なぜ新藤はゴジラに殺されたのか?『ゴジラvsキングギドラ』が映すバブル期の日本

※以下の考察・解説には映画のネタバレが含まれています


生まれて初めて観たゴジラ映画は『ゴジラvsキングギドラ』だった。それからずっとゴジラに夢中だ。
小さい頃、どうやってゴジラ映画が作られているのか、ずっと疑問だった。
「ゴジラは本当にいて、たまたま誰かがビデオカメラでゴジラを撮影しているんだ!」
幼稚園の頃は本当にそう思っていた。後に特撮技術によって撮影されたものだと知るのだが、本物にしか見えない街がミニチュアで作られたものだったのかと心底驚いたことを覚えている。

『ゴジラvsキングギドラ』の公開は1991年。その後の怪獣映画にも大きな影響を与えた『ジュラシック・パーク』が公開される2年前だ。
『ジュラシック・パーク』の監督であるスティーヴン・スピルバーグもゴジラ映画に強く影響された一人だ。第一作の『ゴジラ』を観たスピルバーグ少年も「どうやって怪獣があんなに滑らかに動いているのかのかわからない」と感じていたそうだ。

だが、やはり今の目で観ると、子供の頃あれほどリアルに感じた特撮もチープに感じてしまう。『パシフィック・リム 』や『GODZILLA ゴジラ』など、現在の最先端技術で作られた怪獣映画にはどうしても見劣りしてしまうのは仕方ないと思う反面、特撮技術の限界を突きつけられた気がして寂しくも思う。
もちろん、『パシフィック・リム』で監督を務めたギレルモ・デル・トロのように、自身が熱狂的な特撮ファンあるからこそ、より怪獣をリアルなものとするために心血を注ぐのだろう。世界を驚かせた日本の特撮技術はその礎にもなったのだと思う。

『ゴジラvsキングギドラ』

さて、『ゴジラvsキングギドラ』に話を戻そう。
『ゴジラvsキングギドラ』は1991年に公開されたゴジラ映画だ。監督は大森一樹、主演は中川安奈、豊原功補が務めている。
1984年に新たなシリーズとして仕切り直しが行われた『ゴジラ』は大人をターゲットとして製作された。その次の『ゴジラvsビオランテ』もそうだったが興行収入は苦戦し、『ゴジラvsキングギドラ』からは子供に人気のあった往年のゴジラ怪獣を多く登場させている。

だが、大人になって『ゴジラvsキングギドラ』を観ると1991年当時の日本の状況がありありと伝わってくる。子供の頃は表面的なストーリーだけを追っていたが、大人の目で観るとその裏にあるメッセージ性に気づかされる。

バブル景気の日本

『ゴジラvsキングギドラ』はタイムスリップや未来人、アンドロイドなどSFの要素も強い。特にアンドロイドの描写は『ターミネーター2』の影響が色濃く感じられる。線の細い男性型のアンドロイド「M11」は『ターミネーター2』でロバート・パトリックが演じたT-1000を思い出させる。炎の中から登場するシーンや焼け焦げた皮膚の描写など、『ターミネーター』シリーズのパロディとおぼしき演出もある(今観るとクオリティは低いが、子供の頃はクオリティの低さゆえの独特の不気味さもあってトラウマだった)。
また、タイムスリップというアイデアは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズからの着想だ。
前作『ゴジラvsビオランテ』と同時期に公開された『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』がヒットしたのを受けて『ゴジラキングギドラ』にもタイムスリップを取り入れたのだという。

その『バック・トゥ・ザ・フューチャー』、『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』には当時のバブル期の日本のイメージが反映されている。
バック・トゥ・ザ・フューチャー』ではトヨタのハイラックスが主人公のマーティの憧れの車として登場する。『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』では2015年を舞台にしているが、そこでは47歳になったマーティが富士通で働いているという設定だ。実際に『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の配給元だったユニバーサル映画も1990年に松下電器(今のパナソニック)に買収されている。
1989年当時の世界時価総額ランキングでは上位20社のうち14社を日本企業が占めていた。
「あの頃は本当に日本企業がアメリカを乗っ取ってしまうと信じていた」『バック・トゥ・ザ・フューチャー 』で脚本を務めたボブ・ゲイルはそう語っている。
そんな当時の日本の状況は『ゴジラvsキングギドラ』にも反映されている。

劇中には1992年の日本にタイムスリップした23世紀の人々が登場するが、彼らの時代では日本が世界の覇権を握っており、圧倒的な軍事力と経済力で世界を牛耳り、他の国々を隷属させているという。
だが、そんな日本もゴジラによって滅ぼされる。未来人は表向きにはゴジラ誕生の阻止、そして日本の巨大化の阻止、この二つの目的を抱いて現れたのだった。

ゴジラの誕生

太平洋戦争末期、日米両軍が交戦中のラゴス島に現れたゴジラザウルスと呼ばれる恐竜の生き残りが核実験の影響を受けけたことがゴジラ誕生のきっかけだった。
未来人のエミとアンドロイドのM11、ライターの寺沢、超能力者で国立超科学研究センターゴジラチーム所属の三枝らとともに戦時中のラゴス島へ向かい、 米軍の攻撃を受けて瀕死のゴジラをベーリング海へタイムスリップさせる。これによってゴジラザウルスは放射能を受けずにそのまま死ぬはずだった。

その頃、現代の日本にはキングギドラが襲いかかっていた。それはラゴス島に置き去りにしてきた未来人のペット、トラッドが放射能によって変異、融合して巨大化した怪獣だった。キングギドラはトラッド同様、未来人の超音波操作で思いのままに操ることができる。未来人はキングギドラを使って、未来のために現代の日本の国力を削ごうと企んでいたのだった。

一方、日本有数の大企業である帝洋グループ総帥の新藤はゴジラを復活させ、キングギドラの攻撃を阻止したいと考えていた。そのために某国に隠し持っていた原子力潜水艦をゴジラザウルスの眠るベーリング海に派遣しようとしていたのだ。新藤はかつてラゴス島でゴジラザウルスによって命を救われた旧日本軍の隊長だった過去がある。
「君らにはわからんだろう、奴はワシの救世主なんじゃ」
計画に反対する関係者を新藤はそう言って黙らせる。
しかし、ゴジラザウルスはすでにソ連の原子力潜水艦の沈没により核エネルギーを浴びてゴジラへと変化を果たしていた。これに加えて、新藤の原子力潜水艦のエネルギーもゴジラへ吸収され、より強大になったゴジラは日本へと上陸する。
ゴジラはキングギドラを退けることに成功するが、その後もゴジラは日本で暴れ続けた。

エミは23世紀に戻り、ゴジラに倒されたキングギドラにまだ生体反応があることを確かめる。キングギドラを23世紀の技術で復活させ、日本を救おうとするが、エミの上司はこう言う。
「繁栄に溺れ、怪獣に滅ぼされた、取るに足らない国のためにか」

ジャパン・ナッシング

『ゴジラキングギドラ』の公開は今から30年以上も昔のことだ。そう思うと、この台詞は当時の日本を的確に表している。日本は金に溺れ、傲慢になっていったことは一つの事実だろう。ユニバーサルが松下電器に買収されたとは冒頭に述べたが、他にもソニーはコロムビア映画を買収し、三菱地所はロックフェラーグループを買収した。特にアメリカとは貿易摩擦が続き、アメリカではジャパン・ナッシングといわれる日本へのバッシングも起きるようになった。こういう経緯を思うと、未来人の中でも欧米系のがキングコングを利用し、日本を滅ぼそうとしたことと、日系人であるエミだけは日本の味方であるのはあまりに露骨だ。

なぜ新藤はゴジラに殺されたのか

避難指示の出された東京で新藤は新宿の自社ビルに留まり続けた。そこでゴジラと47年ぶりの邂逅を果たす。監督の大森一樹によると、新藤は唯一ゴジラと心を通わせた男であるという。新藤は「ラゴス島で死んだ命」だとゴジラが迫っていても自らを省みない。

ゴジラと新藤は見つめ合い、そしてゴジラの熱線がビルもろとも新藤を吹き飛ばした。 なぜ心を通わせたはずの新藤はゴジラに殺されたのか。
いくつか考えられることはある。まず、新藤がゴジラを甦らせ、日本の破壊に一役買ってしまったということ。その罪の意識でゴジラに自ら殺されようとしたのではないか。ゴジラとしても、本来であればラゴス島で死んでいたはずが、人類の都合によって怪獣として生き延びさせられたという意味では哀しみを帯びている。
また、新藤の会社である帝洋グループが最も成功した日本企業として描かれている点で、もし『ゴジラvsキングギドラ』を何らかの寓話的な物語であるとするならば、ゴジラがバブル期の日本の驕りや傲慢さをたしなめる役割を負っていたのではないかとも思う。今も昔も建前上では非核三原則を堅持し続けている日本において、一企業が原子力潜水艦を製造・保有しているのは明らかに違法だろう。そう考えるとラゴス島から戦後の復興の日々の中で新藤自身もまた変わってしまった一人かもしれない。
そういう意味では『ゴジラvsキングギドラ』はバブル景気に警鐘を鳴らす映画であった。

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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