『Ryuichi Sakamoto: CODA』坂本龍一とは何か

坂本龍一氏が亡くなった。ステージ4の癌で闘病中とはニュースで知っていたが、「え、もう?」というのが正直な想いだ。71歳とは早すぎる。
取り立てて大ファンという訳ではないが、それでも人生で最も影響を受けた人を挙げろと言われれば、迷わず「坂本龍一」と答えるだろう。

坂本龍一

物心ついたころから坂本龍一という名前はなんとなく知っていた。はっきりと意識したのは1999年に発表された『energy flow』の時だろう。同作は確かリゲインのCM曲だったと思うが、そこから話題になり、同曲を収めたシングル『ウラBTTB』は異例のインストゥルメンタルのでチャート一位を獲得したこともあって印象深い。癒しやヒーリングが人気を集めていた時代的な背景も懐かしい。

具体的に興味を持つようになったのは2001年の地雷ZEROキャンペーンの時だ。坂本龍一氏が中心となって、地雷廃絶に向けてチャリティーソング『ZERO LANDMINE』を作る。その様子はTBSの特別番組にもなっていた。もともとは大好きなGLAYがこのキャンペーンに参加していたのがきっかけで関心を持ったのだが、これを機に坂本龍一という人物のパーソナリティにも興味を持った。
ちなみにこのキャンペーンで制作された『ZERO LANDMINE』もチャート一位を獲得している。こちらは現在チャート一位を獲得したシングルのなかで最も演奏時間が長いという記録も持っている。
当時は13歳だったので、参加ミュージシャンもLUNA SEA、ドリカム、ミスチルぐらいしかあまりピンときていなかったが、今改めて楽曲を聴いてみると、シンディ・ローパー、デヴィッド・シルヴィアン、佐野元春、UA、CHARA等などそうそうたる豪華なミュージシャンが集っていて驚く。
そしてこのキャンペーンをきっかけに私は政治や戦争など、国際社会やその中での日本の役割など、世界について視野を広げるようになった。

そのすぐ後の9月11日に同時多発テロが起き、報復としてアフガニスタンへの戦争が検討されるようになる。坂本龍一氏が編纂を務めた『非戦』はそんなタイミングの中で出版された本だった。
テロの被害について人や生命的な観点から解説していたものがほとんどだった中、坂本龍一氏は倒壊したツインタワーからの悪臭に環境への影響も懸念していたのが印象的だった。

その後、後追いで『skmt』を読んだ。14歳の頃だったと思う。衝撃的だった。理解できることもできないこともあったが、それでもそこに散りばめられた思想のピースは思春期の繊細な受容体にどんどんはまっていった。そして何度も繰り返し読んだ。今も部屋の本棚には『skmt』が三冊ある。

今回、坂本龍一氏の訃報に際して様々なが、メディアが簡潔な言葉で氏の功績と運動を伝えていた。だが、この中には違和感を感じるものも少なくなかった。特に環境問題に関する取り組みに言及したものは多かったが、その裏にある思想までも的確に捉えていたものは稀だった。

『Ryuichi Sakamoto: CODA』

では、坂本龍一という人物の真実はどこにあるのか?今回紹介するのは坂本龍一氏のドキュメンタリー映画『Ryuichi Sakamoto: CODA』だ。
『Ryuichi Sakamoto: CODA』は2017年に公開された監督による坂本龍一氏をテーマにしたドキュメンタリー映画だ。
2017年に発売されたアルバム『async』の製作風景を軸に、震災から癌に罹患したことなども踏まえ、かつ過去のアーカイブも引用して構成されている。
CODAとは音楽の終結部分を指す。そんな意味合いから坂本龍一氏はタイトルをにすることには反対だったというが、今になってみれば、本当に晩年を切り取った映画になってしまった。
『Ryuichi Sakamoto: CODA』における坂本龍一氏の姿は音楽家としての顔がメインではあるが、その音楽の根底に流れる思想もまた深く感じることができる。かねてから関心を抱いていたという環境問題もそうだ。

映画の冒頭は東日本大震災で津波に流されたピアノの音の確認作業を行う坂本龍一氏の姿が映される。
そして原発反対デモに参加し、反原発のスピーチする場面へと変わる。もちろん原発には人それぞれ是非があると思うが、いわゆるミュージシャンのこうした政治的な活動は批判されやすい。ミュージシャンは音楽だけやっていればいいという考えも日本には根強いからだ。
だが、個人的にはそうは思わない。アメリカではミュージシャンであっても自身の支持する政党を公言するのは普通であるし、大統領選挙には支持する候補者の集会でパフォーマンスしたりもする。誰にも政治に参加する権利がある。それが当たり前なのだ。むしろ、ミュージシャンがきっかけで政治にも目を向けて行くことができるというのは素晴らしいことではないか?
「見て見ぬふりするのは僕にはできないことですから」
そんな坂本龍一氏の姿に影響を受けたミュージシャンも多い。著名な中ではLUNA SEAのSUGIZOもその一人だろう。

自然ということ

『Ryuichi Sakamoto: CODA』の中ではガンと告知された時の心情や、仕事の休止中でも『レヴェナント: 蘇えりし者』の映画音楽を製作している様子が描かれる。『レヴェナント』は一人の男の復讐を描いた物語だ。大自然の荒涼とした風景に果たしてどんな音楽を紡いでいくのか。
『async』は非同期という意味だ。音楽でいう同期とは打ち込みであったりシーケンスであったり、コンピューターと人間の演奏を合わせていくことだが、非同期はその逆。『async』は自然の音を組み合わせ、アナログ的に作られている。北極の水の音や山の落ち葉を踏みしめる足音、空から降る雨の音。それらを収集する光景も『Ryuichi Sakamoto: CODA』には収められている。

坂本龍一氏が亡くなった時に、その思想を指して、環境問題やエコを訴えていたと書いたものがあったが、『Ryuichi Sakamoto: CODA』を観ると、坂本龍一氏の自然観、ひいては生命観はそのようなエゴイスティックなものではないことがわかる。今の環境運動の大きな驕りはあくまでも人類の存続のために環境保護が必要だという前提の上に成り立っているということだ。だが、本来は人間も自然の一部であり、自然を支配するという考えそのものが、驕りと言えるだろう。

『async』には『ZURE』という曲がある。東日本大震災の津波を受けたピアノでレコーディングされた曲だ。
そのピアノは調律が狂っていたが、坂本龍一氏はそれを「自然が調律してくれた」と言う。
ピアノに使われる木材は人間の手によって加工されたもので(坂本氏曰く6枚くらいの板を半年くらいかけて型にハメて曲げていくらしい )、ピアノの弦も何トンという張力がかかっている、それらを制御しているのは人間の技術力だが、狂ったり、ずれたりというのは自然がもとに戻ろうとする姿であり、自然の側から見ると人間がその工業力で仕上げたものはとても不自然ではないかと坂本龍一氏は指摘する。

ぼくはあと何回、満月を見るだろう

『Ryuichi Sakamoto: CODA』では映画音楽についても触れられている。前述の『レヴェナント: 蘇えりし者』や、坂本龍一氏自身がフェイバリットだというアンドレイ・タルコフスキーの作品、初めて映画音楽を手掛けた『戦場のメリークリスマス』やベルナルド・ベルトリッチ監督との初タッグであり、アカデミー賞作曲賞を受賞した『ラストエンペラー』から、『シェルタリング・スカイ』までが映画には登場する。
坂本龍一氏は2022年に『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』というエッセイの連載を始めたが、『Ryuichi Sakamoto: CODA』を観るとこのタイトルはベルトリッチの『シェルタリング・スカイ』からの引用だということがわかる。『シェルリング・スカイ』のラストシーン、原作者のポール・ボウルズが登場し、次のような言葉を語る。

「人は自分の死を予知できず、人生をつきぬ泉だと思う。だが、物事はすべて数回起こるか起こらないかだ。自分の人生を左右したと思えるほどの大切な子供の頃の思い出もあと何回心に思い浮かべるか?せいぜい4,5回くらいだ。あと何回満月を眺めるか?せいぜい20回だろう。だが、人は無限の機会があると思い込んでいる」
坂本龍一氏もこの台詞が大好きなのだという。死は当たり前だが、誰もがその事実を意識せずに過ごしている。

『skmt』ではモンゴルを訪れたことについて書かれている。モンゴルの草原には動物の骨や糞が転がっている。死は排泄と同じくらいに当たり前だから、輪廻の思想が生まれるのも当然との言葉がある。
同著で坂本龍一氏は輪廻は空想ではなく、今ここにあるとも語っている。魂が生まれ変わるということではなく、生物が死ぬとその体は分解され、新しい命に引き継がれていく。こうして地球に生命が誕生したときから命は絶え間なく廻っている。
あるインタビューで坂本龍一氏は「僕が死んだら土葬にしてほしい」と述べていた。『skmt』の中でも「土葬を認めない国なんてなんて野蛮なんだろう」との言葉がある。
また坂本龍一氏は同著のなかで、生命の基本は「取り入れて出す、つまり食べること、息を吸うこと、そして大いに笑い、喜び、悲しんで涙を流すこと」だと語っている。だとすれば人間という生き物の暮らしはなんて歪なものだろうか。

Ars longa,vita brevis

坂本龍一氏の訃報を伝える公式発表ではこの一文が最後に添えられていた。

「最後に、坂本が好んだ一節をご紹介します。
Ars longa,vita brevis
芸術は長く、人生は短し」

私が次にギターを買ったら、そこには「NO MORE LANDMINE」のステッカーを貼ろうと思っている。確かに人生は短い。だが、芸術とともに意思もまた多くの人に受け継がれ、広がり続けていくのだと思う。

そう言えば、『skmt』の終わりの文章もそうだった。最後に引用しよう。

「Ars longa,vita brevis 芸は長く、いのちはみじかい。『skmt』はまだ続くのである」

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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