかどうかだ。
そう思うとジョン・ドゥとサマセットがコインの表裏のように思えてくる。
どちらも人間社会への絶望という根幹は同じだが、ジョン・ドゥはそれを積極的に犯罪として表現しようとした。サマセットは醜さの絶えない街から離れようとしていた。劇中ではジョン・ドゥがサマセットにはある種の親しみを感じているのがわかる。同じ会話ができるだけの教養を持ち合わせた人物だからだ(そうであればミルズは相対的に愚かな人間であり、愚かなミルズに「憤怒」の罪を背負わせたことにも合点がいく)。

「戦う価値がある」

劇中でも示唆されるようにジョン・ドゥの犯罪の根幹にあるのはダンテの『神曲』だ。その中の煉獄編を現世に再現したのがジョン・ドゥだった。
煉獄編では七つの大罪を犯したものが自ら悔い改め、天国へ行くために喜んで罰を受ける。
この世に煉獄を作り、現代に生きる人々の醜さを見せつけるのがジョン・ドゥの計画だった。
平凡な人であっても罪がないとは言えない。そうジョン・ドゥは述べている。
ジョン・ドゥの思想からは神の世界は死後の世界にしかないと考えているのではないか。この世が煉獄ならばその考えは納得できる。
その意味ではミルズがジョン・ドゥを射殺したことで計画はこの上なく成功している。しかし、多くの人はそうではないだろう。
『セブン』は信仰にも似た物語だ。『旧約聖書』の『ヨブ記』において、ヨブにはいくつもの不幸が訪れる。それは神からの信仰を試す試練だった。
絶望のそこまで沈んで、そこで希望という名の神の価値を知る。

「戦う価値がある」そう信じ続けることだ。

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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