『ブレイブ』なぜアメリカはこの映画を受け入れなかったのか

映画そのものではなく、それが公開までにどのような紆余曲折を経てきたかで見えてくるものがあると『アイ・アム・レジェンド』で書いた。
『アイ・アム・レジェンド』には自己を直視できないアメリカの病理が隠されていたが、今回紹介する『ブレイブ』もそうだろう。

『ブレイブ』は1997年に公開されたジョニー・デップ監督・脚本・主演作だ。モーガンタウンという町に住む貧しいネイティブ・アメリカンの青年ラファエルが、お金と引き換えにスナッフ・フィルムへの出演を引き受ける。
スナッフ・フィルムとは、人間が死にゆくまで拷問される様子をとらえた映像のことだ。当然ながらそれに出演することは死を意味する。
撮影までの期日は一週間。その残された日々をラファエルは家族のために過ごそうとする。

一人三役を努めたジョニー・デップの並々ならぬ情熱が窺える作品だ。デップ自身もネイティブ・アメリカンであるチェロキーの血を引いている(「曾祖母はチェロキー族かクリーク族として育ったんだ」とデップは語っている)。

今作はカンヌ国際映画祭でもパルムドールにノミネートされるなど高い評価を得たのだが、アメリカの批評家からの評価は芳しくなかった。
「アメリカのマスコミの言い方が侮辱もいいところだった。『おいおい、お子さま俳優の君がどうして自分に脳みそがあるなんて思ったのかねぇ?』」
デップは2012年のローリング・ストーン誌のインタビューでそう回想している。

そのためデップは北米での劇場公開を見送っている。なぜ国際的に高い評価を得た作品が本国では逆になるのか?
ネイティブ・アメリカンの歴史を交えて考察してみようと思う。

「明白な天命」

アメリカ大陸にアングロ・サクソンが入植してからのアメリカインディアンの歴史は悲惨としかいいようがない。
彼らは「明白な天命(マニフェスト・ディスティニー)」の名のもとに領土を拡大し、アメリカインディアンを虐殺していった。
「明白な天命(マニフェスト・ディスティニー)」とは「神が我々に与えたもうたアメリカ合衆国を拡大するのは神が我々に与えた明白な使命である」という考えだ。
キリスト教では「植物や動物などの食べ物は人間のために神がもたらしてくれるものである」という考え方に立つ。その神がもたらすものの中に新大陸が加わり、その支配は「明白な天命」として正当性を持ち広まっていった。もちろんここでいう人間の中にアメリカインディアンは含まれていない。

「明白な天命」を実行する過程において実に95%ものアメリカインディアンが命を落とした。「良いインディアンは死んだインディアンだ」とアメリカインディアンとの戦争に従軍したフィリップ・シェリダンは言い残している。
アングロ・サクソンの入植前、推定1000万人いたアメリカインディアンは300年足らずで25万人を割るまでにその人口は減少してしまう。

さらに1830年5月28日にアンドリュー・ジャクソン大統領は「インディアン移住法」を可決する。ジャクソンはアメリカインディアンの虐殺によって軍功を上げてきた人物でもあり、彼の掲げる民主主義はアングロ・サクソンのためのものだった。
インディアン移住法は彼らの土地を強制的に取り上げ、彼らを西部の土地に強制的に移住させる政策だ。彼らの土地で資源が見つかると、アングロ・サクソンたちは容赦なく彼らの権利を踏み潰し侵略した。
この法律によって10万人ものアメリカインディアンが住んでいた場所を奪われ、西部への移住を余儀なくされた。
数千kmもの距離を徒歩で移動させるこの政策は多くの犠牲を出した。クリーク族は1万5000人のうち、3500人が命を落とした。チェロキー族は15,000名のうちおよそ4,000名が命を落とした。このことは「涙の道」として知られている(余談だが、アメリカインディアンが移動した後の南部の土地は綿花地帯となり、そこでは奴隷制度が栄えることになる)。

領土、植民地、経済、時代と共に内容は変わるものの、未だに拡大と覇権を狙うのは建国以来のアメリカの変わらぬ性根ではないか。
Black Lives Matterのようにしばしば有色人種への差別は大きな問題としてクローズアップされるが、アメリカインディアンをとりまく現状については一般的にはそれほど知られていないのではないかと思う。

アメリカインディアンの現実

現代のアメリカインディアンの暮らしも貧困を極める。
居留地で暮らすアメリカインディアンは黒人よりも高い割合で貧困層に属しているという。貧困率は28%とアメリカに暮らす他の人種に比べて最も高く、失業率もおよそ50%となる。

その貧困ゆえにから健康的な食事ができず肥満や糖尿病などの疾病や、アルコールやドラッグ依存が蔓延している。『ブレイブ』でも仕事を求めるラファエルに白人の面接者であるラリーは「お前たちは酒好きだろう?」と訊くシーンがある。
彼らは居留地から出ていくことにも内向的だ。人種や言葉、教育水準の違いから外の世界へ踏み出すことに消極的な人が多い一方で、居留地内で一定の条件を満たせば年金や補助金で最低限の生活は保障されるからだ。しかし居留地で暮らすアメリカインディアンの若者の自殺率はアメリカ国内の平均の3倍にもあたる。

モーガンタウンには消費社会からのゴミであふれ、住民たちはゴミの山からその日の生活の糧を拾い集めている。ラファエルにもモーガンタウンで暮らし続ける未来がどのようなものかわかっている。金を手にした今、家族だけはその未来から救い出してやれる。
「テレビだけあれば十分だよ」そう言う息子のフランキーに対してラファエルがこう諭す。
「この場所はダメだ」「よその土地へ移り教育さえ受ければ偉い人にもなれるぞ」
ラファエルは「パパが小さいころは丘の上に住んでいて、そこは今の場所よりいいところだった」と言う。果たしてラファエルを丘の上から移動させたのは誰か。町の郊外には新興住宅が建て並ぶ。ラファエルの年収の何十倍にもあたる額で。

アングロ・サクソンからの搾取

アングロ・サクソンから搾取されるアメリカインディアンという図式を『ブレイブ』は今一度分かりやすく示しているとも言えるだろう。

ラファエルは5万ドルで命を売る。アメリカ人の平均年収は560万円。それでも貧しいラファエルはその契約を受諾する。
前金を受け取ったラファエルが町に戻ると、モーガンタウンの土地は大企業に買収されるという話が持ち上がっていた。そうなるとこの場所を立ち退くしかない。しかしこの場所以外のどこで暮らせと?
モーガンタウンも失業者で溢れている。立ち退きはそのまま人生の終わりになる。まるで前述の強制移住法を彷彿とさせる筋書きではないか。
今現在においてもアングロ・サクソンからアメリカインディアンは搾取され続けている。

かねてよりアメリカインディアンに対する人種差別問題に熱心だったマーロン・ブランドは本作には無償で出演している。
デップもまた本作以後も一貫してアメリカインディアンへの関心と敬意を抱き続けている。2012年の映画『ローン・レンジャー』のエピソードを紹介しよう。

『パイレーツ・オブ・カリビアン』のゴア・ヴァービンスキーが監督した『ローン・レンジャー』。その主演をジョニー・デップが務めると聞いて、お偉いさんたちは大喜びになる。が、デップがやりたがっているのが主人公ではなく、その相方のトントだと知って彼らは一転落胆したそうだ。「はぁ?トントだって?なぜジョニー・デップが脇役なんだ?」
ジョニー・デップはこう答えている。「居留地の子供たちに何かしらの希望を与えたいと思ったんだ」

最も、そればかりが『ブレイブ』のメッセージではないことも記しておきたい。

『ブレイブ』のメッセージ

ジョニー・デップは『ブレイブ』について「本当に愛する家族のために命を捨てることができるのか」を描こうとしたという。
『ブレイブ』のインタビューの中で彼は「ラファエルは家族のために命を捨てると決意してから、本当の意味で生きるようになった」と述べている。それまでの暮らしは休む間もなく、ラファエルは死ぬと決意してから一息つけるようになったのだと。

少し意地悪な捉え方をすれば、それは金があるからだという見方もできるだろう。金には人を惑わす魔力もある。ジョニー・デップも先のインタビューで「金というものは悪の要素を持っている」と述べている。 しかし金には確かに人を幸せにもするはずだ。

まとまった金を得たことでその日を必死に暮らすしかなかったラファエルに初めて余裕が生まれる。「家族にいい暮らしをさせたい」その願いにやっと手が届く。残り少ない時間でラファエルは家族と向き合っていく。
死が目前に迫ったとき、果たして人は自分を偽れるだろうか。
言うまでもなくラファエルという名前は天使の名でもある。

ラファエルにはキリストのイメージが重ねられている。
契約を交わした後、居留地にはラリーが時折現れ、ラファエルに契約から逃げ出さないように忠告する。
ある時ラリーはラファエルの右手を杖で突き刺す。彼の掌から止めどなく血が流れる。その様は磔刑のキリストを思わせる。
キリストは自身が処刑されることを「人類をその罪から救うために、身代わりに磔になった」と言った。ラファエルが殺されることも自分自身を犠牲にして愛する者を救うためだ。

なぜ『ブレイブ』は批判されたのか

『ブレイブ』は決して悪い作品ではない。ではなぜ『ブレイブ』は批判されたのか。

『ブレイブ』について、映画監督のテリー・ギリアムはこうジョニー・デップに述べたという。「問題はこの映画が君に似すぎていることにある」
デップもまたそれを認めている。「少なくともこれは僕と似た映画にはなっている」
どこが似ているのか。ギリアムは「この映画は自分がどうしたらいいかがわかっていない」デップも言う。「いまだに僕は自分がどうしたらいいのかわからない」

ジョニー・デップは貧しい少年時代を送った。若いうちから酒とドラッグに手を染め、留置場へ出入りしたこともある。
「なんでもドラッグの名前を言ってくれ、大概はやったことがある」デップは当時を振り返ってそう言う。
彼はその初期の作品から奇人や変人などのマイノリティを好んで演じていた。『シザー・ハンズ』のエドワード、『エド・ウッド』のエド・ウッド、『ドン・ファン』のドン・ファン、いずれも社会の枠組みから外れたアウトサイダーだ。

ジョニー・デップは2012年に先住民族のコマンチェ族から名誉家族として養子に迎え入れられている。それから数か月後、彼は極秘でオクラホマのコマンチェ・ネイション・フェアに登場した。
その日の終わりにデップはこう言った。「こんなにも受け入れられていると実感できたのは生まれて初めてです。」
ローリング・ストーン誌のインタビューでも彼は将来の自分を思い浮かべながらこう答えている。
「ある時点になって、それなりに年を取るか、脳細胞が多少復活するかしたら君(デップ)はようやく気づく。自分が逃亡者の人生を歩んできたことに。」
ジョニー・デップはずっとアウトサイダーだった。それは彼が演じるラファエルもそうだ。

ラファエルは白人社会の外にいて、彼は貧困生活を余儀なくされている。その裏には今まで見てきたようなアメリカインディアンへの侵略と搾取の歴史がある。
『ブレイブ』に正面から向き合うとその部分を避けては通れない。
そう考えるととカンヌで絶賛され、アメリカの批評家からは酷評されたのも理解できる。
素晴らしい映画である一方でデップの個人的な映画でもあり、アングロサクソンの罪を改めて目の前に突きつけるような作品でもあるからだ。
それを象徴するかのように『ブレイブ』に登場する白人に善人はいない。

冒頭で紹介した批評家の言葉を今一度見てみよう。「おいおい、お子さま俳優の君がどうして自分に脳みそがあるなんて思ったのかねぇ?」

ここまで『ブレイブ』の背景を見ていくと果たしてその言葉を額面通り受け取っていいのか、いささか疑問ではある。

『ブレイブ』は北米では劇場公開されておらず、幻の映画となっている。『ブレイブ』がなぜ幻の映画になったのか、ぜひ自分の目で確かめてほしいと思う。

 

 

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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