『スクール・オブ・ロック』ロックンロールはなぜ死なないのか

当サイトは基本的に映画のレビューを中心に書いているのだが、一般的なレビューサイトと比べるとどうもロックンロールに関連した映画を取り上げている割合が多いように思う。現時点で取り上げている映画は150本足らずだが、
ノーウェアボーイひとりぼっちのあいつ』『ジョン・レノン, ニューヨーク』『スパイナル・タップ』などはロック・ミュージシャン、ロック・バンドをテーマにしたものだ。音楽まで範囲を広げると『ペルシャ猫を誰も知らない』もその中に入るだろうか。また、アメリカの経済政策をテーマにした際にはロックバンドのレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンを取り上げたりもしている。

三つ子の魂百までというが、子供の頃に夢中になったものは大人になっても簡単に捨てられるものではないのだとつくづく実感する。私自身も狭い部屋にギターやベースが10本以上並んでいる。そこまで高価な楽器は無いが、子供の頃の憧れのギターがどんどん増えている。どうやらロックは人が大人になることを許してはくれないようだ。
そして今回も飽きずにロックをテーマにした映画を紹介したいと思う。
名作コメディでもある『スクール・オブ・ロック』だ。

『スクール・オブ・ロック』

『スクール・オブ・ロック』は2003年に公開された、リチャード・リンクレーター監督、ジャック・ブラック主演のミュージカル・コメディ映画だ。初めて観たのは5年くらい前だろうか。結果から言 うとこの映画を見て私は泣いた。

人は誰も大人になる。大人になり社会へ出ていく。「もういい歳だから」「大人だから」それらは真っ当な理由に思える反面、時に何かを諦めたり挑戦しないことへの都合のいい言い訳にもなる。
だが、この映画の主人公はまるで子供だ。

デューイ・フィンは自己中心的な振る舞いとパフォーマンスからバンドメンバーからクビを宣告される。困窮極まった彼は友人のネッド・シュニーブリーの家に居候するが、家事を手伝ったり、職を探すでもなく自堕落な毎日を送っている。

ネッドの迷惑も省みずに居候を続け、自分の好きなことばかりやっている。思わず「大人としてどうなのか?」と言いたくもなるが、自分を貫き続ける強さが羨ましくも感じてしまうのだ。
冴えないルックスで協調性や社会性もなし。普通に言ってもダメ人間、あえて擁護するなら「純粋」と言えるだろうか。

この主人公デューイを演じるのはコメディアンでもあるジャック・ブラック。主に名脇役としての映画出演が多いが、時にコメディだけでなく、優しさや哀しさを醸し出す味わいある演技も秀逸だ。
ちなみにネッドを演じたマイク・ホワイトはジャック・ブラックの友人でもあり、元々彼がジャック・ブラックのために書いた脚本が『スクール・オブ・ロック』の元になっている。

デューイはネッド宛にかかってきた小学校の代用教員の採用の電話を受けたことをきっかけに、自らが「ネッド・シュニーブリー」としてその小学校へ赴く。そこは名門私立校で生徒はみな真面目な子供たちばかりばかりだったが、反面、生徒達が無気力なことに気づいたデューイは授業としてロックバンドを結成し、バンドバトルに出場することを思い付く。
決してイケメンでもなく、スタイルが良いわけでもない。むしろダメ人間であるはずのデューイにだんだん感情移入してしまうのは、彼の持つ純粋さが観る人にはわかるからだ。
デューイは自己中心的ながらも喜々として生徒たちにロックバンドの演奏とロックの歴史を語っている。

なぜデューイは「古典」を好むのか

『スクール・オブ・ロック』を観ていて気になるのは、デューイが取り上げるロックやロックバンドが1970年代くらいまでの、今で言う「古典」のようなロックばかりであることだ。
デューイを演じるジャック・ブラックは1969年生まれだが、デューイもそのあたりの生まれだとすると、彼の青春時代に流行ったのはテクノであったり、メタルであったはずだ(一応デューイの部屋にはナイン・インチ・ネイルズ、レディオヘッド、ケミカル・ブラザーズ、NOFXなどのバンドのステッカーが貼ってある)が、デューイ自身は1980年代のMTVの隆盛には批判的であったり、やはりクラシックなロックを好んでいるようだ。ちなみにクライマックスでのデューイのステージ衣装は明らかにAC/DCのアンガス・ヤングのオマージュだ。

なぜデューイはそのようなキャラクターになったのだろうか。
まずはデューイが「バンドからクビになる」という設定に整合性を持たせるためだと思う。ライブでのノリが他のメンバーと比べて古臭く、かつ自己中心的なデューイはそれが原因でバンドをクビになってしまう。デューイのステージアクションは1985年の『バック・トゥ・ザ・フューチャー』でのマーティを思い出させる。つまりはそれくらい古い、ということだ。ちなみにデューイの元々参加していたバンドは80年代のL.A.メタルのような音楽性であり、一応世代的な辻褄は合っている。

もう一つは誰もが知っていて、かつロックの象徴とも言えるバンドやその作品 を持込むことで、多くの人に楽しんでもらえる「仕掛け」を作るためだ。
エアロスミス、キッス、クイーン…1970年代のロック、それは正にロックの黄金時代だろう。

ロックの歴史

ここで当サイトでもロックの授業をしてみよう。今回学ぶことはロックの歴史についてだ。

ロックンロールとよばれる音楽は1950年代にアメリカで生まれた。ゴスペルやR&Bにカントリーなどの音楽が合わさってロックンロールは誕生する。チャック・ベリー、エルヴィス・プレスリー、リトル・リチャードなどがロックンロールの最初期のミュージシャンだ。ジョン・レノンは「ロックンロールの別名はチャック・ベリーだ」とまで言っている。
中でもエルヴィス・プレスリーの存在は当時の人々に強烈なインパクトをあたえた。
戦後、徴兵制の無くなったアメリカで勃興したのが若者文化だ。そして、その一つがロックンロールだった。

だが、ロックンロールはその成立から10年を待たずに一度死ぬ。

前述のリトル・リチャードは1957年に人気の絶頂期の中突如引退を発表する。 オーストラリアでのツアーに向かっていたリトル・リチャードは、移動中の太平洋上で、乗っていた飛行機のエンジンが火を噴くのを窓から目撃し、「願いがかなったら神職につきます」と、搭乗機の無事を祈った。無事シドニーに到着したリチャードは突如引退し、神学校に入学して牧師となった。
若者に熱狂的に支持されたプレスリーは軍隊に入る。このことは反体制側の人間としてプレスリーに共感していた若者を幻滅させることになった。
1958年12月には14歳の少女を不法に州境を越えて連れ回したとしてチャック・ベリーが逮捕される。
そして1959年2月3日にバディ・ホリー、リッチー・ヴァレンス、J.P.”ビッグ・ボッパー” リチャードソンら3人のミュージシャンをのせたヘリが墜落。その全員が亡くなるという悲劇が起きる。
このことからこの日は「音楽が死んだ日」と言われる。
空白地帯ともいえるアメリカに新しい風を吹き込んだのがイギリスだった。
ビートルズ、ローリング・ストーンズ、ザ・フー、ヤードバーズなどだ。

そして、70年代になるとそれらのバンドに影響を受けたアメリカ発のバンドがシーンを席巻する。エアロスミス、キッス、ヴァン・ヘイレン。もちろんイギリスのロックバンドもその勢いを失ってはいない。レッド・ツェッペリンやクイーンがその代表だろうか。
ロックそのものの源流は1950年代のチャック・ベリーやリトル・リチャードらになるだろうが、今のロックの大本は1970年代がその直接的なルーツとなると思う。
つまり、『スクール・オブ・ロック』公開時の人々にとってのロックの最大公約数が1970年代のロックではなかっただろうか。その当時に活躍したミュージシャンの中にはもちろん、亡くなったミュージシャンもいるが、未だに現役のミュージシャンも多く、今や生けるレジェンドとも言える。

ロックは死んだ

だが、1970年代の全盛期を過ぎ、1970年代後半になると「ロックは死んだ」という声が上がってくる。
誰が最初にそれを言ったのかはわからないが、ジョン・レノンは「ロックは死んだ。宗教みたいになってしまった。コマーシャルみたいになってしまったし、発展することはない。セックス・ピストルズが最後のロックをしているバンドだ」そう発言した。そして19年にデビューしたセックス・ピストルズのジョニー・ロットンも1978年の脱退時に「ロックは死んだ」と発言した。

彼らの発言を裏付けるように、80年代にロックの商業化は極限に達する。
1991年に商業化したロックへの反逆を体現したニルヴァーナがデビューすると、彼らは一気にスターダムにのし上がる。
確かにロックの商業化を指すのなら「ロックは死んだ」と言えるかもしれない。だが、そうなったらまた別のロックが登場してシーンを盛り上げていくだろう。
商業ロックを批判していたニルヴァーナ自身が爆発的にヒットしたことで、ボーカルのカートコバーンは思い悩み、1994年ショットガンで自殺する。これもまたある意味では「ロックの死」だろう。その後にはナインインチネイルズのようなインダストリアル・ロックやリンプ・ビズキットのようやラップ・メタルが人気を集めるようになる。

かつて、ローリング・ストーンズのキース・リチャーズは「ロールはどうした?」と発言したが、死にかけてはまた不死鳥のごとく蘇り、今なお人々を惹き付けているこの繰り返しを「ロール」と呼ばずに何と呼ぼうか。
もちろん、今の日本のチャートでも激しいロックンロールが流れることはほとんどない。

ロックは死んでない

だが、「ロックは死んだ」とは言い切れない。最近だと『ぼっち・ざ・ろっく!』に代表されるように、ロックは陰キャの趣味になったのかもしれない。それでも孤独や誰にも言えない悲しみに爆音で寄り添ってくれるのがロックミュージックではないか。
『スクール・オブ・ロック』はそんなロックンロールの魔法に満ち満ちた作品だ。

バンドメンバーとしてステージで演奏する生徒はもちろん、マネージャーや照明など裏方として参加している生徒もみな充実感に溢れ、笑顔になっていく。
そりゃ「映画だから」「コメディだから」と言ってしまえばそれまでであり、「現実はそんなに劇的なハッピーエンドは無い」と考える方もいると思う。ただ、ロック・ミュージックに触れた人であれば、このロックの魔法は少なからず体験してきたはずだ。
ザ・フーのギタリスト、ピートタウンゼントは以下のような名言を残している。「ロックは悩みを解決しない。悩みを抱えたまま、踊らせるのだ」
『スクール・オブ・ロック』の公開から20年以上が経過した。今もロックは生き続けているだろうか。

2018年、コーチェラ・フェスティバルのステージでX JAPANのYOSHIKIはこう発言した。
「Thank you for supporting X JAPAN. Thank you for supporting Rock’n roll. Rock is here to stay.(X JAPANをサポートしてくれてありがとう。ロックをサポートしてくれてありがとう。ロックは死んでない。)」

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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