『ペルシャ猫を誰も知らない』エンターテインメントの価値

エンターテイメントが私たちの生活にどう関わっているか、最初に私見を延べておきたい。
2020年は新型コロナウイルスが世界を席巻し、様々な業界が深刻なダメージを受けた。
音楽をはじめとするエンターテインメントもそのひとつだろう。「不要不急」が叫ばれていた中で、ミュージシャンたちのライブ活動がその槍玉に上がってしまった。コロナが日本で拡大の兆しを見せた矢先に東京事変が有観客ライブを敢行したことには批判の声も少なくなかった。

生活とエンターテインメント

ミュージシャンといえばそのほとんどはサラリーマンではなく、事務所に所属している個人事業主でもあろう。彼らの生活が一変して厳しい局面を迎えたとき、彼らに対して自己責任論を唱えたものもいた。要はその仕事を選んだのは貴方でしょう?というわけだ。ミュージシャンが「不要不急」のカテゴリーに入ったり、自己責任で片付けられることも支持はできないが、理解はできる。生物が命を繋いでいくには寝る場所と食べるものさえあれば足りるからだ。
ただ、人間はそうではないのではないか?

まずエンターテインメントの中でも音楽をテーマにその成り立ちから現在までを見ていこう。

奴隷制度における文化

奴隷貿易が盛んだったころ、奴隷たちは故郷から無理やりアメリカへ連れてこられた。奴隷たちは人権はおろか人としてすら扱われない存在だった。もちろん、彼らは文化を持つことすら禁止される。
奴隷制度が盛んだったアメリカの南部ではすでに白人の人口より奴隷たちの人口の方が遥かに多かった。彼らが一致団結して反乱を起こす、それは奴隷主たちにとって大きな脅威でもあった(実際、初期の方には大規模な反乱運動も度々起きている)。
奴隷解放後も実質的に公民権を含む差別が残ったのも、黒人が政治参加すると数の論理で白人たちの優位はあっという間に逆転される恐れがあったからだ。
奴隷たちの団結を阻むために、奴隷主は徹底して文化を奪い去った。

こうしてみると文化こそが人を人たらしめているものではないかと思う。
奴隷たちは自分たちの文化を必死で守り抜こうとした。作業の「音」を拍子を合わせたり、テンポを作ったりして音楽として用いた。奴隷主にしても、その音は音楽とは気づかないレベルのものであり、それで作業効率が上がるのであれば文句はない。

また、奴隷主たちは奴隷たちの自殺や反乱を防ぐために彼らをキリスト教に入信させた。キリスト教では自殺は大罪だからだ。奴隷たちとキリスト教が結び付いて生まれたのがゴスペルだ。
奴隷解放宣言が出され、自由になった奴隷たちは様々な場所で彼ら自身の文化を花開かせていく。ジャズやブルース、ロックンロール、それらはいずれも奴隷であった黒人の音楽が下地になっている。今日、私たちが楽しんでいる音楽は遠い昔に奴隷たちが命がけで生み出したものがルーツになっている。

命がけの音楽

そして、今なお命がけで音楽を奏でている人たちがいる。それはイランの若者たちだ。『ペルシャ猫を誰も知らない』 にはそんな命を懸けて音楽を奏でる若者たちが映し出される。

1979年にイラン革命によってイランは反米国家へと変わり、欧米の文化はことごとく禁止されるようになった。それまでイランは中東で最も自由な国と言われていたのだが、なぜそうなったのだろうか。少しさかのぼってイラン革命の背後から見ていこう。
イランは元々ペルシャと呼ばれていた。近代までの歴史は割愛するが、19世紀から20世紀初頭の帝国主義の時代に入ると、諸外国と次々に不平等条約を結ばされ、イランはイギリスの保護国となり、イギリスはイランの石油を独占するようになった。石油権益についてイギリスとイランの取り分は50対4であったという。もちろん、その状態にイランの人々が納得していたわけではない。第二次世界大戦後の1951年に誕生したモサデク政権は石油の国有化を宣言した。イギリスはこれに対して石油のボイコットで対応する。困ったモサデク政権はアメリカに助けを求めるが、逆にアメリカはCIAを使い反モサデク派と結託しモサデクの失脚と新政権の樹立を画策していく。アメリカもまたイランの石油を狙っていた。モサデク失脚後、国王のパーレビは親米路線へと舵を切っていく。イランの重要な資源である石油はイギリスの元に戻っただけでなくアメリカの手にも渡ることになった。

1969年に公開されたイラン映画の『牛』は大切にしていた牛を殺された男が徐々に精神を病んでいき、ついには自分自身を牛だと思い込んでしまうようになるが、この牛は石油を意味していると言われている。
パーレビの時代はアメリカからの援助もあり、イランは目覚ましい経済成長を遂げる。しかし、アメリカの傀儡であったパーレビ王政は独裁政治となり、秘密警察のサバクを使って反体制への弾圧を強めていった。『牛』で 石油問題がそのまま描かれないのはそういう理由があった。

今、世界に民主主義を広めているアメリカが、イランの民主政権であったモサデク政権を倒し、独裁政権を押し付けたことは特筆すべきだろう。一見自由に見えるイランだったが、国民は心の奥底にはイギリスとアメリカが内政干渉して国を奪ったという思いがあった。また著しい経済成長の裏で貧富の差も拡大した。1978年に起きた反政府デモは2000万人規模にまで勢いを増し、翌年のイラン革命へと繋がっていった。
1979年に起きたイラン革命で多くの人か支持したのがイスラム聖職者であるルーホッラー・ホメイニだ。ホメイニはパーレビ王政下でイランを追放され、フランスに住んでいたが、パリから一貫してパーレビ王政を批判していた。

ホメイニは反米路線を主張し、イランの最高指導者となると、イスラム原理主義による政教一致の政治を行っていく。
ホメイニ体制下では西洋の文化は著しく制限される。音楽もその一つだ。今なおイランではCDの発売や音楽の演奏には当局(「イスラム文化指導省」)の許可が必要となる。許可の対象となるのは伝統的なペルシャ音楽などで、ロックやジャズ、ヒップホップなどは「西洋の音楽」として許可されない。もしそれらの演奏が発覚した場合、逮捕され投獄の危険性すらある(近年では許可される音楽の幅が広がったとも言われるが、時の大統領の裁量によるところが大きい)。

『ペルシャ猫を誰も知らない』

『ペルシャ猫を誰も知らない』はそんな禁じられた音楽を必死に演奏するテヘランのアンダーグラウンド・ミュージシャンを映し出した映画だ。出演者は実際のミュージシャンであり、セミ・ドキュメンタリーとも言える作品だ。
監督のバフマン・ゴバディは以前から映画を通してイランに対して問題提起を繰り返してきた。だが、ゴバディの前作『ハーフ・ムーン』は上映許可が下りず、その次に予定していた『私についての60秒』も制作の許可が下りなかった。
ゴバディは婚約者のロクサナ・サベリから自分自身の状況を映画にしてはどうかとアドバイスを受ける。その頃、ゴバディは地下スタジオで無許可でレコーディングを行っていたという。そこで出会ったのが今作で主役を務めることになるネガル・シャガキとアシュカン・クーシャンネジャだ。彼らもまた実際のミュージシャンで、イラン当局から隠れて自らの音楽を追及していた。

ゴバディはアンダーグラウンド・ミュージシャンとの接点はそれまでなく、彼らに対して政府が喧伝するネガティブなイメージを持っていたという。
「私を含めた普通のイラン人は、政府によって彼らが背教者や悪魔崇拝者、薬物中毒者であるかのようなでたらめなイメージを植え付けられ、人間扱いしていなかった。彼らと関わりたくないと思うように洗脳されていたんだ。以前から音楽活動をしたいと思っていた私は、たまたま彼らと知り合い、これまで自分が思い描いていたイメージと実際の彼らがまったく違うことに大きなショックを受けた。そして、彼らがどのような活動をしているのか興味を持ち、彼らの本当の姿を見せるためにこの映画を作った。」
ゴバディは自由に創作活動ができない自分自身の状況を彼らの状況に重ね合わせた。

だが、当然このような内容の映画製作が許可されるはずはない。『ペルシャ猫を誰も知らない』は全て無許可撮影された映画で、撮影期間もわずか17日だったという。撮影期間中には監督のゴバディ、主演のネガルとアシュカンが当局に拘束されるという事件も起きている。
「17日間の撮影だったけれど、17ヶ月間もあったように感じる。映画を撮影するには最悪の条件だったから」
ゴバディはそう撮影を振り返る。また、時間的な制約もクオリティを担保する上で大きな障害だったようだ。
「私には、パーフェクトな作品とは思えない。時間が限られていたからだ。17日間で撮影することがとにかく厳しく、自分が思い描いた通りの映像にはなっていない」それでもこの作品に映し出される「表現」への欲求の強さは圧倒的だ。
LUNA SEA、XJAPANのギタリストのSUGIZOは本作を観て「俺は本当に音楽をやる意義があるのか、これからやる価値があるのか、立ち止まって真剣に悩んだ」という。
たかが音楽かもしれない。だが、されど音楽だとも言える。
日本から遠く離れたイランではその音楽のために途方もないリスクを抱えながら日々演奏している人々がいる。「不要不急」の四文字で本当に片付けてしまっていいものなのだろうか?

『ペルシャ猫を誰も知らない』このタイトルのペルシャ猫とはそんなイランのアンダーグラウンド・ミュージシャンを指している。
「イランでは、犬でも猫でも外に連れ出すことはできない。でも、家の中では猫をとても可愛がるんだ。また、ペルシャ猫はとても高価だ。それで僕は、ペルシャ猫とこの映画の若き主人公を重ね合わせたんだ。自由がなく、彼らの誇りある音楽を演奏するためには隠れなければならない若者たちだ。それに、ミュージシャンたちの家を訪れた時に気づいたんだ。猫たちはアンプの前に陣取り、音楽を聴くのが大好きだってことにね」

『ペルシャ猫を誰も知らない』は衝撃的な結末を迎える。だが、エンターテインメントの価値はこの結末でなければ十分に表すことはできなかっただろう。
監督のバフマン・ゴバディは本作の制作後にイラン国外へ亡命。いまなおイランをテーマにした映画を撮り続けている。

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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